大図書室
朝はニコに起こしに来られ(寝ぼけると殴り飛ばしそうになるから正直やめてほしい。しかし、一度目に未遂があってからはニコも学習したのか、殴られないところに避難しておいて呼びかけてくるようになった。リリアナの名前をつぶやけば確実に目を覚ますので、起こすの事態は簡単なのだ)、昼は黄薔薇騎士団の先輩に構い倒され実技で特注の剣を2、3本曲げては先輩たちを敗北させ、その後威圧まみれに天馬に触れて泡を吹かせ、もしくは座学で睡眠時間を稼ぎ、夜はただただ必死に宿題を解く。
ここ最近のティアの完璧なスケジュールだ。
短命種の下働きが、シーグフリードさーんと手を振りながら走ってきては、嬉々として甲斐甲斐しく世話を焼いて回る光景に、本人たちも周囲もあっという間に順応した。
おかげで一部からは余計に白い目で見られることになったが、相変わらず当人に彼らの気持ちは届かない。
ニコは黄薔薇騎士団の面子とすぐにウマが合ったらしく、ちゃっかりトモダチ関係になった翌日には談笑しながら実技を見学し、さらに翌日には炊事当番の中にまざっていた。
魔法魔術の一切を使わず、器用にものすごい速さで根菜をさばいていく様に、先輩たちはやりおるなと称賛の声を上げる。
その様子にどこか不満を覚えてよし自分もと立ち上がった瞬間、笑顔の先輩たちに四方八方から手を変え品を変え、まあ座れよまあ手を出すなよとなだめすかされ、ティアは若干ぐれた。
が、ニコの作ったスープがおいしかったのですぐに機嫌は直った。
いつの間にか実技の最中に、ティアだけでなく他の黄薔薇の騎士たちにも手ぬぐいや飲み物を渡したり、備品を手入れしたりしてすっかり馴染んでしまったニコだが、ただ一人ヘイスティングズにはやはり小動物の勘が働くのか、他の黄薔薇と比べるとぎこちなく接している。
友人にだけ教えてくれた第一印象は、「おっかねーっすあの人」だった。
ダメな時はある種芸術的なまでに気が利かないと評判のティアは珍しく、こそこそ彼が囁いた瞬間、朗らかに師父がこっちを見ていたことを伝えていない。
ニコは知らなかったのだろうし、知らせない方が平和だ。
ヘイスティングズはかなりの地獄耳である。
それにしても、帰ってくると部屋の清掃、寝床の整頓、本日の宿題の用意まで済ませ、本人以上にティアのスケジュールと必要なものを把握しているのだから、ニコの尽くしっぷりはもはや気持ち悪くさえある。
友人と言うかほとんどただのパシリだ。普段まったくもって他人の挙動に文句をつけないティアが若干引くレベルだ。
……どうやらこの男、大分後になって該当する言葉を知ったが、根っからの下働き体質なのだが。むしろ使ってもらえないと目の端をあからさまにしょんぼりとちらちらうろつく。
しかしニコによれば、魔人の貴族にとっては使用人や部下に投げられることは投げるのが普通、むしろ身の回りの世話なんてできない、考えないで当然と聞き、魔人の文化はどこまでも謎が多いなとティアは気が遠くなった。
偉いほど何もしなくていいのか。竜だったら、何もしない雄なんかまず雌は相手にしてくれないし、雌だったとしても普段は性格や能力のせいで雌に取り合ってもらえないような、いわゆる難ありの雄たちを自然と多く迎えることになってしまう。
モテればそりゃあ競争率が高いからエッカみたいに相手からちやほや尽くしてはもらえるが、モテるのは誰よりも竜らしく生きられるもの、つまり、少なくとも自分の面倒は自分で見られるしっかりものだ。
――そう思うと、やっておいてよかった訓練、である。
小さいころのまま脱皮していたら、間違いなく彼はエッカに世話をしてもらえなければ生きられない大人になっていただろう。苦しくてもやる気を出してよかった。
ただ、自分でやっていると全く気にしない部分を勝手に考えてフォローしてくれるニコの存在は正直有難く、気配りだってできるというリリアナの言葉は本当だったのだなと噛みしめる。
やはり女神。どこまで行っても神々しい。
魔人の貴族の話題が出たのでついでにリリアナについても聞いた。
ニコがいろいろ答えてくれる中で、ティアは余談で挟まれた話題、特に自分にとって大事そうな部分、彼女は敏感だからあまり他人に触れさせたがらない、その部分を特に記憶しておくことにした。
敏感、そうか。いいことを聞いた。
もちろん、その知識が実践に役立つのはだいぶ先の話であり、しばらくニコは自分がうっかりどれほど余計なことを滑らせたのか気が付けないままだった。
ニコと会ってから数週後。
パシリ系友人に連れられ、ティアは図書室にやってきていた。
もちろん、宿題を終わらせるためにである。
すでに一度ニコを介してリリアナに提出済みで、添削追加されて戻ってきた。
友人曰く、ある程度できるようにならなければ直接会う気はないらしい。
なので今現在、がっしりと本日の分を両手に抱えているティアは、ニコが側にいるとなんか熱く感じるっす、と形容する程度の闘志に燃えていた。
ニコが先導し、分厚い扉をくぐると、奥へと大きな木製の橋がわたっており、終点に円形のフロアが見える。
見上げるとはるかに上まで、ちらっと橋の端に寄って下を見ると短命種が落ちたら大けがは免れない程度に深くまで、フロアを中心として同じく大きな円になっている壁に所狭しと本がしきつめられている。
そしてその壁に沿ってふわりふわりと、あちこちに謎の物体が飛んでいるのだった。部屋の中央部の円形のフロアの群れは、上下に少なくとも30階はあり、その真ん中にこれまた太く大きな柱が見える。
「すげーっしょ。これでも全部あるうちのほーんの一部なんすよ」
ニコは振り返って、図書室だからか気持ち小さめの声で言ってくる。
静かで広い空間には少しの音でもよく響いた。
「まずはあの中央のところに行くっす。あそこに図書室の管轄の知り合いがいるっす。彼女に聞けば、まず間違いないっすよ」
橋を渡りきるとニコはすぐに知り合いを見つけたらしい。
太い柱の周りに並べられている机の一つに座り、何やら書類に目を通している女性は、ニコが手を振るとすぐに気が付いてやってきた。
「あらー、ニコじゃありませんかー。こんな夜にどうしましたー?」
「文官様、こんばんはっす!」
「お勉強ですかー? 珍しいですねー、どうせ本を開けたら3ページで眠るのでしょうけれどもー」
「あうっ。本が必要なのはおれっちじゃないっす。そして否定できないのが悲しいっす……」
はんなり笑って、しかしどこかニコにグサグサくるらしい言葉で魔人女性が出迎える。
緑がかった髪、どこか眠たそうな目、おっとりした口調以外の目だっている特徴として、顔に何か二つの円が並んだガラス細工の変な飾りをつけている。
――後でニコがあれは眼鏡というのだ、と教えてくれた。
友はあれは目の問題を解決するだけでなく、隠されたる新たな魅力を引き出すアイテムっすとさらに説明した。
首をかしげるとそれじゃあ殿下があれを付けてるところ想像するっす! と言われ、ようやく納得した。
なるほど、リリアナがあれをつけるのか。悪くない。むしろつけてほしい。機会があったら是非お願いしよう。
なんとはなしに女を眺めていると、向こうもこちらを見て笑顔を向けてくる。
「そうすると、この方がそうなのですねー?」
「はいっす。あ、シーグフリードさん。この方、文官のセシリア=ウッドマンさんっす。子羊――殿下の部下の一人っすよ。シーグフリードさん歓迎派っすから、頼めばいろいろ助けてくれるはずっす」
文官は友好的な様子で手を差し出してきた。
「気軽にセシリーとでも呼んでほしいのですよー。私夜型ですからー、この時間帯にいらっしゃってくだされば、こうやってお相手できますのでー。それに、その方がいらっしゃってる方が少な目ですから、面倒事が少なくて済むかもしれませんわー。何か困ったことがあったらいつでも助けて差し上げますので、仲良くしてくださいねー」
……ぼんやりしているティアにとっては有難い速さだが、真面目に聞いていると眠くなりそうな喋り方だ。
ただ、賢く有能そうだと言うことはすぐにわかった。
ニコがティアの宿題をざっと見せると、文官はこれはどういう課題だから必要な本はどんな分野で、どこどこに置いてあるとスラスラ述べた。
どうもほとんど全部の書物の情報が頭の中に入っているらしい。
それじゃー一緒に取りに行きましょうか、と彼女は相変わらずゆったりしたペースで図書室の使い方や本の場所を教えてくれた。
本を取るための昇降機に乗ることが一番楽しかった。
安全設計上、ふわりふわりとゆっくりにしか進まないが、実に快適に空中散歩が味わえる。
せっかくだからとみんなで実際に取りに行ったが、フロアにある魔具を使用すれば召喚魔術を駆使してこんな風に手間をかけるまでもなく取り寄せることができるらしい。
急いでいるときや、高所恐怖症対策であるとか。
ティアはこの過程が気に入ったから、しばらくは昇降機を利用する予定だったが。
一通り終わって三人が中央フロアに帰ってきたときだった。
「……あら」
他の文官が、どうやらセシリーがティア達の案内から戻ってくるのを待っていたらしい。困った顔の彼の側に誰かが立っていた。次いでニコまでもうえっと声を上げる。
――貴族の女性らしかった。
遠目にでもわかるが、美人だ。
派手ではないがどう見ても手間のかかっている落ち着いた色のドレスに身を包み、頭には立派な角、肌は透き通るように白く、つり型の大きくて丸い銀の目をしている。
夜闇色と形容されるような漆黒の髪がなんとも不可思議で複雑な形に変形されており(やっぱりニコに後であれは縦ロールと言うやつだと解説してもらった)、近づくとなんだか甘い香りがほんのり漂ってくる。
女性は三人を見て、特にセシリーにほっとしたような笑みを浮かべると、ちょこんとドレスの端をつまんで軽くお辞儀した。
魔人にしては背が低く、自然と上目づかいになるせいもあって非常に愛らしい。
おまけに近づいてさらにわかるが、とんでもなく整った顔、きめ細やかな肌をしていた。
――と普通の男なら夢中になって感想を抱くだろうが、生憎そこは朴念仁であるから、なんかちょっと今まで見たことのない相手だな、ぐらいにしか思っていない。
ニコが横で呆けた顔をしている理由も全く思い当っていなかった。
たとえ世間一般では絶世のと表現されうるような美貌を目の当たりにしても、その逆の呪われていると忌避されるような見た目だったとしても、等しく変わっているな、としか思わないのだ。
唯一の例外を除いて、彼の美醜センサーはほとんど仕事をしない。そして仕事をする時は大体大いに評価が偏っている。
しかし、その気の利かなさこそがこの後の波乱を招くことになってしまうのである。
ティアは令嬢が、セシリーに用件を話している一方、自分に関心のある眼差しを送っていることにまったく気が付けなかった。




