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45.怪談、研修の忘れもん

 

・ ・ ・ ・ ・



 謎の東部ブリージ系男性、ディンジー・ダフィルのことは気がかりではあるけれど、彼自身が言うように保護した少年の安全確保が優先事項だった。


 第六十三隊は再び“早駆け”の効果を駆使し、 ……と見せかけまたしても見えないイスラの風にかかえられて、またたく間に備蓄基地へと帰還する。


 がっしりしたラガティの背中で、サシャ少年はぐったり眠りこけていた……。みたいに。



 煌々と日砂ひずなの明るい入り口で、待っていた人々が安堵の溜息をつく。


 研修世話係の予備役と、担任だという若い教官を脇に連れていき、僕はディンジー・ダフィルに聞いた顛末を囁いた。サシャが寝ていない、ということを。


 教官はうつむいて唇を噛む。思い当たることがあるらしかった。



「……深刻ないじめの可能性があるなら、サシャと同室の子とは、別々にすべきなんじゃないでしょうか……」



 平和なまぬけ顔を目いっぱい活用し、差し出がましくないようにそっと言った僕に、若い教官はうなづく。とにかく今夜は医務室に置いて、自分と医療役の監視下で休ませる、と言った。


 僕らの役目はここまでだ。ぞろぞろ塔へと戻りかける途中、サミが「やーだ、」と声を上げる。



「うちとしたことが、しょうもなー。あの迷子わらべの杖、持ってきてもうたわ……。めんど臭いし、もう明日でええよなー? モモ君」


「だめだよ、返しといで」


「ぶう……」



 口を尖らせた変人サミに、新兵イスラが言う。



「さっさと行きましょう、サミさん。俺も一緒に医務室に行ったげますから」


「けっ、恩着せがましく言うでない。どっちみちへやの鍵もってんのはうちや、おまいはくっついてくるしかないでッ」



 やしの木変人と小さな新兵、第六十三隊のでこぼこ・・・・が施設に入ってゆき、僕とホノボ兄弟は一足先に塔に戻った。


 自室に入り、装備品を棚に、砂をはたいた外套を壁にかけて……。もどかしげに片付けてから、僕は蜜蝋みつろう灯りのあたる寝台に、パンダル君たちのくれた布巻き本を長々と広げた。



『モモイ、前半はもうええ。真ん中から最後まで、開けたってや』



 ディンジー・ダフィルとの出会いは、僕ら二人にとっての好機になるはずである。


 イスラの姿を見ることができるらしい彼は、僕らが知るべきことをおそらく全て知っているのだ。明日の晩の再会に備えるべく、イスラはとりあえず『深淵なる東部世界の慣習と文化』だけは読了したい、と言う。予備知識を増やしたいらしい。



『……』



 イスラの気配が押し黙る。集中して読んでいる時の雰囲気だから、僕は邪魔しないようそろりと自分の寝台端に腰かけた……。そして僕なりに、今日の出来事を振り返る。


 ……きっかけは、新兵イスラと旧知の仲だった不良研修兵だ。そこから、僕のイスラが生前から怯えていた不安をはっきり知った。やさしい親友はひとりで抱え込んで、想われていた僕自身は全く気がつかず、大切なことも忘れていた。……



 胸のあたりが引きしぼられるような、苦しくせつない感覚がする。同時に火照ほてるような、熱さも湧く。


 本当は今すぐ、布巻き本の上あたりに両腕をのばしたい。見えなくても、はっきりと形がわからなくても、ふれられなくても。そこにいるはずの大事なイスラを、ぐうと抱きしめたかった。


 ……けれど≪精霊≫と呼ばれたイスラは、本の中に自分の謎を解く糸口を必死に探し出そうとしているのだ。邪魔しちゃいけない、今は。


 研修兵のむちゃな脱走も、ある意味僕らにとっては幸運だったのかもしれない。


 サシャが西の集落を目指して逃げたおかげで、あの東部ブリージ系の男性と出会えたのだから……。ディンジー・ダフィルは、自分のことを何て言っていたっけ? 東から来た……“声音こわねつかい”、と。


 声音って何なのだろう、……歌? そう言えば、巨岩の上で口ずさんでいた子守唄らしいのは、とんでもなく耳に優しかった。歌にすぐれた人なのだろうか?



 こん、こん……。


 控えめに扉を叩く音が聞こえて、僕は立ち上がった。


 そっと扉を開けると、低いところに新兵イスラのまじめくさった小さな顔、高いところに変人の気色わる顔が、たてに並んでいる。


 僕は外に……廊下に出た。ホノボ兄弟もぬーんと控えている。



「……どうしたの? サシャの杖を返しに行ったんじゃないのかい」


「行った先で、迷子わらべのしゅらしゅら修羅話を知ってしもてん……」



 修羅はサミの顔やろと突っ込みたいのをこらえて、僕は聞き返す。



「サシャのこと?」


「担任の先生と、研修世話係の会話を“じごく耳”で聞いたんです。サミさんにも俺が術かぶせがけして、一緒に聞きました」



 新兵が真剣な態度で告げる。


 サシャの同室は、やはりと言うか何と言おうか、新兵イスラに言いがかりをつけてきたあの意地悪な留年研修兵だった。


 平生から、目についた同級生に病気の罪人・・・・・にしたろか、と威圧の暴力をふるう傾向があったが、宿舎の密室においてその嫌がらせをサシャに集中したのではないか、と教官がもらしたそうである。


 僕は背筋が冷たくなるのを感じた。



――何だそれ、病気の罪人にしてやるって……。つまり、おかしてやるぞと暗に周囲を脅かしていると言うこと!? そんな危険な問題児が、なぜのうのうと錬成校にいられる?



 自分の想像を超える少年のあくどさに、僕の頭はびしりと固まってしまう。それ・・を……それをどうして、いじめの……暴力の材料に使えるのだ??



「そいつ、どうもな~……。貴族のめちゃ偉いやつの、おとしだね庶子くさいねん。だからして学校側も、ようよう退校にはできひんようやな」


「理術の腕じたいは、立つみたいですからね」


「……だからサシャは、寝ることもできないでいたのか。かわいそうに……」



 僕はうめいた。ホノボ兄弟も、かたい顔をかなしげにゆがめている。



「で、医務室の壁際できき耳じごく耳たててるうちに、サシャが目を覚ましたんです」


「いや、わらべや。あれは起きた言うより、うなされたのやろ」


「あ、そっか」



 サシャ少年は寝床の中で、忘れる忘れない、≪忘れもんは嫌や≫……うんぬんと泣き声をあげていて、それを担任教官がなだめていたらしい。



「忘れる? ……そりゃ、忘れたい思い出だろうけど……」



 新兵イスラ、そしてハガティとラガティが、じっと僕を見つめた。何??



「……隊長、知りませんか」


「“研修の忘れもん”……」


「は?」


「モモ君こんなかで一番おやじ・・・やしな、やっぱ知らんか。うちも他の若い子から前に聞いてんけどな、研修にまつわる怖い話が出回ってるんやて」


「……?」



 新兵イスラがサミの話を引き継ぐ。



「北海岸の研修で、たまにおかしくなる生徒がいるんだって噂があるんです。自分の名前から理術の使い方まで、それまであったことをほとんど全部忘れちゃって帰ってくる。だから“研修の忘れもん”って。サシャはたぶん、そのこと言ってうなされてたんだと思います」


「忘れもん……」


「そんなんなったら、学校はやめるしかなくなるわな。正規理術士にもなれんと、ティルムンのどこかでひっそり暮らすしか……」


「いや、まずは全然ちがう学校に転校させられるらしいですよ。サミさん」


「ま~、怪談やで。都市伝説ってやつ」


「実際にいたの? そんな人」


「……誰も会ったことないから、都市伝説です。モモイ隊長」


「学校の先輩に、そういう人がいたっぽいと聞いたことは、あります……」



 新兵イスラとサミ、ホノボ兄弟の顔を見回しつつ、僕は首をひねった。



「都市伝説ねえ……」



 初めて聞く話だ。その手の怪談ならまかしとけ、の専門家イスラが話していた記憶もない。僕ら世代以降にできあがった話なのかもしれない。


 ……と言うか、研修後に色々忘れて全く違う学校に転校って、まるきり僕ではないか? ……ほんとに忘れていたのはイスラとの、 ……えー……、例の一件のところだけであって。海竜に異常接近してイスラを失った時に見たものに関しては、忘れたふりをしていただけなのだけど……。



「……わかった。何だかやりきれない一件だったけど……。僕ら第六十三隊はやるべきところで出来る限りのことをしたんだし、ね。今日はこれでもう休もう……。皆、お疲れ様。明日も朝当番だから、よろしく」



 サミと新兵イスラ、ハガティ、ラガティはうなづいて、それぞれのへやに入る。


 僕も自室に入り、静まり返った小さな空間にまずは“音ふせぎ”の術をかけた。続いて、呼びかける。



「僕の、イスラ」



 想う存在は、応えなかった。気配は確かにそこにある、……けれど何も言ってくれない。


 集中して読書中なのだ、無視しているんじゃなくて僕の声が聞こえていないだけなのかも……。


 そう思うことにして、革鎧を外し毛織を脱いで、麻衣を替える。もそもそ髪をほどいたところで、ゆらっと蜜蝋みつろうの炎が小さくおどった。


 軽い寝巻の背中が、薄い麻地を通してひろく温かい。……しかしうごめくようなそのぬくもりの中から、ひそかな嗚咽おえつがもれ出てもいる。



「どうしたん? 泣いてるのかい、イスラ?」


『……えらい、かなしくなってな』


「ああ、サシャの話……。聞いてたの」


『……』



 イスラはその夜、ほとんど話さなかった。捜索のせいで僕も疲れていたし、早々と蜜蝋を消すことにする。



「布巻き本、しまっちゃっていいの?」


『うん、ぜんぶ読んだ。やっぱ難しかった ……』



 本の話が続かないのだから、イスラも何だかまいっているらしい。疲れちゃったのだろうか。



「……明日、いっぱい話そう?」


『うん』



 闇色の毛布の中、僕はみたいに眠った。前後不覚というやつ。


 ……


 だから、ごめん。身体のまわりがじんわり温かかいと言うこと以外、何とも思わずに眠りこけてしまった。せっかくイスラが、初めて添ってくれたのに。






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