表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ライフコース  作者: 只野 唯
就労準備編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/68

知らなかった選択肢


その日のプログラムは、少しゆるい空気だった。

作業系ではなく、「社会資源について知る」というテーマの日。

円になって座り、スタッフが資料を配る。

“利用できる制度や支援について”

そう書かれた紙には、細かい文字が並んでいた。

傷病手当金。

自立支援医療。

障害者手帳。

就労移行支援。

就労継続支援。

知らない言葉が多い。

私は資料をめくりながら、ぼんやり思う。

——こんなにあるんだ。

今まで、“働けなくなったら終わり”みたいな感覚がどこかにあった。

でも実際には、その間を支える制度がいくつも存在している。

知らなかっただけで。


◆◆◆


「傷病手当のあとって、どうする予定ですか?」

休憩時間。

紙コップのコーヒーを飲んでいると、向かいの席の男性がそんなことを聞いてきた。

名前は確か、井上さんだった。

三十代くらい。

穏やかな人で、プログラム中もよくメモを取っている。

「どうする、というと……?」

聞き返すと、井上さんが少し首を傾げる。

「雇用保険です」

その言葉に、一瞬思考が止まる。

「失業保険ってことですか?」

「そうですそうです」

井上さんは頷いた。

「傷病手当終わったあと、受け取る人多いですよ」

私は、思わず瞬きをする。

考えたこともなかった。

退職してから今まで、傷病手当金のことだけで精一杯だった。

会社から届く書類。

健康保険の手続き。

病院。

通院。

それだけで頭がいっぱいだった。

「でも、失業保険って……働ける人がもらうものじゃないんですか」

そう言うと、井上さんが「あー」と頷く。

「だから、延長申請するんですよ」

「延長……?」

初めて聞く単語だった。

井上さんは慣れた様子で説明してくれる。

「病気ですぐ働けない人っているじゃないですか」

「そういう人向けに、受給期間を延ばせる制度があるんです」

「最大四年くらい」

四年。

思ったより長い。

「知らなかったです……」

思わず本音が漏れる。

すると、井上さんが少し苦笑した。

「延長申請すると、傷病手当を貰いながら療養に専念して、治った後に就活しながら雇用保険が貰えるんです」

「なるほど」

「みんなそんな感じですよ」

「自分から調べないと、意外と分からないんですよね」

その言葉に、妙に納得する。

私は今まで、“働けなくなった人”の情報なんて調べたことがなかった。

調べる必要がなかったから。

まさか自分がそちら側になるなんて、考えたこともなかった。

そして、今は傷病手当を貰い終わったことは意識的に考えないようにしていた。

お金の心配はしたくなかったから。でも、調べないことで、自分で動かないことで機会を失ってしまうことを知る。

「私、期限ギリギリでした」

横から別の女性が会話に入る。

「ハローワークで初めて知って、めちゃくちゃ焦りました」

「ありますよねー」

井上さんが笑う。

みんな、普通に話している。

失業保険。

傷病手当。

通院。

そういう言葉を、隠さずに。

少し前の私なら、考えられなかった。

“普通じゃなくなった証拠”みたいで、口にするだけで苦しくなっていたと思う。

でも。

ここでは、それが生活の延長線上にある。

「就労移行とか考えてます?」

今度は別の話題が飛ぶ。

「就労移行……?」

また知らない単語だった。

「働く前の訓練をするところですよ」

女性が説明してくれる。

「パソコン練習したり、面接練習したり」

「事業所によって特色違いますけど」

「資格特化とか、発達障害向けとか」

「自己理解メインのとこもありますね」

自己理解。

その言葉が耳に残る。

「あと、作業所とかもありますよね」

「A型とかB型とか」

会話がどんどん広がっていく。

私は、その内容を頭の中で整理しきれずにいた。

知らないことばかりだった。

働く以外にも、“準備する場所”がある。

支援を受けながら働く場所もある。

段階がある。

選択肢がある。

そのこと自体が、少し衝撃だった。

今までの私は、“普通に働けないなら終わり”くらいに思っていた。

でも、本当は違う。

間には、たくさんの道がある。

知らなかっただけで。

「選べるんですよね」

誰かがぽつりと言った。

その言葉に、胸が少しだけ動く。

——選べる。

その感覚が、まだうまく馴染まない。

でも。

もし本当に選べるなら。

無理して壊れる働き方以外も、あるのかもしれない。

休憩終了の声がかかる。

みんなが席に戻っていく。

私も立ち上がりながら、ぼんやり思う。

知らない世界だった。

でも。

知らないだけで、世界は終わっていなかった。

そのことに、少しだけ救われていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ