第61話 『石化の呪い』➆
side ディーレ
いつもの空間。現世の人間との交信のための、夢の中の空間。
語りかける相手の夢に干渉して会話するというシステムなので、当然相手が眠っている所にまず私から話しかけて意識を目覚めさせるというのが順当な接触手順です。
その時に対象の方が夢を見ていれば移行に伴って混乱することもあります。
まあ、その時にちょっとアレな内容の夢を見ていて気まずくなってもそれを表情に出さず華麗にスルーするのも神様としての重要スキルです。
なのですが……
「ディーレ様。申し訳ありませんが、少々散らかっておりますので数分お待ちください。「どうしたの? アルジサマ」とりあえずこの中へ入ってお静かに……」
なんで通信を繋げようとした瞬間にあっちからはっきりとした思念が来るんでしょう。
しかも何故か浮気相手がいる所に恋人が来て咄嗟に浮気相手を隠すような会話がちょっと聞こえたんですけど……ああ、なるほど。事情は大体把握しました。
これでも一応神様なので。
うーん、どうしたもんでしょう……まあ、彼も年頃の転生者ですし、両者の合意の上での関係なら相手が多少特殊な事情を持っていても大目に見ます。本質的に悪い子じゃなさそうですしね。
「申し訳ありませんディーレ様。少々魔導書の検証で作った資料などが散らかっていましたので」
「それは構わないのですけども……元気そうですね。テーレから、呪いに関することは聞いています。そして、明日その解呪を試みることも。もっと……緊張しているか、内心では恐怖で震えているかと思っていました」
「ご期待に沿えず申し訳ございません。しかし……私にとっては『決戦前夜』です。人事を尽くして万全を期す。最後は不安を捨てて高揚に身を任せ、万事が上手く行くよう心の準備を整えるのみ。特に『呪い』との勝負というのならばそれは心の強さを必要とするもの。ここで折れてなるものですか……そう考え、検証を繰り返し自らの答えに確信を持っていたのです」
「そうですか……はあ、これは心配して損をしたかもしれませんね。あなたの心が本番で弱らないように『解呪に成功したらご褒美は何がいいですか?』とか言うつもりで交信したんですけど」
あと、あのテーレが自分のミスのせいでって、珍しくかなり動揺してたからその弁解もしようかと思ったんですけどね。
ご褒美というかお詫びのつもりで、天界の回収漏れの損害補填とか口実を付けていろいろ用意しましたし。
「ディーレ様に損をさせてしまったとなればとても心苦しいことですが……しかし、ディーレ様が私の解呪を望まれているということがわかっただけでもこれ以上のご褒美はありません」
「あなたはそういう人でしたね……でも、どうして『もしかしたら自分が石になった方が私のためになるかもしれない』って考えてたんですか?」
私は神様ですが、人の考えていることが全てわかるわけではありません。
彼が『石になること』自体を望んでいるわけではないことはわかるのですけどね。
「そうですね。『石になる』というのは『死ぬ』とは違うでしょう。つまり、テーレさんは現世に残れます……ところで、テーレさんの現世での肉体の稼働年数はどの程度を想定されたものなのでしょうか? 私は一ヶ月以上テーレさんと一緒に居ますが、彼女の髪が傷んだ様子も、伸びた様子も見た覚えがありません。この世界の『魔力』というものは知性体の無意識にすら影響され、生物の成り立ちすらも改変しているそうですが……それならば、本来何百年と老化せずに存在し続ける『天使』の自己認識に彼女の肉体はどの程度ついて行けるのでしょうか」
ああ……なるほど。
この人は、そこまで気付いちゃったわけですか。
基本的に『人としての技能全般を可能にする理想的な状態』を維持する『万能従者』、そしてそこに入っている『天使』の魂ならば、その条件だけならば、実質的な時間制限は考えずにより確実な計画を好きなだけ時間をかけて進められると。
そして、その場合の最大の足枷が……自身の脆さと寿命であると。
「どこで、それに思い至ったんですか?」
「ラタ市でノーツ女史にこの世界の人間の寿命を聞いてみて、地球と生物的には大差がなかった時にです。魔法というのは精神力で発動するもの。肉体の老衰を魔法で防ぎ続けるとしても、その魔法を維持する精神の方が長寿に耐えられないと……であれば、元からその長寿を前提として『天使』として生きてきたテーレさんの場合は例外なのではないかと」
「そうですね……確かに、転生特典の『従者』として創られた肉体は特別製です。人間の体質的な耐久力や病気への免疫力も高く、荒っぽい使い方をし続けなければ無意識の修復だけでも若さを維持できるでしょう。しかし……テーレは、それを望みませんよ。あの子は天使として……」
いえ、彼に言うべきはそういうことではないかもしれませんね。
あの子が自分で言わないことですし、もしかしたらあの子自身も気付いてないかもしれませんけど。
「あの子は、ただの『テーレ』という女の子として、結構あなたとの旅を楽しみ始めてるんですよ。だって、あの子は今まで自分の『不幸』を気にして周りでできるだけ何も起きないようにって気を付けてきたのに、あなたといると嫌でもいろんなことが起きて退屈しませんから。だから、その幸福のためにもあなたは静かな石なんかじゃなくて、手のかかるパートナーでいてください」
「そうですか……ありがたきお言葉、確かに承りました。」
side テーレ
マスターが『解呪の方法に見当がついた』と言ってから二日目。
その準備の時に推測とプランを聞いたし、確かにその可能性は十分にあると納得もできたけど……正直言って、危険な賭けであることに変わりない。
もしも間違っていれば、魔導書をもう一度読んで呪いが悪化すれば、どうにかなるはずだったものもどうにもならないかもしれない。
「いや……今の時点で既に、どうにかなるはずってわけでもないのか……」
石化の進行速度から見て、治療院まではどんなに急いでも間に合わないし、そこらの町や村に『魔導書の呪い』をどうにかできる者がいるはずもない。
そんな奇跡を期待して待つのは、それこそ『幸運』の加護を不足なく受けたターレのような天使の場合だ。
私の場合はむしろ、待っていても偶然に『善い結果』が起きることはない。その意味では、リスクがあっても自分からチャンスを掴もうとするというマスターのスタンスは私の同行者として間違っていない。
けれども、だからといって『一度読んで呪いを受けた魔導書を解呪のために読み直す』という発想はなかなかできることじゃないと思う。
あれから丸一日。
マスターの石化はさらに進行して今は左足も石化して椅子代わりの木箱に腰かけたままろくに歩くこともできない状態だけど、当の本人はその原因である魔導書を目の前にしても恐れる様子はない。
今は私の作った急造品の『鑑定鏡』を付けて魔導書を『鑑定』しているところだ。
「それ、調子はどう? 材料が代用品ばっかりであんまり安定しないかもしれないけど」
「いえ、商会で使ったものより精度は高いようです。そして、色は『悪意』は少々含むもののそれ以上の『正義』ですか……問題なく行けそうです」
『聖水』とかの調合系素材に関しては商会で買い溜めしたから品質が十分に高いものが作れるけど、『万能従者』のスキルに頼って馬車にあったあり合わせの素材で作ったマジックアイテムは市場に出回っているものよりもかなり粗悪な品だ。
術式の回路として仕込んだ部分が持ち合わせてた金属線や刻印用の彫刻刀で作った溝とかだから、何回も使えばすぐに摩耗して使えなくなる程度の代物だけど、一度や二度の使用なら問題はない。
マジックアイテムを通して使う魔法ならそれほど変なことにならないのなら、今度大きな街に行ったらちゃんとした素材でいくつかマスターに持たせるためのマジックアイテムを作っておくべきかもしれない。
自衛の手段が少なければ自分から無茶をすることはないかと思ってコインズでは『自爆閃光杖』くらいしか作らなかったけど、どちらにしろ無茶をするなら自衛手段を増やした方がマシだろうし。
まあ、それも今回の難所を越えられたらの話だ。
「マスター、はい『聖水』……濃度はかなり高めだけど、健康なときのマスター自身の血で作ったやつだから特に問題はないと思う」
今回の呪いに関しては根治は無理だけど、効果を和らげることはできる『聖水』。
マスターはそれを一息に飲み干した。
これで、全身が石化したとしても、多少は『動ける』はずだ。
「ありがとうございます。では……テーレさん、もしも私が完全に行動不能になったらテーレさんへの命令権をテーレさん自身へと託します。それと、この試みが失敗し完全に石化したとしても私は自力解呪を継続するつもりなので、保存する際は内側から脱出可能な状態でお願いします」
「……自信満々で解呪法がわかったって言っておいて、失敗しないでよ?」
「もちろんです。それと……質問があります。テーレさん、空に流星は見えますか?」
マスターの質問に答えるために、空を見上げる。
まだ昼間だけど、雲が多くて少し暗い。流星なんてものがあったら見えるはずだ。
質問の意図はわからないけど……マスターには嘘を言えない私にできるのは、正直に答えることだけ。
「見えないよ……全く見えない」
「そうですか。それは結構……では、解呪を開始します。離れてください」
本の中身を視認しないように、本を乗せた箱の上に立てた衝立の反対側へ移動する。
ここからは、マスターと魔導書の正面勝負。マスターの考えた『解呪法』が正しいかどうかが証明される正念場だ。
「では……宣言しましょう『私は本を最後のページまで読むまで、ここから移動しません』」
まだ石化していない左手で、魔導書の表紙をめくった。
本は動かない。『本を完読させる』という結果を導き出すための特性は、読者が逃げようとせず真っ直ぐに本を見つめていれば特殊な現象を起こす必要性がない。
ページが進む。それと同時に、石化が進む。
それでも、マスターは目を逸らそうとせず、ページをめくり続ける。やがて、左手が石化し始め上手く動かなくなってきても、指先でひっかけるようにしてページをめくると、本自体がそれをアシストするようにページを進める。
石化していく。おそらく、失敗すれば解呪しても後遺症が残る深度だ
けれど……マスターは、それでもちゃんと読まなければならないと結論付けて、それを実践している。
ページが進み、残りのページの厚みがどんどん目減りし……そして、最後のページが現れた瞬間。
「見つけました。ここまでが『利用規約』……このページこそが『契約書』です!」
マスターは、『聖水』の効果で石化を遅らせた手で、自ら閉じようとする魔導書を止めた。
そして、最後のページに目を通し、はっきりとした声で宣言する。
それは、自らへの宣誓。
熟練の魔法使いは詠唱や儀式の文言を自らのイメージだけで完結させることができるけれど、マスターはそうではない。
外部入力された『呪い』と同等の意味を自らに意識させるための自己暗示。
自らの内心だけでは曖昧で不安定な状態にある意志を、言葉として世界に出力することで確定させる『言語化』という原初の『呪』をこの空間において確立する。
「『命はただ流転するもの。私は契約に同意し、宣言します。私は永遠の命を得る権利を放棄し、そして他人に永遠を強いることを自らに禁じます』」
それが『正解』だったのか……その結果はすぐに現れた。
魔導書から光があふれ出た。マスターの身体は光に呑まれ……辺りは、真っ白になった。
side 狂信者
そこは、ディーレ様がお尋ねになる時の夢の世界にどこか似ている場所でした。
違いと言えば、ディーレ様の空間が『真っ白』なのに対して、この空間は色が混ざり合い、不安定に色合いを変える世界であるということでしょうか。
そこいるのは……私の他にはただ一人、キャンバスの前に座り、絵筆を握りながら唸る壮年の男性。
彼は私を見て絵の着想を得ようとしているようですが……おや、そういえば身体が石ではありませんね。精神の世界だからにしても、夢の中でも少しは動き難さを感じていたのですが、ここではそうではないのか、もしくはもはやそうではないのか。
まあ、わからないことはわかりそうな方に訊くのが一番合理的です。
「失礼ながら……お話を聞かせていただいても?」
「……ああ、いいとも。キミの本質は目で見てもわからない性質のようだね。よくそこまで積み上げたものだ」
「ありがとうございます。ではまず……あなたが、あの本の作者。そして転生者の方ですか?」
「ああ、まあ否定するほど間違ってはいまい。強いて言うなら、私が描いたのは頼まれた挿絵だけだ。本文の方は完全に知人の作さ」
やっぱりですか。
『鑑定』の魔法は残留思念を読み取り真贋を測る魔法。
通常は生体を対象には発動しないそうですが……私は、あの動く魔導書を『生きているようだ』と感じました。その感覚が本質に近いものであれば、こういった『対話』もあり得るとは思っていました。
『優れた芸術には作者の魂が宿る』と言いますが、この場合は逆に『思念や魂を分け与えることで芸術品に特別な性質や価値を与える能力』あたりですかね。
そして、契約の宣言受理のために思念が活性化されることでこうして『鑑定』の魔法を通してご本人の姿がはっきりと目に見えるようになったと。
「では、あの本の仕組みについては何も知らないのですか? 用途も?」
「いいや、仕事の目的は聞くタイプだ。わかっているよ」
「では、答え合わせをお願いしてもよろしいでしょうか? 絵の片手間でも構いませんので」
「ああ、ならばそこの椅子に座るといい。ここでは立っていても疲れないかもしれないが、私だけ座っているというのも悪いからね」
「ではお言葉に甘えて」
いつの間にか出現していた木製の椅子に腰かけます。
ふむ、なかなかの座り心地。あちらで暇があったら再現してみましょうかね。
「では、まず一つ確認したいことがあります」
「いいだろう。言ってみたまえ」
「あの魔導書の内容、その要点は『不老不死を実現する方法』……そして、私たちが『魔導書の呪い』と読んでいたものこそが、その『研究の結論』である。この考え方で合っていますか?」
至極簡単な話です。
『生きているから死ぬ』のなら『生きてさえいなければ死なない』。神器という無生物の持つ不壊の属性を人間に与えることで不老不死を実現するというテーマの研究は……結果としてどうしても、その『不壊』が実現している間は対象となった者を『不動の物体』にしてしまうことでしか実現できなかった。
全身石化したとしても死ねない呪い……それは、裏を返せば石となって人間の耐えられない環境や時間の流れに耐えられる状態になり、なおかつ生き続けられるということになります。
「うむ、私が彼から聞いた説明とも一致している。その考え方で合っているよ」
「それはよかった。であれば、後の真実は芋蔓式です。本来は『魔導書の呪い』というものは未熟な者が危険な魔法を習得しないための防衛措置として仕込まれたものですが、今回の場合はそうではなかった……どんなに熟練した者が読んでも石化する。それが正しい現象だった。だから通常の解読に使用するフィルターなども意味をなさない仕掛けになっていた。むしろ、情報が欠けてしまえばその方が危険であるために、あなたに『読み始めたら必ず完読させる仕掛け』を頼んだ。違いますか?」
「ああ、違わないとも。だからキミはここにいる。そうだろ?」
男性の顔は感心するように私に笑みを向けます。
彼はいつか誰かがこの『残留思念の世界』に来るとわかっていたのですかね。
「はい。『石化する』というのが順当な手順として組み込まれているというのなら、当然それを解く手段も魔導書の中に用意されているはずです。そして、どこにその手順の必要性があるのかを考えれば、その上でちゃんと内容を読み返せばどうすればいいか簡単にわかることです。何せ、ご丁寧に石化しても本の内容を不便なく読めるように本が動くようになっているのですから……『安易に不老不死を望む者がこの魔法を習得することを防ぐため』。それが最重要です。ある意味、魔導書のトラップの目的として非常に順当です」
『完全に石化したら死ぬことすらできず動けないまま永遠に苦しむことになる』。
そんな思いをすれば、テーレさんが提案したように安楽死する方もいるでしょう。
石化が進行し不便を実感していくほど、こんな魔法で永遠を生きようとしたところで意味がないというのを実感するでしょう。
まあ、条件を整えて解けるようにしておけば冷凍睡眠のような手段として使用できるかもしれませんが、それもリスクを十分承知した上でするべきことです。
ただ『死にたくない』というだけで『不老不死の研究』に手を出した者にその無意味さを解く魔導書。
そして、それが目的であるのなら解呪手段もすぐにわかります。研究を悪用しないことを心から誓うこと……魔導書に付属した契約書への同意。
それができない、あるいは石になってもただ動けないままに生き続けたいという方はそのまま石になっていればいい。
自分が永遠に生きるため、あるいは他人に永遠の苦しみを与えるため、そういった目的で魔導書の中の魔法を習得しようという意志が欠片でも心の中にある者は契約に失敗し魔導書の中の危険な魔法の漏洩の可能性を封じる。
要は、魔導書の最後についていた契約書は『この魔法を絶対に悪用しないというのなら契約に同意しろ。そうすれば石化を解除する』そういった旨が小難しく書かれていた。ただ、それだけのこと。
おそらく、契約書もまた一種のマジックアイテムで強い強制力を持つものなのでしょう。
「ふむ……なるほど、キミは秀でているというよりどこかずれているようだね。そして、それに自覚がない。自分が他人より優れているという認識を拒んでいるのかい?」
「私は特別優れた人間ではありませんよ。私なんぞ下から数えた方が早いはずです。まあ、今回に関してはクルトさんは単純にまだ若すぎました。定石から外れた『悪用禁止を強いる契約書の組み込まれた魔導書』というものを想定できる知識がなかった。それだけのことです」
「そういうことではないんだがねえ」
「私の場合は、そも『魔導書』というものの一般的な形式についての知識がなかったので、巻末の契約文に見られた書式の変化も最初からそういうものだと捉えてしまいました。『呪いを受けないように読む』のが正しい手順と聞いていて、『呪いを受けるのが順当』というパターンに思い至るのに少々苦労しましたし。まあ、一般的には呪いを防ぐために全ての部分を通しで読んだりせずバラバラにして少しずつ解読するのでしょうし、転生特典でも利用しなければこんな仕掛けはできないのでしょう。でないと解呪に必要な部分を読む前に魔法発動部分だけを読んで石化してしまい『詰み』に陥ってしまう場合がありますから」
「……恐ろしい目にあったのに、怒らないんだね」
「私は作者の『善意』と『善意を信じたいという心』を信じました。ただの理不尽なトラップとしか使えない魔導書擬きではなく、ちゃんと正しく読み解けばその叡智を分け与えていただける書物であると……そして、禁忌に指定されるべき危険な研究であり悪用されればとても惨たらしい惨劇が起こりかねない魔法であっても、いつか正しい心を持つ誰かが世界をよくするために必要としてくれる。そうあって欲しいと願い自身の研究努力尽力の結果を後世に残そうとした、私がそう考えた時どのような手段を取ればいいかを考えれば納得できる仕掛けでした。強いて言うなら、文体が堅苦しく回りくどいのが難点でしたね」
「そちらに関しては私が書いたわけじゃないからね」
「もっと簡潔に『これはすごい研究成果だから後世に残したいのだが、悪用されると困るので絶対に悪用しないことを心から誓える者にのみ読んで欲しい。それができないのに読んだ愚か者は石になるか死ぬか選べ』と冒頭に書いていて欲しかったです。それがあれば一度目で済みました」
「はは、ならばキミがこの魔法を後世に継ぐ時にはそう書いておいてくれたまえ……この本は処分するつもりなんだろう?」
まあ……その通りですが。
もっと反対されるかと思いました。
「はい、クルトさんの石化が解けたのを確認し次第。元々、転生特典の込められた物品は天界に返上する決まりです。それに、おそらくですが……この魔導書は、この世界にとってはまだ早かったのでしょう」
よくできた仕掛けではありましたが、研究の漏洩の危険は拭えません。私とライリーさんのように内容を全て記憶できる者が他者に魔法の本質部分だけを伝授できる可能性もあります。
そして、この魔法はグラード氏のように低層民を純粋な資源、資産、労働力のように見なしている権力者から見れば『維持費を必要とせず人間を保管できる魔法』と理解できるでしょう。
彼らがその石の中での孤独、そしてその時間による知人親類との時間の乖離にどれほどの苦痛心労苦悩を覚えるかを考慮せず。
人が死を恐れている間は、そして限りある資源の枯渇に怯えている間は、この魔法はまだ世に出回るべきではないのでしょう。
「そうかい。では、私も年貢の納め時……まあ、私の本体は既に死去しているだろうがね。私もあるべきところへ還るのみだ……しかし、この私としてキミに訊いておきたいことがあるんだが、構わないかね?」
「はい、『鑑定鏡』も不安定ですので、時間もあまりありません。遠慮なくどうぞ」
この世界は『鑑定鏡』を使って見ている残留思念の輝きを元にした共感覚による錯覚の世界。
こうして会話が成立していること自体が奇跡のようなもの。ならば、その奇跡を無駄にすべきではありません。
「では訊ねよう。キミは……転生者、それも『日本人』だね。昔、知人から少しだけ聞いた日本語らしき言葉を発していた気がする」
「はい、その通りです。私は……私の前世と呼べる存在は、日本で生まれ育った人間ですよ。私自身今も日本人と呼べるかどうかは定義にもよりますが」
「そうか……時代は? 私の頃からこちらでは大分年月が経っている。世界間の相対的な時間の流れは変動するらしいが、キミはいつの時代……何世紀から来た?」
「二十一世紀初頭です」
「そうか……ならば、最後の質問だ。第二次世界大戦はどうなった? 世界は……ドイツに、独裁者に支配されてしまったのか?」
……そうですか。
それが、転生したあなたの最後の心残りというわけですか。
私は自分が去った後の世界がどうなっていても気にならないタイプですが……あなたは、大切な何かを遺してきた方なのですね。
「ご期待に添える答えかはわかりませんが……世界征服をもくろんだ独裁者は一度は世界を征服しかけながらも、最終的には滅びましたよ。世界は未だ混沌としたまま、ここ五十年以上は世界大戦はなく各国が睨み合う程度の……全体としてみれば、平和な世界でした。少なくとも、前世の私の知る限りでは」
私の返答を聞き入れた転生者の男性は、私の顔をじっと見つめて……目を潤ませ、顔を伏せました。
「そうか……それは、よかった。本当に……世界は護られたんだな……」
世界がぼやけて行きます。
『鑑定鏡』の限界……いえ、どちらかというと彼の残留思念の消滅。成仏、というものかもしれません。
彼の姿が立ち上がったわけでもないのに遠くなっていきます。
「ありがとう。ここに来たのがキミでよかった……私の名はアドルフ、ただのアドルフだ……ただの、画家になり損ねた男だよ。そんな私でよければ、キミの今後を死後の世界から祈らせていただくよ」
最後に聞こえたのは、軽い笑い声だけでした。
重荷を下ろしたような、長い仕事から解放されたような……そんな、悪霊でも悪役でもなんでもない、ただの死者からの、ただの満ち足りた歓喜の残響だけでした。




