呼び出しのわけ
昔魔王と初めて会った時のような部屋に飛び込んで行ってすぐ、椅子に座るお目当ての人物を見つける。
その微笑みに手を伸ばして衝動のまま突っ込もうとした直前、ふっと彼女の姿が消えた。
予想外の事態に一瞬怯んだせいで避ける間もなく、椅子ごと盛大に音を立てて転んだ。椅子の方は真っ二つに大破したが相変わらず身体の頑丈さだけには定評のあるヒト――いや竜の方は無傷である。
ぽかんとしていると、脇から笑い声が上がった。
「かかったな! あっはは、ばーか、全力で飛び込むなんて!」
情けない顔でひっくり返ったまま声の主に不満げな鳴き声を上げると、彼女は笑いながら彼を覗き込む。
「この程度の目くらましにひっかかるようじゃまだまだだ。見習いスタートで正解だぞ」
床に座りなおし、頭を左右に振って調子を確かめてから彼は彼女を見上げる。
「リリアナ様、今のはひどいです」
「この前のお返しだ。私をそう簡単につぶせると思うなよ?」
あれは意図的に潰すつもりじゃなくて、ありったけの愛情でもって全力で抱きしめただけなのに。
この気持ちを全部腕に込めただけだったのに。
その結果が彼女にとっては大変なことなんだってわかったから、今度は飛び込みこそ全力だけど着地は舞い散る鳥の羽のごとく、そこからの抱擁は綿でくるむかのごとく繊細にソフトに優しくするつもりだったのに。
ティアは不満を感じるが、言いつのることはしなかった。
今こうして反撃を食らうまでうっかり忘れていたが、この男装の姫は結構負けん気が強いところがあったのだ。
未成年の折、少しは彼女に言われたことができるようになったからと調子に乗って出来心や悪戯心で反抗するたびに、手痛い仕返しを食らった記憶が蘇る。
下手に反抗を続けると、どんな過程をたどろうが、最終的に行き着くのは同じ結果だ。
目に見えない十字架に張り付けられたかと思うとなすがままに着せ替え人形となり、着替えが終わると彼女の好きなようにポージングまでさせられて鑑賞される。
ただし目の表情筋だけはどんな魔術をかけられても全力で死守したから(たとえばコルセットで窒息しかけた時などは目で訴えて助けてもらった)、愛らしい恰好、愛らしいポーズに愛らしい表情――しかしその目は濁りきっていてうつろであるという、わかりやすい間違い探しのような図になったわけだが。
ちなみにティアは知らないが、ちゃっかり鑑賞ついでに魔術で撮影された画像は、今に至るまで彼女の私室にある秘密の箱の中に大事に保存されている。
脱皮後に再会するまでは色褪せぬ幸せな時の想起、再会後は劇的ビフォーアフターの比較検討、およびセピア色になってしまった遠い昔を偲ぶため、本人のあずかり知らぬところで今でも大いに役立っている。
一応納得はしているが、やはり可愛さに未練を残しているリリアナだったのである。
が、可愛くなくなった本人の方は結果に大いに満足しており、自分が密かに残念がられていることはわかっていない。
これはこれでいいけど……の、どの後の余韻を読めるような察しの良さを持ち合わせていないことがここでは幸いした。
美しい思い出ばかり再生していたので封印した気になっていた、彼にとっての黒歴史の回想は痛かった。
さすがに脱皮後のこの身体で着せ替えはやらないと思うが、身に沁みついたコルセットへの恐怖は未だ現役で健在である。
いや、この身体になったからって油断できない。コルセットの代わりに今度は嬉々としてきつーい鎧を着せてくるかもしれない。
そんな嫌な思いを振り払うかのように頭を振り、リリアナの方をビクビクと見やってみれば、彼女は大層怪訝そうな顔で何やら思案している。
こちらに向けられている不穏な空気に若干逃げ腰になりかけている内に、ああ、と彼女は手を打った。
「なんかおかしいと思ったんだ。そうか、口調か」
彼女は納得したように呟いてから、視線を合わせようとしてかしゃがみこんだ。
接近されて心臓が一度飛び跳ねる。
一体なんだろうと胸をときめかせながらじっと目を見つめていると、思いのほか優しくて気遣わしげな雰囲気でリリアナは聞いてきた。
「どうした? 早速、誰かからいじめられたのか? やり返せばよかったのに、できなかったのか?」
「え?」
「お前らしくないじゃないか。私に様をつけるなんて何があったんだ?」
「違います。リリアナ様が困ると言われたので」
内容はともかく言った相手を思いだして不機嫌そうな声になると、すぐにリリアナは思い当たったらしい。
苦笑いした後、どこか面白そうに眉を吊り上げた。
「ああ、ヒューズか。というかお前、あれの言うことおとなしく聞いたのか」
「――リリアナ様のことですから」
彼女はティアがぼそっと答えると、一瞬きょとんとした顔をしてから、ふっと微笑んだ。
床になんとなく置かれたままになっていたティアの大きくてかたい手に、自分の小さく柔らかな手をさりげなく重ね、囁く。
「今は二人きりだから呼び捨てでも構わないさ。人前では様、二人の時はリリアナ、誰も見てないなら敬語だって男らしい喋り方だって気にしなくていい。
――嫌か?」
「嫌じゃないよ嫌なわけないじゃないか大好きだよリリアナ、もっと呼んでもいい?」
「……う、うん。まあ、鬱陶しくない程度にな」
真顔で早口に即答すると、リリアナは目をそらしてすぐに手を放してしまった。
追いかけようかとも思ったが、何せさっき手痛い悪戯をされたばかりだ。
下手に調子に乗ると未成年のころの二の舞になるかもしれない。
女装は嫌だ。
断じて嫌だ。
たとえリリアナが似合うと言っても絶対に。
……やれと言われたら、仕方ないからやるが。
そんなティアの内なる葛藤を他所に、男装少女はため息をついてから、穏やかな顔でいろいろと聞いてきた。
「黄薔薇はいいだろう。変人奇人が多い近衛の変わり者たちの集団だが、その分一番規則にうるさくないし、種族にも寛容だ。先輩たちとはうまくやれてるか?」
「うん」
「じゃあ、同輩とは?」
「喋ったことないから知らない」
「……まあ、予想はしてたけどさ。無理に話せとは言わんが、あっちから関わろうとしてきたときに邪険にはするなよ。つまり人間関係にはそこまで困ってないと考えていいんだな?」
「全然大丈夫だよ」
もちろん一部から喧嘩を売られたりいじめっぽい扱いを受けたりはしているのだが、まったくもってティアにはダメージになっていない。
というか気にするべきことにそもそもカウントされていない。
若干一名の赤薔薇団員は機会があったら潰す相手と認められてはいるが、リリアナにそんなことを言うつもりはない。
あんな男のことを彼女が認識する必要はないし、なぜ彼女との至福の一時に不快なことを思い出す必要があるのか。
大丈夫、順調に近衛になったら決闘を申し込んで殴るから。
殺すのはだめだろうから、もう二度とリリアナの前に出て来られない程度に色々壊しておこう。
物騒な計画を腹の中で立てつつ、表向きは爽やかにきはきと答えると、リリアナは髪の毛を弄りながら質問を続けた。
「生活は? 部屋はどうだ。食事は、睡眠は?」
「それも大丈夫。むしろ快適だよ」
「服はきつくないのか?」
「もう慣れたし、リリアナが一緒にいてくれるならこの程度全然問題ないよ。
……あ、そうだリリアナ、脱皮したから隅々まで見せてあげるよ。竜はちょっとここでは無理だろうけど、ヒトだったら、ほら」
「――ちょっ、やめろこんなところで脱ぐな馬鹿っ! べ、別にいいからそんなの!」
リリアナは早くもベルトを取り去り胴着を脱ぎ捨て、シャツの下に手をかけてたくましい腹筋をあらわにしたティアに顔を赤くして怒る。
彼は残念に思ったが、音が鳴る勢いですぐに顔をそらした割には、目だけちらちらとこちらに向けて興味関心を示している彼女のリアクションに大いに満足し、そうか結婚するまでのお楽しみに取っておくという手があったか、なるほどそうしようと斜め上の発想を抱いてひとまず落ち着いた。
男装少女は彼が身なりを整えているのを直視できないらしく視線を泳がせつつも、気を取り直そうとしているのか大げさに咳払いした。
「そうだティア。あやうく今のでいろいろ飛ぶところだった。本題に入ろうか。今日は一つ聞きたいことがあってこんな時間に呼び出したんだが、いいか?」
「何?」
これはひょっとしてひょっとすると何かあるのだろうか。時間もちょうど深夜だし、リリアナだってまだ未成年だけどそろそろお年頃。彼女が命じて応じる分には構わないはず。さていったい何を言ってくれるのか。
彼は期待してうきうきと答え、彼女の言葉を待つ。
が、その直後すぐ、しまった、と思った。
ちょうど、締め上げられるウエストを守ろうとするかのような位置に無意識に手が伸びる。
リリアナは見覚えのある笑顔になっていた。
――彼が課題をできなかったときの、至極晴れやかだが、どこか真顔にも見える剣呑な笑顔に。
「なあティア。今城ですっごく噂になっていることがあるんだが、お前は知ってるか? 御前試合を勝ち抜いて近衛見習いになった竜がいて、しかもどうやら堅物鉄仮面の殿下と知り合いらしい。うん、ここまでで充分話題には事欠かないな。
それでなんだ、期待の新人殿はいつも座学では寝ていて、実技では備品を破壊して、騎乗術では触るのがやっと、だっけ?」
彼は悟った。
今日の呼び出しは、このためにあったのだ。
ふわふわとしていた気持ちが一気に冷める。
深夜の呼び出し、一瞬でも甘い展開を予想した自分が浅はかだった。リリアナの目は完全に、スパルタ教師のそれになっている。
そして彼は今がリリアナの可愛さにでれでれする時間でなく、彼女に見限られないように本気を出さなければならない時間なのだということも正しく察知していた。
「ティア、わかってるよ。お前、やればできる竜なのに、本当に限られた状況でしかやる気出さないんだもんな……。
そこに座れ。姿勢を正せ。脱皮してなるほど見た目は立派になったが、お前私と離れてたからって気を抜いただろ。その根性、叩きなおしてやるから覚悟しろ」
リリアナは相変わらず笑顔で、いつの間にか呼び寄せたらしい椅子と机を指差す。
無言でティアが従うと、すぐにどさっと音を立てて分厚い本が降ってきて勝手にはらりとめくれた。――問題集だ。
昔さんざんやったことだからもう言われなくてもわかる。無心でやるのみ、身体が感覚を覚えるまで。
早速取り掛かり始めたティアの横で、リリアナは手元を覗き込みながら歌うように言う。
「勉強なんて簡単だぞ。できるようになるまでやればいい、それだけだからな」
久々に聞いたなその言葉、と一瞬思ってから、ティアは日ごろなまらせていた思考をフル回転させ始めた。
――彼女の顔によると、万が一にも芳しくない成績だったら、着せ替え人形かそれ以上に恐ろしい事態が待っているのだろうから。




