チャプター 03:「魔法」
『……なるほど。これは興味深い』
シンと博士は、無人の書庫で現代の資料を読み漁っていた。記録した見本を頼りに、博
士が関係書類を偽造する事で入学が叶い、晴れて現代の資料が溢れる学院の書庫を利用で
きるようになった。
しかし、通常は剣の講義がある時間にもかかわらず、二人はそれを無視し書庫に篭り続
けていた。元より、剣の鍛錬を行うつもりなどなく、情報収集が主である事からも、それ
は必然と言える。
そして現在、二人が強い興味を抱いていたのは、200年前に存在しなかった、マナを
用いた新たな技術。
魔法である。
『これは…………興味深いですね』
『実に面白い。明確な技術体系が未だ確立されていないのか、あまりに漠然とした説明し
かないが、恐らくは既存の刻印術で形成する回路を精神網で代替する技術なのだろう。術
に使用するマナの量も少なく、消費するマナに比べ取り出すことの出来るエネルギーは上。
そして、理論上のエネルギー出力も刻印術より上だ。だが――』
『――欠点も存在する』
話を遮ったシンに、博士は興味を示した。
『ほう。説明してみろ』
『この技術は、確かに刻印術に比べて優れている点が多い。同じマナ保有量の術者同士が
戦えば、魔法が勝つでしょう。しかし、それを処理する精神網は、人体の意識レベルと深
くかかわっています。集中しなければ術式が乱れ、十分な効果を発揮できません。対して、
従来の技術である刻印術は、仕組みが単純です。精神網のマナ出力さえ満たしていれば万
人が使え、また、知識さえあれば誰でも刻印を作成できます。本人の意識レベルを問わず、
マナを注入すれば特定の効果を発揮する』
『ふふ…………上出来だ』
こうして二人は、現代の常識や戦場の風景、各国の英雄に至るまで、細に入り議論した。
知識の収集が進むにつれ、姿形を変えながらドラゴンが現代にも存在している事、それが
強大な相手である事を知り、二人は喜びに満たされていた。
だが、魔法の議論についてひとしきりの討論が終わった所で、書庫へ人がやってきた。
金髪で、垂れ目の特徴的な男。レネに似た身なりから、男は剣士である事を物語ってい
た。
「ごきげんよう。こんなに天気の良い日に、カビ臭い書庫に入り浸っていては身体を壊し
してしまうよ。どうだい? 皆と剣の稽古でも」
シンは、入学初日に紹介されたクラスの中に、その男が居た事を覚えていた。
「確か、剣士科講師の――」
「カイン・オリヴィエ。覚えていてくれて光栄だよ。将来のドラゴンキラー君」
家名は聞いていなかったが、その名から、シンはレネの口にしていた剣士だと推測する。
だが、シンと博士の二人は既に学院の剣士に興味を失っていた。学院上位に位置するで
あろうレネが二人の標準から大きく劣っていた事もあり、相手にする意義を見出せなかっ
たのである。
「どうだい、剣の稽古でも。皆と一緒にやらなくたっていいさ。何なら、僕が――」
「俺はこちらの方がいい。ドラゴンを倒すには、十分な知識が必要でしょう? 剣の腕な
らば、既に間に合っています」
シンの台詞を馬鹿にするでもなく、呆れるわけでもなく、カインは黙って頷いて見せた。
「なるほどね。君は本気でドラゴンを倒したいらしい…………人づてに聞いたよ。何でも、
校門で大勢に向かって宣言したそうじゃないか。ドラゴンを討伐したい、ってね。だが」
カインはシンに歩み寄ると、目を細め顔を近づけた。
「ドラゴンに挑戦できるのは、この学院を無事卒業し、一人前の剣士として腕を認められ
た者だけだ。更に、優れたメイジとペアを組み、十分な装備を整え、ようやく3割程度の
勝率を得る事ができる。君が挑戦しようとしているのは、そういう相手だ」
カインの説明は凡そ理解できたシンだが、メイジと組になる部分に疑問を抱いた。
「ところで、なのですが。ドラゴンの討伐を行うには、必ずメイジとペアにならなければ
ならないのですか? 俺は一人で戦うつもりなのですが」
相槌を打ちながらシンの話を聞いていたカインは、後半の一言に目を見開き、その後盛
大に噴出した。
「アッハハハハハハハ! …………それは、随分と勇敢な事だね。だが、止めておいたほ
うがいい。自殺したいならば、話は別だがね」
「剣士一人での討伐は……前例がないと?」
カインは呆れた様子で首を横に振るが、それはシンに対する嘲りではなかった。
「ない、わけではないよ。僕が知っているのは一例だけだ。まあ、規格外と言ってもいい
人間だが…………いや、人かすら定かではない」
頷くシンの様子から続きを促されていると察し、カインは話を続ける。
「レッド、という男だ。北方に、アイリスという巨大帝国がある。その国に所属している
らしい剣士、レッドが、ドラゴンを単独で倒した唯一の前例だ。それも、だ。いとも簡単
に、一撃で屠ったらしい。いやはや、彼が人間であるか甚だ怪しい話だ」
その情報に反応したのは、シンの脳内で話を聞いていた博士だった。
『シン。詳しい容姿を聞いてくれ』
『わかりました』
シンは苦笑したままのカインへ視線を向ける。
「その剣士はどんな姿をしているのですか? 見かけたなら、是非話を聞きたく思いまし
て」
カインは納得した様子で頷いた。
「なるほどね。成功者に秘訣を聞こうというわけか。正しい判断だな」
頷いたカインはシンから離れると書庫の中を歩き回り、一冊の本を持って戻ってきた。
そして本を開くと、内容を読み始める。
「見た目は、真っ赤な髪の少年剣士だそうだ。年齢不詳で、噂によれば200年以上生き
ているらしい。両腕に刻印の施された木製の篭手を付け、肌色の外套を纏っている。そし
て現在の所在、所属組織は不明だ。そして、これに書かれている情報も、当時偶然目撃し
た人間が記したものに過ぎない。出会う事は至難だよ」
カインの持つ本の題名や、表紙の色を記録しながら、擬似神経回路に響く博士の声へ耳
を傾ける。
『恐らく……アレだ』
『アレ、とは?』
『私のオールドストレージに入っているデータを見てみろ』
シンが指示通りに閲覧すると、そこには、他の科学者達が研究していた数々の人体実験
が記録されていた。その内、計画概要しか存在していないファイル『サーティーン』を開
くと、一人の被検体に複数の精神網を結合させる実験が記されていた。
『博士、これは』
『ああ。まだ確定ではないが、これがもし完成していたなら、ドラゴンを倒せる程の怪物
に仕上がっていても不思議ではない』
シンはあらゆる可能性について電脳内で博士と議論するも、パタリと本を閉じた音に反
応し、視線をカインへ向ける。
「まあ、今は理想よりも現実を考える事の方が重要だな。さて、シン君」
本を後ろ手に掴み、再度歩み寄ってきたカインは、シンの顔を覗き込んだ。
「君には二つの選択肢がある。このまま書庫の資料を読み続け、素行不良で学院を追い出
されるか。もしくは、これから真面目に講義と訓練に参加し、無事ここを卒業した後、ド
ラゴンへ挑戦する権利を得るか。さあ、どうする?」
カインの提案を聞き、僅かに思案したシンは静かに口を開いた。
「俺がここで資料を読み続けた場合、どうなりますか?」
「それは簡単だ。剣士にあるまじき不誠実さだと、明日にでも学院を叩き出されるだろう
ね」
その返答に、シンは押し黙り、博士へと相談を行う。
『これでは、ここにある全ての情報を収集できません。〝スピードシフト〟を使っても、
最低数日はかかる量です』
『ふむ。まあ、止むを得まい。ここは大人しく……いや、待て。シン、私の台詞を復唱し、
相手に伝えろ。行くぞ』
博士の発言を聞きながら、シンはそれを口にする。
「それでは。訓練が必要ない力を持っていると証明できれば。貴方に勝てたら、講義や訓
練に参加せずともここに居て宜しいでしょうか?」
シンの言葉を受け取ったカインは、不敵に笑む。
「なるほど、それは面白い。それだけの強さを持っていたなら学院に居る必要はない、と
言いたい所だが。どうやら君は、ここの資料がどうしても見たいらしい」
カインは頷きながら、自分の近くに置かれたテーブルへ手に持っていた本を置き、シン
を見る。
「いいだろう。ついて来たまえ」
早足に歩き始めたカインについて、シンは書庫を後にする。赤い絨毯の廊下を進み、そ
の先の大きな扉を潜る。
そこは、学院に在籍する剣士やメイジが鍛錬に励む訓練場だった。
「先生。俺は――」
言いかけた台詞は、右手を持ち上げたカインに止められる。
「ああ、わかっているよ。シン君は訓練に参加する必要はないさ。ただ、ここが一番良い
場所かと思ってね」
『なるほど。大勢の居る場所で相手を下し、屈服させようという訳か。気に入らんな』
博士の台詞をなぞるように、シンが口を開く。
「なるほど。大勢の居る場所で相手を下し、屈服させようという訳か。気に入らんな」
博士の呟きを復唱してしまったシンは、間髪入れずに博士に窘められた。
『馬鹿者! もう復唱しなくても良い!』
『申し訳ありません』
だが、当のカインはさも可笑しそうに笑う。
「ははは。僕の意図もわかった上で来てくれたわけか。そうした聡い子は嫌いじゃない。
剣士には肉体的な強さだけでなく、機転の利く柔軟な思考も必要だ」
一度も訓練に参加していないシンが物珍しいのか、各々が手を止め、訓練場中央に現れ
たシンとカインへ目を向ける。その中には、レイラやレネの姿もあった。
「さあ、始めようか。ルールは簡単だ。胸に挿したベラドンナを散らされた方が負け。私
は訓練用の細剣で構わない。君は……自分の得物がいいかな?」
剣を抜き、刃先を地面に向けたカインを見ると、その立ち姿に博士が反応する。
『……ほう。こいつは中々やりそうだ。面白い。シン、代われ。ボディのコントロールを
私に』
『わかりました』
博士に全てを支配されたシンが、閉じていた目を静かに開いた。花瓶に刺さっている花
を一輪胸に挿し、腰に提げた剣に手を掛けるも、それを下ろし、カインと同じ訓練用の剣
を手にする。
「私もこれでいい。始めようか」
片手で扱える細剣を静かに構えたシンに、カインは感心した様子だ。
「その立ち姿。確かに、腕に覚えがあるらしい。だが、僕にも講師としての面子がある。
どこからでもかかってきたま――」
カインの台詞を遮ったのは、瞬く間に間合いを詰め、自分の花を掠めていったシンの剣
だった。前方を通過する切れ長の目を見ながら、カインは急いで身体の重心を整える。
対する、シンの身体を駆る博士も、カインの回避に感嘆の台詞を零す。
「ふむ。やはり。骨のありそうな相手で私も嬉しいよ」
辛うじて回避に成功したカインだが、その表情には既に余裕がなかった。
「おいおい。剣を持つと性格も変わるのかい?」
「さてな。さあ、行くぞ」
カインは正確に切っ先を合わせるが、シンの剣はそれを上回る速度で自分に迫ってくる。
その上、カインよりも手数が多いのである。無数の撃ち込みは、体重の乗った剣撃とそう
でないものがあるが、切っ先の軌道は驚くほど正確に胸元の花を狙っている。通常の戦い
では問題にならないような攻撃でも、全てを捌かざるを得ず、カインは後手後手に回って
しまう。ルールを十分に理解した上での、理想的な攻撃である。
「くっ…………ぬう!」
「さて。そろそろ決めようか」
あまりに速い撃ち合いに、場内が固唾を呑んで見守る中、遂に博士が動く。上方からの
斬り下ろしに見せかけた攻撃は、剣の芯を中心としてしならせ、ほぼ直角に軌道を変える。
そして、カインの腕、わき腹をを掠めるように潜り抜け、そのしなり(・・・)でベラド
ンナの花を斬り散らした。
回避に失敗したカインはその場にしりもちをつくが、勝利した博士も静かに剣を収め、
カインに手を差し出す。
「お見事。私と剣を交えて、これだけ立っていた男は貴方が始めてだ。また、手合わせし
て欲しい」
「あ、ああ。これは参ったな…………ははは」
カインが立ち上がった後、博士は状況を静観していた電脳内のシンへとコントロールを
譲渡する。
『シン。今の戦闘は記録していたか?』
『はい』
『よろしい。これが、人の理想的な剣術の、一つの到達点だ。私にはない技術も持ってい
る。新たな型の参考にしよう』
『わかりました』
ようやくシンが勝利した事を理解した他の生徒たちから、場内を覆いつくすような歓声
が二人へ浴びせられた。
そして、それを受けた一人、カインが、両手を腰に当て、苦笑して見せた。
「いやはや…………ははは。ただの傲慢な剣士かと思えば。本当に強いとはね……いや、
約束は約束だ。今期末まで、学院への在籍を許可しよう。好きなだけ、書庫を利用したま
え」
「ありがとうございます」
立ち去ろうとしたシンだが、再度カインへ視線を向ける。
「また、手合わせして頂けますか?」
その言葉は、シンが考え、発した言葉だった。カインは驚いた様子でシンを見返したが、
その後、微笑を浮かべ数度頷いた。
「ああ、喜んで」