第一話 受けた恩は十倍にして返せ
「アメリー様……わたくし、何もしていないのに……」
親友のマリアンヌが、私の部屋のソファで三枚目のハンカチを涙で駄目にした。
彼女の婚約者だった侯爵令息ヘンリー様が、先日の夜会で婚約破棄を宣言したのだ。理由は「ロザリンド嬢への嫌がらせ」。
ロザリンド・フェアリーベル伯爵令嬢。
ふわふわのピンクブロンドに、潤んだ大きな瞳。守ってあげたくなる小柄な体。
そして得意技は――。
「目の前で、自分のグラスを傾けて、ドレスにちょびっとワインをこぼしたんです。それで『きゃっ!酷いですわマリアンヌ様!』って……」
「……自分で?」
「自分でです!なのにヘンリー様ったら、すっ飛んできて『大丈夫かロザリンド!』って……」
これで三人目だ。
子爵令嬢のエミリー様、男爵令嬢のカトリーヌ様、そしてマリアンヌ。
全員、同じ手口で婚約者を奪われている。
そして最近、ロザリンド様は私の婚約者――第二王子ユリウス殿下の周りをうろうろしている。
殿下の私を見る目も、日に日に冷たくなっていた。
次は間違いなく私だ。
「アメリー様、どうか気をつけて……。何を言っても、信じてもらえないんです。『いじめる側はみんなそう言う』って……」
「ええ、わかったわ」
私は紅茶を一口飲んで、カップを置いた。
「つまり、やってもやらなくても、やったことにされるのよね?」
「はい……」
「だったら、やるわ」
「……はい?」
「ヴァルモン公爵家の家訓を知っている?『受けた恩は十倍にして返せ』」
「素敵な家訓ですわね……?」
「恩以外にも適用していいと思うの」
マリアンヌが、ハンカチを握ったまま固まった。
我慢して、耐えて、泣いて、それでも冤罪で捨てられる。
そんな結末、公爵令嬢の名が廃るじゃない。
どうせ捨てられるなら、せめて盛大に。
機会は三日後、王宮の夜会で訪れた。
「アメリー様ぁ、ごきげんよう」
ピンクのドレスをひらめかせて、ロザリンド様が近づいてくる。
手には赤ワインのグラス。
少し離れた場所には、ユリウス殿下。
来た、と思った。
ロザリンド様は私の目の前で、ほんの少しだけグラスを傾けた。
ぽた、ぽた、ぽた。
三滴。
淡いピンクのドレスに、小さな赤い染みが三つ水玉模様のように咲く。
「きゃっ!酷いですわ、アメリー様!」
見事な手際だった。
場数を踏んでいる。
「ロザリンド!どうした!」
ユリウス殿下が駆けつけてくると、ロザリンド様は殿下の胸に顔を埋め、肩を震わせた。
「アメリー様が、わたしにワインを……っ」
「アメリー!貴様――」
「三滴ですわね」
「……は?」
私はくるりと振り返り、給仕が運んでいた大きなガラスの鉢を両手で受け取る。
果物がたっぷり浮かんだ、赤ワインのサングリア。
夜会の人数分。
「三滴の十倍なら三十滴。ですが、ヴァルモン家の十倍は気前がいいので」
「え、ちょ、アメリー様、それ――」
ざっばぁぁぁん。
ロザリンド様の頭上から、鉢いっぱいのサングリアが降り注ぐ。
ふわふわのピンクブロンドがぺしゃんこになり、頭のてっぺんにオレンジの輪切りが一枚、ちょこんと乗った。
大広間が、完全に静まり返った。
「…………」
「…………」
「お望みどおり、ワインをかけて差し上げました。これで嘘ではなくなりましたわね」
私は空の鉢を給仕に返し、優雅にカーテシーをした。
「それでは、ごきげんよう」
背後で「きゃあああああ!?」という本物の悲鳴と、ユリウス殿下の怒鳴り声が聞こえた。
でも、それ以上に聞こえたのは。
「……なあ、今の見たか」
「ロザリンド嬢、自分でこぼしてたよな?」
「俺、見てた。三滴」
「三滴って……」
そんなひそひそ声だった。
……スカッとした。
正直に言おう。
人生で一番スカッとした。
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ





