君に恋をしたかもしれない。
「本当に、ごめん」
敦は両手を合わせ、小さく頭を下げる。肩を落とすその姿に千花はただ、頭を横に振った。
「どうして敦くんが謝るの?」
「徹は俺の友だちだから」
「瀧山くんのせいじゃないよ」
「…ううん。ちゃんとしなかったあいつのせい。あと、2人きりにしようとした俺のせいでもある。あんな奴らがいることくらいちゃんとわかってたのに」
「違うよ。瀧山くんのせいでも、敦くんのせいでもない」
「……ごめんね。千花ちゃん。怖かったよね?」
「え?」
「声が震えてる」
「…」
気付けば足も震えていた。掴まれた肩が痛い。
千花は否定をしようと首を振ったが、自然と涙が頬を伝った。
「ごめん」
敦が千花の手を引く。頭を撫でる手が優しかった。
頭を敦の肩に預ける。
千花の涙が止まるまで、敦はずっとそうしていた。
窓の外を見ると、空がオレンジ色に染まりつつあった。
放課後になり、生徒たちが帰った教室に千花は1人残っている。
『話があるから教室に残っていてほしい 瀧山』
帰る支度をしていたら机の中から出てきた一枚の紙切れ。
それをもう一度見直した。
筆跡はおそらく徹のもので間違いはない。
「…話ってなんだろう?」
思わず独り言が漏れた。胸の中が不安でいっぱいになる。
「あ、藤沢くん」
懸命にボールを追う姿がグラウンドにあった。遠くからでも藤沢の姿を見つけられる。
藤沢の蹴るボールが綺麗な弧を描き、ゴールを揺らした。ガッツポーズを見せる彼に女の子たちの黄色い声が上がる。
藤沢といると楽しかった。藤沢と一緒だと安心した。
不安に思ったり、哀しくなったり、うるさいほど胸が鳴ったりしなかった。
戸が開く音がする。
音に振り向けば、瀧山が入ってきた。
胸が締め付けられる。訳もなく涙が出そうになった。
「急に呼び出してごめん」
「ううん」
「あのさ…」
「うん」
「昼のこと、敦から聞いた」
ほらまた、と千花は思った。また、胸が苦しくなった。
「…大丈夫だよ?」
「大丈夫じゃねぇよ!」
「…」
「ごめん。髪掴まれたって…お前、泣いたって」
「…」
「俺のせいで、ごめん」
「瀧山くんのせいじゃない」
「いや、俺のせいだ」
「瀧山くんのせいじゃない!」
「もう、話しかけねぇよ」
「え?」
「…色々ごめん。しつこくして」
「…」
「それだけ言いたかった。勉強会も中途半端になってごめん」
「…」
「嫌な思いさせて本当にごめん」
「…」
「…じゃあな」
もう関わらないでくれるんだ、と千花は思った。
自分はそれを望んでいた、と。
徹は人気者で自分はただの地味なクラスメイトだ。釣り合うわけなどない。
徹に関わったからこそ、女の子たちの鋭い視線に悩まされ、挙句の果てに壁に押し付けられ髪を掴まれた。
今からそれがなくなる。
いつもの平凡な日が返ってくるのだ。「恋」などに振り回されずに済む日常。
「好き」が何かなんて考えずに済むのだ。
徹の大きな背中がゆっくりと遠ざかっていく。スロー再生をしているみたいに時間の流れが遅く感じた。
徹が教室の戸に手をかけた。
ガラガラ。
やけに音が響く。
「勝手だとわかってるんだけどさ」
戸に手をかけたまま、振り返らずに言った。
「…悪いんだけど、もう少しだけ、好きでいさせて。いつまでもしつこくでこめん」
「…」
「それじゃ、バイバイ」
「……何それ」
思わず言葉が出た。涙が出そうになるのを必死でこらえる。
「何それ」
「…」
教室から出ることはせず、背を向けたまま徹はそこに立ち止まった。
「そんな自分勝手な事言わないでよ」
「ごめん」
「謝らなくていいよ。今日のことだって、謝らないで。…勉強会には、私が望んで行ったの。もし瀧山くんが悪いなら、勉強会に自分の意志で行った私にも非がある」
「…」
「…惚れさせるんじゃなかったの?」
「…」
「私の日常に、『恋』とか『好き』とか持ちこんでおいて…無責任なこと言わないで。中途半端に投げ出したりしないで」
「伊藤…」
ようやく徹が千花を見た。
拳を握り、今にも泣きそうなのに毅然として立っている。
徹が初めて千花を見た時も、今と同じような表情をしていた。
「智絵ちゃんは、誰よりも早く来て、朝練をしていたし、帰りも一番遅くまで残って練習していました。休みの日だってずっと、バレーの練習をしていました。智絵ちゃんがレギュラーになったのは、智絵ちゃんが誰よりも頑張った成果だと思います。文句を言うなら、智絵ちゃんより努力してからにしてください!」
2年でレギュラーを勝ち取った智絵に先輩が罵声を浴びせた時、人の前に出るのが苦手な千花が言い放った言葉だ。
徹は少し遠くにできた人だかりを面白半分で見ていた。その中心にいたのが千花だった。
遠目から見ても怯えているように見えた。けれど、視線だけは真っ直ぐだった。
泣きそうになりながらも、自分より背の大きい智絵をかばい先輩と対面していた。
「格好良い」徹の目にはそう映った。
その後負け惜しみを吐きながら先輩が去ると、空気の抜けた風船のように、床に座り込み、けれど智絵に「もう大丈夫だよ」と笑ったのだ。説得力のない力の抜けたけれど、暖かい笑顔。
遠くから見ているのでは嫌だった。毅然とする背を支えたいと思った。
そして、その笑みを自分に向けてほしいと心から思った。
「好き、なんて正直まだよくわからない。でも、瀧山くんの優しい笑顔を見ると、ほっとするの。瀧山くんの背中を見ると、胸が苦しくなるの」
「…」
「こんな風にさせておいて、何もなかったことになんてしないで」
「…」
「瀧山くんの気持ちが、今、ここで終わるならそれでいい。どうせ、私には釣り合わない人だもん。…それくらいの『好き』だったなら、それでいい。だけど…」
「そんな簡単な『好き』じゃねぇよ!」
「だったら!」
「…」
「だったら、好きでいてよ。ちゃんと欲しいって想ってよ」
「……でも、これから先も今日みたいなことがあるかもしれねぇ」
俯きながら、徹は一歩足を進めた。
「そうだろうね。瀧山くんは人気者だから」
同じように千花も小さく前に進む。
「ブスとかなんとか言われるかもしれねぇ」
「気付いてなかった?このところ毎日言われてるよ」
「お前のこと傷つけるかも」
「うん。ただ背を向けられるだけで苦しいんだもん。きっとそんなことばかりだよ」
少しだけ顔を持ち上げる。視線が交わった。手を伸ばせば届く距離。
「それから…」
「うん」
「それから…お前に頷かれたら、もう諦められなくなる」
「…」
「それくらいの好きだ。だから、ちゃんと考えて答えてくれ」
「…」
「俺と付き合え」
「うん」
千花は即答した。答えは決まっていたから。
手を引かれ、強く抱きしめられる。
痛いくらいの抱擁。それが、どこか心地よかった。
胸が締め付けられ、だけど胸が躍った。
「千花」
「え?」
「ずっと、名前で呼びたかった」
頭上から注がれる優しい声。背中に回す腕に力を込めた。
「徹くん」
「くん付けかよ。…いいけど」
拗ねるような声に思わず笑った。顔を見上げる。
視線が合った。
「千花。好きだよ」
囁くように名前を呼び、近づいてくる綺麗な顔。
千花はそっと瞼を閉じた。
好き、なんてわからない。
だけど、きっと、君に恋をしたのかもしれない。
ううん。
君に恋をした。
オレンジ色に染まる教室の中で千花はそう思った。
終わりました。
いかがでしたか?
行ったり来たりになったり、文章が稚拙な部分もあったかと思います。
それでもここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
感想、評価等してくれたら本当にうれしいです。
長くかかってしまいましたが、ここまでお付き合いいただき、
本当にありがとうございました!!
出来るならば、幼馴染登場!とかちょっとやってみたかったのですが(ベタな感じで)、とりあえず、今回はこのあたりで。
次は短編を書きたいです。




