15_帰って五秒で寝たい②
家に持ち帰った後は、実験だ。
私は魔法の準備をした。
買い込んだローレルとオリーブの果実をボウルの中に置く。
そして、魔法を発動する。
果実が一瞬ほわっと光るが、私が魔力を抑えると共に光は弱まっていった。
「……よし。分離魔法、いけるみたいね」
私が魔法を発動させた後は、丸丸としていた果実は少し萎れており、その下にはオイルが沁み出していた。
私が練習していた「分離魔法」は、その名の通り物体の中身を分離する魔法だ。
物体の中から何を分けたいのかを強くイメージしつつ魔力を練る必要がある。
この魔法を使いこなせるようになるため、かつて私は卵を沢山買っては白身と黄身に分ける練習をしていた。
今回は、「果実の中の油分を抽出したい」と強くイメージしたのだ。
(一般的にはオイルは手で果実を搾って取り出すものだけど、魔法で抽出した方が沢山の量が採れるみたい。この調子で沢山絞っていこう)
私は果実からせっせとオイルを分離させ、ビンに入れた。
そのついでに、少量のオイルを指で肌に塗りつけてみた。
(よし。手に擦り付けるとしっとりするわね。自然物だから肌のかぶれもない。これを魔道具用のソープに混ぜれば……)
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「出来た……!」
一日歩いた状態でスプレー型の即席寝支度魔道具を発動させると、私の身体や髪の汗ばみがスッと消えた。まるでお風呂に入った上で髪を乾かし終えたかのような心地良さだ。
(でも、これだけだとまだ眠れないわ。身体と髪を綺麗にするだけじゃなくて、歯磨きもしないとね)
私は口腔用の魔道具を発動させた。
……うん。口の中がさっぱりした。
しっかり歯磨きをするには十分は必要らしい。が、この魔道具ならばすぐに終わる。寝る前の時間の短縮になって良かった。
まだまだ改良の余地はある。例えば睡眠前には顔や身体の保湿をしておきたいし、その他の身体のメンテナンスも魔道具にやらせられれば、寝支度の質をもっと上げることは出来るだろう。
でも、今はとりあえず寝支度グッズが出来たことを喜びたい。
寝支度用スプレーを作った後、私は使用人たちに言ってみようと思った。
廊下でシエラとミリィが仕事に一段落ついたようなので、私は彼女たちに報告することにした。
ミリィはローハイム家で働いている女性の使用人だ。シエラよりひとつ年上だが、シエラよりもよく表情が動き、明るい性格をしている。この二人はよく組んで仕事をしていた。
「見て、シエラ、ミリィ。これさえあれば家に帰ってきたらすぐにベッドに入ることが出来るの。中々の優れものでしょ。人間だけじゃなくて猫にも使えるのよ!」
私はピロにも寝支度の魔道具を試してみたのだ。
猫は人間基準の寝支度をしなくともいつでもどこでも寝るような生き物だが、時々は歯磨きや風呂に入れることも必要である。
だが、多くの猫と同じように、ピロは洗われる気配を察知したら暴れるし逃げる。
私のギフトを使えばピロを眠らせて浴室に連行することは容易いが、洗っているうちにどうしても起きてしまうのだ。
寝支度の魔道具は一瞬で身体の清掃が終わるため、ピロが暴れることもなく清潔に出来た。
「へえ! ピロくんも嫌がらないくらいの魔道具ですか。すごいなあ」
「……そうですか……。成程……ううん」
ミリィの方はそわそわして、魔道具に興味を持っているようだ。対照的にシエラは難しい顔をしていた。
私はシエラに聞いてみる。
「あなたは魔道具の効果を疑っているのかしら。確かに、私が魔道具を作ってみたのは初めてだから、ちゃんとしたものが出来たかは怪しいけど」
「いえ、効果を疑っている訳ではありません。しかし……家に戻ってからの湯浴みが大変なら、私ども使用人に命じてくれればいいではないですか。私どもはネージュ様に信用されていないのですか……!?」
シエラの呟きを聞いて、私は納得した。
彼女は使用人として頼られていないのかもしれないと思ったのだろう。それが不服だったのだ。
この世界では湯浴みは使用人の手を頼るのが一般的なのかもしれないけど、私は前世の習慣もあって入浴に人の手を借りることは断っていた。
「シエラ、ミリィ、あなたたちを信用していない訳じゃないのよ。私としては入浴は一人でやった方が落ち着くからそうしてるだけで」
「それなら良かったです~!」
「私どもは普段複数人で湯浴みをするようにしているので、ネージュ様の感覚が理解しきれていなかったかもしれません。申し訳ありません」
同性の使用人たちは基本的に主人が入浴を終わらせた後にまとめて入浴する。ローハイム家の使用人たちもそうしているようだ。
(使用人たちは夜遅い時間に入浴するから、寝る時間も自然と遅くなるのよね……)
今は夜の十時半だ。私は先程魔道具を発動させたから身体の清掃は終わっている。でも、使用人たちはこれから入浴するのだろう。
私が来た当初よりも使用人たちの睡眠の質は良くなったと思うけど、まだまだ改善出来る余地はありそうだ。
私は寝支度用スプレーをシエラとミリィにシュッとかけてみた。
「ネージュ様!? ……!!」
「この魔道具は、あなたたちも使ってくれていいわ。他の人も使ってくれた方が改良のデータがいっぱい取れるし。ほら、どう?」
「……ネージュ様、お見事です。身体が一瞬でスッキリしました。いつもの入浴時よりも身体がしっとりしている気もします。このままベッドに入っても何の問題もなさそうです……!」
「あなたからしてもそうなの? 良かったわ。もしシエラが今後も使いたい場合、私に言ってね」
「これがあれば、風呂場で直接湯浴みしなくても寝支度が出来る……疲れているときに、髪の毛や水滴の掃除をしなくても済む……!! なんと素敵な道具なのでしょう!! ネージュ様、ありがとうございます!」
ミリィは感極まったように呟いていた。そんなミリィに向かって、シエラは「何を言うのよ」と窘めている。使用人として同僚の掃除をしたくないという発言は看過出来なかったのだろう。
(水場の掃除はしんどいし、かといって掃除をしないとどんどん家が劣化していくものだから、やらなくて済むならスキップしたいわよね。わかるわ。この感じだと、シエラやミリィ以外の使用人も使いたがるかもしれないわね)
シエラとミリィが謝罪するのをなだめつつ、もっと寝支度魔道具用のソープを作らないとな――と私は思った。