冬への芽生え
隠れていたら発見され、逃げようとしたら捕まり、抵抗したら尻尾を掴んで連行された。
おいお前、幾ら何でも引き摺って連れて行くのは無いだろう。神を名乗れる身分でもないタダの敗北者とはいえ、一応は先達ってのに当たるんだぞ。
なに?だったら自分で来てくれればいい? 行きたくないから逆らってんだよ。
自分じゃまだ抱えて運びきれない? あのな、そういう問題じゃねえ。
連れて行かれた先で、何が起こるのかは判ってる。数日も、いやもっと前から、あのくそったれ姉につぶさに経過を報告されていたからだ。それが面倒で嫌だから隠れてたってのに、全ては無駄な試みに終わった。姉の後ろ盾がある以上、相手が未熟なガキであろうと、オレなんかが逃げ切れる筈がない。
一時とはいえ、ガキなんぞに拘束されるのが癪に障る。
見たくもないもんを見せられるのも、感想とやらを求められるのも。だから、と、せめて全身の力を抜く事で最後の抵抗にしようと、胴体をだらんとさせていたら、これだ。
伸びきったオレの体を引き摺って、ガキはずんずん運んでいく。
ああ枝に引っかかった、石に顎がぶつかった、いてえ。
なんなんだよ、どいつもこいつも揃ってオレのこの扱いようは。だったら自分で移動しろ?まっぴらだ。そんな事してやるぐらいなら、まだこのままでいた方が爽快ってもんだ。逃れられないからといって、素直に何でもはいはいと頷くようになっちまったらおしまいだろう。積極的な抵抗はしないでも、何もしないという抵抗はしてもいい……っと、もう到着しちまったか……。
ようやくオレの尾を離したガキの手によって、わざわざとぐろを巻いた形にさせられる。まさか、これが蛇の正式な座る形だとでも勘違いしてんのか。不機嫌を露わにして、先の割れた赤い舌をしゅっしゅっと素早く出し入れして威嚇してやったが、当然の如くこのガキにゃ通じもしてない訳で。
そりゃそうだな、蛇の気分が理解できてりゃ、最初っからオレはこんな場所に連れて来られてない筈だもんな。
で、どこなんだよここは。
嫌々ながら周囲の風景を確認したオレは、シュウッと鼻から強く息を吹いた。
なんだ、あの樫の木の生えてる所じゃねえか。
ここを選ぶとはね。オレにとってはこの上ない皮肉だ、ありがとよ。
思えば、一度きりだからと泊めちまったのが運の尽きだったな……。
「ええ、さてさて、華々しくここに始まりまするは……」
「能書きも口上もいらねぇ、さっさと始めてさっさと終わらせやがれ」
即刻打ち切りにかかったオレに、ガキは得意顔から一転して、珍しく露骨に不服そうな顔になった。唇なんぞ尖らせてみたって無駄だ、無駄。
けれどもまぁガキはガキだけに立ち直りも早く、そんなら結果で示してやるとでも目論んだのか、オレの目の前の地面にどっかと腰を下ろすと、両足を交互に組み直す。
……結跏趺坐とか言ったか、この座り方は。こうするとちんまいガキ風情でも、妙に堂々とした風格みたいなもんが滲み出てくるから不思議だ。
すう、はあ。
息を吸って、吐く。暫くはひたすらその繰り返し。
調子は、測ったように一定している。いや実際、測ってるんだろう。
頭で考えて行ってるんじゃなく、既に体に癖として叩き込まれるまでになった動作だってのは、オレにも判った。蛇であるオレには、殻の下の眼を細める事も瞬く事もできない。こればっかりは黙って見守る。
次第にガキの体に、山の気が満ちていくのが感じられた。
地に着いた箇所を起点として、精気が全身を巡っている。
足から、腹へ。呼吸に合わせて胸に満ち、渦を巻いて、腕へと伸びる。
ガキの額にも喉にも、玉の汗が浮かんでいた。一滴が睫毛を伝い目に入ったようだが、痛がる素振りも見せない。両手が前に伸びる。掌がそこを包み込むみたいに、土の一箇所にかざされる。ざわざわと、両掌の真下にある土が蠢き出した。オレは思わず身を乗り出しかける。
そこからは、実にあっけなかった。
小さく、ほんの小さく土が持ち上がり、青々とした新芽が顔を覗かせたのだ。見事に双葉が開いたのを見届けた途端、ぶはあ、とみっともない息を吐き出して、ガキの力が一気に抜けた。ふえぇとか何とか情けない声を漏らしながら、ガキが横にゆるゆると倒れる。先に汗を拭え、汗を。
オレは首を持ち上げると、芽吹いたばかりのそいつをしげしげと眺め回した。山の精気を取り込み、そいつを一所に集中して注ぎ込む事で、草木の急激な成長を促した、ってとこだな。
さすがに疲れ切ったようだが、べたっと地面に寝たガキの顔は、ぐったりとだらしなくも満足そうだった。達成感とかいうやつかね、オレには無縁の感覚だから判断つかねぇよ。
汗で肌にへばりついた装束は、普段着ているあれより薄手で、色も白い。おそろいとほざいてきたのは無視した。いつものでいいじゃねえかと言えば、これも必要な事なのだと姉は言う。修行に服の変更が要るのかの真偽なんざ、オレには判断できないと思って、適当な事ばっかり言いやがって。どうせ問い詰めれば、気分の問題だとか笑いやがるんだろう、あの、その場限りの享楽愛好家はよ。
ああ勿論、ガキの稽古をつけたのも姉だ。オレがやる訳ないだろう。やれる訳もない。そして実際、こうして使い物になっている。他の問題を一切合切無視してなら、その点だけはたいしたものだと思う。
オレにはまず、こんな真似を人間にさせる為にはどう教えたらいいか、そこからして見当がつかない。教え方を知るってのは、才能と実力に富んだ奴が持つ特権だ。才能と実力、ついでに運、どれもオレには縁遠い。
と、芽から視線を離した時には、もうガキが身を起こしていた。あっさり回復しやがったのか、無駄に元気な奴め。
「どう? どう?」
「ああ、すごいすごい」
我ながら実に気のない返事をしてやったオレに、またもやガキは不満顔になる。だからな、その胴体をがしっと掴んでくるのはやめろ。重みが一箇所に掛かって痛いし具合が悪いんだよ。
オレの反応が期待外れだったってところか。さしずめ、歓声のひとつでも上げてくれると踏んでやがったんだろう。誰が望み通りに驚いてやるかってんだ。こいつがどんな力を身に付けようがどうでもいいってのもあるが、新たな力を得る度に自分が人間から離れていく意味、そしてそれを喜ぶって事の意味が判ってるのか、こいつは。
修験者だの術師だのの類なら、それもいいだろうさ。だがお前は神子なんだぞ。神子ってのは、人前に直接お出ましできない、あるいはしたくない、そんなお高い神様に代わって、その意思を人に告げる者に過ぎん。何も自分が、神様じみた力を行使できる必要はない。
制約上、神の傍から死ぬまで、さもなきゃ免じられるまで離れられない、神子。
神の好みによっては、そこに純潔を守るだの、あるいは逆に神と交わるだのといった禊が加わる事もあるが、基本は言葉のやり取りさえできれば困らない。要はそれこそガキのお使いができりゃ構わねえんだ。
だから、こいつの努力してる事は無駄の一言に尽きる。
しかも、あの天邪鬼が御大層に人間どもに重々しいお告げを賜るなんて事は、千年先でも考えられないから、こいつにはきっと、神子としての本来の役割すら与えられはしない。
ただ、ここにいるだけ、囚われただけの哀れな娘。
そんな事を一瞬とはいえ考えちまったせいだろう、逃れるのをしくじった。ガキの奴が掴んだ状態から抱き締めて、べたっと上に乗っかってきやがる。重い。潰れる。吹けば飛ぶような重みだって、少しばかりでかいだけの蛇の体にはきついんだ。
「へびさん、褒めてくれると思ってがんばったのにな」
「ああ驚いた驚いた、褒める褒める。お前はすごいよ。元はただの小便臭いガキが山の守り手ときた。オレじゃとてもこうはいかない、そのうちオレを追い抜くのも時間の問題かもな。これで満足したか。だからどけ」
「うー」
こんな風にわざわざ長々と褒めてやったってのに、ガキはオレの上に倒れ込んだまんま、退きも動きもしやがらねえ。ああそうかい、褒めた中身に不満がありましたかね。でもこれは懇願とは言わねえ、強要ってんだよ。
……くそ、しょうがねえな、このままじゃ埒が明かねぇ。
「暇は潰れたか?」
「ひま?」
「……聞き方を変える。楽しかったか、そいつを覚えてて」
「あっうん、難しくて上手くいかなくて疲れて何遍も寝ちゃったけど、できたときは嬉しかったよ」
「そうか、なら、それでいいじゃねえか。
――お前が良かったってのなら、それで」
「ゆいねえさま、厳しかったな。そんなやりかたではいかん、って、何度も怒られたの」
「あいつがねぇ……」
指導には熱が入る奴だったのか、あいつの意外な一面を見た思いだったが、それも割にどうでもいい話だ。厳しいとはいっても、大泣きさせられる程理不尽な事をさせられてるってんでもなさそうだし、何もせず放り出されるよりは厳しい方が、山に入れちまったガキに対しちゃ、まだ幾らかまともな接し方ってもんだ。
それに、姉がこいつに構っている時間が増えれば増えただけ、オレがちょっかい掛けられる時間も減ってくれる。つまりは歓迎して然るべきな筈なんだが、だってのに何だろうな、この引っかかる感じは……。
ああ、やめやめ。
考えたって判らん事は、考えないに限る。
まして敵が何も考えてない奴なら、尚更考えたこちらが疲弊するだけだ。無駄骨ってもんよ。
かかる重みが緩んだのをこれ幸いと、オレはぬるりとガキの下から抜け出した。
あっ、とガキが短く呟く。あ、じゃねえ、あ、じゃ。いつまで下に敷いとくつもりだったんだ。オレは敷物か。というかな、始めっからこうしてりゃ良かったのか。重いったって抜けられない程じゃねえんだから、無理に抜けちまえば良かったんだ。なんだってオレはわざわざガキの方から退くように仕向けたんだ。
長い胴体が抜け、体の割には短い尾が抜けて、やっとガキの体温を感じなくなる。ガキの体ってやつは、服越しでも矢鱈と暑苦しくて困る。大仕事を終えた後だから尚更、熱を帯びてるんだろう。で、向こうにすればオレの体のひんやりしっとりした感じが心地いいから手を伸ばしてくるらしいが、阿呆な事を口走るな。氷が欲しけりゃ、さっさと雪でも降らせられるようになりやがれ。
「あ」
――雪。冬。
……そうか。もうそんなに遠いとも言えねえんだな。
春から数えるよりは、ずっと近い。
この山が眠りにつく時。一面の緑が、白に覆い尽くされる日々。
草木は息を潜めて耐え忍び、山の獣達は長い長い夢を見始める。
オレは――。
「まァ、よくやってるよお前は」
「えへへ、そう?」
「で、その力を何に使うつもりだ?
神の代行者となるか、神に代わって山を支配するか、てめぇを粗末に扱った人間どもへの恨みを晴らすか。
……おい、なんだその間抜け面は。まさか、力を得る目的を考えてなかったとは言わせねぇぞ」
「考えてなかったです!」
「おーい!」
「神子だから期待に応えて頑張らないと、上を目指して磨かないと、なの!」
「ああはいはいどうせそんなこったろうと思ってたよ! 力の為に力を求めたって、持て余すだけなんだぞ。いいか、試しに使いたくなってもオレには使うなよ、焼き蛇になるのは御免だからな」
ぞっとしない未来だ。オレはガキから遠ざかるように全身を丸める。
なんだよ、その心外だってな目付きは。当然の心配をしたオレが悪いような気になってくるじゃねえか。
「……ま、今は目先の事に次々取り組んでくだけでもいいさ。
近いうち、何をするにも厳しい時期になるからな」
「そうか、寒い毎日がやってくるんだね」
ガキが、無意識になのか袖を擦った。
どうやらこいつも、冬って季節が着々と迫りつつあるのを思い出したようだ。
獣は眠る。けど人は眠らない。だからこのガキも眠らない。
ただの蛇は眠る。しかしただの蛇と違うオレは眠る必要はない。
要するに今年の冬は、こいつの関心を引いてくれるもんが減った山ん中で、ふたり仲良く越冬ってな寸法か。ああ、ついでに言えばあの性悪蛇もな。どんだけ構い倒される羽目になるやら、有り難くて涙が出てくるね。
そうだ、ただの蛇なら眠っちまうが、オレも姉も眠る事だけはない。
そうならなくて良かったと、オレは思った。
この体で、こういう存在で良かったかもしれないと、不覚にも考えた。
もしそんな事になれば、こいつはだだっ広い山にたった独りで残される事になる。命が目覚めてくる、春までずっとだ。蛇の目から見ても散々な境遇とはいえ、少なくとも誰かしらは周囲にいた里での暮らしよりもある意味過酷な、本当の、たった独り。口を開いても聞いてくれる者はおらず、手を伸ばして掴める胴体も無い。迎えるだけ迎えて冬山に放り出して春まで勝手にやってくれってのは、あんまり無責任ってもんだろうよ。
だから、まあ、良かった。
あんまり堂々とは口にしたり、認めたくはないけどな。
もうちっとこいつがでかくなれば、雪の積もった山の中、ひとり春まで目覚めを待つ、待たれるってのも、情緒があって悪かないのかもしれないが――。
って、何を血迷った事を考えてるんだ、オレは。
吹いた風に鼻っ面をくすぐられたのか、ガキが盛大なくしゃみをして咽た。
……だからな、どうしてお前はオレの体に唾と鼻水がかかる位置でやらかせるんだ。一種の才能なのか?
そういうのは冬まで取っておいて欲しいもんだよ、まったく。




