9.後日談 ―フィーニス編―
「父上! 父上!!」
声変わりしたばかりらしい少年の声が、フィーニスを呼び止める。
「どうした、そんなに急いで。何かあったのか?」
「違います。あの、北西の塔を取り壊すって聞いて」
駆け寄った少年は、荒い息のまにまに答えた。
「ああ、そのことか」
父王は得心が言ったとばかりにうなずく。
「取り壊してよろしいのですか? あの塔は父上と母上の思い出の場所だと聞いております」
王太子でもある少年は、真剣な目でフィーニスを見上げた。
そんな大事な場所を取り壊すなんて……と顔にありありと書いてある。
真っすぐでロマンチストなところは母親譲りだな、と思いながら、フィーニスは柔和な笑みを浮かべた。
「いいんだよ。最近はひどく老朽化が進んでいたからね。そのままにしていては危ないだろう? それに思い出はね、私やリヤーフの中にちゃんとある。だから大丈夫なんだ」
そう告げて、フィーニスは己の胸のあたりをトントンと叩く。
「そういうことでしたら……」
歯切れの悪い答えはまだ納得がいっていない証拠だろう。
思い出は形あるものが全てではない。そう知るには、まだ若すぎるのだろう。
「いつか、おまえにも私の気持ちが分かるときが来るよ」
父王の優しい笑みに、少年はこくりと頷いた。
「あー! にーさま、おとーさまを独り占め! ずるーい!! 私もおとーさまと話すのー!!」
舌足らずで可愛らしい声がする。
振り向けば三、四歳ほどの少女がフィーニスたちに向かって駆けてくる。
その向こうには赤ん坊を抱いたリヤーフがいる。
「フィーニス様、そろそろお茶にいたしましょう。今日は天気も良いですし、庭に席を作らせました」
「おお、そうか。では行こう」
駆け寄ってきた幼女を抱き上げると、フィーニスは少年の肩を抱き、愛しい妻のもとへと向かった。
――本当は老朽化が理由じゃないんだけどね。
あの古塔には嫌な思い出もあるが、だが、リヤーフとの思い出が詰まった大事な場所だ。
今は国王の手前、誰も足を踏み入れたりしない。
しかし、自分が年老い、死んだあとはどうなる?
誰かが足を踏み入れるかもしれない。
あの聖域に。土足で。
それならいっそ、いま壊してしまおう。
楽しげな様子の妻子を温かい目で見守る男。
優しげな面差しの裏にそんな嫉妬が渦巻いていることを誰も知らない。
幸せに満ちた一家の、幸せなひと時を、春風が優しく見守っている。




