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予期せぬこと

 天パの男がなにやら集中して作業にいそしんでいるのを、うさ耳をぴょこぴょこさせながら助手は覗き込んでいたが、不意に後方から聞こえてきた音声を拾って振り返る。


「嫌だ、俺も残る!」

「だめっすよー、もう決まっちゃってるんすから! 諦めて大人しく行ってくるっす!」


 彼女が注意を向けた先、子羊たちの集う談話室の隅では、いかにも気が立っている黒龍を一生懸命短命種の青年がなだめている。ついさっき鍛錬に行って戻ってきたばかりなのか、体中から熱気が出ているし動きやすそうな非番の騎士服も少し乱れている。ニコは一生懸命分厚いタオルで汗をぬぐっているが、たびたびにらまれてはひゃんっと怯えて手を引っ込め、またそろそろ手を伸ばし、とにかく隙を見て世話を焼いている。


「あの時は聞いてなかったし、知らなかった。こんなの……こんなの……こんな」

「こんなの闇討ちだ! でありますか? 続きが思いつかないからって壊れた魔術機械マシンみたいに単語をエンドレスループさせるのはやめるであります。怖いしアホっぽいであります」


 助手が遠くから呼びかけると、ティアはむっとした顔になって黙り込み、ニコは甲斐甲斐しく動かしていた手を止めて助手の方に顔を向ける。


「うーん、それも少し違うと思うっす助手さん。寝耳に水とか、そういうのだと思うっす」

「むっ。ニコジュニアに思いつきで負けるとは、不覚なのであります。まあ黒龍には語彙力勝ってるようでありますが」

「シーグフリードさんは本気出してないだけっすし、そんな低レベルな争いで喜ぶなっす!」

「同意は致しますが、そのフォロー方法もどうなのかと思うのであります! というかフォローできてないのであります!」

「……あー、もう、さっきから一体何を騒いでいるんだい君たちは!?」

「ひゃっ、博士」


 やいのやいの助手がニコと応酬を始めたからだろうか。近くで騒がれた博士がついにスルー抵抗であっけなく根負けしたのか集中が切れたのか、手元の魔術盤を片手でターン! と勢いよく打ってから、回転する椅子をくるりと回して助手、ニコ、ティアと順番ににらみつける。最初はニコが口を開いた。


「シーグフリードさん、今度黄薔薇の団長さんと殿下のばあやさんのお見舞いに行くっす」

「なんだその話か……ってもうすぐの日程じゃないか。話自体は相当前にまとまってることだし、そのときは誰からも文句出なかったのに。手続きとか、滞在先の準備だって滞りなく済んでるんだろう? なんで今更そこで揉めてるんだい」

「ええっと、その、ですね――」


 すると作業中断した博士に気を利かせてコーヒーカップを渡した助手が、ぴんと手を上げてぴょんぴょん跳ねる。


「はい! はい! 博士、ここは助手が説明するのであります!」


 ニコは助手のやる気に気圧されたらしく、言葉を途中でごにょごにょ濁らせると傾聴の姿勢に入った。


「ほっほーう、さすがは我が助手。いいだろう、君の実力を確かめてやる。やってみたまえ」


 ドクターエックスは行儀悪く足を組み(たぶんちらちらとティア達を目でうかがっている辺り、本人としてはかっこうよく見せつけてるつもりなんじゃなかろうか)、優雅にコーヒーをすすろうとして、吹き出した。


「助手、どういうことだ! これ無糖じゃないか、信じていたのに!」


 ええかっこしいインドアの甘党は涙目で訴えているが、うさ耳は聞こえないふりで胸を張り、ティアとニコの押し問答気味だったやりとりの解説を始める。


「まず事の発端として、黄薔薇団長ヘイスティングズ様から元殿下のお世話係、ヘレン=ワイマン様への訪問を計画する由、我らが会長まで打診されたのであります。つまり、自分が今度会いに行く予定なので、一緒に弟子を連れて行きたいのだがどうだろうか、ということでありました」

「ふむ」

「会長は即座にこの申し出に承諾。事後報告で我々や殿下にも伝わりましたが、反対する者はなし。なぜならヘレン=ワイマン氏については、かねてより殿下をおもんぱかる会、我々子羊たちの懸念事項でもあったからであります」

「うむ、そうだったな」


 情報に疎いティアは、リリアナから甘えられた時に初めてばあやに関する細かい情報や状況を入手認識したわけだが、実はそのもう少し前から子羊たちの中では彼女の病状の悪化について、たびたびやりとりがなされていたらしい。ティアがばあやの事について悩んでいるリリアナの話題を持ちかけたら、「ようやくか」「今ごろか」と少々冷ややかな対応をされたものである。ちょうどその時期、ヒューズから思わせぶりに言われたから一生懸命初代や二代の事について調べていたのだとは言え、ティアは自分の出遅れっぷりに少ししょんぼりした。マルチタスクできない特性がこんなところで地味に足を引っ張る。


「それで?」

「子羊の意見はいくつかあったのですが、やはり殿下ご自身が直接会いに行けることが最善であり、我々で調整をするべきだと言う声が優勢でありました。……が、会長がこれに待ったをかけたのであります。こちらで手配して差し上げることが不可能なわけではないが、他ならぬご本人がこの提案に乗り気ではない」

「うーん……そうなんだよね。私もちょっと心配なんだけど……殿下、ものすごーく消極的だったからね、この件に関しては」


 くいくいとニコが袖の辺りを引っ張ってくるので、ティアは素直に顔を向ける。


「おれっちもわかんないっす。……ばあやさんって、殿下が昔とってもよくしてもらえて、大好きなヒトだったっすよね? 家族も同然だったって聞いてるっす。もうすぐ亡くなるって言うのに、なんで殿下はむしろ避けるような態度なんっすかね?」


 こっそりしょんぼりささやきかけられ、ティアは思わず無言でそっと目を伏せた。心あたりがある。


 ――親殺し。


 彼女はそう自分のことを揶揄し、どこか泣きそうな顔で、苦い物を吐き捨てるように繰り返した。


 ばあやはもうほとんど先がないという話だった。……リリアナは、そのときに立ち会うのが怖いんではなかろうか。




 さささ、さささ、さらさらさら……。

 目を閉じると、耳の奥にいつか聞いていた雨の音がこもって聞こえ出す。最初は遠く。だんだんと鮮明に。きっかけさえあれば、今でもすぐによみがえる。嵐。雨の音。喪失の記憶。


 あの時、彼女は出かけてくると言ったのか、行ってくると言ったのか。言葉も曖昧だが、声も姿も今は大分おぼろげだ。あの時の切ない感情はいつまでも覚えているのに。

 洞穴から飛び立った竜を何日も待っていた。腹が減って骨をかじりながら、里にさまよい出て名前を呼んで、それでも彼女は二度と戻ってこなかった。言い聞かされて最初は頭で納得したが、身体と心が事実を受け止めたのはもう少し後だった気がする。


 死ぬともう会えない。シンプルなこの世の法則。


 ティアの覚えているそれは、いきなりやってくるものだった。あまりに唐突で、逆に言うと彼は途方に暮れるしかなかったわけだ。


 あれが何日も前から予言されていることで、しかも止めようがないことだったとしたら?


 小さな子竜は、出て行く影を見送りながら葛藤しただろう。

 声をかけたい。最後なんだから振り返って姿を見納めたい。本当は行かないでと言いたい。

 でもそれが、そのことが、どうしようもなく怖い。何も見ず、何も聞こえないふりが一番楽に思える。どうして?


 だって、そのヒトがもう死ぬってわかっていて、止められないってこともわかっているのに、あえてアクションを起こすだなんて……なんだか自分で、最期を宣告してしまうみたいじゃないか。

 それに止めても無駄なのに、行かないでって声をかけて何になる? より一層むなしくなるだけじゃないか。


 だから。


「リリアナは、会いたいけど、会いたくない。会えるけど、会えないんだよ」


 シーグフリードが独り言のように小さく声を発すると、ニコは目を見開いて硬直し、それからなぜか表情をゆるめる。


「シーグフリードさんには……やっぱりわかってるっすね、殿下のこと」


 ティアはつぶらな瞳の短命種を見つめ、ゆるゆると頭を振る。


 正直、わかっていないことだらけだと思う。リリアナは好きだ。愛している。けどそれとこれは全く別。彼女のすべてが理解できる日なんてこないかもしれない。

 それでも彼は誰よりも彼女を信じている。もちろん、他の子羊たちほどはリリアナを責めたり、考えをいぶかしんだりはしていない。

 リリアナはティアよりもずっと賢いヒトだ。きっともうティアの何倍も何十倍も考えて、悩んで、その上で出された答えなんじゃないか。行かないと本人が言っているのなら、周りが主観でとやかく言うことではない、と思う。


 もっとも、ティアには親の死に目に立ち会うという経験がないからこそ、気軽に言えてしまっているのかもしれないが。


「……で。今の反応を見てても、シーグフリードは殿下のお気持ちを一番汲めてるし、だから自分が代わりに行くってことにもむしろ乗り気に思えたわけだが、それがどうして急に渋りだしているんだい?」


 しんみりした空気を咳払いで戻し、博士は助手に続きを催促する。垂れていた助手の耳がぴんと立つ。


「博士、ちょっとだけ前に話していたときと状況が変わったのであります。……ほら、思い出すのであります。先日の閣議の内容」


 一拍置いた後、博士はぽんと両手を叩いて「ああ!」と納得の声を上げる。


「そうか、殿下の城下行きが緊急に決まったんだったね。しかも時期がシーグフリード君の訪問と被っていると。そりゃあ、せっかくの機会なのに休暇中で護衛任務に就くこともできなくて、不満も募るだろうなあ」


 すっきりした顔ですらすら一人悦に入っている博士だが、助手はあわわと横で慌てだしている。勢いよく手を打った拍子に、握ったままのカップから黒い液体がこぼれていったのだった。


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