8.後日談 ―リヤーフ編―
リヤーフは血に汚れたフィーニスをどうにか風呂へ追いやり、やれやれとため息をついた。
先に入れとごねる彼をなだめすかすのはなかなかに骨が折れた。
リヤーフは濡れた布で腕や足をぬぐい、とりあえず間に合わせの服に着替え、やれやれと椅子に腰を下ろした。
絶えず生臭い匂いが上り立つのは不愉快だったが、しかし、胸中は清々しい。
愛する夫を虐げた父王と兄弟はもういない。
「故郷のお父様に手紙を書かなくては」
独り言が口から漏れた。
出立の前日。深夜、父に呼ばれた時のことを思い出す。
「リヤーフ。そなたはこれから単身敵地に乗り込むことになる。この国の者として臆さず生きろ。なにがあっても前を向きなさい」
「はい、お父様。アキークの者として誰にも恥じることなく顔を上げ、きっと生き抜きます」
親子は強い視線を交え、頷き合った。
蝋燭の炎が揺れ、じじっと小さな音を立てた。
「もしそなたがあの国を見限るような時が来たら、その時は心のままに行動しろ。逆に、この人こそはと思う人物に巡り合ったら、その時はどこまでもついていけ。こちらのことは気にしなくていい」
心のままに行動する。それは血生臭い意味を含んでいる。
命じた父の顔を、リヤーフは今でも鮮明に覚えている。
娘を案じる父のようであり、一国を統べる為政者のようであり、強大な力に抗おうとする抵抗者の顔。
もしフィーニスと出会わなければ、王を弑したのは自分かもしれない。王宮での生活に嫌気がさし逃亡を謀っていたいたかもしれない。
だが、リヤーフはフィーニスという唯一無二の人に出会った。
その幸運を思う。
そしてその幸運な出会いを、父や家族に知らせたい。
――いつか、フィーニス様と一緒に遊びに行けたらいいのだけれど。
閉じた瞼の裏に、フィーニスと自分が笑いながら砂漠を歩く姿が浮かんだ。
緊張が一気にほどけたせいか、彼女はうとうとと船をこぎ始める。
ひと風呂浴びてさっぱりしたフィーニスに起こされるまで、彼女はつかの間のうたた寝をを楽しんだ。