46.自分の恋にどや顔で胸を張れ
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次の日の朝。塔の上から僕ら第六十三隊は、砂浜に立ち並ぶ研修兵たちの一群を見る。
「十、十一、……ちゃんと十二わらべ、居てるな?」
「……サシャは教官のそばに。留年不良は端っこに離れて、でも一応の列になって参加してますね」
遠方のものでも細かく見てとれる“超老眼”の小術で、生徒たちの顔まで識別しているらしい新兵イスラが、隣のサミに言葉を添えた。
「あんなことがあったっちゅうに。ちゃんと出てくるサシャは、えらい子やな」
「サミさんなら、午前中いっぱい休みますね」
「そうそう、元気いっぱい朝寝する……て、これッ」
変人の言う通り、サシャは見上げた子だと僕も思う。本当に真面目な生徒なのだろう。
けれど留年不良のほうは、見ているだけでも何だか胸の中がもやもやとする……。どころじゃない、いらついてくる。温厚なこの僕が。
昨夜サミたちが聞いた話を思い返せば返すほど、僕は彼の使った暴力……自らの生殖欲、性衝動を脅しの材料にした少年に、嫌悪感をおぼえる。
実際に乱暴をしたわけではなく、単に言うことで脅迫していただけなのかもしれないけれど、とにかくそれを道具にして周囲を威圧しようとしていたのは確かだ。
理術士錬成校のみに限らず、ティルムンの学校では≪家庭学≫が教えられる。
そこでは結婚という枠組みからどうやって子どもをもうけるか、夫婦の在り方なども淡々と語られた。やっと十一、十二の少年少女はぎょへッと思うわけだけど、人間、ティルムン、国家の存続という超絶ゆるぎない大義が後ろに控えている。全て、肯定的に教え込まれるのだ。
理術士になる前の生徒であれば、そこまで詠唱に栄養を持って行かれることもないから、誰かに淡い≪恋情≫をいだくことだってあるだろう。
≪それは、我々人間が誰でも持ちうる重要な感情のひとつです。恋情はやがて生殖欲、性衝動へと発展をとげる、いわば子孫繁栄のためのひこばえなのですから。皆さん、ぜひ大切にしてください≫
……ああ、と僕は大昔の記憶をたぐった……。あの授業を担当していたのは、後年消えてしまったという若いルボ先生だったんじゃないか。大っきな人だった、くるんくるんにこぶしのきいた褐色髪が、にっこり笑顔の上で揺れていたっけ。
……そういう風に教わるのだから、妙にこそばゆい気はしても、子どもたちは≪恋情≫も≪生殖欲≫も≪性衝動≫も、悪いものとはとらない。僕もぼんやり、遠い未来で待つよいもの、楽しいものと思っていた。やがて理術詠唱を頻発するようになれば、それも忘れる。小説の中で誰かがだれかを想い名前を呼ぼうとしているのを読んでも、あーそういうのがあったっけ、とさほど共感もせずに読み進む。とにかく現時点で自分と関係がないけれど、よいものという意識だけがあった。
だから不良少年の行動は……、恋情をすっ飛ばして暴力的な衝動をひけらかしているという彼の話は、不可解で気持ちが悪かった。ひと気のない場所で、暗い井戸底に向き合ってしまったような感覚。僕はふたのない井戸が嫌いだ。
ふわり、とうなじが温かくなる。何だかおずおずとした感じで、見えないイスラが僕に寄り添ってきたらしい。くくった髪の下に右手を差し入れて、僕はその温みをたぐる。
僕のイスラ、親友イスラは、その恋情のひこばえで誰をも……、僕を傷つけないように、と必死に隠していた。恋したあいてには、どうしたって優しくありたいと思うのが恋なんじゃないのだろうか?
世の中色々な人がいるし、思い方や感じ方は千差万別だ。けれど、留年した少年の言動は僕には……到底、理解ができなかった。
水平線に目を向ける。
海は凪いで、おだやかだった。やたら明るい灰青色の空から落ちる陽光を照り返して、ちらちらと波が静かにおどっている。あの日の前の日々もこんな感じだったな、と思った。
……イスラは、僕にやさしい恋情を持っていた。僕をいちばん大切な存在と思ってくれていた。ゆえに海竜から僕をかばい、……身体をなくして≪たましい≫だけになり、ディンジー・ダフィルが呼ぶところの≪精霊≫になってしまった……。それじゃイスラの現在は、全て僕のせいなのか。イスラが僕に恋しちゃったせいなのか。
いや違う、と僕は水平線をにらむ。
視線を落として、浜にいる少年たちと教官の列の周辺を、じっと見てゆく。
僕のせいじゃない。イスラのせいでもないのだ。そんな風に責任を問うことからして、まちがっている。
その当時から連綿と続くイスラの想いを、否定するなんて僕には絶対にできない。してしまったら、今僕のうなじの裏にいる温かさ、僕の詠唱を力強くするこの温かさをも、全て否定することになるじゃないか。
過去の否定も、もしもこうだったらという仮定も、僕には要らない。
僕は今こうしてうなじ裏にうようよ温かいイスラ、そのもよもよなまんまのイスラの名前を呼びたいのだ。呼んでよんで、呼んでもらって。それでいい。
これがモモイガ・モシャボの恋情だ、運命よ。まいったか。
「……モモ君? さっきから、海に向かってえらいどや顔かまして……。どうかしたん?」
ふあふあーんと風に巻き毛をくゆらせて、サミが小首をかしげつつ僕に問う。
「どうもしません。監視続行」




