彼女の視点:子竜
誰もかれもを避けた私に、勉強は絶好の暇つぶしだった。
読書も、空想も楽しかった。
ページをめくっている間は、どこにでも行ける気がした。
毎日書庫に入り浸る私の目に、ある日ふと美しい挿絵が飛び込んできた。
――それは、竜と言う生き物。私は空を飛んでいくその存在にひどく心ひかれた。
大空の覇者。いまだ解明されぬいくつもの魔法の神秘をつかさどるもの。
魔人にとっては絶対的脅威だから僻地においやられてしまっているけれど、本来の魔界の支配者。
そして、我々の祖先であるかもしれない生き物――。
同じ翼を持っているのに、彼らはどうしてこんなにも気高く美しい姿をしているのだろう。
彼らのように空を飛べたら、どんな景色が見られるのか。きっといろんなことがちっぽけに見えるに違いない。
あんな風に、飛んでいけたら。この翼が、そうできたら。
そんなことを思っていたある日、私は思いがけず本物の竜に会った。
それも珍しい、幼竜。
どう見ても迷子の顔、何もわかっていないらしいきょとんとしたそれを見て、ため息をつく。
――そりゃあ、確かに、テュフォンが白子を引き取ったと言う話を聞いたとき、私は言った。
子どもの白い竜なんて珍しいから、どんな姿をしてるのだろうか、興味がある、と。
お父様と一緒に夕餉を頂いていたときのことだ。身に覚えがある。
だからって、本当に連れてくるところがさすが魔王と言うか――。
私も浅慮だった。こんな風にされたらかわいそうだ。
現に竜の子どもは慣れない二足歩行をさせられ翼はひっこめられ、衣装は窮屈で見ていて非常に心苦しい。
竜は大空を飛ぶ生き物、私が見たかったのはその雄大な姿なのに。
――だけど城内を竜が自由に闊歩していたら、大パニック確定だものな、確かに。それで私を外に連れて行くわけにもいかないものな。
まったくあの似非親馬鹿め。しばらく夕餉をボイコットしてやろう。
……なんか、竜の子が寄ってきた。
よく見ると結構可愛い顔してるな。
まだ未性別なんだっけ。これは将来美人になる顔だぞ。いやヒト型だから基準違うのかもしれないけど。
……わあ、竜だからかな、ところどころが鱗になってる。しかも鱗が光る!
まあでも思ったほど白くないと言うか。結構くすんでないか? 光っていない時はそれなりに灰色に見えないこともない――ううん、でも白い……微妙な色してるなこいつ。
それより、ほっぺのところに模様があって、なんだあれ、すごく触りたい。と、とりあえずそこに座らせて――。
いや、そんな性格じゃないだろ私。はしゃぐな私。
ほら、向こうが変な目で見てるぞ、だから――おい待てなんだその眼は。何考えてるお前。
……はあ? 何を言うかと思ったら、きらきら? おかしなやつだ。
まあでも、可愛いかも――。
おい待てリリアナ、しっかりしろ。お前そんな性格じゃなかったろ、別にかわいいものなんて……。
か、かわいいものなんて……。
その目は反則だ! お前の方だ、きらきらしてるのは! ああもうなんだお前!
それにしても随分のんびりした奴だなあ。まあ、一方的にしゃべられるのは好きじゃないから、別にいいけど。
時間も有り余ってるし。ゆっくり考えてしゃべるといいさ。
――わかった、こいつ天然だ。
くそっ、じっくり待った結果がこれか。悪気なくドストレートに刺してくるな、おい。
ま、でもなんだろう。変に気を使われるよりはありがたい。それにそこまで嫌な気分にはならない。
不思議だ。こいつが無邪気すぎて毒気でも抜かれてるのか。ありうる。
――綺麗な色……。
そうか、きれい、か……。
いや、違う。この色は、呪われた色だ。大嫌いな色。嫌な色――。
でも、きれい、か……。
私は、黒の方が好きなんだけど……。
おい馬鹿私にやけるな止せ。いっそ笑えここはもう。もう笑ってしまおう。
――なんだろう、すごくすっきりした。声を上げて笑うなんて、久しぶりだ。
それでなんだこいつ、ここにまだいたいだと?
ば、馬鹿じゃないのか。私と一緒に居たって何の面白味もないだろ、ほら、さっさと行けよ――。
おい待てそんな目はやめろ。その飼い主に叱られた子犬みたいな目、やめろ。
こっちが悪いことしてる気になるじゃないか!
す、好きにしたらいいだろう、この変人め!
わ、笑うなそんな邪気のない笑顔で! なんかまぶしい! なんでだ直視できない! もうあっち向けお前、いいから早く!
――さっきからおかしいぞ、私。落ち着け。
あ。
というか、こいつ、普通に私の側にちゃっかり座ってるけど、冷静に考えたら大丈夫か。
今のところセーフみたいだけど、過呼吸とか起こさないだろうな。
前にあったあれ、結構こっちだってトラウマなんだぞ。不用意に近づくなって警告したのに、寄ってきて倒れて、それで次からは化け物を見る顔だ。
まあ、慣れたけど。
――うん、落ち着いた。とりあえずこの沈黙をなんとかしよう。名前でも……。
名無しだと? 馬鹿、私が怒っているのは、お前のその態度だ。
何者でもない、そんなことあるもんか。気にするだろう、普通。
自分を認めてもらえないことが、自分が認められないことが、どれほど苦しいことか――。
――なんか力抜けた。こっちが勝手に怒ってるのがアホらしくなった。
腹いっぱい食べられればいいか、そうか。
やっぱこいつ中身空っぽだ。私もそんな風に思えたら楽なのかな……。
――そうか、すごいか。益々力が抜ける……。
え。こいつこれでも年上だったのか。てっきり同い年くらいかと。
……なんで年上だって判明した瞬間得意げな顔になってるんだお前。
全然ダメな年上だろうが。ああもう、その笑顔、調子が狂う。
――それにしても本当になんともないのか。
だとしたらそれはそれですごい才能だ。
名前なら立派につけられるじゃないか。頑丈野郎、とか、超ニブイの、とか。
ああ、なるほど。これはつけたくてもつけられないな。仮にもテュフォンの養子なんだし。もうちょっとましな奴にしたいよな、親心としては。
――ほう? ならば私もちょっと本気出すぞ。苦しくなっても知らんぞ。
さて、衛兵を呼ぶ準備でもしておくか。
む、むきになんかなってない。みんなこれでばたばた倒れて、それで勝手に怖がって――。
そう。お前だって、同じなんだから、きっと。
そうだ、危ないところだった。信じちゃいけない。こいつだって、いつかは裏切る。
心も、身体も。私から離れていく。みんな、そうなんだ。わかってる。
だったら、今、ここで――。
どうせお前だって、そばにはいられないんだから。
……ん?
…………あれ。
……………………全然大丈夫そうだな。
あれか、竜って言うのは魔法や魔術、毒とかが効きにくい体質してるって聞いていたけど、そういうことなのか。
それにしたってケロッとしすぎじゃないのか。
なんだこいつ。アホか。すごいアホなのか、なるほど。
おかしいなあ、私、今手加減しなかったよな。
……馬鹿、だから私、笑うな。う、嬉しくなんかないぞ。
そんな馬鹿な。こんな都合のいいことあるもんか。竜で、子どもで、私のそばにいられるなんて。しかもかわいい。――いや別に関係ない、かわいいことは。
……。
どうしよう、どうしよう。
だめだそんなの。ひどい。こんな。
もう期待なんてしないって決めたんだ。
もう信頼なんてしないってわかったんだ。
なのに、なのに。
ああもう、知らないぞ、私。わかってるだろ、ここで選んだっていつかは別れが来る。
竜は空に帰る。
私は飛べない。
でも、
――でも。
ああ、知らない。ここに来たことを選んだのはお前。出て行かなかったのもお前。
だったら私だって選んでしまうぞ。いいのか。飛んでいくなら、今だ。
そうか。
――ティア。
そう、それがお前の名前だよ。
そんな顔したってもうダメだ、許さない。大体可愛い顔に似合う名前にしてやったんだからそんなふくれっ面するな、もう。
いいか、お前は私の庭園に入り込んだんだ。
ずけずけやってきて、荒らしまわっていったんだ。誰も入らないように柵をめぐらせて、きれいに中を整理してたのに。
先に仕掛けたのはそっちだ。だから少し、こっちの我儘にも付き合ってもらうぞ。
ずっとなんて言わない。いつかは別れが来ることもわかってる。
だけどひと時だけ、一瞬でもいい。そばにいてほしい。
ティア。私の子竜。私だけの、可愛い子竜。
――そう。そうやって、私の隣で、私を見て。
笑って。聞いて。話して。
そのまぶしさで、照らしてほしい。




