第90話 重大な食い違い
side テーレ
私のマスターは馬鹿だ。
前々から馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、今回やったことは度を超した馬鹿だ。
「わざわざ自分から感染者になりかけるなんて! どんだけ危険かわかってんの!?」
「いえまあ、どちらにしろもう解決は目の前なわけですし。最悪、私がいなくても二人だけで必要な役割は足りているでしょう?」
「だからって無駄にリスクの高い賭けをすんなって言ってんの!」
私にも手出し無用の命令を出して、もしも致命的な攻撃でも受けていたらどうするつもりだったのか。
確かに、見た感じ【石化】を応用した魔法で防御力だけはかなり上がったみたいだから反応が間に合いさえすれば即死はないって考えだったのかもしれないけど。私も魔法を温存して治療はできる状態だし。
それにしても無茶が過ぎる。
「無駄な賭けではありませんよ。それにほら、見てください。ロックさんの体内から感染を試みた『ゼット』のサンプルです。完全に焼き尽くさないようにするのには少し神経を使いましたが」
そう言って、マスターが見せたのは砂粒……いや、水滴の形の石?
出し方の感じからして、手から滴り落ちるように出てきたように見えたけど……
「まさかこれ……侵入したゼットを周りの血ごと『石化』して?」
「はい。ロックさんの状態はいわゆる新種の疑いもありますし、ロックさん自身が抗体のようなもので感染を乗り越えたのならこれは弱毒化したものかもしれません。それなら血清も作れる可能性があります。どちらにしろ、採取しておいて損はないでしょう?」
……これだから、怒るに怒れないんだこいつは。
というか、身体の一部分だけの石化もそうだけど、異物の入り込んだ血液だけの石化とか、手加減やら匙加減は壊滅的な癖に感覚的な魔法の扱いだけは異様に器用だし。
ていうか、自分の身体を対象にするタイプの石化魔法なのに、血が身体から離れても石化したままってどういうこと?
「……とりあえず、それいつ元に戻るかわからないからこの瓶に入れといて」
「はい。あ、ついでにロックさんの止血もお願いします。さすがにこのままだと傷口から流れた血で死ぬかもしれませんし。また空気中の胞子で感染しても困ります」
「それ言ったらあんたの手も止血早くするべきでしょうが! いや、確かにこっちも放置してたら死にそうだけど……」
感染者が集まってくる前に装置の改造とか済ませたいのに、中々思うように行かない。
全くどうしてこうも……
「狂信者さん! 大丈夫ですか!? すぐに手当てします!」
「あ、ルビア……丁度いいわ。はい、これ傷に巻いてやって。あと、こいつの血液には絶対に触らないように。手袋したままでね」
「は、はい!」
隠れていたルビアが戻ってきたから包帯を一つ渡してうちの馬鹿の手当てを任せる。ロック、だったか。こっちの地味に重傷者な方は私がやった方が早い。
それに……
「うーん……やっぱり、噛み傷が……」
戦闘中に観察していてもしやと思っていたけど、刃が飛び出てできた傷は多いけれど噛み傷らしき傷が見当たらない。他の感染者に多い首元や腕だけじゃなく足や胴体も見たけど、それらしき傷がない。
大きな刃の傷もあるし、傷が上書きされて分からないだけかもしれないけど。
「小さな傷からの空気感染? それとも……もしかして、経口?」
もしも感染の仕方で症状が変わったとしたら、他にも同じように理性を保ったまま攻撃してくる感染者が現れる可能性も……いや、そうだとしても思念波攻撃で無力化はできるはずだ。
「とにかく、早く終わらせた方がよさそうね」
とりあえず、こいつは念のため林の木の上にでも縛っておけば感染者に襲われたりもしないだろうし、作業の邪魔にもならない。
小屋のドアが破壊されたのはちょっと想定外だったけど、中には結界と関係のない机なんかもあるし持ってきたロープでバリケードにでもしておけばいいだろう。
装置の調整に十数分、それが終わればルビアの『癒し手』の能力を使うだけ。
それで全部片が付く。その事件の原因が私たちの持ち込んだスライム・ライリーから四散したカビの一部が変異したものかもしれないなんてことも有耶無耶にできる。
後は、簡単な仕事だ。
「じゃあ作業を始めるわ。私は装置の方に集中するから、二人は外の見張りでもしてて」
side ルビア
もうすぐ、全部が解決する。
ロックさんのことは想定外ではあったけど、装置が壊れていたりとかって事態にはならなかったから問題ないだろう。
見張りを頼まれはしたけど、予想以上にアンナさんが頑張ってくれているのか感染者が集まってくる気配はないし、現状何も問題はない。
強いて言うなら……
「狂信者さん……その手、大丈夫ですか? 血が滲んで……」
狂信者さんが怪我をしてしまったこと。
ロックさんも重傷だけども、あれは傷の栓になっていた刃が消えればああなるのは必然だったからしょうがないとして……狂信者さんの怪我は、必ず必要なものではなかった。
いや、そもそもとして……狂信者さんは、彼を説得する必要なんてなかったはずだ。
テーレさんの魔法を頼ることもできたし、戦って倒すこともできた。明らかに正気ではないように見えるロックさんに武力行使をしても誰も文句は言わなかったはずだ。
ロックさん、彼自身が助けを求めていたとしても、なんでそこまで……
「なんで、あんな危険なことをしたんですか? 下手をしたら……」
感染していたかもしれない。
この作戦が上手く行っても、それで必ず元に戻れるっていう保証はなかったはずなのに。私が同じ立場なら、真似できない。
けれど、狂信者さんはあっけらかんとした態度で軽く答える。
「理由についてはほぼテーレさんに話したつもりです。しかし、まだ言っていない理由を敢えて挙げるとするのなら……可能ならば、ロックさんをこの事件の『犠牲者』にしたくはなかった、という所ですかね」
「『犠牲者』……ですか?」
「ええ、彼はかなり自我を持った上で私たちの進路を阻んでいました。完全に冷静とは言えませんが、彼の意思で事件解決を妨害する形になっていた。もしも、そんな状態のまま彼を武力制圧してしまえば、結果的に彼は『悪役』にされてしまうでしょう。他の感染者の皆さんは意識のないまま不可抗力で暴力を振るったという中で、一人だけ自分の意思で暴力を行使してしまったという実例があれば、後々彼は『無辜の民』と対比される『悪意の個人』にされてしまう。彼は、そこまでの悪人ではないと私は判断しました」
「つまり、彼の名誉のため?」
「それもありますが問題と言えることは消えない疵、塞がらない亀裂が残ることでしょうね。死者が出るのと同じに、取り返しが付かなくなる。そうなると、最終的に笑い話になりません」
「わ、笑い話?」
「ええ、笑い話です。死者もなく、犠牲者もなく、実質的な実害もほとんどなしで『これだけ大騒ぎして実は大したことではなかった』と振り返った時に笑えるように事件を収める。そういう事件だったのなら、責任問題とか誰が悪いかというような論争も後でどうとでも取り繕えるでしょう?」
それは……どういう意味に捉えたらいいのだろう。
単純に、狂信者さんは最善の結末を目指して、妥協しないためにハイリスクな賭けに出たというべきなのか。
あるいは……いや、まさか……
「調整完了! さあルビア! さっさとやっちゃって!」
テーレさんから声がかかった。
後、たった一手。それだけで、この事件は終息できる。
ただ……どうしても、私は目の前の彼の視線から離れられない。
だって、その目は、その表情は……
「きょ、狂信者さん……一つだけ、訊いて、いいですか?」
「何でしょうか?」
「あなたはもしかして……この事件の原因とか、見当が付いていたり、しますか?」
私のことを、『被害者』だなんてちっとも思ってないようにしか、見えなかったんだから。
「と、言われましても……事件の原因というか……ルビアさん、ですよね? この事件の黒幕は。私はずっとその認識でいたのですが」
side 狂信者
最初にルビアさんを『黒幕』ではないかと考えたのは、感染者が発生、いえ、私たちに発見された最初の日。
土蔵の屋上から【万物鑑定】によって感染者を観察し、おそらく病原体と思われる血液中の『別個の感染者に共通する生物種の色』を確認した時です。
その時は避難した人間の中に潜伏期間の者がいたら分かるかもしれない程度のつもりでやったことでしたが、意外と言うべきか私は予想以上の情報を得ることができました。
病原体とライリーさんのスライムボディの『鑑定』によって見える色が微妙に異なるもののかなり近いもの……つまり、おそらく『魔本カビ』の近親種が病原体となっていると推測推定できました。
私も『鑑定』はあまり使い慣れた魔法とは言えないので確信確定確証したわけではないとテーレさんには候補の一つという形で提示しましたが私の中ではそれなりに大きな判断材料でした。
まあ、強調しすぎると避難者の中で争いが起きる危険もあったので敢えてさり気なく提示した部分もありますがね。
病原体が『魔本カビ』の一種、それも同じ症例の知られていない『新種』であるのなら、ライリーさんのスライムボディにも興味を持っていたルビアさんが帰省したタイミングとの一致も無視できません。
偶然にカビが急激な変異を遂げたと言うよりも、ルビアさんの持ち込んだカビの中から流出したサンプル……おそらく、ルビアさんが学院で創った新種が原因である可能性は高い。
極めつけは、魔法知性学の微生物系の専門家であるはずのルビアさんが『病原体が真菌である』という簡単に行き着くはずの事実に到達するまでに不自然なまでに長い時間をかけていたこと。
自分の持ち込んだサンプルがこの一大事の原因であると認めることを恐れ他の可能性を徹底的に模索したか、あるいは批判を恐れてすぐに解析し過ぎないようにテーレさんが気付くまで遠回りをしていたか。
まあ、他の可能性を考慮せずに先入観だけで原因を特定されてしまうよりは他の可能性をちゃんと検証してくださった方がいいので放置しましたが。
一日目の様子からルビアさん自身に手っ取り早い解決策がなかったのは察することができましたし。
最初の大量感染の際にその場に居合わせたのも、感染者が少ない内に事態を収拾しようとしていたのでしょうし、悪意があって招いた事態ではないのは明白です。
わざわざ『触られてはいけない』ではなく自身の持つ情報を開示してピンポイントで『噛まれてはいけない』と忠告してくださったのも、既に感染した職員さんに触れていた私が動揺しないように配慮したのでしょうし。
あの時点ではゾンビ映画の概念のない世界では全く未知の感染症であったはずなのに、安全マージンを取って『触れること』自体に注意するのではなく、『噛まれること』に注意を限定していました。
その上、私に対して全く警戒せず近付いて手袋を渡してくださいましたしね。
感染経路がある程度限定できるような前知識があったと考えて間違いないでしょう。
まあ、それに……サンプル流出の原因も、心当たりがありましたし。
『すぐに引き返しま……』
『え、きゃっ!』
『ガシャン!』
あれが原因だとするのなら、この大事件の発端は私とルビアさんの衝突事故。
つまり原因の半分以上はこちらの過失です。
私の側としても女神ディーレの信徒の一人として、そして偉業を必要とする者としてきっかけが些細なことであったとしても、その結果として誰かに犠牲を強いるというのはできれば防ぎたいものです。
最悪、ことが丸く収まらなかった場合に悪い風評が流れるのはできれば避けたかったので、こちらを責めないルビアさんの優しさに甘えさせていただき、はっきりとした言及は避けていたのですが……解決を目前に控えその必要もなくなったので口にしてみれば、何やら予想外の反応が返ってきました。
……大丈夫ですかね?
これから解決のための大一番だというのに主役であるはずのルビアさんの顔色が悪いのですが……
「……そっか。最後まで上手く隠しきれたつもりだったのに、最初からわかってたんですね……狂信者さん、本当に頭いいんですね。あの人と同じくらいすごいかも」
あの、なんでそんな崖の上でトリックを暴露された殺人犯のようなテンションになっているんですかね?
隠してた? 何をですか?
「でも……どうしても! この研究成果を失うわけにはいかないんです!」
「マスター!」
突如、小屋の壁が何か大きな生物に突き破られ、テーレさんに引っ張られた私とルビアさんの間に割って入ります。
それは……異様に巨大な馬。
それも、ロックさんの刃と同じ赤黒い鎧のようなものを纏った、敵意剥き出しの怪馬。
その鎧の一部がルビアさんを素早く鐙の上に持ち上げ、自らの赤黒の手綱を握らせました。
「だから、『自壊命令』なんて絶対に出させません。狂信者さん、テーレさん。抵抗しないでください。抵抗しなければ、私の手で知らなくていい部分だけちゃんと消してあげます。私はまだ、この研究を終わらせるわけにはいきませんから」
ルビアさんの目は、先程までとは違う覚悟の目。
ティアさんがそうできたように、これまでライリーさんにも探知できないほどに深く隠し続けた本当の感情を剥き出して、私とテーレさんを見下ろします。
「この研究が危険性を超える有用さを持つと証明できるまで、決して外部に知られるわけにはいけないんです……だから、あなたたちには全部忘れてもらいます! この事件の真相も、私が『研究施設』に所属していることも!」
……話の流れがよくわからないのですが、とりあえずルビアさんの発言で気になることが一つ。
「……え? ルビアさん、『研究施設』の関係者なんですか?」
「……ええ!? ゼットの原因ってライリーじゃなかったの!?」
「………………え、あれ?」
ルビア・狂信者・テーレ
「「「(多分これ原因自分だから責任問題にしたくないし)誰が悪いとが追及するより先に、大事になる前に解決してしまいましょう!」」」
……という、意図せぬ一致団結があったそうな。




