⑯帰宅
タイサの家は王都の北地区にあった。
だが同じ地区でもスラム街と化しておらず、比較的大通りに近い為、日当たりや治安も他の地区と左程変わらない。騎士団長などとそれらしい役職で呼ばれてはいるが決して裕福ではなく、立派な持ち家もない。『色付き』の一般騎士の方が、余程良い暮らしをしている。
比較的大通りに近い中間層が住むレンガ造りの家の路地の奥、その先にある井戸を囲むように作られた木造長屋の集合体、タイサの家はその一角にあった。
「戻ったぞ」
タイサが古びた鍵を開けて扉を押したが返事がない。松明を効率的に置き、少ない数でも十分に明るい玄関と台所、その奥にある小さな居間、そのテーブルを枕代わりにして一人の少女が肩を揺らして静かに寝ていた。
「おい、そのまま寝ていると風邪を引くぞ」
タイサが少女の肩を揺すると、彼女は眠い目を可能な限り眉の力で開けながら顔を上げる。
「ん………おかえり、兄貴」
「あいよ。ただいま、カエデ」
タイサは寝ぼけた妹の茶色い髪を撫でながら、自分の荷物を部屋の隅に置いた。
「何か食べる?」
「いや、もう外で食べてきたからな。大丈夫だ」
居間の奥、二人で共有している寝室でタイサは服を脱ぎ、部屋着に着替え始める。兄妹とはいえ、一つの部屋で寝ている二人にとって、ベットの間に張ったロープに掛けられた大きな一枚の布が、唯一のプライベート空間の境界線となっている。
「で、兄貴。今日の残りは?」
「ああ、その袋の中に入ってるよ」
持ってっていいぞとタイサが声をかける前に、カエデは兄の荷物袋を漁り、金属音のする麻袋をあっという間に見つける。彼女は袋の紐を解いて中の硬貨を覗き込むと、タイサに聞こえない程の小さな溜息をついてから、居間の隅にある木箱に手をかけ、袋のお金を一枚ずつ丁寧に入れていく。
「兄貴ぃ………」
着替えを終えたタイサが居間に戻ると、カエデは部屋の隅で口を尖らせて実の兄を睨んでいた。
「あ、ダメ? 足りなかった?」瞬きを多めにして誤魔化す。
「私の稼ぎと合わせても、家賃と今月の借金を返したら、もういくらも残らないよ」
「………面目ない」
誤魔化せなかった。
十も離れた妹が、騎士団長を言葉で追い詰める。
「兄貴って、一応この国の騎士団の団長だよね?」「一応って………いや、はい」
「いくら騎士団の色なしだからって、もう少し貰っているよね?」「………はい」
「で、今日はジャックさんの送別会と、新人さんの初陣祝いで使ったと」「………はい」
「さらにもらった報酬の殆どを教会に寄付してきた、と」「………はい」
いつもの事ながら、とカエデはそれ以上言わずに髪を捲し上げると、全てを見通した上で大きく溜息を漏らした。
「………私の仕事と………食材を南地区の特売で買ってくれば………まぁ、足りなくはないか」
ぶつぶつと独り言を言いながら、カエデは頭の中で家計のやりくりを済ませる。
「兄貴、明日はまっすぐ帰ってくること! いいね」
「あ、はい!」
タイサは蛇のような妹の睨みに逆らえず、授業を受ける子どもの如く右手を高く上げた。
王族から『鉄壁』の二つ名を与えられた騎士団『盾』の団長タイサ、これが彼の一日である。




