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ふたつ島  作者: すずりん
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三章 海の季節

 夏休み明けの放課後。課題を忘れてこっぴどく叱られた久比紀帆鳥は担任に呼び出されて、長い長い説教を三十分ほど聞かされて、ようやく開放されると、床に置いた鞄を背負って、職員室を出た。彼女がガラリと扉を開けると、廊下のところにひとりの友人が立っていたので、彼女に「待たせてごめん」と謝った。


「毎度のことながら懲りないね、あんたも」


 帆鳥に向かってそう言うのは、肩でそつなく切りそろえた黒髪と、見るものを尻ごませる遠慮ないジト目が栄える、低身長の女の子だった。彼女に比べて帆鳥のほうは背が高く、ふたりの高低差は頭ひとつぶんくらいある。


「いやぁほんとすんません。説教長くて耳腐るかと思ったよ」

「それはあんたが悪い」


 帆鳥の方は彼女のジト目に憚ることなく、満面の笑みをたたえてそれに答える。栗毛の長い髪に片手をあてて、三回目の「すんません」を言う。


 二人はそのまま歩き出すと、下駄箱のところで靴を履き替えて外に出た。日中照り付けていた太陽は、少しだけなりを潜めて、アスファルトの灰色は明るみを帯び、風はわずかに草木を揺らしていた。


「あの、ふかみに相談あるんだけど」


 歩きながら帆鳥が言う。ふかみと呼ばれたその友人は、見上げるようにして彼女を見た。


「なに?」

「たいへん言いづらいことなんだけどね」

「だからなに」


 帆鳥はふかみの方を向いて、両手を合わせると、ぎゅっと目をつむって言った。


「終わってない課題手伝って!」

「忘れたんじゃなくて終わってないんだ……」

 

 ふかみはため息をひとつついてから、両手を後ろに回し、指を指で擦り合わせながら「まぁいいけどさ」と呟いた。俯いた彼女の頬に、ほんのり赤みが差す。帆鳥はそれをさし置いて、舞い上がるように言った。


「さすがふかみ! あいしてる!」

「馬鹿じゃないの」


 体育館の横を抜けて、裏手に回りこむほうの小道には裏門があって、彼女たちはそちらへ向かって歩いた。横沿いには柵が長く引かれていて、その一角には、鉄格子で出来た扉があった。彼女たちがその扉へ差し掛かったとき、小道を歩く二人の後ろから、格子を越えて黄色い球が矢のように飛んできた。球はふかみの後頭部に、綺麗な放物線を描きながらずんずん近づいていくと、彼女のつむじをクリーンヒットした。ぼかん。


「あだっ!」


 バウンドしたボールはそのまま小道のアスファルトをころころと転がり、傍の草にあたってふわりと停止した。ふかみはその場にうずくまると、両手を後頭部にあてて「ちょっとなんなの、帆鳥……」とうめいた。帆鳥はぽかんと口を開けて、数秒間停止すると、あわてて「私じゃない」と両手を前につき出してわたわたした。


「じゃ、なに……」

「ボールが、その柵越えて飛んできたんだよ!」

「ボール……?」


 帆鳥はあわてて球を拾うと、ふかみの前に差し出して「これ、これっ」と確認するように言った。それから格子の向こうを覗くと、木々の隙間からテニスコートが見えて、扉に向かってふたりの人物が駆けてくるのが分かった。


 扉が開いて、内側から出てきたのはジャージを着た金髪の女の子だった。彼女は第一声に「うわっ」と驚きの声を上げた。


「……もしかして当たっちゃった?」

「それはもう」

 

 金髪の女の子は目の前の帆鳥をちらと確認すると、すぐにうずくまるふかみに視線を戻して、彼女のそばに駆け寄った。


「ほんとごめん、大丈夫?」

「……べつに平気だけど、すっごい驚いた」


 ふかみは立ち上がって、スカートの皺をはたくと、金髪の方を向いた。


「あれっ桜じゃん」

「うん、あとこっちにもうひとり」


 桜が扉の方に顔を向けると、そこに立っていた長い黒髪の女の子が、控えめに手を振った。彼女も同じように、桜とおなじ指定のジャージを着ていた。桜が続けて言う。


「枝理とそこでテニスやってたんだけど、私が打ち上げちゃって。ごめん」

「いいって。やわっこいやつで良かったよ、ほんと」


 桜の言葉に、帆鳥が笑って返す。


「いや、当たったのはあんたじゃないでしょ……」


 それぞれ近づいていって、四人で輪をつくると、桜と枝理を交互に見比べた帆鳥が言った。

 

「なんでテニスやってんの? 桜も枝理も、テニス部だっけ?」

「私らは放課後ここで暇を潰してるから。こっちのコートは誰も使ってないし、裏道だから人もこないし。二人とも、暇ならちょっと遊んでく?」


 帆鳥の疑問に、それまで黙っていた枝理が言葉を返したので、帆鳥とふかみは顔を見合わせた。帆鳥が「じゃあ私たちも……」と言いかけて、ふかみが素早く「あんた課題終わってないでしょ」と闇より深いジト目で切り返した。


「あぁぁ、そうだった……」

「そういうわけだから、私たちは帰るよ。誘ってくれてありがと。それじゃまた」


 ふかみは背伸びをして、帆鳥の頭に手を置くと、下にぐっと押して強引に会釈させた。そのまま彼女の後ろ襟を掴むと、急ぎ足で歩き出した。帆鳥は「うあぁ~」と口から伸びた声を出しながら、ふかみに引きずられていった。


 彼女たちが見えなくなると、あとに残されたふたつのジャージのうち黄色い方が「あいつらも仲いいよな」と呟いた。黒い方が「漫才やってるみたいで楽しそう」と笑った。





 駅のホームの柵に寄りかかりながら、二人は電車を待った。湿度の少ない、からっとした大気ではあっても、汗がうなじに浮かんでくる暑さだった。ぎらぎらと太陽から差す日差しは眩しい。


「夏はほんと苦手だなあ」


 帆鳥が、右手でワイシャツの胸元をぱたぱたさせながら言う。ふかみは帆鳥のふくらみと、自分のそれを静かに見比べてから、小さく舌打ちした。びくっとした帆鳥がおそるおそる横目でふかみを確認する。ふかみの周りだけ湿度が三割増していた。


「なんか眼が怖いんですけど」

「あんた後でなんか奢りなよ」

「う、うーん」


 ホームからは、丘の上にある大学の裏手が見えた。その向こうの青空を、音もなく飛行機が滑っていく。


「あ、じゃあ私ん街の、駅前にある名物島まんじゅう。あれでチャラにしてよ。だめ?」

「チョイスがまんじゅうって、なんだかすっごいオヤジくさいね……ま、いいよ」


 線路をきしませて電車がやってくると、いつものように、ふたりでホームの奥まで歩く。そうして、そのまま一番後ろの車両に乗る。誰に決められた訳でもなく、二人はいつもそうしていた。


 帰宅部組は少ないから、周りにおなじ学生服はあまりいない。時刻は三時を少し過ぎたほどで、会社帰りのサラリーマンが、ぽつぽつと席に腰を下ろしていた。二人も座席に腰をかけ、ぼーっと景色を眺める。


 右手に沿って見える海は、その水平線を広く伸ばしていた。海は季節によってその様相を変える。春になると、海は落ち着いた波の音をたてる。夏になると、きらきらと降り注ぐ日光が、それに金色の艶をつけてまわる。

 

 天気のいい日の夏の海なら、つやつやした海面の上を、お腹をあてたペンギンだって滑っていきそうだった。その代わりに、小さい漁船が遠くの方で、ぬめらんと浮かんでいた。登校時の電車は人が多いため、つり革に掴まって窓の外を眺めることになる。帰りは逆に、余裕を持って座席に座ることが出来る。


 ふかみは、どちらにしても、海が見える方向に位置取ることに決めていた。反対側の陸地には青い山々が連なっていて、その手前では、どの辺りも同じ街並みが続いているからだった。だから、自然と暇を感じない方を選ぶようになった。

 

 五分くらい揺られると、帆鳥の住んでいる隣町についた。改札口をくぐり、駅の外に出て、駐車場の真ん中にイルカの像が建っているのを左に曲がる。すこし行くと、商店街に並んだ通りに<名物島まんじゅう>と書かれた老舗が、ひっそりと佇んでいた。


「ここが、この地域一帯の名物、島まんじゅうのお店です。ちなみにここは二号店です。隣町にふたつ島っていう、ちょっとした観光地になってる小島があって、そっちに一号店があるんだよね」

「へえ……」

「これがね、ほんとに美味しいんだよ。ふかみもきっと、びっくりするよ」

「ふうん」


 ドアをくぐりレジの前まで来ると、帆鳥が「島まんじゅうをふたつください」と言った。「箱に詰めますか」と店員に聞かれたので、帆鳥は「袋でいいです」とそれに答えた。三百円を渡して袋を受け取る。


 店を出ると、帆鳥は饅頭を袋からひとつ出して、ふかみに渡した。できたての熱が、ビニールを通して、ふかみの手に伝わる。ふかみは「あちち」と言いながら、片手に持った饅頭を、もう片方の手に持ちかえた。そちらの手も、すぐ熱に耐えられなくなり、再度もう片方の手に持ちかえる。何度かそれを続けて、ようやく手になじむと、両手に持ってビニールを解き、小さく口をつけた。


「……あ、美味しい」

 

 腔内に甘い香りが広がって、程よく厚い皮がそれに弾力を与えた。舌に不思議なざらつきを感じたので、ふかみは口を離して、かじった部分を見た。すると、あんずは桜色をしていた。


「へえ……」

「桜餡が入ってます」


 帆鳥が得意げに解説すると、彼女も袋から饅頭を出して口をつけた。口いっぱいに頬張り、帆鳥の頬はリスのようになった。


 商店街を抜けて坂道を下ると、長く住宅街が続いていて、そのうちのひとつが帆鳥の家だった。白いレンガで出来た二階建ての家で、みどりの屋根は斜めになっていた。玄関の手前にある簡素な庭には、手入れのいき届いた芝生があった。ふかみが車庫に眼を移すと、車がないので、両親は出勤中のようだった。食べ終えて残ったビニールを袋に入れて、帆鳥は鞄から鍵をとり出すと、鍵穴に刺して回した。がちゃりと音がして玄関が開いた。 


「まぁ上がって」

「お邪魔します」

 

 靴を脱いで玄関を上がる。靴置きの上には、生け花が飾られていた。壁の額縁には、深緑を基調とした草原の絵が、ぽこりと収まっていた。祈りを捧げる女性の後ろで、群れる羊達が静かに草を食んでいる。有名な絵で、ふかみはそれを、どこかで見たことがあった。柔らかい光りが薄ぼんやりした空から差していて、少し寂し気な趣きを感じさせる。


 帆鳥に先導されて、ひんやりしたフローリングの廊下を歩いているふかみに、居間にいる犬がわんわんと吠えた。扉越しだからそれを無視して二階に上がり、突きあたりの部屋に入る。そこが帆鳥の部屋だった。ふかみは、これまで何度か、帆鳥の部屋に来たことがあった。それでも夏休みのあいだが抜けたため、久しぶりになる。


「あついねー」


 荷物を降ろした帆鳥がエアコンのボタンを押すと、つめたい風が流れて、部屋の空気を入れ換えた。部屋の中は散らかっていた。端にある作業机と、ベッドの横にあるテーブルには、教科書や紙類が、たくさん積み重ねてあった。ふかみは課題になっているはずの、日本史の問題集をぺらぺらとめくった。解答欄が、端から端まで真っ白だった。


「まじで」

「や、言わなくていいって。分かってるから……分かってるから……」


 帆鳥はぶつくさと、不満をそらで念じながら、積み重なった紙類を必要なものに分けていった。途中、散らかった資料が机からこぼれ落ちると「ああっ」と声を上げた。試行錯誤しながらも用意が終わると、テーブルに座って「よっしゃ」とかけ声を出す。


「私は数学をやるので、ふかみはその日本史をお願いします」

「え、これぜんぶ?」

「やれるとこまででいいよ」

「日が暮れるんですけど……」

「さあ、頑張るぞ!」

 

 ふたりは鉛筆を握ると、一目散に作業を始めた。





 静かな二階の一室に、窓から西日が差し込んでくる。その眩しさに、ふかみは目を覚ました。夕陽は沈みかけていた。眠ってしまっていたようだった。


 壁にかかった時計を見ると、針は六時を回っていた。眼をこすり、帆鳥の方を見ると、彼女もまた鉛筆を持ったまま、テーブルに俯せになって眠っていた。


「六時だよ! 大丈夫なの?」


 ふかみは起き上がって、帆鳥の身体をゆすった。


「もう食べられないよ……」


 寝ぼけていた。ふかみは、不思議な呪文を唱える彼女の頬を、ふにふに押してみた。柔らかい弾力が指をつたう。ほんのりと頬に赤みが差している。指でまるく押しつけてみたら、島まんじゅうがぽっこりできた。


「帆鳥」

「……………………」


 まだ眼を覚まさないので、ふかみは帆鳥の寝顔をじっと見つめた。栗毛色の長い髪から、小さい耳をぴょんと出して、閉じた眼からは長い睫毛が覗いている。細い眉は丸っこく、鼻から寝息が漏れている。気持ちよさそうに眠っていた。


 ふかみは、帆鳥の組んだ腕と、テーブルのあいだに挟まった問題集を抜いた。「うむむ」と寝言が返ってきた。眼を通すと、問題集はほとんど終わっていた。帆鳥の閉じた眼が、うっすらと開く。


「……あれ、私寝てた?」

「うん、お疲れさま」


 口からよだれが出ていたので、ふかみがティッシュを渡すと、帆鳥ははにかんで口を拭いた。組んだ腕を元に戻し、あくびをしながら背伸びをする。そしてふかみと同じように、壁にかかった時計を見た。


「六時かあ」

「みたいだね」

「これからどうしよっか」

「私はそろそろ帰るよ。あんたの日本史は終わったし、あんまり遅くなるとあれだし」

「そっかー。って終わったの?!」

「うん」

「え、すごい……」


 鏡で髪と制服を直したふかみが帰り支度をすますと、帆鳥が「駅まで一緒にいく」と言った。鞄を持ってふたりは階段を下りた。居間にいる犬は眠っていた。


 外に出ると涼しげな風がふたりの頬を撫でた。柔らかい夕陽が、街路に並んだむくげの葉っぱに降り注いで、エメラルドのように光った。アスファルトに下ろした影は、眠ったように静かだった。まだ歩き始めないうちに帆鳥が言う。


「ちょっとだけ、遠回りして海岸を歩かない?」


 ふたりは海沿いに向かって歩き出した。いくつか道を直角に曲がって、住宅街から抜ける。視界がめいっぱい開けて、広々とした海が眼に飛び込んでくる。


 長く横たわる県道の奥に堤防があり、その階段を下りると、テトラポットが並ぶ浜辺にやってきた。階段の最後の段を下り終えると、さくり、と柔らかい砂の音が、よっつの靴裏から響いた。海から塩気が漂ってきて、ふたりの鼻先をつんと刺す。


 夕暮れ時の色彩は、どこにいたって光沢を帯びる。輪郭が白く透き通って、水面のように揺らぎ、隔たっているはずの境界が一緒くたになる。決して交わることのない断絶を、光が包んで優しく溶かす。交わることのないふたつが溶けあって、ひとつになる。ふかみはその眩しさに、すこし目を細めた。


「海の季節も終わっちゃったね」


 人気のない浜辺を歩きながら、帆鳥が言う。


「九月になるとめっきり人がいなくなって、ちょっと落ち着くけど」

「帆鳥はよくここに来るの?」

「近すぎるから、逆にあんまり来ないよ。夏に一回遊べば満足する感じ」

「まあ一回くれば満足だよね」

「通りかかったときに、よくこんなに人が来るなあって、遠目で眺めることはあるけど。ふかみは?」

「近いけど、あんまし来ないかも。だいたいは帆鳥と同じ」

「あ、それならさ……」


 帆鳥は次の言葉を、少しためらった。そして間を置いてから、思いついたように言った。

 

「来年の夏とか、その、一緒にこの海に来ようよ。ふかみがよければだけど」


 言い終えると、帆鳥は少しおどけてから、ふかみの横顔を覗いた。


「……うん、来年こよう」

「うへへ」

「なに、その笑い声」

「ふかみが照れ隠ししてる」

「してないし!」


 ふかみの頬は、夕焼けに染まってか、赤くなっていた。


「頬っぺたが赤いー」


 帆鳥がふかみの頬を指でつっつくと、ふかみはそれを払った。


「むにむにすんなっ」

「もっと赤くなってるし」 

「黙れ」


 二人はさくりさくりと砂を踏んで歩いた。何度も泡沫を重ねて消えるさざ波と、堤防上の道路を走る車の排気音が反響する。


 堤防をつたって奥の階段までやってくると、それを上って県道に戻る。ふたりが振り向くと、夕陽は低いところまで落ちて、海岸線から彼女たちに向けて、一筋の光の道をつくった。その光が降りたところを、流れる水面がさらさらと揺れて段差をつくっていた。空に向かって、長い階段が続いているようだった。


 少し歩いて駅に着いたら、二人はイルカの像の手前まで来た。別れ際、ふかみが「また明日ね」と言うと、帆鳥は笑って手を振り返した。

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