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27時のマーメイド  作者: 星見くじ
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10/12

Day7







青白い蛍光灯の元で、銀の糸が美しく煌めいていた。

水面をぼんやりと漂う様は、ある有名な絵画によく似ていた。

「おいで」

潜めた呼び声は、彼女に届いたらしい。驚いた顔に喜色を浮かべ、音も立てずにあっという間に距離を詰めた。

その体を、そっと持ち上げる。

手袋をしているから火傷させる心配もない。暴れることも無く、あっさりと彼女は捕まえられた。

こてん、と首を傾げてこちらを見ている。安心させようと微笑むと、分かっているのかいないのか微笑みを返してくれた。

「少しだけ、我慢してね」




午前27時。

強い風に晒されて、窓枠が軋む音がする。今夜は嵐が来るとニュースで言っていたからその影響だろう。幸いにも、雨はまだ降り出していないらしい。レインコートの帽子を被り、コンテナを載せた台車に手をかける。

とうに無人の研究所。車輪が床を滑る音を聞き咎める者は居なかった。





外は、以外にも晴れていた。電灯がほとんどないこの町では、星がよく見える。

夜闇の空に浮かぶ三角形に、そういえばもう夏が来ていたのだと思い知った。

空を見上げるのは、久しぶりだった。

細心の注意を払いつつ、漸く岩場の上まで来る事が出来た。辺りを見渡すが、ここにも誰もいない。

「…大丈夫。誰もいない」

チャプン、とコンテナの中身が揺れる。そっとその上に手を置いた。傷ついた人魚は、何も言わない。

「…本当は明日、君を殺すように言われていたんだ」

内側から、コツンと何かがぶつかる音がした。怒っているのだろうか、それとも驚いたのだろうか。分からないまま、でも、と続ける。

「でも僕は、嫌だ。研究者としては間違ってるだろう。これはただのエゴでしかない。分かってる。それでも僕は、君を殺したくない」

コツ、コツ。連続して音が響く。硬い何かがぶつかる様なそれ。

「僕は、君を皆が言うような…凶暴で、人を襲う、そんな風には思えない」

頭の中に、あの日の出来事が蘇る。

小さな、本当に些細な怪我だった。

それなのに、この人魚は。

酷く悲しそうな顔をして、涙すら流して。

まるで、それは。

「だから、僕は君を殺せない」

コンコン、ノック音が二回。

抗議するかのようなそれに、ハッと意識を戻した。狭い中に閉じ込められていては適わないだろう。

「ああ、ごめんね。今開けるから」

一言謝ってから、金具に手をかける。ガコン、と音を立てて簡単に外れた。

彼女が内側から押し上げれば、すぐにでも外に出られる。

「出てきていいよ」

しかし、蓋が持ち上がることは無かった。疑問に思いもう一度声をかけるが、彼女は何も言わない。

「?どうし…」

もしや、移動中に何かあったのか。

不吉な考えに咄嗟に蓋を持ち上げようとした、その時。

白い手が伸びて、蓋を勢いよく押し上げた。

しなやかな足が地面に触れる。やや間を置いて、彼女が立ち上がる。

…人魚が?

「え…」

ゴトリ。転げたコンテナの中で、鱗が月明かりを受けて煌めいていた。




「久しぶりだなぁ、夜の空を見るのは」

歌うような声だった。

軽い足取りで、岩場を跳ねる。踊っているかのような錯覚を起こす程、軽やかに、楽しげに。

彼女は…人魚は、二本の足でステップを踏んだ。

「しゃべ、れるのか」

「私だけはね。ああでも、声を出したのは久しぶり。治らなかったらどうしようって思ってたから良かった」

ふふ、と無邪気に笑って、彼女は真っ直ぐにこちらを見つめる。

ざあ、と強い風が吹いた。彼女の髪が靡いて光る。

「アキヨシからアケハルへ。

兄ちゃんは、ちょっと海の神様に会ってくる。暫く帰らないが、心配するな。ああそれと、恥ずかしいが」

そう言って、彼女は一つ区切りを置いて。

「愛してる、って」



「待ってくれ!」

背を向けた彼女に、思わず叫んでいた。


「君は人を、兄さんを食べたんだろう」

「だけど、頭だけは持って帰ってきてくれた」

「君のおかげで、兄さんの骨を、生きた証を形として残せたんだ」

「教えてくれ、君は、どうして兄さんをーー…」




「愛してたよ」

人魚の告げた真実は、たった一言だけ。それだけだった。

それだけが、全てだった。




「一人ぼっちだった。家族はみんな死んだ。死ぬ度に彼らの肉を食べた。そしたらずっと一緒に居られるから、でも。

見れない、話せない、抱きしめられない。だから、寂しくなくても、ずっと寒かった」

「そんな時アキヨシと出会った。アキヨシからすれば望まない出会いだったかもしれない。でも、私にとっては救いだった。アキヨシと過ごす時間が、何より暖かかった」

本当は、助けてあげたかった。でも、私には出来なかった。

「ごめんね、本当は生きて君に会わせてあげたかったのに」

アケハル。君とアキヨシを、会わせてあげたかったのに。



「謝らないでくれ」

震える声で、絞り出す。

「君のおかげで、兄さんの最後遺した言葉を聞けた」

「消えるはずだったものを、君が命をかけて救い上げてくれたんだ」


「だから、謝らないでくれ…!」

込み上げる涙に混じった言葉を、人魚が聞き届けたのかは分からない。

ただ。

人魚は、とても優しい顔をしていた。




とん、と一歩足を踏み出した。高くなった波が、飛沫をあげる。

「最後にひとつ、教えてあげるよ。人魚はね、一度だけ人の足を得て陸に上がれるんだ。その代わり、二度と海には帰れない。泡になって消えるの」

不思議でしょ、そう言って彼女は振り向いた。紫の瞳が、何かを懐かしむように細められる。

「ねえ、アケハル。私の名前、ハルカって言うんだ。アキヨシが付けてくれたの、ふふ、素敵でしょ。」

人魚の、ハルカの体が傾いた。黒い海に吸い込まれる様子が、スローモーションに見えた。

待ってくれ。

叫んだところで、もう届かない。

掴もうとして伸ばした手は、無情にもすり抜けていった。


「アキヨシに伝えに行かなくちゃ。あなたの弟は、ちゃんと元気で居ましたよって」







音もなく。

泡が、弾けて、消えた。



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