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二人で話したい、二人で決めたいといちかちゃんが言い、僕は教室を出たが、御子野瀬さんは部屋の隅に留まった。ただどんな会話にも口を出さないし、今だけは何を話してもいいと独り言のように言った。
廊下を歩いていく。追い出すならばなるべく近くにもいない方がいいのだろうと判断した。衣装部屋として機能していた教室も、最初に会話を行った教室も、今は普通の学校のように机と椅子が並んでいる。衣装は一体いつの間に搬出したのだろうか。
考えてまた、いつか引っかかった違和感が、呼び起こされる。なんの会話をしていた時だったか。
食堂。昼だけはここを使ったが、あまり印象に残るようなことはなかった。別の年にはもっと使用頻度が高かったのかもしれない。フレハブ校舎にしているのも、増改築がしやすいように、ということなのかもしれない。毎回、それまでの反省を活かし、変えていく。それは試験内容に関してもそうなのだろう。今年行ったもので来年はなくなるもの、あるいは今年から行うことになった試験などもあるのだろうか。他の試験場ではどうなのだろう。詳しいことは何一つ知らない。
言い出せばきりなどないが、僕たちは世界の何をも知らない。日本史、世界史の教科書が全てで、それも十全とは言えない。誤りは訂正されていくし、記憶も改竄されていく。誰も、昔のことをはっきりと知ってなどいないのだ。それは、この校舎とも同じ。人間も、増改築を繰り返していく。
二階で物音がする。この真上は、誰の部屋だろうか。何をしているのだろう。泣いているのか。怒り狂っているかもしれない。帰り支度を整えている可能性もある。
なにせ残りはあと二人。もうほとんど終わったも同然だ。言っても、最終試験には二日を要するが、上の彼女たちがそれを知るよしもない。帰って、誰かに慰めてもらう、あるいは愚痴を聞いてもらう支度も、整っているといい。
僕は悪者になりたくはない。そう考えて生きてきた。取り柄もなく魅力もない普通の僕は、普通を全うするために、多くの敵も、多くの味方も作らずに生きてきた。もとより、僕の知る人類は、世界の総人口に関わらず矮小なものだが、そのコミュニティにおいて、全てが五分になるよう調節してきた。
だが、こうして、悪役のような振り分けをしても、誰にも直接的に「悪者だ」と責められないことも、それはそれで苦痛だった。又野さんだけが批判的だが、それも婉曲で、どちらかと言えば僕の背後にいるもっと強大でどうしようもないものへ対する悪意を、手近なものに押し付けているようで、つまり彼女にとっても僕はただの小物でしかない。RPGなら、最初に出てくる敵キャラくらいのものなのだろう。
悪いことをしている。そう思うわけではない。でも誰だって、後ろめたさや不安を常に抱えている。批判されて安心する場合も往々にしてあるのだ。
二階で物音を出した誰か。すでに僕の手によって落ちてしまった誰かは、僕をどう思っているのだろうか。それでも許してくれることが、僕にとって優しさになるのか、わからない。僕は不完全で無力な、ちっぽけな人間なのだ。
お気楽に馬鹿を演じ続けられるほど賢くなかった。胸中に渦巻く感情をうまく整理整頓できるほど器用でもない。
これは誰のための試験だったのか。
試されているのは僕ではないのか。
天井を見上げあてどもない思考を繰り広げる。
僕の世界は、狭い。
「ここにいたのか」
どれくらい時間が経ったのか、御子野瀬さんの声で振り返った。
彼は、誰の監視をしている?
「決まったよ」
誰のためにレポートを書く?
そして。
「行こうか」
なぜこうも優しくしてくれる?
世界は醜悪だ。
「わかりました」
それを隠してくれる人が、僕には必要だろう。




