最終話 歴史とは愚かさの足跡である
「グレース、久しぶりだな」
アーチーは何でも無いようにグレースに話しかけてきた。
まったくあの頃と変わらない、慣れた感じで。
「……」
グレースの頭の中がやかましい。
生きていたの?
怪我は大丈夫なの?
どうやって侯爵令息までなったの?
どうやって貴族家をまとめ上げたの?
なんでここにいるの?
…っていうか、
お前本当にアーチーか?
グレースは屈伸運動を始める。
思い鎧がガシャガシャ言うのが耳障りで、おもむろにそれを外し、地面に放り投げる。
「お、おい、鎧」
「もう要らないでしょ、
私たちはもう戦う必要がない」
「まぁ、そうだけれども」
身軽になったグレースは、手首足首を丁寧に回す。
大きく胴をひねり、回し、軽くジャンプする。
「おい、グレース?」
「30秒ディレイでよろしく。
3、2、1、Go!!!」
そう言うなり、グレースは駆けだした。
「おい!!何でだよ!!グレース!!」
背後でアーチーが喚く声が聞こえる。が、構いやしない。
私たちの逃亡トレーニングの行き先は決まっている。向かう先は言わなくても通じるはずだ。
地を蹴り、石垣を飛び、雨樋を伝って登る。
ついてこれるか、鍛え上げた禁足地の女のスピードに!
「…ちっくしょう!!」
しばらく後、窮屈なジャケットを脱ぎ捨て、猛然と追いかけてくるアーチーの姿を背後に捕らえた。
『あの足音。
道筋の選び方、障害物の回避の仕方。
あれは間違いない、私のアーチーだ!!』
グレースは走りながら、歓喜の歓声をあげた。
帰ってきた、私のアーチーが、天から!!
民家の屋根の上で、息の上がったアーチーが叫ぶ。
「グレース!!
やっと会えたな!!」
グレースも走りながら答える。
「もう二度と会えないと思ってた!」
「俺は諦めきれなかった!」
「だからって、王家まで巻き込むなんて!!」
高らかな笑い声を上げながら、グレースはまたひと屋根ジャンプする。
「いいだろ?
1回捨てた命だ、何だってやれるさ!」
アーチーも鹿のように跳躍し、同じ屋根に着地しまた走る。
「怪我は大丈夫なの?!」
「腹に穴あいた!!
でも大丈夫だ、雨の日にひきつるくらい!」
今はこのとおり、と、アーチーは飲食店の煙突に登り、そこから華麗なバク宙を決めた。
「あの頃より重くなったんじゃない?」
「鍛えたからな。
筋肉はスピード出すには邪魔らしい」
「あはは!」
笑いながら都市部を抜け、森に入る。
時折無駄に茂みに入ったりしながら、後ろのアーチーをからかうように攪乱するグレースに、アーチーは笑って抗議した。
「おいおい、
まだ俺は追っ手側かよ」
「ごめんごめん、アーチー」
グレースは森の開けた場所で立ち止まり、アーチーを振り返った。
「ようやく名を呼んでくれたな」
グレースに近づく、あの頃より逞しくなったアーチー。
「ねえ、アーチボルトって何?
気取った名前ねえ」
「グレースの親父さんにつけてもらった。
迫力があっていいだろ」
「まあ、確かに貴族っぽい。
…アーチーが侯爵令息かあ」
「一時的には、な。
事がすんだら平民に戻るさ」
「そんなことできるの?」
「引き留めて貰ってはいるけどな。
でも平民に戻らないと、
グレースと結婚できないし」
「え」
「え」
「…え?」
「…するだろ?結婚?」
グレースは呆然とした。つい今日まで死んでいたと思っていたアーチーが、生きていて、貴族になっていて、当然のように自分と結婚するつもりでいる。
「…やっぱ地縛霊?
あの時実は死んでた、とかない?」
「生きてるって!!ほら」
ぐい、とグレースの手を取り、自らの左胸に押しつけるアーチー。どく、どく、と、走ったばかりで速まった鼓動が響く。
「生きて、る」
グレースはようやく実感した。
アーチーが生きていた。
「生きて、る~~!!」
ついに涙腺の決壊したグレースは、そのままアーチーの胸にすがりつきワンワン泣いた。
「どうしたどうした、
俺が死んだとでも思ったか」
「思ってた!!つい今日まで!!」
「な、なに、」
冗談のつもりだったらしいアーチーは、尋常ではないグレースの泣き方に、本当に自分が死んだと思われていたと悟った。
「ごめんごめん、生きてるよ、
この通り」
グレースの背をさすり、抱きしめて宥める。
「もう、私アーチーの墓標作っちゃったじゃん」
「嘘だろ…」
「毎日にお祈りしてたのよ」
「…じゃあ、それが効いたのかな」
その言葉に、アーチーの胸から顔を上げるグレース。鼻水が垂れてるのはご愛敬だ。
「俺も相当頑張ったとはいえ、
こんなに上手くいくとは思ってなかった」
グレースのお祈りが効いたんだよ、と笑うアーチー。
「で、グレース、結婚してくれる?」
まだその話が終わってなかったかとグレースは一瞬慌てたが、禁足地の女らしく速やかに決断を下した。
「する」
「よーし迅速に準備しよう」
ぎゅっと再び力を入れてグレースの身体を締め上げたアーチーは、
「ようやく、つかまえた」
と、嬉しそうにグレースの頭に頬ずりするのだった。
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もはや男子禁制の必要性もなく、
アーチーを伴って帰った禁足地では。
「えー、ホントにこれで砂糖ができるわけ?」
「できるできる!
いいから火の加減に集中しなさいよ」
神をも恐れぬ禁足地の女達が、あろうことが王女に火の番をさせていた。
「おい、彼女ら一応元貴族令嬢だろ?
いいのかよあれ」
小声でグレースに囁くアーチーに、
「いいのよ、私がしたいって言ったんだもの」
「ああ、その通りだ」
それに反応する王女とミゲーラ。
火吹き棒をふうふうする王女など、そうそう見られる光景ではない。
と、そこに、
「セレーネ、ごめん!
ちょっとこの毛糸の端、持っててくれない?」
毛糸の束を持って現れたのは、先日禁足地入りしたガードルートだ。
離縁の成立はまだであるが、この地で暮らしながらゆっくり心身を立て直すつもりだと言っていた。
「セレーネ…?」
それは確か、記憶が違わなければ王女の名である。
敬称も付けずに呼び捨てるなど…とアーチーが震え上がっていると、王女は事もなげに「いいわよー」と毛糸の端を持つ係としてガードルートを手伝っている。
くるくると器用に逆の端から毛糸玉を作っていくガードルートを妖怪でも見るような目で眺めるアーチーの横っ腹を、グレースは肘で小突く。
「ここではね、
外での身分なんてどうでもいいのよ」
「そう。
ガードルートとは気が合うのよ。
王宮に戻ったら権力でも何でも使って、
元夫を締め上げてやるわ。
そしたら私の侍女になってもらうの」
そこに、王宮からついてきた元の王女の侍女が洗ったジャガイモを抱えて入ってきて、
「助かりますわあ、人手があるのはいいこと」
と嬉しそうに皮をむき始める。
「馴染みすぎだろ、あんたら…」
アーチーはあきれ顔で、天を仰いだ。
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「協力者?最初から?」
「ええ、そうよ」
カラリと油で揚げたジャガイモチップスを食みながら、王女はグレースとアーチーに向かって楽しそうに言った。
「私からミゲーラに声を掛けたのよ。
だってどう考えてもおかしいじゃない、
あのつがい制度」
「つがいについてもご存じだったんですか」
「知らない振りしてたの」
あらこれ止まらないわ、とさらにパリパリやる王女。海苔ふっても美味しいわよ、とガードルートが別の味を勧めている。
「王女から、つがい制度について議論したい、
と申し出を頂いてな。
内密にやりとりをしていた」
「私が王位を継ぐまで禁止は無理かなぁ、
と思ってたんだけど、
そこにその無謀な男が飛び出してきた訳よ」
王女は一人っ子のため、王弟とか公爵家の人間が王位を継ぐのかと思っていたが、なんと自分で継ぐ気だったらしい。やはり漢だ、この王女。
「あとはホイホイと上手い具合にね。
あなたのその勇気、評価するわ」
「ありがとうございます?」
アーチーは首をひねっている。
「だから荷造りが異様に早かったのね…」
「そういうことです。あらかじめ準備済みです」
あとお出ししたデセールも。
納得するグレースに、侍女がウインクする。
「ところでグレース。
今後君はどこで生きる?」
ミゲーラが訳知り顔でグレースに問う。
季節が巡る度に同じ問いを投げかけられ、いつも同じ返事を返していた。
だが今は違う。
グレースは恩あるミゲーラに向き直り、深く頭を下げた。
「ミゲーラ様、
長らくお世話になりました。
私は外に出て、アーチーと共に生きます」
ミゲーラは嬉しそうに頷く。
「ああ、それがいい。
おめでとう、グレース」
口々におめでとう、と祝いの言葉をかけられ、グレースとアーチーは微笑み合う。
王女は腕を組むと、
「もしあなた方が嫌じゃないなら、
今後も私と一緒に仕事して欲しいわ。
ガードルートも、
グレースが近くにいたら喜ぶだろうし」
「あいにくですが、
私たちは平民に戻るつもりなんです。
今後は国民としてお仕えしますよ」
アーチーがそう言って肩をすくめる。
「あら、じゃあ騎士爵は?
それなら結婚もとやかく言われないし。
お願い!!せっかくできた友達だもん、
一緒に国造ってよ!!」
王女がランチにでも誘うような軽さで士官を強請ってくる。
「まぁ…グレースと結婚できれば、
俺はなんでもいいですけど…」
「じゃあ決まり!
いい国つくりましょ!」
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……それから、条例が頒布されるまでたっぷり一ヶ月、王女は禁足地での生活を謳歌した。
そして更に後の話ではあるが、
つがい制度をぶっ壊した立役者として、
アーチーとグレースの結婚式は盛大に執り行われた。
「愛が叶えた国の変革」として、
大々的に伝えられ、やがてそれは史実となった。
ひとりのモテない男が作り出した神話は、
ようやくここでその幕を下ろす。
今では過去の黒歴史として冷笑の対象となっているが、
涙した幾人もの女達と、
奮闘した多くの人々の確かな歴史が、そこにはあるのだ。
【完】




