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ウェスリーの茶会 前編

 木製のブラウンと、カバーの赤。室内はいかにも高級そうなそれらの暖色で統一されている。ぴかぴかに磨き上げられたその様子から察するに、隅の細かいほこりすら居座ることを許されていないに違いない。掃除にも雑なことに定評のある、むしろ掃除しないことに定評のあるティアからすると、いっそ神経質すぎて鳥肌が立ってくるほどの清潔な空間である。


 おかしい。空気が綺麗すぎる。そして重たい。ここは俺の居場所じゃない。


 全身の感覚器官が統制器官である脳に危機感知および救援要請信号を送っているが、いかんせん諸事情により運動機能を封印せざるを得ない状況なのである。彼は我慢している。昔から鍛え上げてきた忍耐を存分に生かし、この苦行に耐えている。


 ふと視線を上げた天井にはやけに重たそうなシャンデリア。落ちてきて直撃したらそれなりに威力がありそうだなと考えるあたり、残念な武官の貧困な発想である。

 さらに落ち着かない視線をさまよわせると、ところどころに置いてあるあれは、なんだった。あんてぃーく? と言うのだったか? 日常で使わない飾り物で、ただ古いだけなのにやたらめったら価値があったりする。絵とか壺とか皿とか。飾っておくために作る。あまり竜族にはない発想である。

 一応、竜族にも収集癖はある。だから物を集めたがる習性自体は容易に理解できる。共感もしかり。だが、触ったらたちまちに壊れてしまいそうな物をこうやってずらっと並べて展示して、それを鑑賞しながら素晴らしいだとか落ち着くだとか、なにやら感じ入り、悦に浸っているのが魔人の貴族と言う物である。

 こんな拷問空間のどこに安らぎを得られるのだろうか。魔人の神経はどうなっていると言うのか。異種の乱暴者は首をひねるばかりだ。


 ちなみに割れ物は、ティアの行儀見習い期間のトラウマの一つでもある。絶対に壊すな、もし壊してしまったならもう仕方ないからそれ以上いじるな(直そうとして余計に悪化させるパターンだから)とたたき込まれた彼は、世にある繊細な物品と自分の相性の悪さを学習し、積極的に近寄らないようになった。その判断は大いに正しかったように思える。何せ割と真剣に気をつけていても、黄薔薇の破壊神という汚名をいつの間にかたまわっているような男なのだから。



 それが、どうしてこんなことに。しかもこれらのうちの一部を今から触らなければいけないことが確定している。回避しようにも、向こうからこう接近されてしまったらもう諦めて天に祈る他ないだろう。

 いや、今の言い方では語弊が出そうである。実際にカップやら何やらが自分で勝手に飛んできた、そんな恐怖現象が起きたわけではないのだ。だがティアの実感としてはまさにその表現が実感であり、正しい現実である。礼節と厳格が勝手に向こうから歩いてきて、ティアを椅子に座らせて、あろうことかもてなしている。



 どうしてこうなった。



 先ほどからティア=テュフォンの頭には、右から左にその文字列が流れていっては、ぐるりと一周してまた右から流れてくる。つまり彼はほぼ思考停止していると言って良かった。



 図書館で調べ物をしていた。その記憶は確かだし、そこまでの行動はおおむね正しかったはずだ。

 読み物をしていて気になる落書き(というか走り書きの痕跡か)を見つけ、目を凝らして読みふけっていた。特にいけない行動は取っていないはずだ。


 ではどこで間違えたのか。

 どう考えてもその後某老騎士と目が合った瞬間から何かおかしい事故が発生した。



 赤薔薇騎士団団長ウェスリーは、その名にふさわしく、威圧感の塊であった。

 厳しい表情をしている本人の見た目に加えて、さらにその昔師父にいただいたありがたい言葉もまた、厳格で怖い団長の印象操作に一役買っている。


 あれは確か王城に来て間もない頃。師父は神妙に語り出す。


「いいか、ジーク。基本的に、上官には会ったら敬礼、言葉をかけられたら全力の敬語、行動するときは死ぬ気で優雅に這いつくばれ。特にウェスりん――いや、何でもない。何でもないぞ。今のは忘れろ。師父と弟子の関係において、約束だ。絶対に私が今でも陰で面白ネームを使用しているなんて言うんじゃないぞ、わかったな。……で、なんだ。そうだ。特に団長クラスにだけは、多少イラッと来ることがあっても絶対殴りかかってはいけない……ジーク? きいておけ? 結構大事な話だぞ?」


 くどくどしゃべっている間に順調に弟子が船を漕ぎかけているのを見てとったヘイスティングズは、頭を叩いて起こしがてら、巻いて話の結論に入った。


「いいか、馬鹿弟子よ。なぜ上官、上司が怖いか、その真意を教えてやろう。実は偉い奴にはいろんな権利があって、その中に人事権というのがある。知っているか? 部署異動って奴だ。つまりお前が下手をするとだな、鶴の一声で殿下から遠い所に飛ばされることになるって意味だよ。……な、偉いヒトって怖いだろう。だから絶対、噛みついてはいけないんだ。二重の意味でな」


 権力とは何であり、自分にとって具体的にどんな脅威としてふりかかってくるのか。ティアが初めてきちんと認識した瞬間であった。



 なあなあで適当な態度がデフォルトである不真面目な黄薔薇騎士団団長と異なり、赤薔薇騎士団団長はまさに権威が服をまとって歩いているような、そんな御仁である。にらまれると無性に背筋を伸ばして日頃の悪行を白状したくなってくるのだ。ある意味近衛としてふさわしい……のかもしれない?



 だが、繰り返しになるが、あの時ティアがしていたことは図書館で健全に読書をしていた、ただそれのみである。

 ウェスリーと遭遇しても何らやましい点はない。ゆえに、ティアはたとえ険しい顔でにらまれようと、


「何をしているのか」


 と問われれば、


「本を読んでいます」


 と当然答え、


「何かについて調べているのか?」


 とさらに聞かれるので、特に隠すこともなく、


「先代魔王と当代魔王についてです」


 と自然に答えた。


 それの、一体何が悪かったと言うのだ。


 静かにティアの広げていた一連の資料にさっと目を通したらしいウェスリーは、ますます顔をしかめてじろりとティアをにらみつけてから、大きくため息をつく。首を振って、背を向けて。そのままいなくなるのかと思いきや、


「それを片付けて、私についてきなさい」


 ……ティアはたっぷり数十秒、自分以外の誰かに話しかけているんだと信じて疑っていなかった。

 立ち止まるウェスリーが早くしろとでも言いたげににらみつけてくるので、ようやく慌ててカウンターの文官にどさどさと重たい本の束を押しつけ、言われるがままに付き従う。


 その後、気がつけばおそらくウェスリーの私室らしき場所に引き込まれ、来客用の椅子に座らされ――で、冒頭に至るのである。



 もう一度整理しよう。


 図書館で本を読んでいたら、大して仲が良くない、むしろ日頃は積極的にいがみ合っている部隊の団長になぜか手ずからの紅茶を振る舞われかけている。


 整理したところでさっぱりこうなった経緯がわからない。

 俺が一体何をした。何が一体駄目だったと言うんだ、皆目見当もつかない。

 どうしてこうなった。結局ティアの思考はループして最終的に同じ言葉に収束する。どうしてこうなった。どうしてこうなった!



 そういったわけで、ぴんと張り詰めた空気の中、黄薔薇騎士は神妙に椅子の上に座り、目の前の白い陶器をかっと目を見開いて眺めていた。座っているクッションが低反発すぎて逆に座れない。いっそのこと立っていたいが、座れと言われたら座るしかないのだ。それが部下という生き物である。


「そう熱い視線を投げかけなくても用意はする。少し待て」

「はい」


 落ち着いた低音を投げかけられ、彼は一瞬どう答えるか詰まった。迷った後、かちこちになったまま短く返答する。

 銀髪の男は、若い騎士が借りてきた猫のように大人しくかしこまりつつ全力で警戒しているのをよそに、悠々と自室を動いている。


 すぐ近くで湯が沸くような音がした。さてはあれを今から頭にかけられるのだろうか。嫌な妄想を繰り広げて顔色の悪い新人に、気むずかしい顔のままウェスリーは口を開く。


「時に、テュフォン」

「はい」

「紅茶は好きか」

「いえ、特には」

「そうか」


 とっさにオブラートな気を利かせることもなくド正直に答えてしまったティアだったが、せっせと茶葉やらお湯やらを用意している男が気を悪くした様子ではない。

 いや、もしかして悪くなっているのかもしれないが、ティアにはわからない。何せウェスリーという男は終始眉根を寄せたような顔をしている。笑えとは言わないが、せめてもう少しティアにもわかるような表情差分を作っていただきたいものである。


 空気が重い。黒龍は空のカップの底を穴が開くほど眺めている。再びウェスリーがくるりと振り返って問いかけてきた。


「ストレートとミルク、レモン。どれがいい」


 何が違うんだろう。いや一応三種類が違うものなのは知っているが、この場合どれと答えるのが正しいのだろう。目をぐるぐる回している不調法者に、


「ではストレートが良いだろう。ホットでかまわないな?」


 とどうやら自己完結したらしい言葉がかけられる。


 もうここまで来たなら煮るなり焼くなり好きにすればいいじゃないか。だんだん自暴自棄になってきているティアのカップに、ようやくオレンジ色の液体が注がれてくれた。しかし注がれたと言うことはこの後飲まなければいけないのである。どう頑張っても持ち手をへし折るしかなさそうな構造をしているこのカップを必ず用いて。


 半分ほど顔が死んでいる新人騎士の前、テーブルの向こう側に立ったウェスリーが両手に何か持っている。片方にはジャムやバター、クリームなどと一緒に固くて重たそうな小ぶりのパンがいくつもどさどさと盛られており、もう片方にはい繊細で柔らかそうなスポンジケーキたちがぐるりと鎮座している。

 顔を上げると、ごくごく真面目で気むずかしい表情のまま、ウェスリーは尋ねてきた。


「菓子は好きか」

「嫌いでは、ないです」

「そうか」


 そのそうか、とは一体どういう意味で発せられている言葉なのだろうか。

 ティアが見守っていると、二つの皿は当然のように今し方目の前で入れられたカップとともにティアの前にずずいと押し出されてくる。


 ……これは、あれか。ひょっとしなくても、これも食べろと言うことなのだろうか。


 やけにいい姿勢で座り込んだまま、向かい側に腰を下ろしたウェスリーの顔と目の前に繰り広げられているティーセットとに顔を交互に向けると、赤薔薇騎士団団長の眉根がぐぐぐっと寄った。


「どうした。食べないのか」


 両手を顔の前で合わせ、非常に思わせぶりなポーズを取ったまま、そのようにおっしゃるのである。


 この場合、新入りができる唯一のこととはもちろん、覚悟を決めて「いただきます」することのみなのであった。


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