第85話 生き霊
side 狂信者
はてさて、私はロックさんについて初見では『職員の服装ではないものの振る舞いは患者と呼ばれるほど奇異ではないような』と少々疑問を持ったものですが、蓋を開けて見れば真実は大したことはありませんでした。
『強い物から甘い物が出た』というわけではありませんが、聞いてみれば納得する話です。
「ロックさんは元々、地方貴族の家の人です。彼自身はこの治療院に来た理由を家督争いで兄弟に嵌められたからだとよく言っていましたけど、それも間違いじゃないんです」
というのは、ティアさんが謝罪を兼ねて皆さんに語るお話。
ティアさんはもっと彼のメンタルケアに気を配るべきだったと、そう反省していますが……まあ、確かにその通りかもしれませんが、それにしたっていきなり赤ん坊を人質にとって凶行に及ぶなど思わないでしょう。
そんなことをしても何も解決せず、何も得をせず、ただただ自滅するだけ。支離滅裂な行動なのですから。
たとえ、危険を認識していても何もしていない内から縛り上げるなり閉じ込めるなりするわけにもいかない状態だったようですしね。
「彼は親戚の人たちからの嫌がらせでストレスが溜まり続け、分裂症の兆候が出始めていました。本人に自覚はないのに話の前後が矛盾したり、自分に起きた悪いことを他人のことと思い込んだり。その結果、彼はそれを口実にここに送られたわけですが……実際、彼はギリギリの状態でした。だから、嫌がらせを受ける心配のないこの村で療養して、ようやく落ち着いて、近い内に彼の味方をしてくれる御家族とも会えるはずだったんです。けれど……そこで、この事件が起きて治ったと思っていた症状が一気に悪化しました」
風邪が治りがけでぶり返した、いえ、治ったと思って体調管理を怠って拗れたと喩えるべきですかね。
元々、彼は『病気』ではなかった。
ただ単純に、一般より……いいえ、彼の置かれる環境に耐えるのに必要な分より、少しだけ精神抵抗力が低かった。彼は自分を正常だと思い込もうとしていましたが、確かに彼に異常と呼ぶべき不具合はなかったのでしょう。
ただ、欠陥品でなかったとしても重すぎる荷を積めば戸棚は壊れる。それだけのこと。
彼の場合、過去の無理な扱いで割れ目でも入っていたのでしょう。
「彼の状態に気付かなかったのは私のミスです。リノさん、本当にごめんなさい!」
深々と頭を下げるティアさん。
結果的にテーレさんの活躍で赤ん坊は助かりましたが、リノさんは手をナイフの刃で深く傷付けられました。
けれど……彼女はただ、自分の子供を守ることができたことだけが嬉しいように見えます。
手当を受けた手は包帯を巻かれて痛々しいのに、指先で我が子の体温を確かめられるだけでその手の役割など十分だというように。その傷を誇るように。
これが……正しい『母親』の姿なのでしょうね。
「いいえ……ありがとう、ティアさん、テーレさん、狂信者さん。この子を守るために、彼に立ち向かってくれたんでしょ?」
「わ、私は結局何も……」
「刃物を持った彼に背中を見せて、言うとおりにしてくれた。だからこそ、この子は無事に済んだんでしょう。誰でもできることじゃないわ」
そうですね……ギリギリまで事態に気付かなかった私とは大違いです。
「ティアさん、彼は行動に合理性を欠いていました。あなたが彼を刺激すれば、本当に些細なことでも彼はナイフを振り下ろしたでしょう。あなたの極度の緊張状態での『何もしない』という行動は存外に難しく、そして最適解だったと思います。私が彼を鎮圧できたのも、彼に人質がいなかったというだけですしね」
私がやったことなんて、真正面から彼の首を掴んで吊り上げただけですし。
刃物を持っていたので殴打や投げ技ではうっかり致命傷を与えてしまうかもしれず時間で調節できる窒息攻撃を選びましたが、それもティアさんとリノさんが時間を稼ぎテーレさんが赤ん坊を奪還していなければそんな悠長な方法は取れませんでした。
一度脳振盪による昏倒を狙ったテーレさんによればロックさん自身の意識が途絶えても彼の中の『悪魔』が身体を操って動いていたそうですし、下手なことをしなくてよかったと言えるでしょう。身体能力も地味に強化されていましたし。
「ホントよ。あいつに魔法の才能がほとんどなかったからよかったものの、場合によっては生き霊でも手が付けられないことはあるんだから。しかも、変に理性がある分だけ今回みたいに悪賢い動きをすることもあるし。憑依してる相手が実質同一存在なら気配も感知しにくくなるし。今回は生まれたのが雑魚悪魔だったから気配も隠してなかったし、運が良かったから間に合った……それか、あなたたちの日頃の行いが良かったのかしらね」
ちなみに、そのテーレさんの言うところの雑魚悪魔はティアさんの『治療』により完全に消えたわけではなく、魔法の行使権限やロックさんへの干渉力を弱められてほぼ無力化された状態です。
死霊から変質した悪魔は『聖水』や『浄化の光』により退治できますが、それらはあくまでも『存在的に異常なものをあるべき形に戻す』というだけ。
他人の肉体に取り憑いているのではなく、本来収まるべき器である自身の肉体に取り憑いている悪魔にはあまり効果がありません。
そのため、魔法で短絡的な排除はできませんし、精神面を無理矢理に弄れば悪魔は消せても自我まで崩壊したとなりかねません。
本来は長い時間をかけて本人が向き合えるようにしていくべき問題です。
ただ、現在はその余裕がありませんし、また暴走されても面倒なので縛り上げて屋上に閉め出しておきましたが。
もちろん、夜で外は冷えますし胞子による飛沫感染などの危険もないとは言いきれないので簡易テントくらいはオマケしてあります。
本当ならどこかの部屋に閉じ込める方が安全確実なのですが、生憎とこの土蔵にはそれだけの余剰スペースがありませんので。
物理的な場所の問題というより被害者であるリノさんと加害者のロックさんの意識的距離の問題ですがね。
もしも結界が何らかの形で無効化されたら一番に襲われるであろう危険な位置を強制することになってしまいましたが、それはさすがにペナルティだと思ってもらいましょう。
もっとも……彼が目覚めた時、それに納得できるとは少し思えませんがね。
「むしろ、彼にも仕事を何か割り振っておくべきでしたかねえ。そうすれば、ネガティブな考えを積み重ねる暇もなかったかもしれません」
コットンさんのおかげで衣食が簡単に揃いすぎたのもまずかったかもしれませんねえ。
ココアさんとリノさんは療養に専念しなければなりませんでしたが、私たちは外の問題解決に気を取られていましたし。
シロヤナギさんもいざという時に備えて自発的に武器の手入れや武器になりそうなものの確認、それと村から脱出する場合のルート思索などをしていましたからね。さすがは元冒険者です。
ダメで元々でも、私と一緒に打開策を考えてもらうべきでしたかね。
悪魔に取り憑かれていたとしても、短絡的に暴れるのではなく人質をとって静かに事を成したりナイフを一本隠し持つという機転を見せられる知恵はありましたし……おや?
「そういえば、ロックさん……ナイフなんて、どこで手に入れたのでしょうか? 赤ん坊がいるのですし、刃物はそこらに放置されているはずはないのですが……」
side ロック・ウェイトマン
走る。
ひたすら走る。
あんなところに、こんな村にいられるか。
「マヌケな異常者共めが……」
俺はそれほど魔法が得意じゃない。だが、一つだけまともに使える魔法がある。
それは、『刃物を生成する』という魔法だ。
名工の業物や芸術品なんて呼べるものじゃないが、一時間もかければそれなりに強度の高いものが作れる。
いつだったか、俺の食事に虫を入れやがった家のやつを殺したいと思い続けていたときに知らぬ間に懐にナイフを作り出していたのがきっかけだ。
いつか、誰かを殺してやりたい時のためにと隠していた魔法だが、こんなことで使うと思っていなかった。
目覚めたら縛られていたが、ナイフを作り出して縄を切って、それを使って屋上から地上に降りられた。
俺が何をやったのかを考えれば、あのまま縛られていれば酷い仕打ちを受けることは間違いない。
病原体を研究しているとかいうやつらの実験台か、村から逃げ出すときの囮か。どちらにしろ、人間扱いはされないはずだ。
あの中で、まともな人間なんて俺だけだったのだから。
「先に逃げてやる……この村の外に……」
ずっと、逃げる機会を窺っていた。
どうやったら逃げられるか、考えていた。
幸運にも感染者たちに見つかることなく、闇夜の中を走り……辿り着く。
この治療院と外の世界を隔てる警報付きの結界の中心。柵と繋がるマジックアイテムの置かれた管理小屋。
どうやったら結界を解けるのか、その操作も盗み見て知っている。
決められた順番で色分けされた十個の水晶を並べて溝にはめ込む、よくある行列式封印。正しい並びさえ憶えていれば誰でも操作できる。
鍵の紛失対策か、それか『患者』が憶えられるはずもないという油断……どちらにしろ、俺が逃げる障害にはならない。
「出てってやる、こんなところ……」
水晶を並べる。
結界を解いて、出て行ってやる。
そうすれば、俺への罰も、逃げた俺の追跡もやつらにはできないだろう。
それどころじゃなくなるはずだ。
ざまあみろ! 異常者共が……なっ!?
「な、何故だ! なんで操作できない! これで正しいはずだ! なのになんで……」
どういうことだ!
なんでここまで来て上手く行かない!
どうして順番が……
「それじゃ結界は開きませんよ……順番は私が変えましたから。だって、被験者が外に逃げたら大変ですからね」
背後から声がした。
感染者じゃない、こいつは……
「あんたは……」
「けど、丁度よかった。感染の過程を調べるための生きた人間が欲しかったので」
side テーレ
「はあ、油断だったかしらね。魔法で作った手製のナイフなんて。何処に逃げるっていうんだか」
食事を持っていったルビアの話だと、拘束に使っていた縄を切ってこの土蔵から逃げ出したらしい。
少なくとも、もう見える範囲にはいなかったそうだ。
この村で一番安全な場所はここだっていうのに、追い出されてもないのにわざわざ危険地帯に逃げるなんて……何がしたいのやら。
「ごめんなさい、まさかそこまでして逃げ出すとは思わなくて……」
謝罪の言葉を繰り返すルビア。
シュンとなる姿は姉妹でよく似ている。けど、彼女を責める人はいない。というか、誰もナイフの生成に気付かなかったのに第一発見者を責めるというのもおかしな話だ。
それを至極当然の認識として、マスターは軽く笑う。
「ルビアさんが謝る必要はありませんよ。彼はそこまでしてでも、安全地帯を捨ててでもどこかに逃げたかったというのならそれだけのこと。彼の選択です。その結果がどうなったにしろ、それは彼の決めたことですから。それよりも……というのはなんですが、ルビアさん。屋上に出たのは外の実験のためでもあったと思いますが、そちらの試料は破壊されていたりはしてませんか?」
「そ、そっちは大丈夫です。培地は無事でしたし……予想通りの結果でした。仮定に確信を持てた……と、思います」
「それはよかった。では、次の対策会議……いえ、『レグザル治療院奪還作戦会議』を始めましょうか。動くのなら、明日が勝負ですからね」
病原体の解明、解決の糸口、そしてこちらの手札。
事件の解決に必要な最低限のカードは揃った……本当に、最低限だ。
けど、この状況ではこれ以上は望めない。
それに、今回の相手は未だに成長中で必要以上の時間をかければ事態は収拾が付かなくなる。
つまり、作戦を立てて、準備をして、そして休養を取り決戦を仕掛ける。贔屓目に見ても五分五分以下の賭けだけど、それが一番成功率の高い賭け方になる。
動き出したら、後は運を天に任せるだけ……女神ディーレ様の『幸運』の加護を信じるだけだ。
けれど……
「さあ、さっさと仕事を成し遂げ……最後はみんなで笑いましょう。試練の終わりはすぐそこです」
マスターは、幸運の女神に救いを求めるのではなく、ただ期待を求める。
『自分を勝たせてほしい』というのではなく、『自分が勝つ方に賭けてほしい』と願う。そうすれば、勝利を捧げてみせると。
「叶うのならば、最善の結末に至れるように人事を尽くすとしましょう」
神の振る賽子に翻弄される駒ではなく、神の振るサイコロそのものとして最大の目を出す。
それが、私の『不幸』をものともしないこいつの信仰の在り方なのだろう。




