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叱咤激励

「ジーク、ちょっと付き合え。お前ら、今日は解散だ。私が面倒を見る」


 実技が終わり、一日の予定がすべて終了した頃合いに、師父は現れた。

 弟子はヘロヘロの状態で何度も先輩に剣を弾かれたり突かれたりしているが、相変わらず防具もなしに無傷である。腑抜けて食事もろくにとっていなくても、耐久力だけは変わらないらしい。


 黄薔薇の騎士たちは団長の呼びかけに肩をすくめると、各々片付けの準備に入った。


「お前も今日はもう帰っていいぞ。苦労かけてるな」


 相変わらず魂が抜けているティアの横で、呼応こおうするかのように最近すっかり前の陽気な調子をなくしてしょんぼりとしている下働きがひゃんっ、とやはりおびえの声を上げる。

 ヘイスティングズの眉が反応してぴくっと動くが、ニコはそれ以上何かある前にお邪魔したっすー! と叫びながら逃げて行った。


「……私はそんなにも怖い生き物だろうか」


 心なしか不満そうに首をひねりつつ、師父は弟子の首根っこをつかんでずるずると引きずっていく。

 周囲の先輩たちはその光景に、ジークがんばれ、生きて帰ってこられるといいな、なんてひっそりとささやき交わして見送った。



 されるがままに引っ張られていったティアは、やがて一つのホコリっぽく薄暗い部屋に放り込まれる。


 かなり雑に投げ入れられ、咄嗟に受け身を取ったが思いっきりその後頭を打ち付けた。


 二人が入ったのは初めてリリエンタールと口げんかの応酬を繰り広げた場所、つまり倉庫に似ているが、いくつかの棚と訓練で使っているような丸太などの備品が積み上げられており、前の場所よりずっと雑多で狭い。

 しかしあらかじめ師父が使おうと用意していたのか、ティアが投げ込まれたあたりは綺麗に物がどけられていた。



 ヘイスティングズはようやく少しだけ覚醒し、いったい何を、と首をかしげている弟子を余所よそに、小部屋の入口の戸を閉めて上から文字を書いている。

 それから小さな部屋の四隅に回って何やらかがみこんだりぶつぶつつぶやいたりしてから、ようやく弟子の前にやってきて腰を下ろした。


「まあ、とりあえず飲め」


 師父は弟子と一緒に地べたに座り込むと、これも用意していたのか、どこからか酒と二人分の杯を取り出す。

 自分の方にはなんだか色の濃い酒らしきものを、弟子の方にはこれでも飲んでおけと白い液体を勝手に注いだ。

 ティアは一瞬顔を近づけて、牛乳だろうか、と軽く舐める。その通りだった。


 飲み物のチョイス的に若干馬鹿にされている気がしないでもなかったが、ティアは酒が全く飲めない。

 正確には、発泡酒一杯飲んだだけですぐに眠たくなってしまう。

 意外な弱点だと発見した先輩たちは大いに面白がり、中には寝ている間に悪戯しようとしたものもいたが、触った瞬間関節を決められ――決められすぎてあやうく脊髄せきずいを失いかけ、それ以来誰も彼に酒を勧めない。

 理性が弱くなっているティアに手を出すことは盛大な死亡フラグだと、尊い犠牲を一つ出して黄薔薇騎士団は学んだのである。


 なお、犠牲者はその後数週後にはちゃんと復活した。長命種であったことと、ここが最先端の治癒魔術をすぐに施すことのできる王城ばしょであったことが幸いしたのだろう。



 そんな経緯のせいか、師父は弟子にはミルクを注ぎ、自分は自分で勝手にじゃんじゃん杯をあおっている。

 ティアがちびちびさかずきを舐めながら――意外と彼は豪快な食べ方飲み方をしない。未成年の時の名残だろう――様子を窺っていると、ひとしきり満足したのか切り出した。


「最近のお前、おかしいよな。先月からずっとそうだ。

今までは、なるべくお前の事はお前でなんとかするべきだと、私も見守るだけにとどめていたが。……そろそろ何があったか、話す気にはなれないかな。ここは私とお前だけだし、周囲は今誰もいない。術をはったし、邪魔もないぞ。

さて、私はお前の師父だ。お前の父親みたいなものだ。誰にもらさんから、何か悩み事があるなら言ってみろ。な?」


 弟子はピクリと動くが、多少躊躇(ちゅうちょ)した気配を見せたのち、やはりかたくなに唇を噛みしめている。

 師父は少しの間見守ってから苦笑した。


「私はそんなにも信用ならないか?」


「……そういうわけでは、ありません」


 それきりまた口を閉ざそうとするので、頑固者がんこものめ、とヘイスティングズは心の中で笑ってから切り出した。


「これは私の知り合いの話なんだが」


 いったん区切り、反応をうかがってから再び続ける。


「なんでもその男は、小さいころにさる高貴なお方と約束したんだそうな。大人になったら結婚しようとな。

それは他愛ない子供の約束だったが、知り合いは大人になっても約束を忘れなかった。が、その高貴な方は王城住まい、知り合いは田舎の、しかも魔人ですらない種族だった。

ゆえに彼は約束を果たすため、必死に自分を磨いてひとまずは騎士見習いになった。高貴なお方の父親は大層な親馬鹿で邪魔をしたから、納得させるために御前試合に出て勝利を得て――あくまでも私の知り合いの話だぞ」


 弟子があからさまに動揺し、目を見開くのを確認し、師父は満足そうにまた杯をグイッと傾けた。


「幸いなことに、相手の方もちゃんと男を覚えていたし、待っていてくれた。見習いとして修行する一方で、男は高貴なお方と度々直接会う機会も得られて幸せだった――らしいな? 私の知り合いは」


 ティアは何か言おうとしたが、それを抑えるようにヘイスティングズがわざとらしい捕捉を入れると険しい顔で黙り込む。

 師父は一本目の瓶を空け、やっぱりどこから取り出したのか二本目まで勝手に始めて楽しんでいる。


「しかしな、何せ相手はとても高貴なお方だ。親馬鹿の父親が目を光らせていることもあって、そう簡単には会えない。

次第に二人の時間は減っていって、男はわずかに不満を覚えるようになった。

そんな折、男は親切な女性に会った。その女性はいつも同じ場所で男を待っていて、男が困っていると無償で助けてくれた。

――男が何も言わずとも、彼が想い人とうまくいきたいのだと、心の底から願っていることを察し、助言をくれた」


 ティアは今や息を呑んでいる。

 ヘイスティングズは不意に、杯に向けていた視線をティアの方に寄越よこした。

 じっと見つめられて、思わず弟子は姿勢を正す。


「お前、色合わせという言葉を知っているか?」


 一生懸命続きを待っていたティアは不意の質問にきょとんとするが、師にもう一度促されて口を開く。


「魔人の――特に貴族の社会では、色に意味を持たせる遊びがある。色合わせは、複数の色を組み合わせて、さらにその意味を深めること――」


「そうだな。では白色単体の意味はなんだ?」


無垢むく。純真。根源」


 弟子の素早い答えに、師の目が怪しく光り、細められる。


「それは表だな。では、裏は?」


「……裏?」


「色には二つの意味がある。いい意味と、悪い意味だ。表は普通いい意味の方、裏が悪い意味の方。白色の裏は、馬鹿、未熟――それと死、だよ」


 ティアはまだ師父が何を言いたいのかがいまいちつかめずに、眉をひそめておとなしく聞いている。

 師父は杯を置いた。


「ところでジーク。

また少し話は変わるが、お前、王妃殿下の話は知っているか? 

正確には陛下の三人目のお妃様だった。殿下を産んですぐ、産後の肥立ちが悪くて身罷みまかられたお方だ。彼女の名前は、エバ=ダリア」


 ダリア、と弟子はうつろに呟く。師父は注意深く見守りながら、ゆっくりと話した。


「そうそう、ダリアの花言葉は感謝だったか――贈り物としてとてもいい花だ。だが、そこに白色のリボンを重ねるとまたもう少し意味合いは変わってくる。

さっきの色合わせの話に戻るが、花とリボンでも色合わせはできる。

それと、リボンの結び方には表結びと裏結びがある。表結びはリボン結びの右の輪だけ残し、裏結びは左の輪だけ残す。ここまで理解できたか?」


 聞いているティアの顔色は次第に悪くなっていく。途中からしていた嫌な予感は、確信に変わろうとしていた。

 ――自分は。


「ちなみに裏結びで結ばれた花は、やっぱり花言葉も裏になる。ダリアの裏は、移り気と裏切り。――それと、リボンの色が白なら、それはダリアの死――つまりある種の方々には、エバ様の死を連想させる。

お前は知らないだろうが、エバ様は陛下をよく支え、皆にも優しいお妃様として多くに慕われていた。――そのエバ様の命を、殿下は奪って生まれてきた。殿下が、エバ様を殺した――口の悪いやつは、今でもそんな陰口をたたく。もちろん、陛下のいないところでだ。

……ジーク、お前に分かるか? 母がいない身で、なおかつその母の死の責任を断罪される幼子おさなごの気持ちが」


 絶句しているティアを前に、師父は徐々に徐々に笑顔から真面目な顔になりつつ、やや斜めを向いていた姿勢からしっかりと弟子に顔だけでなく身体を向ける。


「――私の知り合いの話に戻ろうか。

彼は親切な女性の発案でプレゼントを思いついた。だが、彼は不幸にも、花の意味も色も意味も、表の方だけ教えられ、裏のルールを知らなかった。

もしかすると、女性の方がうっかりしていたのかもしれんな。リボンの結び方もお洒落な方がいいと言われたらそのまま従った。

だから、男は何も知らず、想い人への感謝の気持ちと、彼女にぴったりな意味の色だと思ってそれを渡した――白いリボンを結んだ見事なダリアの花を、裏結びで。

ならばその意味は、彼の意図したものと全く異なる、プレゼントになるはずだ。贈られた方の気持ちは、察するに余りある――座れ、シーグフリード!」


 ティアが立ち上がった瞬間、ヘイスティングズは鋭く制した。怒鳴ったわけではないが、音量のある、低くてドスのきいた声である。


 電撃に打ち抜かれたかのような衝撃に、ティアの身体はぴたりと止まる。


「話は終わっていないぞ。どこに行くつもりだ」


 厳しい眼光に射抜かれ、見習いはおろおろとしてから、やがてしょんぼりとうなだれて座り込んだ。


 師父は、見たこともないこれ以上ない真面目な顔で、聞いたこともない低い声で言い聞かせる。


「お前、その男の事をどう思う。

男は近衛騎士を目指しているのだったな。主を傷つけることは、近衛のなすことか? 愛しい人を泣かせることは、騎士のすることか? 

知らなかった、なるほど。確かに彼は無知だった。ゆえに過ちを犯した。だが――本当にそれだけで済むと思っているのか? 

謝罪で済む過ちだけがこの世に存在しているわけではない――座学でも習っただろう? 許される罪があるのなら、許されない罪とてある。あがなうことのかなう問題があるのなら、その逆もしかり――」


 冷ややかなまなざしにさらされ、ティアは恥じ入ってうつむく。

 力なく見つめる地面が、随分と歪んで遠く見えた。


「なあ、ジーク」


 すると今度は打って変わって、優しくなだめるような声音が耳に届いた。


 はっと顔を上げると、師父はいつも通り、穏やかな雰囲気を漂わせた顔になっていた。


「今回の事に限って言うのなら、大丈夫だ。まだ取り返しはつく。

――殿下は、お前が心からの善意で行ったこと、ちゃんとわかっているよ」


 ほっと緩みかけたティアだが、続けられた言葉にぎくりと今まで以上に体をこわばらせる。


「それでも残念ながら、お前が彼女を深く傷つけたことは変わらん。

ジーク、これもお前の成長のためと思ってあえて私も何も言わなかったし、先輩たちにフォローもさせなかった。

だが、よくわかっただろう。――無関心なことが、どれほど危険なのか。

気が付けないのと気にしないのは違うぞ。

おのれの武だけを磨いて、彼女だけを見つめる。ふむ、一途なのはいいことだ。だが、それだけではだめだ。お前はもっと、自分や彼女に向けられている悪意にも、善意にも敏感になった方がいい」


 ゆっくり、しっかり、噛みしめさせるように師父は言葉を紡ぐ。


「いいか、ここは竜の里とは違う。魔界で最も性質の悪い魔物たちの巣窟そうくつだ。見た目がいい連中が多いだけに余計悪い。あれらは常時退屈で、他人の不幸を蜜に怠惰な時を過ごしているのさ。そういう場所なんだ。互いに互いの足を引っ張り合い、笑顔の下で互いの血を求め、傷つけあう。……そうしなければ生きていけない奴らの集まりなんだよ。隙を見せれば、今回みたいにたかられる」


 今にして、ティアはずっと前に男に投げつけられた言葉の意味を理解しつつあった。


 王城ここが、どういう場所か――。


「俺は、どうすれば……」


 ヘイスティングズはふと、手を伸ばしてティアの頭にぽんと置いた。


「ジーク、鼻をかせろ。まずは信じられる相手と、そうでない相手をかぎ分けるんだ。それから、もっと周りに、自分に向けられている興味関心も把握しておくといい。

その中で、しっかりと流されることなく、自分の足で立って見せろ。それができて初めて、お前はお前の望む場所に立つことができる。

私は、お前がちゃんと、気が付いて気にしないことができる男だとわかっているよ」


 ぽん、ぽんと何度か優しくたたかれるたびに、軽くティアの身体が揺れる。


「それにな、殿下を誰よりも近くで見守ってくれたヒトだって、お前がちゃんと彼女を支えられる男だと思ってくれている。――そのヒトはお前に、殿下をたくすと土下座までしたよ。その期待に、こたえて見せろ。私の弟子なんだ、そのくらいできる」


 言い終えると、不意に師は立ち上がって入口の方に歩いていった。


「まあ、もっと詳しいことを話してやらんこともないが、それよりこっちの方が優先だろうからな。続きはまたおいおい、な」


 彼は扉を開け、素早く外に手を出して引いた。

 すると、ひゃーんっ! とまるでお仕置きされた子犬のような悲痛な声を上げながら、ニコがティアの脇に放り投げられた。

 いててて……と腰をさすっている様子を、師父の言葉を噛みしめている余韻から引きはがされたティアが驚いて眺めていると、はっとこっちに目をむけてからばつが悪そうにそらす。


 ヘイスティングズが入口で笑っている。


「最重要事項だろう? 終わらせてこい」


 そう言い捨てて、有翼の師は笑いながら去っていく。師父、とティアが後ろから呼びかけても、そっちを何とかしろとでも言うように手を振り返されてしまった。


 残されたティアはしばらく彼が出ていった方向を眺めていたが、やがてニコの方に向き直る。


「――ニコ。お願いだ」


 リリアナに会わせてほしい。それが許されるなら。



 短命種はティアの視線を真正面から受け止めると、ぎゅっとへの字に唇を引き結んで一礼した。

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