悪い夢 中編
そのときから、僕は父さんにとっての特別になれた。
僕だけは、同族の中でいくらでも殺すことを許された。
父さんは笑う。
僕がヒトを殺すたび。
父さんは笑う。
僕がヒトを傷つけるたび。
父さんは笑う。
僕が残酷なことをすればするほど、あのヒトは狂ったように大笑いする。
最初はなんとも思ってなかった。
でも、父さんが楽しそうで、嬉しそうで、そうすると僕も楽しいし、嬉しい。
殺すことは、なぶることは、残虐であることは、ああ、なんて幸せなことなんだろう。
とは言え、やっぱりヒト種は数が多い。
やってもやってもきりがない。
ただ、別に撲滅する必要はないのだ、と父さんは言う。
苦しめられるならなんでもいい。
彼らの絆を裂けるのならもっといい。
美しい虹色の目を細めて、あのヒトはそう言った。
……直接言われたというよりは、僕が勝手に考えを読み取って解釈した、と言った方が正しいけど。
父さんは明確に「こうしろ」と言うことは少ない。
僕たちは言われるまでもなく、顔色をうかがって、表情を、心を読み取って動かなければいけない。
あのヒトは何かを言うときも、「やってごらん」と言うだけだ。
やってごらん、見ていてあげるから。
そう言われると僕はやるしかない。
だって期待に応えられなかったら捨てられる。
このヒトに捨てられたら、生きていけない。
僕を見て、僕に声をかけて、僕を必要だと、あなたにとって不可欠なものなのだと、言って。
それだけで、すべてが報われるから。
僕はどうすればヒトが苦しむのか、色々試して勉強した。
どこを傷つけると死んで、どこを傷つけると痛くて、どこを傷つけると動けなくなって。
そういうことを、たくさん学んだ。
夢魔は基本的に集団戦が苦手だ。
僕は有名になって大勢を相手にする機会が増えたから、自然と大勢相手も得意になっていった。
僕は父さんの血を濃く受け継いで優秀だったから、多人数相手でもなんとかなる程度に、能力と器が高かったんだ。
他の奴らには真似できない。
――優越感。
殺した人数が軽く3桁には余裕で届いただろう、という頃。
僕はヒト種を迎え撃とうとして、本格的に死にかけた。
何度も死線をくぐりかけていたけど、おかげさまでヒト種にはすっかり目の敵にされていた。
僕対策の特別部隊とやらが組まれたらしく、苦戦の挙げ句一人も殺せず無様に逃げ出した。
もうだめだ、というところで、父さんがかばってくれたのだ。
別の兄弟をおとりに、僕の死を偽装して死地から連れ出してくれた。
「さすがにやりすぎたね」
すっかりあちこちぼろぼろで、小さなスライム状の姿に戻ってしまった僕を掌に乗せ、父さんが優しく言った。
「しばしお眠り、あたしの可愛い子。ほとぼりが冷めるまで待とう。次に起きたなら、もう一度奴らに悪夢を見せておくれ。とびきりの悪い夢を、あいつらに、ヒトに、見せておくれ。お前はあたしの意をくんでくれる、可愛い子だよ」
冷たい手でなでながら、あのヒトは言った。
満ち足りた、昏い瞳で、穏やかに言い聞かせてくれた。
僕は言われたとおり、大人しく眠りについた。
長い長い眠りについて、次に父さんが僕を必要としてくれる時を待った。
少しだけ、不安はあった。このまま放っておかれるんじゃないか? 父さんは本当は僕のことをもう見捨てたんじゃないか?
それでも待つしかないし、信じるしかない。
親を疑うなんて、あり得ない。
僕たちは夢魔の子。
親は絶対だ。
その存在が、行動が、心情が、どんなに不条理で理不尽なのだとしても。
***
僕はもどかしいほどの長い時間の後、ちゃんと起きた。起こされた。
父さんは僕を見捨てなかった。
やっぱり僕が必要だったんだ。
数千年ぶりの外。
まだ感覚がうまく戻らなくて、寝起きの目を何度もこすっているうちに、父さんが微笑んで優しく僕に触れながら言った。
「エデル、あたしの可愛い子。さあ、またたくさん、気が済むまで殺しておくれ。お前の好きにしていいからね。お前にしかこんなことはできないだろうから」
僕は。
歓喜に震えた。
こんなことができるのは僕だけ。
こんなすごいことができるのは、たくさんいる同族の中で僕だけ。
父さんが僕を必要としてくれている。
僕だけを必要としてくれている。
ああ、それは、なんて、嬉しいこと。
その言葉があれば、僕はいつだって頑張れる。
僕は笑った。
父さんと一緒に笑った。
怖いことなんて、何もなかった。
***
そうして僕は、起きて、殺して、寝て――そのサイクルを繰り返すようになった。
同族とは、父さん以外あまり接点がなくなっていった。
目立ちすぎる僕を彼らはとても嫌ったから。
特にひどかったのは、僕より先に生まれていたような奴らだった。
兄。
兄。
兄。
なんて憎たらしい言葉。
僕より長く父さんと時を過ごしている奴ら。
僕はいつからか、彼らに殺戮を邪魔をされるようになった。
おかげで身が危なかったことさえあった。
なのに彼らは失敗した僕の前に現れ、したり顔で言ってくる。
「お前も父の、真祖の血を引くものなら、名をおとしめるようなことはやめろ」
「こんな不毛なことをして何になる?」
「殺しているだけでは、刈り取るだけでは、芽吹かない。お前がやっていることは何も生まない」
うるさい、うるさい、うるさい。
何もわかってない奴らめ。
父さんが僕にいいって言ったんだ。
父さんが僕にやれって言ったんだ。
なのになんで邪魔をする、僕の役割を理解しない。
どうせ、出来損ないの、役立たずのくせに。
第一、何も生まないだって? 笑えるじゃないか。
夢魔が何かを生めるわけがないのにさ。
だから僕は、鬱陶しい奴らを皆殺しにした。
夢魔が心底嫌う同族殺し。
ひょっとしたら父さんの怒りを買うかもしれない、危険な行為だった。
でも僕には確信があった。父さんは僕を捨てない。捨てられない。
僕以外に大虐殺をできる奴はいない。
僕には父さんが必要だけど、父さんにだって僕が必要なんだ。
だから、大丈夫。
絶対に、大丈夫。
「困った子だねえ」
父さんは兄弟の死骸を積み上げた僕を見て、辺りの惨状を見回して、肩をすくめた。
僕は緊張して見守った。
あのヒトはゆっくりと近づいてきて、僕の、同族の青の血に染まった頬をぬぐいながら苦笑した。
「お前を少し特別扱いしすぎたのかもしれないね。嫉妬心がこれ、こんなに育ってきているようだ。どうしたものか」
指が、唇を、喉をなぞって、胸まで降りていく。
虹色の瞳が伏せられた。
「それでもなんだか手放せない。お前はあたしに、本当によく似ているから」
あのヒトは最後にそう言って、それ以上は何も言わなかった。
ほら、ね。
僕は父さんに許された。
同族殺しだって、僕の方が大事だから、やってもいいんだ。
そういうことでしょ?
***
その後何度か兄弟を殺したけれど、父さんからおとがめはなかった。
「あまりやりすぎるんじゃないよ」
そうたしなめられることはあったけど、同族殺しで何かのペナルティを科されるということはなかった。
だから僕は、気に入らない奴なら、いらないとおもった奴なら、好きに排除してきた。
弟だって、あんまり目立ちすぎて父さんに可愛がられるようだったら切り捨てた。
父さんがどうしても駄目だという奴だけは我慢したけど。
でも、父さん。
僕、こんなにすごいんだよ。色々できるんだよ。
他の奴なんていらないんじゃないかな。
そんな風に、思っていた時もあったのに。
「お前は本当にあたしに似ている」
いつだっただろう、父さんは息を吐きながら言った。僕は喜び勇んで振り返ろうとする。
「あたしのいやなところばっかり、似ている」
そして、父さんは感情の読み取れない声で、付け加えた。
ぞくりとした感覚。
空気が冷えた気配。
自分の息が止まったのを感じた。
「――それは少し、忌々(いまいま)しいな」
父さんは、変わらない虹色の瞳で僕を見ていた。
すっかり死にまみれた僕の両手を、温度のない目で――つまらなそうな顔で、いつまでも眺めていた。
***
あれ。
あれ。
あれれ。
おかしいな。
こんなはずじゃなかったのに。
起きて、殺して、寝て、起きて。
いつからだろう? 父さんが前ほど喜んでくれない。楽しんでくれない。笑顔が見えない。目が笑っていない。
もっと多くやらないとだめ?
もっとひどくやらないとだめ?
ああでも、父さんは正解を教えてくれない。
何が駄目なの? なんて聞けない。
役立たずだって思われたら、捨てられちゃう。
僕にはもう、父さんしかいないのに。
僕は父さんだけがいればいいのに。
***
思い出してみれば、父さんは、特定の誰かに執着すると言うことがないヒトだった。
いつだって皆の間をフラフラとさまよって、皆が好きで、誰も好きじゃない。
そういうヒトだった。
でも僕、知ってるんだ。
父さんが昔、たった一人だけ特別にしていたヒトのこと。
僕が生まれたばかりの頃、ほんのわずかの間だけ見たことのある、あのヒトのこと。
ただ、あれをヒトだって言えるのかな?
普通のヒト種とは、あまりに何もかも違いすぎた。
金の髪、金の瞳、金の角、金の翼。
幾度倒れようと蘇る不死の王。
父さんの心の奥にいつまでも居座る、不可侵のヒト。
実は僕は過去、生まれて間もない幼い頃にたった一度だけ、父さんに殺されかけたことがある。
父さんの心を読み取って、そのヒトに化けようとしたのだ。
考えてみれば、父さんが選ぶ母体は皆、金髪で金色の容姿か、それに近い。
僕の母さんだって、金髪金目のヒト種だった。
ただ、だからって父さんは僕の母さんのことを特別に思っていたって事はない。なんとも思ってなかっただろうって断言できる。僕が生まれてから一度も母さんのことは話題に出なかったし、心にすら浮かべてもらえてなかったのだから。
父さんの心を占めているあのヒトの姿をしたら、何か変わるんじゃないかって、あのヒトに向けるのと同じ顔で見てもらえるんじゃないかって、幼くて短絡的な思考。
結果は、惨敗。それはそれはひどいものだった。
簡単に言うなら、僕は半殺しになった。
危うく、夢魔の一番大事な場所である核を破壊されかけた。
父さんが僕に手を上げたのは、後にも先にもこのときだけだった。
「もう二度とあのヒトの真似なんかするんじゃないよ。次は本当に殺すからね」
あのヒトは、笑って、いつも通りの笑顔のままで、何の躊躇もなく僕を葬ろうとした。
「……あたしの好きなヒトにはね。もう二度と会えないんだよ」
父さんはそう、死にかけで青い液体をふきだしている僕に優しく言い聞かせた。
いや。
たぶん僕なんかどうでもよかった。
あの時僕が死んでも父さんは気にかけもしなかっただろう。
あれは独り言だった。聞かせる相手のいない、孤独なつぶやき。
「幻で降りてくる死者もいるのに、あなたは夢の中ですら会いに来てくれない。どうでもよかったのかな? ああそうだろうね。女や子どもに比べたらあたしのことなんかどうでもいい方だったんだろうよ――」
僕はその感動的なまでに無関心な態度を浴びながら、心の底からふるえあがった。
このヒトの思うとおりにしないと、僕はこんなにも簡単に死んでしまう生き物なのに、このヒトにとって僕はこれほどにまで――母さんと同様に、本当に気まぐれ一つでどうとでもなる、どうでもいい存在なんだと、魂にまで刻みつけられた。
怖いよ。
死にたくないよ。
どうすればいい?
こっちをむいて。
僕を見て。
あの時から僕の気持ちはずっと変わらない。
あなたの特別になりたい。
一つの言葉さえもいらない。
ただ少しだけ振り返って笑ってほしい。
そのために僕は何人も殺して。
殺して、壊して、なくして、全部消して。
でもいつからだろう、本当はもう。
そのやり方じゃ笑ってくれないことなんか知っている。
それでも僕はこれしか知らない。
上手な人殺し以外、何にも知らないから――。
ねえ父さん。こんなにもあなただけを愛しているのに、僕にはあなた以外何にもないのに。
あなたはどうして僕だけを見てくれないの?
***
ああ、そうだ。
たまには真剣な考え事も悪くない。
頭を働かせて思い出をあさっていたら、もう一つ、大事なことを記憶の海の中から発掘してこれた。
父さんが狂ったとき。
僕が人殺しを始めたとき。
本当は何があったのか?
あの時は心あたりがなくて、ただただ豹変に困惑していたけれど。
――よくよく注意して記憶をたぐってみれば、これほど簡単な答えはない。
あの日は、あのヒトが死んだ日だったんだ。
だから流せもしない涙にすがろうとして、血の雨の中で泣いていたんだね。
父さん。
可哀想な父さん。
本当に心を向けている相手からはなんとも思われていなかった、そのヒトのために涙を流すことすらできなかった、無様で哀れでどうしようもない父さん。
だけど僕は嬉しいよ。
あなたは言っていた。
夢を渡り、操り、騙る夢魔とても。
死んだヒトにはもう、二度と会えないんでしょ?
僕は殺ししか知らない。
でも、あなたの一番を、僕以上にあなたに気に入られる奴を殺し続けていれば、僕は永遠にあなたの一番でいられる。そういうことだよね?
だったら僕は何も間違ってない。
僕は正しい。
――正しいはずなんだ。




