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7.玉座

流血表現注意

 異様な雰囲気のふたりに気圧されたのか、それとも先に逃げた男の注進によるものか。誰に邪魔されることなく、謁見の間までたどり着いた。

 扉の前の衛兵を手振りで下がらせ、フィーニスは自らの手で扉を押し開けた。

 豪奢な意匠の施された扉に赤黒い手形がつくが、全く頓着しない。


 薄く開いた扉から漏れ聞こえていた騒音は、しかし彼が一歩足を踏み入れた途端、消え去った。

 水を打ったような静けさの中、フィーニスの足音だけが高く響く。


「貴様、よく顔を出せたな!」


 雷鳴のような大声が玉座から飛んでくる。

 固唾をのんで様子を見守っている貴族たちは大音声に身を竦ませたが、怒鳴られた本人は平然としたものだ。


 ――やはり、もう王の耳に入っていたか。


 そう思っただけだ。


「お前が持っているのはべリスの剣か? なるほど、その剣で兄の敵討ちでもするつもりか。だがそのぐらいではお前の罪は贖えんぞ。妻の不始末は夫の責任だ」


 がなり立てる王の隣では、第三王子のテネルが「そうだ、そうだ」と相槌を打っている。

 長兄が突然死に、しかも第二王子も極刑を免れない様子。

 王太子の座が突然転がり込んできた喜びを隠しきれないようだ。口の端が嬉しそうにひくひくと動いている。

 だが、フィーニスは浮かれる弟に目もくれない。彼が見ているのは王と、彼が座る玉座のみ。


「なんとか言ったらどうなのだ!」


 喚き散らす王の脳裏にあるのは、いつものようにビクビクと怯え、青ざめた顔で首を垂れ、必死に許しを乞うフィーニスの姿だ。

 しかし、今回ばかりはどんなに謝ろうとも許しはしない。妻とともにもっとも苛烈な刑を科してやる。

 愛息子を亡くした怒りのまま、王は拷問に絶叫するフィーニスとリヤーフの姿を夢想した。


 ――床に跪き、なりふり構わず命乞いをするがいい。


 しかし、フィーニスは跪きもしなければ、歩みも止めない。

 なんの躊躇もなく玉座へ続く階段をあがる。

 ここに至ってようやく王はフィーニスの異常に気付き始めた。


「痴れ者めが! 何をしておる。下がれ!」


 ――喚くばかりで愚かだな。


 フィーニスは父の愚鈍さを嗤う。あまりにおかしくて小さな笑い声が漏れてしまった。


「なにがおかしい?」


 王は不愉快そうに太い眉をしかめる。


「あなたは滑稽だ」

「な――ぐぅ!?」


 王の喉へ深々と剣が刺さった。切っ先は後ろへ突き抜け、彼を玉座へ縫いとめる。

 あまりに突然のことで、己の身に起きたことが理解できなかった。陸の魚のごとく口をパクパクと開閉するばかりだ。


「あ……?」

「さようなら、父上。兄上が地獄であなたを待っていますよ。早く行ってあげてください。ね?」


 王の耳元で囁いた。この上もなく優しく声。だからこそ異様さが際立つ。

 怒りか恐怖か、見る間に王の顔が青ざめていく。

 フィーニスはそんな王を冷淡な目で見下ろし、剣を力任せに引き抜いた。途端、鮮血が噴きあがる。


「フィ……ニス、狂ったか……」

「嫌だな。私は正気ですよ」


 軽快な口調で返し、彼は露を払うように剣をひと振りした。

 刃が風を切る鋭い音で我に返ったのか、玉座の後ろに侍っていた女たちが甲高い悲鳴をあげて逃げ出した。階段の下で成り行きを見守っていた者たちも、それにつられて、我先にと逃げはじめた。

 こうなっては誰が制止しようと収拾がつかない。謁見の間はかつてない混乱に包まれた。

 その混乱の中、リヤーフは玉座に近づけず歯噛みする。

 フィーニスが何か事を起こそうと決意したのは察していた。しかし王を弑するとは予想だにせず、出遅れてしまった。

 人の流れに逆らうのは難しく、一歩踏み出した矢先、誰かと肩がぶつかってよろめいた。


 ――早く止めなければ。そして逃げなければ。でないと反逆罪で彼が殺されてしまう。


 気ばかり急いていたせいか、彼女は絨毯に足を取られて転んだ。


「ッあ!」


 受け身もとれず、頬をしたたかに打つ。

 痛みを無視して上半身を起こせば、まばらになり始めた人波の向こうに、王と、彼に対峙するフィーニスの後ろ姿が見えた。


 





「フィ……ニス、き、さまぁ……」


 己を殺そうとする男を睨むその眼光は、今わの際とは思えないほど強い。


「王になんて本当はなりたくないんですよ。あなたの愛息子が余計な手出しをしてくるから、こんなことになった。ねぇ、父上。どうして大事な跡取りをあんな馬鹿に育てたんです? ――ああ、本当に面倒くさい」

「許さん……許さん、ぞ……」


 唸りながら、王であった男はゆっくりと体を(かし)がせた。


「恨むならどうぞご勝手に」


 王は完全に力を失い、まるで首を差し出すかのように体を二つ折りにした。

 フィーニスは剣を振りかぶり、虫の息のうなじに刃を叩き込んだ。

 湿った音を立てて落ちた首は階段を転げ落ちはせず、腰を抜かしている第三王子テネルの足元に転がった。

 王の首と目が合ったらしく、テネルは「ひぃ」と情けない悲鳴を上げた。


「やれやれ。父上は強欲だ。死んだあとも玉座に縋り付いていたいと見える。ねぇ、テネル?」


 テネルに話しかけながら、フィーニスは父王の首を階下へと蹴り落した。その動作には一切の躊躇がない。


「フィーニス……兄上」

「そういえば君も王の座を欲しがっていたね」

「ひっ!? 私は……私はっ、王の座など! 王に相応しいのはフィーニス兄上だと、前々から思っておりましたっ」


 必死に弁解する。

 ひと通り聞いていたフィーニスは「そうか」とひとつ頷き、満面の笑みを浮かべた。


「兄上! 分かっていただけたのですね」

「ああ。よくわかったよ、テネル。――私を王にふさわしいと思ってくれていた君ならきっと理解してくれると思うんだけどね。こういう形で王位についた場合、簒奪した側はどう考えてどう行動するかな?」

「兄上? 何を仰って……」


 兄の柔和な笑顔の裏にはどす黒い何かが隠れている。テネルはようやく気付いた。


「分からないか。残念だな。簒奪者はね、自分以外の王位継承者を排除しようと考えるんだ。だって、いつ寝首をかかれるか分からないだろう? 自分が王を殺したように、いつか誰かが自分を殺しに来るかもしれないって思うんだ。だから、私は君を殺す。わかった?」


 言い終わるや否や、フィーリスは剣を無造作に振り下ろした。

 テネルは何が起きたか分からないと言いたげな顔で息絶えた。


「あっけないものだな」


 足元に横たわる弟を眺めながら、フィーニスはぽつりとつぶやいた。





「フィーニス様!」


 人のほぼいなくなった謁見の間に、リヤーフの声が響いた。

 フィーニスはゆらり、と幽鬼のような様で彼女を見る。


「待たせて悪かったね」

「お怪我は!?」


 リヤーフは必死の形相で階段を駆け上った。


「大丈夫。全部返り血だ。父上もテネルも弱かったな。剣の稽古がどうの、武勇がどうの言っていた割に、あっさり死んじゃってさ」

「フィーニス様……」


 どことなくうつろな目をしたフィーニスに、リヤーフは不安を覚えた。


「リヤーフ、頬が赤くなってる。どうした?」

「大したことではありません。軽く打っただけです」

「可哀想に。痛そうだ」


 赤くなった頬を、フィーニスの指がなぞった。

 指についた血が頬に移ってしまい、彼は慌てて拭った。が、それはただ塗り広げただけだ。

 困ったと眉尻を下げるフィーニスの手を、リヤーフがそっと包み込んだ。


「フィーニス様にお怪我がなくて安心しました」


 笑うリヤーフを見ていると、フィーニスの心に愛しさがこみ上げてくる。

 残るは最後のひと仕事。


 ――赤い風を、この手から……ケントルムという枷から解放する。


 離縁を告げればいい。ただそれだけなのに、父王を弑した時よりも心は重たい。

 でも、言わなければならない。

 彼女を開放し、自分はひとりで血塗られた道を行く。

 それが、リヤーフの自由を勝ち取るために支払う代償だ。後悔はひとかけらもない。

 王座についた後はおそらく国中が荒れるだろう。自分はおそらくそれらを機械的に鎮圧してゆく。感情は交えず、一番効率の良い方法で。

 本当は国などどうでもいい。それこそ、滅びようが一向にかまわないのだ。

 だが、あっさりと滅びてしまっては、帰郷したリヤーフが心を痛めるだろう。だから、暫くの間はそれなりに王を演じるつもりだ。


「リヤーフ、あなた自由だ。故郷へ帰るといい。ここのことは忘れてどうか幸せに」


 断腸の思いで告げたというのに、聞いたリヤーフはキョトンとしている。

 数回瞬きを繰り返した後、不思議そうに首を傾げた。どうしてそんなことを言うのか? と言わんばかりの表情だ。


「残念ながら、そのご命令には従えません」

「なぜ? 故郷が恋しくないのか?」

「私は生涯フィーニス様のおそばにいると決めておりますので。だいたいフィーニス様だって、先ほど私を離さないと仰ったじゃないですか! あれは嘘だったのですか?」


 ‪まっすぐな目で見つめられ、フィーニスは狼狽した。


「いや、嘘ではない。しかし……」

「嘘でないというなら、そばに置いてください」

「だが……」

「砂漠の民は、フィーニス様が思うよりずっと一途なんです。私に愛されたのが不運と思って諦めてください」


 言うなり、リヤーフはフィーニスの手から剣を取り上げた。

 そしてゴミを捨てるかのように、ぽいと放り投げた。


「フィーニス様。だいぶ汚れておしまいになりましたね。お風呂で汚れを落としてください」


 まるで泥遊びでもした子どもを諭すような口調だ。

 フィーニスの腕を引っ張りながら階段を下りる彼女は、転がる亡骸に目もくれない。


「リヤーフ……」

「どこまででもお供します。例えあなたがどんな道を歩もうと」


 もし置いていかれたら、その時はどこまでも追いかけますよ? と脅す彼女の目は楽しそうにきらめいていた。


「まったくあなたという人は……」


 フィーニスは嬉しそうに苦笑いを浮かべた。


 希代の名君として名高い第二十代国王フィーニスの治世は、王妃リヤーフとふたりきり、血にまみれながら始まった。

本編はこれで完結です。

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