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4.静寂の日々

 夜明け近くまでしゃべり続けていたにしては、目覚めのいい朝だった。

 少し腫れぼったい瞼を持て余しながら、リヤーフはむくりと体を起こした。

 尻の下に感じる柔らかいベッドの感触。故郷の城でも、旅の宿のかたいベッドでも、ましてや、敷き布越しに感じる地面の感触でもない。

 どうして自分がここにいるのか、そもそもここはどこなのか……? 寝ぼけた頭にそんな疑問が浮かぶ。


「おはよう、リヤーフ」


 先に起きていたフィーニスに声をかけられ、リヤーフは「おはようございます」と反射的に返した。

 眠たげにぼんやりしている彼女の様子に、フィーニスはくすりと小さく笑った。


「そろそろ朝食が届けられる時間なんだ。起きられる? もし無理なら、まだ寝ていても構わないよ」


 食事は取り分けておくから、と言う。

 彼の言葉を聞きながら、リヤーフの頭もようやく目を覚まし始めた。


 ――そうだ。旅は終わったんだ。そして、私はこの方と……


「いえ、起きます。寝坊してしまって申し訳ありません。すぐに支度を……あッ!」


 彼女の故郷では、妻が夫より寝坊するなどあってはならないことだった。

 慌ててベッドを降りようとするが、シーツに足をとられて床に頭から落ちそうになる。


「危ないッ!」


 慌ててフィーニスが駆け寄り、リヤーフを抱きとめた。腕の中にかばい、そのまま背から床に落ちる。

 静かな部屋にどさりと大きな音が立った。


「――間一髪。間に合ってよかった」

「フィーニス様……」


 転ぶと思った瞬間から衝撃を覚悟していたリヤーフは、痛みがやってこないことに安堵したが、直後、自分の体勢に気付いて大いに混乱した混乱した。

 床に横たわるフィーニス。その上に乗った挙句、彼の腕の中へ抱きしめられている。


「もっ、もっ、もっ!!」

「も?」

「申し訳ございませんっ!」


 慌てて飛びのこうと思ったのだが、そのためにはまず上半身を起こさねばならず、そうしたら今度は彼の腰に自分が跨る格好になるではないか!


 ――どうやって起きたらいい!?


 手っ取り早いのは横に転がることだと思ったが、残念なことに、ベッドサイドの空間は狭く、横に転がれるような余裕はなかった。


「す、す、すぐにっ、ど、ど、どきますので……」

「いいよ、どかなくて」

「そういうわけには参りません! フィーニス様? あの、手を……」


 何とかどこうとする彼女に協力するどころか、フィーニスは腕にますます力を込める。


「嫌だ。もう少しこうしていたい」

「フィーニス様!」


 混乱した頭でジタバタと暴れる。

 王女として育ったとはいえ、有事に備えての鍛錬は続けていた。なのに、線の細いフィーニスに抱きしめられて身動きが取れない。

 これが男女の力の差かと、頭の隅の冷静な部分が納得する。


「お戯れが過ぎますっ」


 顔を真っ赤にしながらフィーニスの薄い胸板を押すと、彼はあはは! と楽しげに笑って腕を解いた。


「すまない。あなたが可愛い反応をするものだから、ちょっと悪戯をしてみたくなってしまった」

「フィーニス様ッ!」


 咎めるように名前を呼べば、彼はもう一度「すまなかった」と謝りつつ、リヤーフの背を片手で支えて床に座らせた。そうして隣に座り込む。


「怪我はない? どこも痛くない?」


 急に真面目な顔つきになり、リヤーフの顔を覗き込んでくる。

 まるで小さな嘘も見逃さないと言わんばかりの視線に、やけに胸がざわめく。


「フィーニス様がかばってくださったから、どこも痛くありません」

「本当に?」


 疑うような彼の問いに、こくこくと頷いた。

 本当にどこも痛くないのだ。

 強いて痛いところを挙げるとすれば、それは胸だ。ドキドキと早鐘を打つ心臓のあたりが痛い。


「それなら良かった」


 フィーニスが安堵のため息をついた途端、階下で扉を叩く音がした。


「朝食の時間だ。私は先に下へ行くよ。あなたはゆっくり下りて来るといい」


 さっと立ち上がると、フィーニスは階段を下りていった。呆然とするリヤーフを残して。






「――さて。予想通りといったところかな」


 質素なテーブルに置かれた朝食を見ながら、フィーニスがぽつりとつぶやいた。


 ――少ない……


 彼の背中越しに覗いた皿の上には、ひとり分にも満たない量だ。


「給仕の者には昼食から二人分にしてくれるように言づけておいたけれどね」


 フィーニスはやれやれと肩を竦めた。言外に、食事の量はひとり分のまま変わらないに違いないと匂わせている。


「さしあたっての問題は朝食だね」

「フィーニス様。私は一食や二食ぐらい食べなくても平気ですから」


 体力については自信がある。

 一食や二食ではびくともしない。

 でも、線の細いフィーニスが抜けばたちまち体調を崩してしまう気がしてならない。

 青白い彼の横顔を見上げて、リヤーフは不安を覚えずにはいられないのだった。


「育ち盛りの若い娘がそんなことをしてはいけないよ」

「でも!」

「大丈夫だから」


 彼は食い下がろうとするリヤーフを片手で制し、かまど近くの戸棚へと向かった。

 背の高い彼の影になって見えないが、何かを取り出している。


「燻製肉は嫌い?」


 振り返った彼の手には、肉の乗った皿。

 戸棚から出てきたらしいそれは美味そうな色をしている。

 嫌いどころかむしろ好きなほうだ。独特のにおいも歯ごたえも。

 「いいえ」と答えると


「良かった」


 フィーニスは微笑み、手にした肉を器用に切り分けだした。


「この肉は……?」

「これ? 私が燻製にした。つまり、手作り」

「手作りぃ!?」


 驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 リヤーフが予想以上に驚いたのが嬉しいらしく、フィーニスはますます笑みを深めた。


「そう。手作り。昔からここの食事はちょっと少なくてね。たまにそこの森で食料を調達してくるんだ」


 そこ、と彼が指差した方角にあるのは、高い城壁とその奥に広がる森だ。


 ――そこの森で? 食料調達? しかも肉も?


 つまり、弓か何かを使って狩りをするということか。スプーン以上に重いものを持ったこともなさそうなフィーニスが。


「フィーニス様は狩りをなさるんですか?」

「やむにやまれずね。でも、本に書かれていることを実践するのは面白いものだよ。この燻製肉ひとつとっても、そう。うまくいったり、いかなかったり。失敗したときはどうしたらもっと良くなるか改善方法を考えたりするととても楽しいんだ」


 言葉を失っているリヤーフと裏腹に、フィーニスは楽しげに立ち働いている。


「すこし野菜が足りないね」


 これまた手製だという野菜の酢漬けを取り出し、皿に盛りつけた。

 そうこうしているうち、質素だったひとり分の朝食は、ふたり分のそれに化けていた。

 食べなさい、と勧められ、リヤーフは呆然としたまま食事の席に着く。

 手製だという燻製肉を口に含めば、独特の香りが広がって鼻に抜けてゆく。程よい塩気と肉のうま味の均衡が絶妙で、知らず知らず感嘆のため息がでる。


「美味しい……」


 うっとりと呟けば、真向いの席に座ったフィーニスが嬉しそうに目を細めた。


「そうか。それは良かった!」


 やむにやまれず始めたことだというが、驚くほどに美味いのは、彼の知的好奇心の強さと手先の器用さにあるようだ。

 食事をすすめながらの会話で分かったのは、塔の最上階では干し肉や魚の干物まで作っていることだ。それらの保存食も、朝食に出た燻製肉や酢漬けのように美味しいことだろう。


「塩を調達するのがなかなか大変でね」


 どうしても長期保存がきくものが作れない。王子は頬杖をつきながら、悩ましげなため息をつく。

 なんと答えていいのか分からず、リヤーフは「はぁ」とあいまいに頷くほかない。


 しかし、仮にも王子が城壁の外へ出ていいものだろうか?

 リヤーフの脳裏にそんな疑問が浮かんだ。が、それは早々に解消されることになった。


「塔ばかりにこもっていてはリヤーフもつまらないだろう? 今度一緒に森へ行かないか?」

「王宮の外へ行ってもよろしいのでしょうか?」

「大丈夫だよ。あの森は王宮の中だからね」


 フィーニスはそう言って、説明を始めた。

 塔のそばにあるのは第一城壁と言われる城壁で、元はそこが王宮と外との境だったが、今では政治の中枢であり王族が住まう場所――つまり、王宮内でも最も重要とされるところを囲う役目を果たしているのだ。

 王宮の規模が大きくなるにつれて敷地が増え、今では第三城壁まで作られているという。


「第二城壁内では、この王宮で消費される食料を栽培したり飼育する。例えば畑や家畜小屋だよ。森があるのは山菜や茸類を採ったりするためだし、池があるのは魚を捕るためだ」


 こっそり森に出入りして雉や兎を狩ったり、池で魚を釣るらしい。


「叱られたりしないのですか?」

「父や兄、弟に見つかれば色々言われるかもしれないけれど、そもそも彼らはこんな薄汚いところには来ないし、第二城壁へ足を運ぶなんて真っ平だと思っているよ。バレない。バレなければ咎められることもない」

「でも……誰に見つかったら?」


 今までは幸運にも見つからずにやってこられたかもしれない。でも、もし第二城壁で働いている人々が告げ口をしたりしないのだろうか?


「大丈夫だよ、第二城壁で働いている者たちはみんな優しくてね。見逃してくれているよ。獲った獲物を野菜や塩と交換してもらったり、ね」


 持ちつ持たれつなんだ、とフィーニスは片目をつぶった。

 なるほど、彼が健康な体で成人を迎えられたのはそういうことか、と納得した。


「みな、気の良い者たちだ。早くリヤーフを紹介したいなぁ。きっとリヤーフも彼らを気に入るよ」

「はい! 私もみなさんにお会いしてみたいと思います」


 楽しそうに笑う彼につられて、リヤーフも笑う。

 王宮内には彼の味方はひとりもいないと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。

 身分はどうあれ、彼に優しく接してくれる人々がいるということが、とても心強く思えた。

 

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