出来ないかたちの
就労準備プログラムでは、毎回小さなワークがある。
その日は、「複数の指示を整理する練習」だった。
配られた紙には、いくつもの作業が書かれている。
・赤いペンで丸をつける
・数字を小さい順に並べる
・指定された単語に線を引く
・終わった人は手を挙げる
ぱっと見は、難しくなさそうだった。
「では、始めてください」
スタッフの声で、一斉に紙をめくる音がする。
私は、とりあえず最初から順番にやろうとした。
でも、途中で分からなくなる。
——あれ、今どこまでやったっけ。
赤丸をつけながら、数字も気になって、
数字を見ていたら、今度は線を引く単語を忘れる。
頭の中が、ごちゃごちゃする。
焦る。
周りの人が、どんどん進んでいるように見える。
そのとき、斜め前の席から声がした。
「ちょ、待って、無理無理無理」
顔を上げる。
短めの髪の女性が、紙を見ながら頭を抱えていた。
「同時に言われると分かんなくなるって!」
半分笑いながら言っているけれど、本気で困っているのは伝わってくる。
周囲が少し笑う。
でも、馬鹿にする空気ではなかった。
「ひとつずつならできるんですけどね」
スタッフが穏やかに言う。
「そうなんですよ!」
女性は勢いよく頷く。
「ひとつ終わると、次忘れるんですよね」
それを聞いて、少し驚く。
——同じだ。
私だけじゃない。
女性は「ADHDなんです」と、あっさり言った。
まるで、「花粉症なんです」くらいの軽さで。
その自然さに、少し戸惑う。
障害の話って、もっと重いものだと思っていた。
でも、その人は違った。
「逆に、好きなことだとめちゃくちゃ集中できるんですけど」
「あー、分かる」
別の席の男性が頷く。
その人は、普段から静かな人だった。
でも、そのときだけ少し口数が増えた。
「僕、電車の路線図とか全部覚えられるんですよね」
「すご」
誰かが言う。
男性は少し照れたように笑う。
「でも、雑談は苦手です」
「俺もです」
「私も」
ぽつぽつと声が重なる。
その空気が、不思議だった。
できない話をしているのに、どこか明るい。
惨めさを競う感じがない。
ただ、「そういうことあるよね」と共有している感じ。
私は、黙ったままそれを聞いていた。
その間にも、ワークは全然進んでいない。
焦る。
でも。
少しだけ、気づく。
——できないことがある。
それだけなら、ここでは特別じゃない。
みんな、何かしら苦手がある。
人混みが苦手な人。
予定変更で混乱する人。
音に敏感な人。
一度に複数のことができない人。
でも同時に、
細かい変化によく気づく人もいる。
知識量がすごい人もいる。
丁寧に作業できる人もいる。
“できない”だけで終わっていない。
私は、ぼんやりと配られた紙を見る。
今まで、“できない”は減点だと思っていた。
普通にできる人より劣っている証拠みたいに。
だから隠さなきゃいけないし、
頑張って埋めなきゃいけないと思っていた。
でも。
ここでは、少し違う。
「できない」がある前提で、
どうしたらやりやすいかを考えている。
その感覚が、まだ不思議だった。
ワークが終わったあと、マツムラさんが小さく笑った。
「頭こんがらがりますよね、これ」
「……なります」
正直に答える。
「俺もマルチタスク苦手です」
そう言いながら、マツムラさんは配布資料を綺麗に揃えていた。
机の上も整っている。
ちゃんとして見える人にも、苦手がある。
そのことに、少しだけ安心する。
——できない。
それだけで、全部ダメになるわけじゃないのかもしれない。
そんなことを、ぼんやりと思った。




