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父と義父と師父

「うむ、よく似合っておるぞ」


 テュフォンは傍らの息子に顔をほころばせた。そんなにありがたがることだろうか、正装でもないただの服なのに、と思いつつ、彼は腕を上げたり足を曲げたりして動きやすさを確かめる。


 制服は後で支給されるから、これが非番の時の普段着になるらしい。

 上半身は、白いシャツに茶色の袖なし胴着の上から腰のあたりにベルトをしている。

 下半身は若草色のズボンにブーツという格好で、昇進するにしたがって服の色が変わるんだとかいう話をぼんやりと聞かされた。


 王の推薦のおかげか、手続きは滞りなく行われたらしく、このたびめでたく彼は近衛として王城に上がることができる。

 正確に言うなら、まだ正式な近衛ではない。彼の今の身分は騎士見習いであり、王城でもしばらくは先輩の騎士について、心構えや作法などを学ぶのだそうだ。

 いくら御前試合の優勝者とはいえ、彼はまだ若い方だったし、魔人の文化についてほかの竜よりは知識があると言っても、王城での作法は正直まったくもって知らない。いきなり高位の位を与えて混乱を招くよりは、むしろ彼にも周囲にも、ゆっくりと馴染んでもらうための配慮と言えた。


 お前も想像してみるがいい。

 たとえば、ある日いきなり魔人が我々竜の社会にやってきて、わしが今まで懇意こんいにしてきた者たち、普通の竜達よりも重用して目をかけていたら、どう思う。

 実力不足なら追い返されるだけだろうが、優れていたりでもしたら――それは和を乱す存在だ。こじれることは目に見えておる。

 むしろ最下級からゆっくり段階的に学んでいくことで、上に立った時も周囲とうまくやっていくことができるのだ――。


 そんな風に父にゆっくり言い聞かされて、やたらと低位置からのスタートだと少々むくれていた彼は気を取り直したのだった。



 一通り動いてみて、かなりましな方な服だと言う結論に落ち着いた彼は、父がじっと真剣な目で彼を見つめているのに気が付いて挙動を止める。

 テュフォンは一度息を吐いてから、唐突に語りだした。


「ジーク。お前の父親はな、シグムントと言う男だった。

お前の父の名は、シグムント=ルエルス=テュフォン。

――そうとも、あれも儂の血のつながらない息子だった。右目と左目の色が違う変わり種でな。お前の目は、あれの赤い方によく似ておった。今は、左右合わせたような色合いになっておるが」


 彼は虚を突かれてきょとんとするが、すぐに気を取り直してその内容に聞き入った。

 おぼろげな陰と憧れでしかなかった、実の父。赤錆あかさび色の瞳を持つ男、それしか知らなかった父親について、義父は今教えようとしてくれているらしい。

 テュフォンはゆっくりと彼に話し出す。


彼奴きゃつの生まれは儂もわからぬ。

魔人たちの中で売られていたのを、運よくそれが孵化ふか前の竜の卵だと気が付いてくれたものがおって、害される前に儂まで届けられ、それを育てた。何か理由があって捨てられたのか、両親ともに死んだのか――。

ともかく、生まれてみれば人懐こくさとく、誰からも好かれた。だから儂はあれを本当の息子同然に思ってよく可愛がった。

誰よりも自由に空を飛ぶ優秀な男でな。脱皮後は、儂の2番目を初めとして多くの妻を得るはずだった――」


 一度テュフォンは大きく息を吐いた。


「それが、ある日北部で見つけた女に惚れたから彼女に操立てするなんぞ言い出しおって。冗談だろうと皆が相手にしなかったのに本当にやりおった。娘が振られたという話を、当初はまったく信じられなんだが。

そうやって今まで付き合いのあった雌すべてに別れを告げて入れ込んだ相手が、お前の母親だ。

北の国のヒルダ。――北部特有の、なんとも素っ気ない名前だが、知り合いからは大嵐と呼ばれておったとか。実際に、北部を体現するかのような、他人を寄せ付けぬ激しい気性の持ち主だったと聞いておる」


 彼は瞬きもせずに聞いている。

 記憶のかなたの母。ヒルダなんて凡庸な名前のせいもあり、思い出す彼女の顔立ちは、父親が入れ込んだと言う割にはあまり感心するようなそれではない。

 大嵐――奇しくも本物のそれに命を奪われたのだから、なんとも因果な通称だ。


 テュフォンは過去を思い出す、遠く懐かしい、けれどどこか物寂しく悲しい目になっている。


「儂は、あやつのその行動が、当時は納得できなくてな。あんなに目をかけてやったのに、裏切られた気すらした。しばしの間、どうしても許せずに、せっかくあれが会いに来ても無視をし、顔も見ようとせず、邪見にしてしまった。当事者の娘は納得しておったにな。あれともそのこと以来どうにも顔を合わせるといらぬことばかり口にしてしまって、うまくいかぬ」


 その金色の瞳が一際大きく揺れた。


「――儂とシグムントが疎遠になっている間に、北部で大規模な竜狩りがあった。あやつは、向かってきたほとんどを蹴散らしたらしいが――結局は、凶刃に倒れ、呆気なく死んでしまいよった。あれほど優れた飛び手であり、戦士であった男が、争い事があったとはいえ、まさか儂より先に逝ってしまうなぞ思いもせなんだ。……思いも、せなんだ」


 父は目を閉じて、深いため息をつく。そこには、色()せぬ深い後悔の情念が刻まれている。

 このような弱弱しい父親を見るのは初めてだった。彼の知るこの義父は、いつでも迷いなく竜たちを導き、悠々と大空を飛んでいく。

 こんな彼の顔は、初めて見る。


「あれの死んだと言う谷を飛び回って探したが、ついに何も見つけ出せなかった。ばらけていたとしても、一部でもいいから連れ帰ってやりたかったのだがな。

それ以来、どうにも北部に未練ができてしまった。北部で何かあると聞くたびに、心が刺されるような思いがした。

何故下らん意地いじなど張って遠ざけたのか。あんなことがあるとわかっていたら、少しでも共にいてやれたものを。いくらでも話を聞いてやったものを。少なくとも、一人寂しく、あのような苦しい死なせ方で逝かせてしまうことなど、なかったものを……」


 ティアは黙っていた。

 長い間、心の隅で不思議に思っていたことが、ようやくわかったような気がする。

 かすみの向こうの存在しかなかった父の姿が、うっすらと浮かび上がってくるようだった。


「なあ、息子よ。覚えておるか。お前と最初に会った少し前、大きな嵐があったろう。あれでどうにも胸騒ぎがしてな。儂が行かねばならぬ、と思った。それで、嵐の被害を見回ると言う名目で北部を飛び回り、その北部のさらに端の辺境で、儂は嵐で落ちた竜と、残された白子の話を聞いた。

――お前に会って、その眼を見た時に、わかったよ。あの誰かに呼ばれておるような胸騒ぎはこのためにあったのだ。シグムントが、導いてくれた……」


 父は知ってか知らずが、静かに瞳から涙を流している。

 ティアはじっと、伸ばされた手に頬を撫ぜられるがままに、しっかりと義父を見つめ返していた。


「ティア。儂の自慢の息子。お前も父と同様、この手を離れていくことを選ぶのだな。だが、それが望みだと言うなら、今度こそ叶えてやりたい。

だが、お前の選ぶその道は、父の歩んでいったものよりさらに険しく困難だ。――苦しくなったら、いつでも帰っておいで」


 ぼんやりと、彼は思う。

 父もエッカも、優しく彼に戻る場所を用意してくれている。そこでの暮らしは、穏やかでのんびりとしたものだろう。

 だが、自分がそれを選ぶことは、おそらくない。彼はもう、そこでは満足できない感情を知ってしまった。

 ――だからこんなに、自分も悲しい気分になるのだろうか。




 何度目かになる、王城へ上がっていく船の中で、彼は終始無言だった。

 今回は、傍らにエッカも父もいない。これからずっと、こうして一人なのだ。改めてその感触を噛みしめる。

 けれど、一人ではない。二人とも、いつも自分を内側から支えてくれる……。



 らしくなくどこか感傷的になっていると、やがてその巨大な城の門にたどり着く。

 事前に告げられていた通り、一目で騎士とわかる鎧の一団が待機しており、彼が船から降りると手を千切れんばかりに振ったり、なんだか大ぶりなジェスチャーをしてこっちに来いと合図しているので、おとなしく従う。

 近づいていくと、獣人とわかる狼頭の男が最初に彼に声をかけた。


「お待ちしておりました。貴殿が、シーグフリード=テュフォン殿でありますな? いやはや、御前試合での素晴らしい成果、それがし久方ぶりに心躍りましたぞ。見習とはいえ、我が隊にお迎えすることができて良かった。陛下に直談判じかだんぱんした甲斐かいがありましたな、団長!」


 男が周囲の一人、ひときわ彼らの中で身体が大きく、異様な風体ふうていの男に声をかけると、彼をはじめとした騎士たちはにやにやとティアにどこか意味深な笑顔を送ってくる。

 敵意的ではない、むしろ大層好意的な空気だが、自分はどうすればいいんだろう、と迷っているティアに、最初に声をかけてきた獣人は慌てたように手を差し出した。


「――ああ、これは失礼。それがしはこの黄薔薇騎士団の副長、アーマンド=マスグレイブと申すもの。いやあ、団長がおらなかったら我が弟子にお迎えできたのに、残念無念」


「アーマンド、そうとも。師父は私なんだから、さっさとどけ」


 からかうように狼頭をどかした大きな男は、彼の顔を覗き込んでくる。


 ヒト型のティアは魔人たちと比べると大柄な方だったが、この男には及ばない。並ぶとだいぶ上の方に男の目線がある。

 大男は団長と呼ばれたにもかかわらず、彼とあまり大差ない軽装である。しかし、その背中から生えている大きな一対の鳥の羽が、ヒトのよさそうな表情をしていてさえ、どこか尋常ではない雰囲気に一役買っていた。

 翼にしげしげと見入っていることに気が付いたのか、男は目を細める。


「陛下や殿下のほかには初めてかな? これでも魔人の端くれなんだよ。まあ、愛すべき我らが同胞は、有翼は獣人だと思いたくて仕方ないらしいが。

さて、私が黄薔薇騎士団の団長、バートランド=ヘイスティングズ。幸運にも、君の師父の地位をたまわった身でもある」


「……師父?」


 聞きなれない単語に彼が首をかしげると、大男は笑みを深めた。


「そうとも。弟子たる騎士見習いは、師父たる騎士の背を見て育つもの。

つまり私は君の後見人みたいなものだ。

歓迎しよう、シーグフリード。君は今日からこの黄薔薇騎士団の一員であり、そして私の息子同然だ。公私ともに、何かあったらいつでも私に相談してくれ。

それと、騎士団の隊員はお前の兄弟のようなものだから、彼らとも仲良くしてやってくれ。みんな、期待の新人の兄貴面がしたくて仕方のない連中だがな」


 男が喋り終えると、取り囲んでいる騎士たちはいっせいに歓声を上げ、誰が用意したのか歓迎の紙吹雪が辺りに散った。

 ティアはきょとんと、思いがけない熱烈な出迎えと、次々と自己紹介をしてくる男たちにもみくちゃにされて目をぐるぐると回していた。



 ――これが、彼の城での「家族」達と、また、三人目の父親――師父ヘイスティングズとの最初の出会いだった。 

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