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師父の他愛ない思考

「ほう、ついに曲げずに折らずにできるようになったのか」


 珍しく仕事がなかった、もしくは終わらせて来たらしい師父は訓練場に入ってくるなり、さっと見回して状況を把握すると、どことなく得意気な弟子に微笑みかけた。


 周囲では黄薔薇騎士団の面々が、涙ぐんだり静かに肩をたたき合ったりしている。


 実際にティアがやっていることは、ただ剣を両手にしっかり握ってぶんぶん降っているだけなのだが。

 経過を見守る先輩たちには、いかに新人が大躍進だいやくしんげたのかがわかるのである。


 ……彼奴きゃつに折られたり曲げられたりした、幾多いくたの剣の犠牲が浮かばれる。

 彼の手に握られている剣は、消耗品鈍器から、消耗してはいけない鈍器にまで扱いが上昇した。


 しかしこれでようやくスタートライン、これからもさらなる犠牲は免れないだろう。

 何せ、鈍器から斬撃武器として認識してもらう重大任務の叩き込みがこの後待っているのだから。


 剣は騎士の象徴・相棒のはずなのに、新人がそういった扱いを心得てくれる日は果たして本当にやって来るだろうか。

 いや、自分たちが諦めたら誰がこの死屍累々(ししるいるい)の山をとむらうと言うのか。


 だから頑張れ、俺たち。


 先輩たちはそんな風に、達成感満載で幸せそうに素振りもどきをしている後輩の横で、うれし涙あり悲し涙ありの顔で互いを激励し合う。

 いい年頃の男たちがやっているから非常にむさくるしい画面である。


 そんな彼らを放置しつつ、師父は不意にヒトのいい笑顔(と見せかけた、これはヒトの悪いバージョンの笑顔なのだとティアは察知しつつある)でささやく。


「なるほど、快挙の理由を当ててやろうか。お前、殿下と会っただろう」


 途端に表情を失くし凍りつく弟子に、ヘイスティングズは苦笑いになった。


「図星か、ん?」


 弟子はわかりやすくぐっと詰まったものの、それきりぷいっとそっぽを向いてしまった。

 無心に素振りもどきを続けている。気のせいか、さっきよりも殺伐とした挙動で。


 こうなるともう何を聞こうがだんまりだ。

 彼がやってきてからすでに半年以上の時が過ぎ、黄薔薇騎士団にも師父にも随分と懐いたものの、いまだにこの点に関してはガードが固い。


 鎌をかければわかりやすい対応をするものの、きちんとその口から殿下との関係が公言されたことはなかった。


 ヘイスティングズにとっては予想外の抵抗だ。まあ、だからと言ってどうということも何か困るわけでもないが。



 ただ、反応がなくなってしまうと少々詰まらない。



 仕方ないので首を回してもう一人を探すと――やはり観客席に今日もいる。


 目深まぶかに帽子を被っている様子や位置取りの状況からして、こちらを速やかに発見し、こそこそ隅っこの方に引っ込もうとしていたらしいのが、パシリ体質には勝てなかったのか隠密に徹しきれず、黄薔薇の一人に談笑しながら飲み物を差し出している――と言ったところだろうか。


 無防備な挙動を生温かく見守っていると、不意にはっと思い出したのか視線が彷徨さまよい、不幸にも避けていた相手とばっちりかち合ってしまって、ひゃんっ、とニコは情けない声を上げた。


 にっこりとヒトのいい笑みを浮かべてやれば、どう見てもおびえの混じった笑いで短命種は応じ、すぐに視線を明後日の方向へそらした。


 大方の長命種は、短命種に興味なんか抱かないし、せいぜい男か女かぐらいしか見分けていない。

 ヘイスティングズもあまり注意して短命種の個性に気を払ったことはない。

 もちろん、仮にも近衛騎士団の団長を名乗る身であるからして、警護の都合等から常に誰に対しても気を配ってはいるのだが、短命種の扱いは魔人ヒトの扱いから一段落ちる。

 よっぽどの凶器でも持たせない限り、彼らが何かしたところで制圧は容易たやすいし、よしんば牙をむき魔人に襲い掛かったところで傷一つつけられず、万が一があったとしても致命傷にはとても至らないだろう。


 ――一部の特殊な例外は除くが、あれは近衛うちじゃなくてどちらかと言うと一般軍の管轄だ。



 それでもなんとなくその人畜無害生物の一人が気になるのは、背後に要注意人物の影があるせいだろう。

 ヘイスティングズは一見何もできなさそうなこの小動物が、今の王城で最も警戒されていると言って差し支えない男とつながりを持っていることを知っている。


 セオドア=ヒューズ。


 さすがに本人はなかなか姿を現そうとしないが、その手下や言葉なき伝言なら、ちょうど短命種がうろうろしだすようになってからちらりほらりと見かけるようになっている。

 ()()()()()()、最近ヘイスティングズは彼ら――殿下の拾われものたちと顔を合わせる機会が増えた。

 ニコと一緒に行動しているところを目撃したことすらある。


 彼らは子羊なんて自称しているらしいが、笑わせる。

 ――群れている皮の下はそのほとんどが、どいつもこいつも黄薔薇以上の厄介者ばかりだ。


 黄薔薇はそれでも近衛騎士である。

 一定の基準をクリアし、ある程度身元の明らかな者しか入団できない。


 新人はまだ訓練中だし若干放置気味なところはあるが、騎士団とて軍人、上下関係ははっきりしているし、いざとなったら団長ヘイスティングスの命を何よりも優先する。

 ヘイスティングズとて、最終的には王の、場合によっては国という大いなるもののことを考えて行動する。


 だが子羊はその辺が随分とあやふやだ。

 もちろん殿下に忠誠を誓い、従順な者もいるが、たとえ彼女の命令だろうと言葉を曲げて自分に都合のいい解釈に持っていき、屁理屈をこねそうな輩だっていくらでもいる。


 彼らは互いに非常に緩やかな関係でつながっていて、まるで趣味の合う友達とでも形容しようか、盛り上がるときは集まるが、そうでなければ各自勝手に過ごす。黄薔薇よりもずっとその傾向が顕著だ。


 ――ただし、ヒューズが何かするまでは、である。


 あの男が一声上げると、のんびり草を食み群れているだけの羊は、飢えた目をぎらつかせ統率された狼へと変貌し、速やかに獲物を狩る。


 変人奇人が適切にオンオフを切り替え、まとまっていると言う意味では黄薔薇と似ていると言えるのかもしれない。

 しかし黄薔薇の団長自身は彼らとの越えられない溝を感じていた。


 騎士達にある大義と言うか公の意志が、彼らにはない。


 子羊と呼ばれるあの集団はエゴの塊、行動動機はあくまでも自分にかかわることに起因している。

 国なんて知らない、見えない民の生活なんて知らない、動くのは自分のため、自分の周囲の大切なもののためだけ。



 ヘイスティングスはぼんやりと、席に座って騎士たちの言葉を聞いたり、目の端で訓練の様子をうかがったりはしているが、思考はこの場と離れて泳ぎ続ける。



 最近気になってきていることと言えば、もう一つ。魔王についてだ。


 表立っては誰も言わないが、既にヘイスティングズ同様何人かは確信している。


 当代魔王は、徐々に衰えつつある――あと数百年以内に寿命が尽きるだろう。

 そして誰よりもそのことを自覚している王は、残される娘の未来を何よりも案じている。


 それまでどれだけ激務になろうと淡々と公務をこなすだけだった王が、娘が生まれてからはけして無理をしようとせず、少し休みがちである理由。

 一つはもちろん、できるだけ長く一緒に時を過ごしたいがためだろう。

 だがそれ以上に、今まで通りのスケジュールでは身体が追いつかないのではないか。


 ――幸い、圧倒的親馬鹿に隠れているからそこまで見抜いている者は少ないのだろうが、それでも誰もがどことなく漂う不穏な空気を感知している。


 万に近い年月、魔界を統治してきた男が倒れ、代わりに生まれて数百年の小娘が王に立つの言うのだ。荒れないはずがない。




 再び、弟子に視線を移す。何人かの先輩にフォームを指摘されたのち、再び一心不乱に素振りをしている。大分様になってきたようだ。

 少し目を離した隙にも上達するこの成長速度には、わが弟子ながら驚嘆と薄ら寒いものすら覚える。


 表立って殿下がこの若い竜と接点を持ったことはない。

 だが、あの下働きやそれに関連したことを考えると、すでに確定事項なのだろう。

 むしろそれとなくこちらに見せつけ、噂を肯定しているような気さえする。


 そうなると、一つの疑念が湧く。


 ――殿下は、どこまで望んでいるのだろうか。


 幼馴染の他愛ない口約束。かわいらしい騎士ごっこ恋人ごっこ。それだけならおそらくそこまで問題はない。むしろ退屈し切っている貴族連中にも大うけだろう。それだけなら、ヘイスティングズも今まで通り面白がっているだけでいられる。


 ――王配ならば。


 いやまさかそんな、と最初は浮かんでも相手にしなかった考えが、最近どうにも離れなくなってきていた。ヘイスティングズの勘は良く当たる。



 気が付くと、ばらばらと騎士たちが戻ってきた。今日の実技は終わったようだ。


 軽く汗をかいている弟子に、短命種がいつも通り拭く物を持って走っていく。先輩に頭を叩かれて少し迷惑そうな顔をしながらも、弟子は周囲にされるがままになっている。


 武の腕は申し分ない。座学は寝ているし、騎士としてはたまに心構えがなっていないと他の部隊から目を吊り上げられたりしているようだが、まあその辺についてヘイスティングズはうるさく言うつもりはない。


 近衛騎士としては、いろいろ突っ込みどころはあるが十分に資格も適性もあると思う。


 だが、王配としてはどうだろうか――?



「ヘイスティングズ殿」


 柔らかな女性の声がふっと蘇った。

 もう軽く千年ほど前の記憶。


 ――成り上がってあっという間に没落した貧乏貴族ラミアリスの娘。

 そういえば彼女もまた、随分と物議をかもした結婚だった。

 というかヘイスティングズだって、王がどうしても再婚しなければならないなら彼女がいいと言い出した時には驚いたものだった。本人を前にして、すぐに納得はしたが。


 しかし、大方は彼のようには思わず、多忙な魔王の目を盗んで随分と陰湿ないじめが繰り広げられたものだ。ま、王城の恒例行事でもあるのだが。


「王配に一番求められるものとは、なんでしょう? わたくしはどうすればいいのでしょう?」


 自分は彼に相応しくないのではないか。ここにいてはいけないのではないか。


 不安に満ちた顔で、彼女はそう問うてきた。

 その時彼女に答えた考えは、今も変わっていない。そして、結果を鑑みるに自分は間違えていなかったと思う。


 下働きにぬぐってもらった後ぶんぶん頭をふってすっきりした顔になっている弟子と目があった。

 ぼーっとした顔に笑いかけてやるも、反応は薄い。


 ――つくづく殿下は波紋を呼ぶお方だ。だが、悪くない。面倒事も悪くない。



 ヘイスティングズは平穏と言う言葉より、厄介ごとと言う言葉に魅力を覚えてしまう性分の持ち主だ。そんな性格でもなければ、黄薔薇の団長など務まらない。


 ――これは思った以上に、退屈しない弟子を得てしまったのかもしれない……。


 そんな風に思いながら見ている相手は、どこまでもマイペースにあくびをしていたが。

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