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*新作 完結* 風のオリト  作者: Terra
あとがき
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83/83

◆◆




Terra WORLD Series 第8弾「風のオリト」へお越し頂き、ありがとうございました。




さて唐突ですが、夢はありますか。いくつになっても持っていていいものだなと思っていて、実は少し前に見つけてみました。

自分の活動を口で誰かに直接伝えて歩いてみるということを始めたのです。そして気づけば、オリト達が“自由”を求めるような感覚で、少しずつ“大人の夢”という“自由”に向かって、時間をかけて取り組むようになりました。

たとえ叶わなくても、夢に向かっている間は様々な出会いに揉まれて成長できる、そんな気がしています。




日本のことを深く知らないまま、海外のことが気になる性格で、全く違う環境で懸命に生きる人の物語を書きたいと思うことは常です。なのでまた、海や自然を交えた、子ども達が我武者羅になる物語を書きたくなりました。代表作「大海の冒険者シリーズ」に溢れる熱に、もう一度浸りたくなったのです。


しかし、そのシリーズを書いてから時が経ちました。執筆の向き合い方が一作を書き上げる度に変わり、今回は過去の自分と同じペースでは書けませんでした。また今回挑んだ世界は、自分でも解釈するのに壁にぶつかることが多く、そういう意味でも以前と同じテンポで書くわけにはいきませんでした。


初めて半年かけて一作を書き上げましたが、今立ち止まって考えてみても、本を書くというのはこういうことのような気がします。私にとって執筆は、もっとじっくり考えながら、少しずつ綴って束にしていくものです。




以降では、「風のオリト」の執筆における裏話、参考資料(オマージュ作品・リスペクトする方)、登場人物の補足、その他おまけ情報を綴ります。ご興味がございましたら是非、ゆっくりお楽しみ頂けますと幸いです。




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【舞台は人類始まりの大陸】


他の作品でも同様に「この作品の舞台はこの国だ」などの表記はしていません。ある国の一部をあくまでも「参考にしながら」、社会派・啓発型ファンタジーに変えてリアルを映し出し、問や知るキッカケに出会う構造にする。そんな執筆方針としているためです。



「風のオリト」は「大海の冒険者シリーズ」と同じ背景であり、カタストロフィで大陸が分裂・崩壊した世界です。その中でも今回の舞台は、上記の通り伏せたまま進みますが、多くの方が想像されている通りの所だと思います。



公用語は英語で、国語は別の言語です。更に所によって民族用語が混在します。なので、英語の他にも別の言語を話せる人がいたり、英語は話せないけど他の言語をいくつか話せるという方もいたりと様々です。



そんな人々の集まる巨大な大陸には何十ヵ国も集まっており、自然がたいへん豊かな地です。そして人類のスタート地点らしいなと思わされる文化や考え方は、現在、そして未来にもきっと「気づき」をもたらしてくれるのではないかと、私は感じています。その気づきの例を大きく取り上げるならば、作中でたくさん登場した「ことわざ」と、リティーノ村で交わされた会話です。




これを書いている今、サッカーワールドカップで盛り上がっているところです。この物語が生まれるキッカケをくれた大陸の方々も参戦しています。見ごたえのあるパフォーマンスは、日本や他国の選手にも共通して見られる部分です。

共通している部分といえば、その大陸にも、日本と同じ栄えた街があり、馴染みあるフード店やモールもあって、気さくな人達が暮らしています。ファッションにも富んでおり、数多くの資源もあり、日本食店もあり、日本食も好まれていたりもします。


ところが、今度旅行でその大陸に言ってみるんだと誰かに話してみると、こんな風に返ってくることがあります。


「危なくないの?」


さて、日本と変わらない一般的でごく普通の暮らしが存在している所なのに、何故、一体どこから、そのような印象を抱いてしまうのか。



悲しいことに、そう印象づいてしまう要因がまだまだその大陸には残っていて、日本からも多くの支援団体が足を運んでいる状況です。その要因として挙げられることが多いのは「紛争」「貧困」です。



が、実際、アシャのように兵を脱退し、社会復帰が叶っている人々はたくさんいます。その一例が、アシャが自分の昔を振り返るシーンです。また、作中にはありませんが、ムワンバのような武装団のトップの存在であった人も、社会復帰が叶っている事実があります。そこには日本のスキルも関わっているのですが、これを聞いた時、私は直接自分の手が支援に加わっているわけでもないのに嬉しくなりました。




栄えた街を「先行く世界」とし、スラムの街を「追いかける世界」としています。

崩壊する前は隣り合って徒歩で移動ができていた、二つの世界。ただし徒歩と言っても、ここでは〇kmレベルの徒歩なので、現地の方はかなりの脚力を持っているということになります。

その二つの世界に落とし込んだのは、大気汚染で靄がかかった空気と、地面の変化による境界線。実際の取材動画では、二つの地域ではかなり大気の色が違っていました。グレーのもわもわした空気で、私が住む所も都会ですから、この空気の中に住んでるってことなんだ~って思いました……。その点、スラムの街側は排気ガスが圧倒的に少ないので、極端にキレイで驚きました。



日本のような栄えた街があり、特別危険そうに感じない空気の中に暮らしが存在する。ですが、貧富の差がものすごく大きい所もあるという特徴があります。後述しますが、この「貧困」こそが紛争が生まれるトリガーだと、戦場カメラマンの渡部陽一さんが書籍で語られています。

「暗い・ひもじい・寒い」、これが揃ってしまうと悪の根が張りはじめるリスクが出やすく、作中では、オリトやその兄姉(きょうだい)が冷えをきにするシーンが僅かにあります。それはまさにこのことで、取材した地で生きる人は、特に冷えを気にしていました。冷えは、ただ体調を崩すだけではないということなんだなと思いました。



この「追いかける世界」の誕生キッカケをくれた地ですが、百数十年以上前から歴史として存在していて、数百万人以上が暮らしているそうです。一部のエリアでは警察の配置も多いようですが、警察による汚職も珍しくない現実もあったり……。その例を、ムワンバの過去に少しだけ取り入れています。




この物語の資料を振り返ってみて、その大陸に対して改めて思うのは、「生きることのベースがある世界」だなということです。またストレートに言ってしまうと、死の恐怖を肌で感じながら、それでも笑って生きる術を見出す生き方で溢れている。その「笑って生きる術」の一つが、歌って踊ることだったり、仕事の道中で少し遊んでみたりといった過ごし方です。前向きになる手段を一人ひとりが編み出して、落ち込まないように、そして周りと支え合うという暮らしがあるようです。日本でも見受けられる田舎暮らしの雰囲気にちょっと近いかもしれませんね。




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【リティーノ村】


オリトが大好きな村であり、ダヨが先にオリトの兄姉(きょうだい)を連れていった村です。この物語を書く上で、必ず描きたかった場所の一つです。今でも懸命に生きる力強い民族の方々が語ってくれた「開発」についてまずは触れながら、それに関する内容に入っていきます。



●開発はどこまですればいい? 伝統はどう守る?



取材内容を分かりやすい表現に入れ替え、端的に伝えさせていただきます。(諸説あるということはご理解ください)



ある日突然、自分達の家の前の道が急に彫られ、鉄道を走らせるための工事が始まりました。その工事は、外国語を話す人達による決定のもと進められていました。


「いやいや聞いてないわ、説明してよ」って、なると思います。でも「近代法では、君たちに土地の権利なんかないよ。ほら書いてる」と、紙を一枚付きつけられた。でもそれは外国語で読めません。


「君たちの土地だって言うなら、土地の登記の書類を出してよ」と言われるのですが、こちらはそれが何か、てんで理解できない。そもそも持ってないし、そんな書類の存在を知らないのです。「では、ここの正式住民じゃないですね」と決めつけられてしまう。


そして急ピッチで道や畑や敷地を耕されていく。そこには財産もあり、彫られては困るものだってある。思い出が潰されていく。伝統が潰されていく。急速な開発に生活を狂わされ、急激な貧困と飢餓状態に陥っていく……



つまり、「住んでいる人達が忘れ去られているような行いにしか取れない開発が進行していく」という姿があるのです。この部分は主にダヨに発言してもらっており、リティーノ村でや、オリトと村から帰宅する道中でも少し触れています。



村の長フォーティーの語りを通して、このシーンで描きたかったことは、分け合うことと尊重です。彼の一族は長年住む場所を変えて渡り歩くという特徴があります。だからこそ様々な文化のもとに生きる人々と出会い、慎重な交流をしてきたのです。互いが自由に生きるためには境界線(ルール)を設ける必要がある。ところが、多くの人がそれを頭で分かってはいても、実際にそうできるようにしていく難しさもまたあります……そこを、ダヨがオリトに少し嫌な言い方をする形で章を閉じています。




●アムードゥ族


フォーティー達についてです。

太鼓や踊り・歌を通じて、先祖や精霊(ペポ)と対話をしたり、雨乞いをしたりする人々。この伝統そのものをゴマと呼んだりもしますし、太鼓そのものをゴマと呼んだりもすることから、作中ではオリトもそれを大事にしています。川を挟んだ向こう岸に住む仲間と伝達を交わすのにも、その太鼓は使われるのだそうです。



呪術的な伝統文化を持つ人々は、独特な治療方法も持っており、近代でも治療が困難な病も治してしまったという話もありました。他国の医師が呪術師を訪れ、何故治療できたのかを調べようとされたことも。ところが、それはどうしても解明されなかったそう。このように書くと、その治療がミステリアスで怪しいもののように感じられるかもしれませんが、科学的根拠に則って分析・説明ができる次元にないものは実際に存在しているのもまた事実です。



先祖との繋がりが強く、日常でも先祖と対話している(対話できていると信じている)人々。自然を壊さずに生きる知恵を持っており、自分達が自然を所有するといった考えは持っていません。長い距離を移り住む人々は、そこの自然が疲れてしまったら、また次の場所へ移動をしていきます。



自然の中からあらゆる生きる力を得てきた人々は、学校に行かずともやってこられました。この点は、ダヨが少しだけ発言しています。学校は特に必要なかったため、読み書きも科学的に説明をする方法も習う機会はありませんでした。

人々が話すことは時として「迷信ではないか」などの表現をされ、深く触れられないこともあったりします。しかしながら、論理的・科学的に説くことができないというだけであって、理に適っていることは実に多いのです。

大型船を入れるために海を深く掘ったことで、魚がいなくなり、食糧難になりやすくなること。樹を切れば雨が降らなくなり、砂漠化を招くこと。土が乾燥すれば実は成らないこと。実が得られなければ食が細くなり、子を育てられないこと。子を育てられないなら家族を持つのが難しくなること。

切ってはならないとしている“神聖な木”が森ごと伐採され、開発が進んでしまうことは、いずれ食糧難を招く。訪れるべくして訪れているこれらに対し、人々は早々に身構えていました。




●神聖な木「バオバブの木」


作中では「神ノ樹」とされ、オリトが「神様の木」と表現していたものです。千年以上も生きる樹は、有名な作品「星のおうじさま」でも知られています。また、スーパーフードの部類で、バオバブの木になる実はかなりの健康食。あの「関西万博」のとあるパビリオンでも、バオバブパウダーという商品が販売されていました。(買ったことがバレる一文……笑)



ただの樹ではない特別な存在。Mwamba(ムワンバ)とも表現されたりすると、フォーティーが言っていました。神に最も近い樹とされており、神からのメッセージが受け取れる場所でもあって、儀式はその樹の周りで行うとされています。(現地の民族の方の視点です)



何となくでしか知らなかったバオバブの木に興味をそそられたので、その木に様々なものを投じながら執筆をしていました。神様からのメッセージを受け取れるならば、美しい光が見えると幻想的なものだなぁとか。ずっとメッセージをくれていたのに急にそれを止めてしまった、その理由はああだなこうだなぁとか。この物語は、代表作「大海の冒険者シリーズ」に直結するものですから、木や大地の話題となれば、どの神を意味しているかは、読了頂いている方は何となく見えてくるのかもしれません。また、オリトがどういう存在かを紐解いた時、なぜ彼女が「神様の木」にこだわってしまうのか、それもまた見えてくるかもしれません。




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【スクール】


本当に限られたシーンでしたが、その学校を通じて描きたかったものがありました。生活が困窮してしまった子ども達を救済するための学校として存在しており、他にもストリートチルドレンや障がいをもった子ども達も通学したり、暮らしていたりします。作中では、実際のスクールの描写の他、オリトの姉を通して学校の特徴を説いています。



何百もの子ども達が学ぶそこは、包括的な教育環境が特徴です。始まりは、小さな村に住むごく一般の女性が、浮浪児など困っている子ども達を助けたく、家に迎え入れるようになったのがキッカケだったそう。そこにもまた、日本人の力が加わり、学校を創設するに至ったことや、創設後も引き続き協力し、学びの場の質を上げているそうです。



そんな熱い創設者さんの想いは、作中の創設者に落とし込んでいます。

寄付を募ることや、クラウドファンディングという手段を使わずに、現地の特性やその地域の人達・自分達の手でお金を生み出すこととされた。それは、支援をした側・された側の目線の違いを生まないためであり、また、人として対等に向き合う目線を大事にしたいからという理由でした。

ではどのように資金を得ていくのかというと、オリトが出かけたマーケットが見やすい例です。廃品回収をして修理をして売りに出す。富裕層の方が不要になったものを回収し、売りに出す。衣類を作ることも多く、ミシンを使って新たなファッションが生まれたりもしているようです。



いつかこのスクールに、“先ゆく世界”に生きていた子ども達が辿り着くことができればいいのに。そんな願いを潜ませながら書いていました。




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【登場人物】


一族・村・人物は、ある言語を捻ってつけています。名前の意味や由来を考えることが好きで、代表作シリーズの最終話「大海の冒険者~不死の伝説~」でも、主人公達の名前の由来が語られるシーンがあります。

「風のオリト」では、苦労が絶えない環境で“自由”を求め抗いながら生きる子ども達だからこそ、いい意味がこめられている名前をつけました。それに加えて、作中では書かなかった背景を添えながら、それぞれの人物を語っていきます。(オリトについては本項目の一番最後に語ります)




●オリトの母 ルル


意味:大切なもの。

母の存在そのものを表しているような気がしてつけました。また、大切なことを教えてくれる存在でもあるという理由から選びました。


さてルルですが、オリトが馬車をおびき寄せて走っていってしまうのを追うことはなかったのですが、残酷な人だったでしょうか。彼女は出先でも子ども達を大事にしてはいましたし、オリトのことも、少し違った形とはいえ守っていました。

スクールの教師が視点になっているシーンでも説いているのですが、子どもを多く産む理由に、働き手を増やすためだったり、環境が環境なだけにすぐに亡くなってしまうためというものもあります。多くの場合、子どもはいつでも大切にされていますが、そうできない場合も存在する世界もまたあります。




●隣人の老婆 ジュマ


意味:金曜日生まれ。

子ども達からは「ダヨ」と呼ばれ、おばあちゃんや老婆、年長の女性を指しています。

彼女の存在は主にリティーノ村でのシーンで語られています。フォーティーと親しいのですが、その一族という訳ではなく、遠くの地に住んでいたフォーティー達が、オリトやダヨが暮らす村の近くに渡ってきたことから知り合いました。


ダヨもまた、本当の祖母のようにオリト達やルルと関わってきました。また一番最初の、海岸へガラクタ集めに出かけるシーンでは、ご近所の女性もオリトの家族を気にかけて近づいてきます。このことから、村の仲間達の関係性や暮らしの特徴を描いています。

プロローグではオリト以外誰の名前も出していませんが、そこでの産婆がダヨです。




●オリトの父 アジャニ


意味:闘う者。

そのままの意味の人として描いてみましたが、彼の印象もまた残酷だったでしょうか。オリトが同じ地にやって来てしまったものの、自ら助けに行くことができませんでした。それだけ死と隣り合わせの環境にいる、ということでもあります。彼はとにかく「共に生き抜くこと」を優先する性格で、共に出稼ぎに来た相棒のバカリが逃げ出そうとする時も必死でした。


オリトを助けに行きたかったことは言うまでもありませんが、その時に馬車から降りていたら、それまでだったと思います。鉱山に行きついてからも、家族のことを忘れずにいたはずです。彼は彼なりの力を振り絞って、技師を装いながら守っていました。




●オリトの父の相棒であり隣人 バカリ


意味:前向きであること。

さて、前向きでしたでしょうか。ものすごいフラフラした人だったのではないでしょうか。

この物語は刺激も多く渦巻いているものなので、ちょっとおとぼけな役割を入れるべく採用した人です。名前に被せて、ちょっとおバカっぽさを出してみました。漫才で言うところのボケ役で、アジャニはツッコミ役で頭を抱えていたシーンがちらほらあったと思います。


バカリのように、時として気を緩めてくれるような人も必要だなと思います。リスクばかりの地だというのに、ちょっとズレたことを心配している。この物語のちょっとしたアクセント役でした。そんな彼も、家族を奪われてしまった一人。だからこそ隣人やその家族を大事にしてきました。




●指導兵・最高司令官護衛 アシャ


意味:生命。

生きる人と命そのもの、可能性のある存在にしたく、この名前を選びました。

彼女が伝授するものは知的な内容で、冷静なものが多かったと思います。彼女には希望も託したかったのと、子ども達の後押しをしてもらうために作中のような性質にしました。



マライカを中心に語られているのですが、アシャは一度兵を抜けて平和や自由を知った人です。しかしまた兵になってしまっている。それは作品のメイン背景であるカタストロフィ、本作中では“大地の号哭”と呼ばれる大震災が起きてからのことでした。



十代で兵にならざるを得なくなる事態に遭遇し、そこで訓練を積んで前線に立たされました。

その後、外国の援助者の手が差し伸べられたことで武装団から脱することができ、畑仕事をして自由を知ることができました。ただ、その選択をする以前にも、世間が自分を受け入れてくれるのか、安定した暮らしが手に入るのかが不安で、自らまた兵に戻りかけてしまいそうになったこともありました。



唯一悲痛なシーンとして、彼女には性的暴力を受けてしまうところがありますが、女性が攫われた際に高い確立で遭遇してしまう暴力でもあります。



アシャを通じて描きたかったのは、海外支援を経て社会復帰が叶った人の様子と、その支援を提供する人が抱いている想いです。アシャがオリトの牢に訪れるまでに過去を振り返るシーンで描かれています。

そして、生きた心地がする、或いは生きている手応えをひしひしと感じられる地が舞台になっているからこそ、協力や生きる知恵の意味が宿る言葉を子ども達に広める存在として描きました。



アシャが口にする様々な言葉にこそ、本作のテーマ「NO WAR」が詰まったものです。また、彼女が角度を変えて訴えている「武器を放せ」という表現は、実際に兵を務め、銃を抱えてきた人による気づきの言葉でもあります。




●アシャの娘 エシェ


意味:愛。

誰の子なのかは分からない。そんなこともまた、作中のような世界ではしばしばです。

とても愛らしい小さな女の子で、少しばかり環境に適応できてしまうスゴイ子でもある……。一歳にもなっていないエシェを通じて表現していたのは、純真無垢なところや光、子どもならではの気づきです。


誰の耳にも届かなかったオリトの声を、唯一聞き取って頭を撫でるように触れてくるシーンがあります。子ども達が武器庫の前で集合するところですね。


生まれて間もない子であればあるほど、その時期だからこそ見えるものや感じるものがあるとも言われています。言葉が話せるようになった時に聞けるかもしれないものの例として、母体にいた時の記憶だったり、見えないとされている存在が見えるなどがあります。




●ラテガ


意味:勇ましいこと。

十二歳の少年で、作中では「俺」という字以外は、小学六年生までの漢字を使っています。


この物語のもう一つの小さな特徴として、障がいを取り入れているシーンがあります。

私自身、大病をしたこともなければ手術などの経験もありません。生まれ持った障がいもありません。それは当たり前ではなく奇跡なんだと思わせてくれるのは、いつも私とは真逆のモノを抱えている人達です。



ラテガの症状は、象皮病というものを参考にしました。

初期~中期の症状を参考にしており、そのタームで見られる症状として、手足や陰部の腫れ、皮膚の硬化です。初期では、足の浮腫み、炎症の繰り返し、組織の硬化(痛みがある)、皮膚のただれがあるようです。目に見えて分かるようになるのは、数年~数十年とされています。

十二歳としていますが、右足だけが少しずつ像の足のような見た目になっていきつつあるという感じにしました。そのことから、情報屋に「象にならなければな」という不適切な発言を取り入れています。



彼は物乞いをしていましたが、身体に特徴があると、そのように働くこともまたしばしばです。そうして働くことで、父に褒められていたという風にも語っています。

ラテガを通じて伝えたかったことは、上記の病気と、それによる特徴的な生き方に加え、もう一つは、父が働きに出た鉱山での出来事です。



作中にはゴールドが取れる鉱山が登場しています。オリトの父アジャニや、相棒バカリも赴くことになった所ですが、マライカとジャバリがはそこがとんでもない所だと話します。しかしそれは、この作品向けに表現した面です。その逆に、ラテガはその場所を、力がある者が行くところだと言いました。



ラテガの父が鉱山の大事故で亡くなったエピソードは、とある鉱山で起きた事故を反映したものです。

ゴールドとはそのまま金を表しますが、レアメタルなどと呼ばれる希少金属類をひっくるめて呼ばれることもあります。希少金属は、身近なもので例えると、リチウムイオン電池を作るための素材で、バッテリーなどに生まれ変わるものです。小さな充電器からEV車、錆びにくい材質であることから航空機の機体、医療器具などと、幅広く使われているものですから、鉱員の方がいてこそ入手できるものです。



しかしながら、その鉱山が作業中に崩れてしまいました。それはなぜ起きてしまったのか。現場の安全確保はどうなっていたのかなど話題になっていましたが、そもそもその安全確保が追いついていないほどの規模で、発掘作業が進められていたということでした。ラテガが例えていた、蟻の巣のように穴が至る所に空いている状態だったとされています。作業員の中には子どももいたそうです。



なぜ安全確保が追いつかなかったのか。人手・技術不足だけが理由なのか。掘る手を止めるわけにはいかない理由の一つに消費量の多さも考えられるならば、リサイクルや消費頻度の見直しはできるのかもしれません。



色々な顔を見せる少年だったと思います。言葉遣いも変化する、状況に応じて態度を変える役者のような存在。そんな彼を通じてもう一つ描きたかったのは、「人は変われること」です。



ラテガは村を守るため、引いては国を守るため、武器を手にしてしまいます。それは、そうする大人達を見てきたからという理由が大きく、子どもによってはその職業しか知らないという実態もあったりします。

アシャに武器をねだる前から既にポケットにピストルを忍ばせていたわけですが、それは、何も持っていない振りを通すための芝居でした。しかしながら、アシャは早々に彼の足の膨らみから気づきます。けれども、ラテガ自身や武器そのものを指摘するのではなく、平和のために持っておくべきものは何なのかを突きつけ、本人自ら気づかせる選択を取っています。



結果、ラテガはムワンバに銃を向けるところまできてしまうわけですが、撃てませんでした。撃てずにそのままオリトの大旋風が起きてしまい、その際に身体が硬直して銃すら手放せなくなるも、他の仲間達がオリトを両腕で抱きしめていたところを見て、両手が塞がっているとマズイことに気づくことができます。



アシャの紹介の項目でも綴った内容と重なりますが、「両手を空けておかないと助けることはできない」という、とある兵士が語ったことを落とし込んだのは、まさにラテガでした。




●マライカ


意味:天使。

十歳の設定であり、作中では小学四年生までの漢字を使っています。

シッターのような役割を担う彼女にもきょうだいがおり、小さな子の世話を得意とする頼もしい存在。エシェのお世話も手っ取り早く行っていました。第二の母のように務める彼女は、天使のように優しい子であるという由来です。しかしながら、お口の悪さが目立つ子だったのではないかと思います。ちょっとした面白いギャップです。



マライカの言葉が過ぎる性質には、自分を強く見せて守るためでもあったりします。この辺りの性格は、有名なキャラクター「ムーミン」で登場する「ちびのミィ」がイメージです。彼女の発言の尖りようを参考にしつつ落とし込みました。



手の指が生まれつき六本ずつあるという特徴があり、多指症という病気を参考にしています。この症状は、余分な指を手術で除去するという記録をよく見かけました。記録の量を見ると、希少な症状というわけでもないのかなという印象です。



ラテガに続き、特殊な身体と共に生きていく存在なのですが、二人が故郷で経験したのは差別です。けれども、その差別に打ち負かされることなく、できることを見つけて生きています。ムワンバ達に率いられることになった点は、二人にとって更に辛い人生になってしまっている訳で、何度も死が過る体験もしています。ただ、そばにアシャが居たことで、何のために生きていくのかを見出し、自分だけの強い意志を持ち、それをゴールに歩む選択をとっています。



マライカを通じて表現したかったのは、障がい面ではラテガと同じなのと、もう一つが、子どもを大切にする姿です。アシャとも重なる部分ですが、子どもが子どもを大事にする姿も大切なメッセージです。また、戦争や紛争が生み出すものは無であるということも、彼女の口から伝えられています。



この物語ができるにあたって、たくさんの書籍に触れました。その内の一冊から特に採用した場面があり、中でも「トップが誰になろうが関係ない。紛争が全て失くしてしまうんだ」という類の一文が、マライカを構築しているとも言えます。




●ジャバリ


意味:勇敢。

七歳の設定で、小学一年生までの漢字を使って表現しています。ほぼ平仮名やカタカナで読みにくかったでしょうか。

おしゃべりで、ちょっと早口で、オリトのように年下相手になるとお調子者化します。あるあるな性質かもしれませんね。



彼もムワンバの集団に腕を買われた内の一人で、農作の知識が少し備わった少年。中でも茶畑での経験があり、参考にした地では紅茶が有名です。ただ、実際だと産地がちょっと違ってしまうのですが、ここにコーヒー豆の話も付け足させてもらいました。ジャバリは、コーヒーに関しては豆を採取するだけで飲んだことはない、見たことないと言っています。小さいのだから飲めないだろうということだけではなく、豆を採取する人達はコーヒーをそもそも知らないという事実もあるよ、というちょっとした情報を添えたかったために取り入れました。



マライカやラテガにこてんぱんに言わるジャバリですが、彼は彼でとてもいい面がありました。ラテガに厳しく言われてきたことを、ラテガに対しては優しく言い添える。それが「下手な動きはしちゃいけないだろう」と言うシーン。牢からボートの地へ皆で向かうシーンです。

また、初めて兵として訓練を受ける際に武器を手にしたシーン。武器庫に向かった際に自ずと口にしてしまった「人ごろしなんていやだよ」という発言。誰も好き好んでするようなことではないはずだろうという、シンプルかつストレートなメッセージでした。



ジャバリを通して描きたかったのは、素直で純粋な優しさと、どうしようもない混乱・異変です。前者は上記で描いた部分にあたります。後者は、マライカと取っ組み合いになったシーンです。

私にも、黙って聞いてりゃいい気になりやがってという気持ちになった経験があります。二人の取っ組み合いは、その気持ちから湧き出てきたシーンでもあります。ですが、彼らが身を置いている環境が環境なので、ジャバリはマライカに暴力的になるという危険なレベルにまで達してしまいます。黙らせたいという気持ちが行き過ぎた行動になる、これは日頃から暴力を目にしたり、暴力を受けたりしていることが引き金になっているとも考えられる点です。



別の作品では、悪が生まれてしまうキッカケをテーマにしたものがありますが、ジャバリの異変は少しそのテーマに触れています。ラテガが武器を手にしてしまうように、ジャバリは暴力をふるって抑圧にかかろうとしてしまう。それが根付き、芽生えてしまったものは、後に取り返しがつかない実になってしまうことを表しています。




●ムワンバ


意味:とある物語に登場する人物ナサニエルという者が召喚したとされる妖霊を指すようです。様々な姿に変化することができ、ナサニエルのもとではトカゲの姿をしていたのだとか。しかしこの「ムワンバ」、他にも意味を持っていて、バオバブの木の別の呼び方ともされていると知ったのは驚きです。そのことから、作中で尊敬される存在(最高司令官・指揮官)であるという点と、どこか似通ったものを持たせようと考えつきました。



物語の世界観を組み立てる一つのパート「神ノ樹」とも合わせて、悪党ではあるけれど、神聖な木の名前を敢えてつけてみた。というのも、彼のような人間も、武器を持たずに笑って生きられる線があった可能性があったかもしれず、両親はよき子どもに育つことを願っていただろうと思ったからです。



唯一特別な意味がある彼ですが、最後は何だか弱々しくなかったですか?

オリトに武器のほとんどを飛ばされ、巨大旋風(=巨大カマイタチ)による傷を負わされてから、ムワンバの組織は弱体化しました。その光景から、どのような集団だったのかはなんとなく想像がつくかもしれません。

しかし、手足や言葉による暴力までは吹き飛ぶことはありませんでした。最終、死なせるようなことは描写はなくとも、アシャや子ども達、特にオリトへの攻撃は残酷でした。



その他、彼の攻撃はアシャに対しては独特でした。最高司令官にまでいきつくほどに兵でいる歴が長く、その分戦場にも立ってきており、通常の人間と呼べる域から遠ざかっていった人です。その理由にもやはり、ジャバリの紹介で綴った内容が関係しています。



ムワンバの過去は淡々とした地の文になっていますが、彼の経験で一つショッキングなこととしては、警察に助けてもらえなかったことでした。参考資料では汚職もよく見られるということで、ムワンバは幼少期に困っていたことがあったのに、お金がないだろうと相手にされなかった存在です。

貧しさに貧しさが重なり、暗さ、冷え、ひもじさが追い打ちをかけ、縋ってよいはずの存在に見放される。そのような繰り返しが生むのも、やはり悪の華ではないかと思います。



何故、弱い面が出たのか。

本作の参考資料の中には、元兵士だった人達を社会復帰させていく支援団体の取り組みもあります。その社会復帰は、ムワンバのような司令塔を務めていた人も叶っているという実績もあります。そのことから、私自身がムワンバに立ち止まる隙を与え、復帰できることを祈りながら描いたものです。またアシャがその役割を持つ側ですから、アシャが彼を説得していたのもまた、復帰を願うための描写でした。




赤空(しゃっくう)のリカオン


イヌ科リカオン属、肉食動物で、絶滅危惧種にも指定されているそうです。「リカオン」は野良犬などの意味を持ち、見た目がハイエナに似た犬とされていたり、狼ともされています。興味深い記事には「世界で最も優しい捕食者」と表現されています。社会性が高く、群で行動し、学習能力も高く、狩の達人だそう。



代表作「大海の冒険者シリーズ」で描かれているカタストロフィ、本作でいう大地の号哭が発生する時の空は真っ赤だったと、ラテガが話しています。この、空が赤かったという描写は、別作「COYOTEシリーズ」の二作目「Dearset」でズームアップしているものです。まさにその時を経て大きくなってしまった武装集団が、ムワンバ筆頭の“赤空のリカオン”です。



元はムワンバも誰かに率いられる側でしたが、震災によってグループが崩壊したことで、新たに立ち上がった存在です。復讐心が深く根付いてしまった彼が招くものは、ことごとく歪んだものでした。彼らが滅されたり、ざまあみろ的なシーンを書くことはしておらず、それはできませんでした。というのも、現在も世界では、武装集団や子ども兵の存在はあり続けてしまっているから、という理由が大きいです。




●オリト


意味:風。

四歳児なんてレベルではありませんでしたね。お気づきと思いますが、彼女にだけは漢字を自由に用い、大人のような発言や独特な雰囲気を意識した書き方をしています。

オリトの説明など、作中でみっちり描いている上にタイトルそのものなので、そんなにいりませんでしょうか。タイトルから既に、代表作「大海の冒険者シリーズ」の大きな伏線回収をしている状態になりました。

代表作を知って頂いている方は、この作品が誰の伝説を描いたものなのかが十分に分かったのではないかと思います。最終話に出てきた銀の光と、エピローグに出てきた新たな子ども達も、それぞれが誰なのかが分かるかもしれません。



さてオリトですが、新たに出会った島の子ども達からは「オリト」とは呼ばれていません。オリトは漂流した時点で記憶喪失になっており、島では別の名前で呼ばれるようになりました。何と呼ばれているかは、代表作シリーズを開けばすぐに聞こえてきます。ところで、その新しい仲間達に、「自分はオリトだ」と知ってもらえる日は来るのかどうか。そんなお話も膨らませてみたいものですが、キリがないようなきがしますね……笑



話すことで風を吹かせる少女。でも話すこと以外にも、()()()が風になって現れていたようです。話の後半では、マライカが死者に祈りを捧げる姿を思い出すように、自分が祈ることでいい風が吹くのではないかと信じている傾向にあります。



代表作シリーズでも圧倒的な活躍を見せてくれるのですが、その作品に比べて、本作はかなり別人だったと思います。と同時に、記憶喪失になって元の地に帰れないという急展開で締めくくられ、読者さんは口が開いた状態にもなりそうですね。



アシャやラテガ達は、本当にオリトを助けに行かなくてよかったのか。行こうとしたのに、オリトの風に遮られていました。その先からが既に別の物語が始まっているようなもので、その切り出しとして、アシャが弱化した兵士達に刃を向けるシーン。その地の平和構築の初期段階とします。トップ交代を表しており、ラテガの最後のセリフがそのスタートを切っています。



そして、敢えて仲間を遠ざける道を選んだオリトは、大旋風で人々を傷つけたというトラウマとショックから、どうしても塞ぎ込んだ状態にあります。そんな中、ムワンバがどういう存在なのかを自分で推測していくようになります。フォーティーの教えにあった「神様の木」が「Mwamba」とも呼ばれているという点から、ムワンバもまた、同じような特別な存在なのではないかと思えてくるようになりました。



ただしその特別さは、自分にとっても彼にとっても、実際は苦しいものなのではないかとも考えるようになっていきます。ムワンバを神と呼ぶには真逆の存在で、名前に釣り合わない人になってしまっています。ならば「あなたも返るべきではないのか」と、オリトは共に命を投げ出せという類の言葉を放ちます。このシーン、「天空の城ラピュタ」の最終部分を参考にしてみました。



で、このオリトって何者だったの?というところですが、プロローグで喉に風が宿ったというシーンがあります。そのおかげで、魔物や悪魔などと呼ばれてしまうようにもなるわけですが、何者なのかは結局ハッキリしていません。そこはこの物語ではなく、代表作シリーズの特に「大海の冒険者~不死の伝説~」で際立っています。その物語には、あらゆる神が怒りを背負って集合しますので……



緑色の光を放ちながら言葉をくれるとされる「神様の木」。その光景を見たいと言うオリトは、とてもその樹にこだわっています。引きつけられるものがあるようで、一体何が彼女をそうさせているのかについては、彼女の喉に宿った風がどういう存在なのかでアンサーが出てくるようにしています。



代表作シリーズでは、彼女の新たな選択も見ることができます。そのシーンは、本作での発言「あたし、下手くそでグズだけど、諦めない」がどこか重なるように意識しました。またその新たな選択には、本作で背を向けざるを得なかったもう一つの仲間であるラテガ達や故郷を振り返る意味もこめています。




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【ことわざ】


「人類始まりの大陸」ならではのものだなと感じさせられた、様々なことわざです。それぞれが登場したページのあとがきにも簡単に意味を綴りました。ここでは、取り入れるキッカケを添えて改めて紹介します。




●ミルクと蜂蜜は色は違うが、同じ器で仲良く暮らす



アシャが、オリトがラテガにリティーノ村で学んだことを伝える際に、思い浮かべていた言葉です。

肌の色、部族、考え方が違っても、互いを尊重し合えば平和に共存できる。多様性を受け入れ、調和することの美しさを、日常の食材に例えた平和へのメッセージとされています。



お話が逸れるのですが、これを綴っている最中、美輪明宏さんの訃報がありました。美輪さんが残された数多くの言葉は、誰しもがいくつか知っていると思います。その言葉の一つに「目に見えるものは見なさんな」というものがあります。



そのことから、アシャやリティーノ村のフォーティーを通じて表現したかったのは、パッと見では捉えることができない心だったり、大切に思っていることだったり、言葉にしてようやく考えることに至れるものに目を向けられれば、また世界は違って見えてくるのではないかというものです。




●速く行きたいなら一人で行け。遠くへ行きたいなら皆で行け



子ども達が脱出する最中、アシャからの三つの伝達により大混乱する際に、オリトがラテガに呟いた言葉の原案です。

短期的な成功なら独力でも可能だが、人生のような長い旅路や大きな目標を達成するには、仲間と協力し合うことが不可欠だという意味です。

この言葉は、代表作シリーズの「大海の冒険者~不死の伝説~」のあとがきでも綴ったものです。



表面上では大移動をする時の考え方のようにも想像できますが、意味を見ればそれだけではないということが分かります。早々に済ませたいタスクがあるならば一人で淡々と、或いは黙々と進めていけるでしょう。もしくは一人でしてしまうほうが手っ取り早いわという場面でも、「速く行きたいなら一人で行け」は、ありえるかもしれません。その代わり、時には大事な機会を逃してしまいかねないのですね。



また、時間がかかるタスクも一人で向き合えない訳ではないです。ただその分時間がかかり、その分負荷もかかりかねない。ならばそんなしんどいことも、皆で分けて取り組めば少しは楽かもしれません。人数を巻き込むことで、大なり小なり発見がある。それもまた、いい機会に遭遇したと受け取れれば世界も違って見えそうです。




●嘘には花が咲くかもしれないが、実は成らない



アシャとムワンバが、子ども達の前で銃を向け合うシーンで交わす会話に登場します。

嘘をつくことで一時的に話が盛り上がったり(花が咲く)、その場を繕えたりするかもしれないが、最終的に信頼や成果(実)を得ることはできない。誠実さの重要性を説く言葉とされています。



子ども達は作戦実行を成功させる時を迎えるべく、日々、多くの誤魔化しや取り繕い(芝居)を重ねてきました。それらの嘘は、アシャの場合「実(成果)をつけるかもしれないのに」という見解です。該当のことわざとは逆の意味を指し、イレギュラー感があります。



しかしムワンバはあの性質なので、「どんな偽りも、いつ枯れるか知れねェ花に終わる」とか言っちゃうわけです。まだまだ成功体験が少ない人のようにも感じられる発言でもあります。自分がリーダーになってチームを率いるようになっても、そこにはまだ本当の成功は得られていない状態にあるということなのかもしれません。

そんなムワンバの状況に、もう一つことわざを添えておきます。



▶吠えるライオンは獲物を殺さない


日本語の「能ある鷹は爪を隠す」と似た言葉です。獲物を狩るライオンは音もなく忍び寄るが、大声で吠えて威嚇ばかりしているライオンは、実際には何も行動せず成果も上げられない。



またアシャは、第六話の最後に、これまでの嘘を実らせようとする傾向にあります。その始まりが、兵の喉に刃をつきつけるシーンです。




●像が戦う時、苦しむのは草だ



アシャがオリトを通じてラテガに伝えた一つ目の言葉です。

権力者同士や大国同士が争う時、一番の被害を受けて踏みつけにされるのは、いつも弱い立場にある一般の人々(草)である。社会の不条理を鋭く突いた、大きな頷きをせずにはいられない言葉の一つです。



ここは言わずもがなのことだと思います。今現在を生きる私達の暮らしでも、それを感じる・感じざるをえない場面ってあるのではないでしょうか。アシャは子ども達を「国の未来であり宝」と表現している人です。だからこそこの言葉を伝えて、子ども達を送り出したかったのですね。




●知恵はバオバブの木のようなもの



アシャがオリトを通じてラテガに伝えた二つ目の言葉です。

木はそもそも太いものですが、例えば御神木とされる木って本当に太くて大きいじゃないですか。バオバブの木も巨木でして、一人の人間が腕を回しても抱えきれないとされる存在です。

そのことから、世界の知恵や真理はあまりに広大で、たった一人で全てを知ることは不可能である。だからこそ、謙虚に他人から学び、協力する必要があるというメッセージとされています。



子ども達の脱走が叶ったとすれば、行き先はリティーノ村フォーティー達の元です。その村は果たして信用できるものなのかと、村で苦い経験があるラテガが警戒を表すシーンがありました。だからこそアシャは、この二つ目の言葉で子ども達を勇気づけようとしました。




●象を食べる最良の方法は、一口ずつ



アシャがオリトを通じてラテガに伝えた、最後の三つ目の言葉です。

象のように巨大で圧倒されるような課題も、一度には解決できない。一口ずつ(少しずつ)着実に処理していけば、いつかは必ず完遂できるという、タスク管理の極意とされる言葉です。



子どもですから、どんなに慎重であろうと努めても限界があり、衝動的・突発的に判断したり動きかねません。焦らずに進めという教えを目的に伝えらえた言葉です。ですが、子どもに限らずかもしれないですね。いつ何時でも胸に刻んでおきたい言葉だと思います。





●太陽が昇る前に走れ



アシャがダイナマイトに火矢を放つ際に呟く言葉です。

サバンナの動物たちは、太陽が昇りきる前の涼しい時間に活動します。「早起きは三文の徳」。好機を逃さず、誰よりも早く行動を開始せよという教えの言葉です。



子ども達の脱出シーンは、ようやく好機が訪れたというシーンでもあります。しかしそれは、アシャにとってはとても辛い選択になっていました。この場面までの最中に、アシャの死亡フラグが結構はためいていた状態です。でもそんなことしたくなかったので生きてますけど!



待ちに待ったチャンスを逃すわけにはいかない。兵の眼が薄くなった拠点を寝静まったサバンナのように置き換え、今のうちに動けという開始の言葉を添えながら、子ども達の背中を矢で押すようにして表しました。




●忍耐強い者は、熟した実を食べる



アジャニからバカリに伝えらえた「忍耐強いやつは熟した果実を食う、ってやつだ 」の原案です。

焦って青い実をとっても美味しくない。じっと待つことができる人だけが、最も美味しい成功(熟した実)を手にすることができるという意味の言葉です。



アジャニとバカリが鉱山の仕事へ移されてしまうという、とんでもない落ちを迎えてしまったシーン。一度行ってしまえば帰ってこられないところだとして知られているわけですから、二人にしてはドン底でしかなかったのです。しかし、その鉱山から戻ってきている様子の人を偶然見かけました。バカリはそれを見て、何だ戻って来られるんじゃないか!と子どものようにはしゃぐのでした。



そんなバカリを見て、アジャニは一言釘を刺しておくことにします。いくら戻ってこられるチャンスがあるかもしれないからといって、これから行く自分達がそうすぐに舞い戻って来られるものか、という身構えです。戻ってくるためにはどれくらいの辛抱が必要か。その辛抱を経てようやく、美味い実にありつけるよということでした。




●友人を愛しなさい、しかし竹垣はそのままに



アシャから子ども達に告げられた、作中で最後の言葉です。

どれほど親しい友人であっても、プライバシーや境界線を守ることは、良好な関係を長く続けるために必要不可欠だというメッセージとされています。ここはマライカが解説してくれていました。



作中では、オリトの風が仲間との境界線を引いてしまったという形になっています。オリトが意図的に引いたというのがいいかもしれません。自分と一緒に来ては危ないからという、オリトのとんでもない選択でした。そこから先をどうするかはオリトも何も考えられていませんでしたが、とにかく友達を傷つけることなんてできないから、離れることを優先にしている状態です。



言葉で追いやられるのではなく、風によって強引に壁を隔てるように追いやられた。ラテガが驚きのあまりどうしていいか分からなくなる横で、アシャはその意味を探ることに徹します。その時に行きついたのが、この言葉でした。アシャもまたどこか冷たかったでしょうか。そこには少し、オリトの母の行動も過るかもしれません。オリトが子どもであることと同時に、そうではない別の存在としても受け入れてしまっている面が垣間見える部分かと思います。



またこの言葉と若干似た意味のことわざも添えておきたいと思います。



▶家族は森のようなもの


遠くから見ると密生して一つに見える森も、近づくと一本一本の木が独立しています。そのことから、家族は結束していても、同時に個々の人格や生活も尊重されるべき存在であるという意味です。




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【参考書籍・映画・動画・音楽・イメージ象】

※オマージュ作品・リスペクトする方



今回の執筆「風のオリト」でも、たくさんの作品との縁を貰うことができました。中には昔から知るものあります。それぞれの作品のどの部分に惹かれ、物語に落とし込んだのか。それぞれのキッカケを添えながらご紹介します。




●小川真吾さん

認定NPO法人テラ・ルネッサンス理事長

アジア、アフリカ、ウクライナなどで紛争の被害にあった人々への支援と国内外での啓発活動をされています。


作中でアシャが口にした「世の中には善と悪で人を判断しない人もいる」というのは、この方のお姿を指しています。後述する『Returnees』という映画の監督さんが、小川さんをそのようにとらえておられました。




●田畑勇樹さん

国際協力NGO元職員・作家・ライター

集英社新書『荒野に果実が実るまで』2025年6月発行

第22回開高健ノンフィクション賞最終候補作


アシャの過去を振り返るシーンで主に採用させてもらったイメージの方であり、書籍の内容も参考にさせてもらいました。該当シーンに連ねたものの中でも「援助屋の最終形態は失業」といったニュアンスの表現は、私にとって刺さるものでした。




●原貫太さん

フリーランス国際協力師


私の執筆作品リフレクションファンタジーを手掛ける際にいつも参考にさせてもらっている、おなじみの方です。「風のオリト」の世界観を構築するために、この方が発信する動画から様々なヒントを得ました。中でもオリトの故郷の暮らしの様子や、スクールのこと、リティーノ村のこと、そして「武器を放して両手を空けておく必要がある」という言葉を届けて下さった日本人の方は、とても刺さるものがありました。




●渡部陽一さん

戦場カメラマン

Discover『晴れ、そしてミサイル』2023年10月発行

ウクライナ、イラク、アフガニスタン……ニュースやSNSでは分からない戦争の「本当」とは。


日常と共にある戦争を教えてくれた一冊です。間に入る写真から感じ取れるものが多いだけでなく、たいへん読みやすい構成からなる書籍から得られる情報は、とても特徴的でした。


「風のオリト」に採用したのは、日常と共にある戦争。オリトの世界だと紛争と表現する方がいいかもしれません。文字通り「紛れている争い」で、私生活で気にすることだったり、電話が鳴ったり、料理をしていたりする最中に、爆撃音が混ざるというものです。ああ、またどこかで攻撃があったんだな……そんな世界なんだと語られています。


他にも、兵として派遣されている人が実際はどんな人達なのかも綴られており、これには衝撃でした。フェイクニュースの見分け方なども載せられているので、是非一度、手に取ってもらえたらと思います。




●Beast of No Nation

2015年アメリカ映画(Netflix)

内戦の勃発を機に家族と引き離された少年が、兵に豹変していってしまうストーリー。

この作品から助けてもらった場面は多く、中でも訓練現場や兵の姿がオリトの世界観を支えてくれています。




●ハリエット

2019年アメリカ映画

奴隷制度に纏わるストーリーで、衝撃的な内容が豊富です。奴隷解放をするべく戦った女性活動家の実話を元に制作されたものです。この女性の「自由を求める姿」が、オリトの世界観を支えてくれています。


主題歌「Stand Up」はぜひとも聞いていただきたい一曲です。

歌はシンシア・エリヴォがつとめており、「ウィケッド」のエルファバ役や、舞台「天使にラブソングを」でも活躍されている、とても迫力ある歌声を持った方です。




●RETURNEES~子ども兵 それぞれの再起~

2026年日本ドキュメンタリー映画

制作:日本電波ニュース社

監督・撮影・編集:菊池 啓さん


NPO法人テラ・ルネッサンスでの支援活動をドキュメンタリー映画化されたものです。日本各地で旅をするように少しずつ放映されていました。

理事長である小川さんの存在感と、ご本人の言葉を受けながら少しずつ勇気を出して変わっていく元兵の人達が印象的です。この映画からは、アシャの人生の一部になるヒントを得ることができました。




●Kanon『Blue』


日本人歌手のKanonは私の大好きな方で、CDも集めています。「ファイナルファンタジー」の楽曲カバーや、「グインサーガ」というアニメの主題歌。他にも、北条司さん作「シティハンター」から登場している「エンジェルハート」(アニメ)の主題歌も歌っています。聖歌隊を出ており、多くはクラシックなど教会などに合うような楽曲を発信されています。


その中でも『Blue』という曲が何故かずっと私の頭にありまして。その曲の中でオリトが蝶を追いかけて飛び跳ねているという映像が、もう何年も頭から離れずにいました。それが作品の第一話の冒頭でした。文章化できたことを密かに嬉しく思っています。




●とんがり帽子のアトリエ

絶賛放送中(2026年4月~6月現在)のアニメです。

呪文などを使ってかける魔法ではなく、ありとあらゆる魔方陣を書いてかける魔法が、世界観を彩っている作品。個人的にすごく好きな雰囲気で、リアルタイムで追いかけるほどなので、これもまた珍しいのです。


ということで、とても最新のものからもインスピレーションを受けていたりします。ちょっとしたセリフからワンシーンが出来上がったりする傾向にある私なのですが、今回はキーフリー先生というキャラクターが口にした言葉をなんとなく思い出しながら執筆していました。


「何でもできる力があれば、何でもするのが人間だ」


「自由に使える身近な魔法が生んでしまったもの」については、とても恐ろしいものでした。その魔法が、武器や暴力的なものに置き換えることができて、ただのセリフではないように思わされました。だからこそルールが設けられ、何を禁止し、何を使ってもいいとするのかが分かれていった。この点もまた、「自由」についてを考えさせられました。




●天空の城ラピュタ

1986年日本アニメーション映画

スタジオジブリ 宮崎駿監督作で有名ですね。何回も観て育ってきたからこそ覚えているシーンもセリフも多く、すっかり大人になった今も考えさせられるアニメです。


一体どこの部分を参考にしたのか。最後、シータとムスカがラピュタ内で向き合うシーンです。「ここはお墓よ、あなたと私の」「あなたは私と死ぬの」のところです。


ムワンバは使えない盾であるオリトを神に返す、つまり殺してしまおうとしていました。ですがオリトもまた、名にそぐわないムワンバも死ねばよいだろうと口にしている。というイメージが生まれるキッカケでした。




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【あとがきに添えて、次作情報】



ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

最後にもう少しだけ余白を埋めさせていただきます。




ラテガの行動や、アシャの言葉に落とし込んだ「武器を手放すことで協力ができ、守る事につながる。両手を空けておかなければならない」という部分は、イラクの元軍人の方の言葉です。この先も大切にされるべき言葉だと感じています。



ここからは、オリトの世界を構築するにあたって多く参考にしてきた地で活躍する、ある日本の方の言葉をかいつまんで添えながら進みます。



「平和な国をつくるのは、武器を持つ事が解決法ではない。対話をしたり、周辺の国の人と友達になって助け合うことが大切」


これは、執筆の際に多く参考にした地で活動されている日本人の方が、スクールの子ども達に向けて伝えらえた言葉です。そこの子ども達の一人が、大きくなったら兵になりたいと言ったことをキッカケに、お話しされていました。



加えて、作中のリティーノ村のフォーティーを通じて描いた説。開発と伝統と向き合う難しさについて。


「一旦壊れてしまったら、それをまた復活させてやっていこうとしてもできない。外からやって来た人に、まずはそこの文化・伝統を経験してもらいたい」


同じ日本人の方が、そのようにお話しされていました。

現地の方の暮らしが押しつぶされそうになっていく状況、困窮していく状況を見てこられた方だからこその言葉だなと思います。人々の“今”を懸命に生きる生きざまが好きだとおっしゃっていました。現地の方が望む形で伝統が守られていくことを願っておられます。



『どんなに守りたくて努力をしても、変化が暴力的に押し寄せてくる現実があります。それは、現地の人達だけの力ではどうにもできません。この地球上で起きていることは、人類みんなのこと。ところちがえど、同じ時間を生きているものどうし。遠い世界のことではあるけれど、それを我がことのように感じられたり、痛みや喜びを感じあえたり、わかちあえたらいいなと思う。その先で、世界をどうしていきたいのかを考えられたらいいと思う』







こうしてみると、あまり自分で書き上げた気にならないですね笑

これが実際に舞台や映画、アニメ、書籍だと、もっと色んな人が携わって世に出されるんだなって想像すると、作品が出ることって本当に奇跡的なものに思えてきます。



「風のオリト」を公開するまでの半年間、私のプライベートはこれまでの人生で最大級のネガティブな波が来ていて、この作品も書けないんじゃないかなという状態にあったくらいです。それでも頑張ろうと思えたのは、資料の中で声を上げる人達の頑張りだったり、自分がしんどいながらもつらつらと文章を連ねているうちに輪郭をもちだしたオリト達の存在があったからでした。



それに、今は大変便利で職場や日常の一部になったAIにも、取材面で少しばかり助けてもらうようになりました。賛否あるAIも、私は使い方だろうと考える位置にいる者です。

一つ気持ちを添えるなら、時間をかけて自分の眼で見て感じて聞いて集めたものを、自分の手で情熱的に組み替えて形にすることは楽しい、とは思っています。どんな作品にもその熱意があってこそな気がします。



それから、ここまで書き上げられた理由のもう一つは、何といっても私を見つけて下さり、この作品に出向いて下さった皆さまのおかげです。このあとがきの冒頭に綴りましたが、夢を見つけたんですよね。その夢を目指す道のりの中には、あらゆる創作者さんがいます。皆さん、個展やマーケットなどで自作をじゃんじゃん表に出され、口頭でプレゼンまでされている素晴らしい方々です。そうやって旅に出て挑戦しないと分からないことがたくさんあるなと気づかされ、私も自分の作品を少しずつ様々な人に直接紹介していくようになりました。

そうして繋がりを得られるようになっていくうちに、書き続けようという気持ちにさせられていきました。また、繋がった人から更に輪が広がり、SNSや作品の投稿サイトでは高評価や感想、再投稿、宣伝をして頂け、それも本当に励みになっています。




この作品を経て、また一回り気づきを得られたからには、次の作品を手掛けずにはいられません。次のリフレクションファンタジーは9作目になりますが、公開は来年の同時期を目指しています。

控えているのは「海のファンタジー」「多様な性を交えた恋愛ドラマ」「タイムトラベルシリーズ三部」です。あと五作でリフレクションファンタジーシリーズが揃うという意味なのですが、三~四年かかるという計算でいます。



来年に公開する作品は、舞台を現代に戻そうかと思っています。というわけでおそらく、「COYOTEシリーズ」の第三弾最終作「あらゆる恋愛の形を表現するバンドドラマ」をお送りすると思います。

気が向きましたら是非、インスタグラムでの発信と合わせて楽しんで頂けますと幸いです。



では、またどこかの物語で。




挿絵(By みてみん)


Terra








※Attention※


重ねてとなりますが、最後にもう一度だけ。

本作は、あくまでも参考資料を通じて出会った考え・想いをもとに描いたフィクションであり、作者が手掛けるシリーズの作風である「問いかけ」を目的としたものに加え、人々が安全に暮らせる世界を祈ること、安全な暮らしができる社会を目指す人々のリスペクトを目的とした、オリジナルファンタジーです。




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