静かな夜の訪れ
―― カチ……カチッ……カチカチ、カチカチッ……
祖母が消えたことにより、聖海と二人でかけた封印が解け、再び世界は時を刻み始めた。となれば、固まっていた者達も瞬時に動きを取り戻す。
聖海目掛け、一斉に鬼は牙と爪で喰らいつく。しかし、何やら様子がおかしい。聖海の体に鬼たちは触れられず、あと数センチの所で動きがギクシャクし始めた。
「な、何だ!! くうっ……体が」
「ち、力が……抜けていく……」
「アンタ……一体、何を……」
ニコッと聖海は顔の横で小さく手を振った。相手を罵るような意地の悪い笑みではない。そこにあるのは、仏に近い優しさに満ちた表情だった。
封印が解ける前、聖海は鬼たちの背中に動きを止める【型】を書き記した。そして、もう一つ。彼らの心臓の位置に別の【型】を残していた。
「さよなら、鬼さんたち。あなたたちの無念が晴れますように。成仏出来る封印のプレゼントを贈ります」
ふんわりとした真っ白な綿毛に似た無数の光が彼らの胸元にポウッとくっつき、全身へと行き渡る。少しずつ、鬼の姿から人間だった頃の姿へと戻っていく。
能面がパリンッ!と音を立てて、落下した。仮面の下にあった素顔は、アイドルやモデルにいてもおかしくないほど美しい顔立ちをした青年であった。
浪人風の侍は渋みのある剣豪で、顎のラインにかけて髭を蓄えている。ツキノワグマに似ているかもしれない。義理硬く頼りになる雰囲気を全身から醸し出している。
町娘も活発で明るく、サバサバした団子屋の看板娘のような印象だ。きっと、彼女目当てに来た客も多かったのではないだろうか。
この者達を【鬼】へと変貌させた憎悪や怨念、はたまた執念……。人間とは、なんと恐ろしい生物なのだろう。
「色々、すまなかったな。……娘、恩に着るぞ」
「我らも成りたくて成った訳ではござらぬ。数々の無礼、許されよ。……彼にも、すまぬと伝えてくれ」
「あんた達には世話になったね。……遅いかもしれないけど、あっちに行ったら、また一から頑張ってみるよ! ……ありがとね。元の姿に戻してくれて……」
これが本当の【鬼の目にも涙】。元が人間ならば人として、天に還してあげたかった。あやかしではなく、人として再スタートを彼らに切って欲しかった。そう聖海は願い、時が再び活動を始める前に、部長から拝借した筆ペンで【型】を胸元に書いておいたのだ。より強力な封印を施す場合、指で書き記しただけでは弱く、対象に【型】を見えるように書き残す必要がある。
幾千もの光の導きの中、ゆらゆらと三つの魂は天へ昇っていく。まるで、楽しく舞いを踊るかのように……。聖海は最後の光が消えるまで、それを見届けた。彼らの行く先に、きっと極楽浄土があると信じて。
「よーし、これで一件落着ッ!!」聖海が大きく背伸びをした時だった。
「何が『一件落着』だ!! 立花、人の筆ペンをよくも鬼共に使ったな!!」
「あ、お借りしました! ありがとうございました」
「クソッ……この間、新しく下ろしたばかりだったのに……。いいか!! 俺の筆ペンは──」
深手を負っているにも関わらず、筆ペン片手にベラベラ喋り続ける部長。傷は思ったより酷くないのかもしれない。聖海は、未だ喋っている彼を見て安心した。
「鬼の姿をしたお侍さん、部長に謝ってましたよ」
「……そうか」
部長の横顔に怒りの色は消え、どこか もの寂しくも清々しい顔をしていた。
「それで、お前のほうも片付いたのか?」
「はい。やはり、祖母が妖術師でした。おまけに、私の記憶に封印をかけていたみたいで。忘れていた記憶は、全部取り戻しました!」
「……なるほど。通りで──」
「え? なんですか?」
「いや、今のお前には言いたくない」
「どうしてですか! せっかく助けてあげたのに!」
「片付いた!?」どこからか母も現れ、聖海は彼女との再会を抱き合いながら、喜んだ。
「え!? 今までどこに居たの!? 怪我は?」
「私なら大丈夫。おばぁから生前、言われてたの。変なのが来たら、首にこれを掛けなさいって」
白濁した大きな丸い玉を中心に、緑・青の順番で小さな透き通った数珠玉が連なったネックレスを母は首に掛けていた。どうやら、祖母の妖力が込められていたようだ。職務をまっとうしたネックレスは微々たる妖力を放っている。
「これのおかげで、変な生物に気づかれずに済んだんだ! 一生、大事にするんだから! ……デザインはイマイチだけどね。それより、早く彼を病院へ!! 」
部長を見れば、先ほどまでの元気は無く、息苦しそうに壁に凭れかかっている。時が止まったことで体は回復したと思い込み、一時的に元気になったのだろう。そのため、何事もなかったように部長は話せていた。時が進むにつれ、倍のダメージが部長の体に跳ね返ってきたようだ。
「部長、しっかりしてください!! 死んじゃダメですからね!! ようやく思い出したんです、忘れていた全てを! やっと、部長たちと肩を並べられる。だから──」
「……うるさい。ちょっと立ちくらみがしただけだ。この程度で死んでたまるか! ……はぁ。少し寝かせてくれ。お前のせいで、今日は疲れた」
聖海と彼女の母の肩を借りて車まで移動し、後部座席に座るなり、部長は眠ってしまった。その寝顔に運転席にいる母が「ふふ」と笑い、助手席にいる聖海も同じように笑った。彼の【強がり】が微笑ましかったのだ。部長を乗せた母の車は病院へ向け、走り出した。
空はすっかり暗くなり、勇敢に立ち向かった聖海たちに労いの言葉をかけるように星たちが瞬いている。
聖海にとって、今日という日は長い長い一日だった。それも、もうじき終わる。穏やかな夜の訪れはすぐ側までやって来ているのだから。
六星高校妖怪研究部─ようこそ、妖研へ!─【完】