13 大原美術館②
図書館は大原美術館の隣にあった。
中に入ると、あゆちゃんは宣言通り学習コーナーで宿題をし始めた。
手持ち無沙汰の僕は、館内の書架に並んでいる背表紙を眺めている。
夏休みだけあって、受付カウンターの前の大きなテーブルには「司書が選んだ夏休みに読みたい百選」というコーナーが設けられていた。
文豪と呼ばれる有名作家の本がたくさん並んでいる。
中には相当な回数貸し出されたと思われる年季の入った単行本もあって、三十年前は、みんな紙の本を読んでいるんだなぁと的外れな感想を抱いてしまった。
周りを見渡せば、利用者の半分は高齢者だ。
親子連れも結構いる。
そういえば僕も小学校の低学年くらいまでは、よく母に連れられて図書館に行っていた。
保育園の頃は、たくさんの紙芝居を借りてもらっていたっけ。
母は素人ながら一生懸命声色を変えて読んでくれた。
…………。
この世界に来てからは、なぜだかしょっちゅう昔のことを思い出しているなぁ。
少し移動すると別の場所に、大原美術館を紹介するコーナーがあった。
そのうちの一冊を手に取ってwiki代わりに読んでみると、色々と分かった。
大原美術館はかなりすごい美術館だ。
実業家の大原孫三郎が創設した日本で最初の西洋美術中心の私立美術館。
昭和初期に社会貢献なんて言葉があったのかな?
『――まだ美術館で絵画を鑑賞する文化がなかった頃に、あれだけの名画を私財で収集したのよ。今からじゃあとっても買えないような名画をね』
……あ。母から聞かされていたじゃないか。
この、実際にヨーロッパで買い付けた児島虎次郎の目利きがすごい。
『徳島の大塚美術館も素敵だけど、やっぱり地元倉敷の大原美術館が一番好きだなぁ』
テーブルには、収蔵品の一覧が載っている画集はもちろん、大原孫三郎や児島虎次郎に関する書籍も並べられている。
大原孫三郎は会社や学校を設立したり孤児院を支援したり、実業家として成功しただけでなく社会福祉にも取り組んでいたのか。
昔の人は立派だなぁ。
児島虎次郎は、大原孫三郎が開設した奨学会の奨学生だったのか。もし奨学会がなかったら、児島虎次郎がその才能を発揮する機会はなかったかもしれない。
……すごくない?
新一万円札の渋沢栄一は朝ドラになったんだっけ?
大原孫三郎や児島虎次郎も負けていない気がするけど。
関連本として美観地区について紹介する本もある。
……へぇ。
『なまこ壁』?
白い壁が有名だと思って、そこばかり見ていたけれど、確かに黒っぽい部分もあったな。
外壁の黒っぽい部分は正方形の平らな瓦だったのか。
その目地を埋める漆喰がなまこに似ているから『なまこ壁』?
目地の漆喰が盛り上がっていて、その断面が半円形でなまこに似ているのが由来?
いやあ、これは聞いておかないと、そこまでは見ないよ。
外に出たらもう一回よく見てみよう。
本を取っ替え引っ替えしながら、立ったままパラパラとページをめくっていると、あゆちゃんに声をかけられた。
「こんなところにいたんだ。帰らないの?」
「あれ? もうそんな時間?」
どこかに時計はないかと探していたら、あゆちゃんが壁を指さして教えてくれた。
学校にあるような丸い時計がかかっていた。
「もう十一時半? 早いね。じゃ、帰ろうか」
◇◇◇ ◇◇◇
隣を歩くあゆちゃんは十歳の小学四年生だ。
どうしても母と同一人物とは思えない。
このまま三十年の時が経ったら、あの母になるのだろうか。
物理学の世界の話は分からないけれど、僕がこの世界に来て、こうして接触している時点で、もう僕がいた三十年先の未来の世界とは世界線が分かれているんだろうな。
どうしたって同じ未来には辿り着きそうにない。
……あれ? そうなると僕はどうなるんだろう?
母が僕を産まない世界でも僕は存在し続けることができるものなの?
僕の父親は今どこで何をしているんだろう?
まだ元気でいるはず。歳は幾つだろう?
うわっ。僕と同じくらいの可能性もあるのか。
会いたいような会いたくないような……微妙……いやでも……僕がお膳立てするのは違うだろうし……うーん……いやいや。
そもそもどこの誰なのかも知らないんだし、無理無理。
……ん?
突然、あゆちゃんにTシャツの裾を引っ張られた。
どうしたのかと思ったら、向かい側から男子小学生の集団が歩いてきている。
「もしかして、また同じクラスの子?」
「今は違うけど前同じだった」
あゆちゃんはそう言うと、手に力を込めた。
……あぁ。あの子たちに会うのが本当に嫌なんだなぁ。
その気持ちはよく分かる。
学校以外でクラスメイトには会いたくない。
どんな会話をしたらいいのか分からないし、きっと僕の私服はダサいだろうし、一人で出かけているのも、「そういえばコイツ友達いなかったんだ」って思われそうだし――とにかく嫌だ。
品川駅で乗り換える時、サッカー部の集団を見つけた時は焦ったな……。
反射的に上がってきた階段をまた駆け下りてしまった。
……はぁ。
それにしても田舎って、こんなに顔見知りとばったり出くわすものなの?
あゆちゃんも大変だなぁ。
あゆちゃん……友達いないのかなぁ。
夏休みに入っても誰とも会っていないよね。
学校生活は大丈夫なのかな。
おっと。現実に戻らなければ。
「ええと。友達じゃないんだね? どっちかっていうと、あんまり仲良くない感じ?」
「うん」
あっ!
どうせ返事は無言だろうと思っていたのに。
本当に嫌だからかもしれないけど、意思表示してくれたのは、なんかちょっと嬉しい。
「じゃあさ。あっちも親はいないみたいだし、別に挨拶はしなくていいじゃん。もし話しかけられたら僕が急いでいるからって断るよ」
「分かった」
頑張れ、自分!
今朝助けてもらったお礼をしよう!
でもまあ。あの年頃の男子って、女子に向かって声をかけたりはしないよね。
甘い期待だった。
田舎は事情が違うのか、それとも時代のせいなのか、男子グループはあゆちゃんに目を留めた途端、駆け寄ってきた。
「おい! 三峰!」
一人目は声の掛け方がいじめっ子みたいだ。
すごく嫌な感じ。
「そいつ誰ぇ?」
二人目は無神経。
信じられない。
田舎の子ってこうなの?
「君たちは?」
たっぷり上から覗き込む格好で聞き返してやった。
「うわっ! 東京のやつじゃ!」
三人目に睨まれたけど、どうして? 敵認定されている……?
田舎で標準語を使うのはタブーなの?
でもそれじゃあ、あゆちゃんは――。
「そうだけど、それがどうかした? 悪いけど僕たち急いでいるから今は話せないんだ。ごめんね」
僕にしては長いセリフ。
僕から言い返されると思っていなかったらしく、三人とも黙り込んだ。
文字通りの上からの目線で睨みつけたけど。身長差は絶対。
三人から視線を外して、バレない程度の早足であゆちゃんの手を引っ張って歩く。
三人の横を通り過ぎると、後ろから罵声が聞こえた。
「東京が偉いんかー!」
「馬鹿にしとんかー!」
「かっこつけてなんならー!」
え? なにこれ? 漫画みたい。
僕らの背中に向かって悪態をついているよ。
アホらしくて振り返る気にもならない。まあ、相手は子どもだし。
でも東京出身者のイメージを悪くしちゃったかなぁ。
さすがに偉そうな感じで一方的に言い捨てちゃったもんなぁ。
あゆちゃんに跳ね返ってこないといいんだけど……考えなしだったかなぁ……。
でも、今この瞬間を守ることだって大事だよね。
「あの子たちだけどさ。会うたびにいつもあんな風に絡まれているの?」
「……」
これは平常運転の無言だから大丈夫かな。
この流れって、チャンスかな?
気になること、聞いてもいいかな?
「ねえ。普段仲良くしている子たちとは一緒に遊ぶ約束をしていないの?」
「旅行に行くって言っていた。ディズニーランドとか」
「あ、そうなんだ」
うーん。
まず、仲のいい友達はいるってことでOK?
でも、夏休みに一緒に遊ぶ約束はしていない――と。
「でも一ヶ月以上あるんだから、連絡とってみたら?」
「連絡?」
…………‼︎
「あ。急には難しいよね。うんうん」
「……?」
ごめん! そうだよね。
スマホもLINEもない世界だった。
うわっ。対面でしか繋がっていないってこと?!
じゃあ、夏休み前に約束しておかないと一緒に遊べないんだ。
よっぽど家が近所で、普段から行き来しているくらいじゃないと難しいよね。
そっかぁ。
一人で過ごす方が好きな僕にとっては、すごく楽な言い訳になりそうだけど、それはそれでなんというか、誰にも連絡できないのかと思うと――ちょっと――微妙かもしれない。
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