8 心の傷
「私、本当は添田あゆみなんだ」
家に戻る途中、あゆちゃんがやっと口を開いてくれたと思ったら、なかなか衝撃的なセリフだった。
打ち明け話の予感がして僕の方がストレスを感じる。
でもここで聞こえないフリなんて最低だ。
「それって、お父さんの姓?」
「うん。私は添田あゆみとして生まれたんだから、添田が本当の名前なんだ」
「そ――うだね」
高一のコミュ障にカウンセリングのスキルなんてない。
とりあえず反論せず受け止めればいいんだっけ?
何かのドラマで誰かのセリフにあったような気がする。
「三峰はお母さんの昔の名前なんだ」
そう言われると僕も変な気持ちになる。
僕は父の姓も知らない。
母の旧姓の三峰に戻る前の父の姓か……。
……あれ?
父親は亡くなったのに――離婚した訳じゃないのに、どうして僕の名前は三峰なんだ?
「お母さんは、『小学校に入学する前に名前を戻せてよかった』って言ってた。でも里香ちゃんには『離婚して名前が変わったの?』って聞かれた」
おぉぉ。六歳で離婚っていう言葉とその意味を知っているのかぁ。
でもそこで面と向かってはっきり聞いちゃうところは子どもだよなぁ。
「里香ちゃんとは小学校に入る前からの友達なの?」
「うん。保育園から一緒」
「から一緒」ってことは今も一緒ってこと?
僕も小学校の時に、夏休み明けに同じクラスで名前が変わった子がいた。
先生は、「今日から○○さんは△△に名前が変わりました。ちゃんと覚えてあげようね」って言っていたっけ……。
離婚というところにはなるべく触れないようにしたつもりなんだろうけど、小学生には通用しない。
「お前んとこ離婚したんだって?」と、わざわざ聞くような意地の悪い奴がいたな。
そいつに比べたら僕の方が片親歴は長い訳だけど、参戦する理由はないと傍観していた。
「お兄さんのところは離婚じゃないもんね」
「あ、うん。うちは早くに父が亡くなったから、僕は物心ついた時から母と二人だけだからね。でも、その母が入院しちゃって――」
しばらくは祖母と二人の生活が始まるはずだったんだけど……。
「ごめんなさい」
今の沈黙は、不思議な現象のせいで、あゆちゃんにうまく状況を伝えられないなぁと思っただけで、別に母のことを思い出して悲しくなった訳じゃない。
いや、それはそれで薄情か……。
「ああ、うん。まあ、そんなでもないよ」
自分で言ってて意味不明。
ここで会話は終了。
家まで無言で歩くことになってしまった。
◇◇◇ ◇◇◇
スマホが使えないと、どうやって時間を潰したらいいのか分からない。
ソファーに座ってテレビでも見ようかと思ったけれど、怖くて見れなかった。
本当に三十年前の番組が始まって、大物MCとかの若い姿を見ちゃったら、もう元の世界に戻れなくなりそうで手が止まった。
あゆちゃんは何をしているんだろう?
自分の部屋で勉強でもしているのかな?
こういう時の子どもの構い方が分からないから、僕は立ち上がることなく座ったまま天井を仰いでいる。
暇過ぎて苦痛を感じる。
気分転換に一度庭に出て、靴を履いたまま縁側に座ってみる。
特に意味はないんだけど。
かといって一人で外を歩くのもリスクがありそうな気がする。
近所の人に声をかけられるかもしれない。
田舎の人は詮索好きという先入観もあって、ちょっと怖い。
話しかけられても絶対に上手くしゃべれない。
色々と考えあぐねた結果、あゆちゃんの勉強を見てあげるのが一番いいと思い、彼女の部屋に行くことにした。
「あゆちゃん? ちょっといいかな?」
返事がない。
聞こえているよね?
返事をしないのは話したくないから?
どうしよう……もう一回だけ声をかけてみて、それでも無視なら退散しよう。
「あゆちゃ」
「何?」
「うわっ」
部屋にいると思い込んでいたから、背後から返事が聞こえて驚いてしまった。
振り返ると、あゆちゃんはちょっとむくれている。
返事をしただけなのに驚かれてしまって気分が悪いのかな?
「あ、そこにいたのか。なんかごめん。部屋にいると思ってたからびっくりしちゃったよ」
「……」
目だけで抗議しないでほしい。
「あ、あのさ。宿題やるなら手伝おうかなぁ――なんて」
「一人でできる」
「あ、そう」
「勉強、得意なんだね」
「別に」
……う。
ついさっき打ち明け話をしていた仲のはずなのに。
打ち解けられたと思ったのは気のせい?
「あ、それじゃあ、頑張ってね」
あゆちゃんは一言も「宿題する」なんて言っていないのに。
僕は逃げるように縁側に直行した。
庭の小石を蹴飛ばしていても時間は潰せない。
何もすることがないって、こんなにも苦しいものなの?
結局家の近所をぶらぶらすることにした。
◇◇◇ ◇◇◇
律子さんが帰宅した頃にはヘトヘトに疲れていた。
意味なく過ごすことに、ここまでエネルギーを使うとは。
あゆちゃんはリビングでテレビを見ている。
見たことのないアニメだし、作画がイマイチ――いや、多分画質が悪い?――とにかく令和のアニメスタジオの制作じゃないことは分かる。
だからなるべく見ないようにして、律子さんに話しかける言葉を探した。
……そうだ。
料理はできないけれど、テーブルを拭いたりお茶を注いだりくらいはできるから、今日こそ晩ご飯の準備を手伝おう。
そう思って、どう切り出すか再び脳内でシミュレーションをしていると、律子さんが足早で階段を降りてくる音が聞こえてきた。
「あゆみ。私の部屋の引き出しを漁ったん? 何を探しょぉったんか知らんけど、黙って勝手に触らんといてな。ちゃんと言われぇ」
「……」
うわ。あゆちゃん。それはないよ。さすがに言おうよ。
「あゆみ! 引き出しの中、見たんじゃろ?」
「ちょっと見ただけ」
「何が見たかったん?」
「別に」
「もう!」
律子さんもさすがにイラッときてるな。
それでもそれ以上問い詰めることはせずに、夕食の支度を始めた。
僕はどちらにも声をかけることができなくて、結局晩ご飯の手伝いもせず、律子さんがダイニングテーブルに料理を並べるのを黙って眺めていた。
◇◇◇ ◇◇◇
お風呂に入るのは、あゆちゃん、僕、律子さんの順だ。
僕は最後でいいと言ったけど、律子さんが譲らず、この順番になった。
律子さんがお風呂に入っている間なら、あゆちゃんも話しやすいかと思って、テレビを見ている彼女に声をかけてみた。
「あのさ。話したくないなら別に話さなくていいんだけど。探し物は見つかったの?」
あゆちゃんはもの凄い速さで反応して僕を見た。
「どうして?」
「ん? いや、ちょっと気になっただけで。あ! 別に律子さんに何か言われた訳じゃないよ? 僕自身が気になっただけだから」
「……」
やっぱそうか。そうだよね。僕みたいなのに打ち明けるはずがないよね。
「――さんの」
「え?」
「お父さんの住所」
「え!」
……あ。
郵便物を探していたのか。
差出人がお父さんの。
「それで、見つかった?」
「うん」
「お母さんには言わないの?」
「言わない」
「そう」
僕が首をつっこむ問題じゃないし、そんな資格はない。
そもそも第三者が割り込むとややこしくなるだけだ。
「もう寝る」
「あ。おやすみ」
相変わらず一問一答形式の会話しかできない僕。
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