第51話 夢魔の少女
side 狂信者
あまり遠くはなく、それなりに鮮明な光景。
『お父様……お願い、やめて……どうして、剣なんか……』
『すまない、娘よ。だが、この家はもう終わりだ。ならせめて、奴隷共に辱めを受ける前に……』
『いやぁ!』
振り下ろされる凶刃。
飛び散る血液。命が抜け出ていき虚ろになる少女の瞳。
不幸な結末……少女には、何が悪かったのかもわからない。
『お父様……どうして、一体誰が……お父様を……』
毒に倒れ、息を引き取った男の冷たい手を握りながら啜り泣く少女の姿。
少女の行く先には、道標もなく出口も見えない暗い道だけが残されている。
『お父様が死んでしまって、お兄様も捕まって……私、これからどうしたら……』
『失礼致します。私はとある研究施設の者です……お父様のご不幸をお悼み申し上げます』
『あなた、誰なの?』
『お父様の知人です。生前、彼とは良き関係を結んでいましたが……この度は、あなたの後見人を務めることになりました』
覚悟もなく策略と権力の世界に投げだされた少女は何も知らず、その意味を知らぬままに闇の中へと呑み込まれていく。
『おい、この小綺麗な死体はなんだ? 自殺か?』
『ああ、元は貴族の娘さんらしいが、親が馬鹿やって没落したんだとさ。身につけてるもん売り払えば田舎に行って暮らすくらいできるだろうに。なんで簡単に死んじまったかねえ?』
『低層民の暮らしなんて死んでも御免だったんじゃねえの?』
低層民の人としての『価値』を知らない少女は、その立場に落ちた自身に価値を見いだせず、無価値で苦痛しかない人生に絶望し、抵抗なく首を括る。
これは妄想空想仮定仮想の話。
事実でも真実でもなく、結実もしなかった現実と無関係で無意味な光景。
置かれた賽の上面、目の代わりに映し出されたぼやけた景色。
こうして『まだ現実になっていないこと』がはっきりと見えるようになったのは、この世界に来てからのこと。その前は心配症から来る悪い予感の域を出ることはなかったのですがね。
最初に見えたのは、あの測定結晶の事故のすぐ後、治療後に安静を命じられしばし休んでいた時のことでした。
内容は六分の四の目でテーレさんに性的に襲われるというなかなかに衝撃的なものでしたが。
初めてだったのでそれが実現するという確信はありませんでしたがね。
今回は、私から賽を選んで振りました。
振った賽の側面には、自ら縄を求め手を差し出すグラード氏が、父親を説得し改心させたカーリーさんが、市長と手を取り合い巨悪への対抗を約束する商会の支部長の姿が映し出されていました。
しかし、観測推測予想希望、現実となる目は振った賽の上面ただ一つなのに、振らなかった賽や振った賽の出なかった目を確かめることになんの意味がありましょう。
私は神様ではないのですから。過去をやり直すなど無理な話です。振り直しなどできないのに、別の目が出たらなどというIFを考えることに意味はありません。
人にできるのは、賽を振るのみ。
例え、出た目が最も好ましいものではなかったとしても、その目に従うのみ。
ならばせめて、少しでも望みの目の多い賽を。
目の前の悪を排除した所で、その後に少しでも明るい未来がなければ、罪のない少女一人すら幸福になれないなんて、なんとも益がない話ではありませんか。
テーレさんに何も言わなかったのは、どうやってもカーリーさんが不幸になる目はなくならなかったからです。
どうやっても、グラード氏がこれまで偽金と低層民の人身売買で得ていた利益の帳尻は合わせなくてはいけない。何も知らなかったとはいえ、カーリーさんの生活を少なからず支えていたのも事実です。
生来の性質があるが故に、却って誰よりも善であろうと求めるテーレさんには、罪のない少女を不幸にする可能性のある作戦の全容を伝えるべきではないと思ったのです。
責を負うのは、その筋書を考えた私だけで十分ですから。
「いい心の闇……おいしそうだわ」
……おや?
いつの間にか、暗い部屋に来てしまいました。
いえ、それ以前に私はどこからどうやってここに来たんでしょうか?
「戸惑ってるのはわかるよ。だからわたしが教えてあげる。ここはわたしの世界。心に傷や闇を抱えた人間を招き入れる、暗くて温かい世界……わたしのお腹の中」
目の前には……黒髪に、黒くて薄い寝間着のような服装の、十代後半ぐらいの大人になりかけの少女が、寝台に横たわりながら微笑んでいます。
はて、見たことのない方ですが……あちらは、私をよく見知ったように、親しげに語りかけてきます。
「さあ、こちらへいらっしゃい」
真っ暗で灯りもないのに、何故か目の前の少女と彼女の横たわる寝台だけはハッキリ見える謎の空間。
少女の招きに従い、寝台に歩み寄ると彼女の姿はより鮮明に認識できるようになりました。
「おお、何ということでしょう……いえ、目の前に現れたからには目をそらしません。さあ、起き上がって座ってください。横になったままではよく全身が見えませんので」
「え、いや、わたしはあなたを……」
「少々お待ちを……おっと、丁度こんな所に椅子が。使わせていだきます。ふむ……なるほど、こうして向き合って観察するとまあまあ悪くありませんね。いえ、願望的なものなら悪くないのは当然かもしれませんが」
「……ねえ、あなたわたしのことをなんだと思ってる? こんな艶めかしい姿を前に何を冷静に観察してるの?」
「何をとは……あなたは我が深層心理の具現様では? まさかこんな姿になりたい願望があるとは、我ながら驚愕ですが」
「違うわ!」
どうやら違うそうです。
いえ、私の深層心理が性別的に表層的な私と対極なように、彼女は無意味な嘘が大好きなのかもしれません。まだ判断を下すには早いでしょう。
「あなたが私の深層心理の類でないというのなら、一体他にどんな可能性があるというのでしょうか。そもそも……ここは、私の夢の中ですよね? 私の夢の中に私の心以外を由来とする存在があるというのもおかしな話です」
椅子が必要だと思ったらいつの間にかありましたし、どことなくディーレ様が夢の中に語り掛けてくださったときの空間に似ていますし。細部が気をつけないとぼやけるところなど。
「あ、あら、夢だって気付いてたの。大した勘ね。でも、夢の中だからって何でも自分の思い通りになると思ったら大間違いよ? だって、わたしはあなたの一部なんかじゃないんだから」
「それはごもっとも。こうやって対話の形式を取っている以上はこの『私』も全要素を統合したものではなく一側面、一つの視点として認識するべきでしょう。表層的な思考パターンが強調された面、あるいは肉体的な特徴への結びつきが強い側面と表現すべきでしょうか。そう考えれば明らかに現実の私と姿形の異なるその姿は混乱を避ける上でとても合理的です」
「い、いや、そうじゃなくてね? わたしはあなたの空想の産物とかじゃなくて……正真正銘の『悪魔』なのよ? あなたの心の隙を狙って夢に侵入したダークスピリット。わかる?」
「悪魔とは誰の心にも宿るもの。私は聖人君子の類ではありませんし、自身の中にそういったものがあることも不思議とは思いません」
「いやだから、そういう精神論じゃなくてわたしは外から入ってきたモンスター的なもので……」
「わかります。誰しも自身の恥部汚点悪癖は外因により生まれた怪物のようなものであってほしいと願います。しかし、その多くは結局の所はやはり自身の内部から発生するもの。まずは認めましょう。私には罪があるかもしれない。まずはその仮定から考察を始めましょう」
「いや! 何もわかってないから! てか何この人! 人の話全然聞かない!?」
「なるほど、もっと他人の意見を取り入れるべきと。やはり深層心理の私の方が私自身の問題点を真っ直ぐに提起できるようですね。では、どうやったら今回の件について他人の意見を取り入れられたか、そこから議論を始めるとしましょうか」
「その前にわたしの意見を取り入れて! 自分の内面ばっかりじゃなくてわたしを見て!」
「……はっきりと視認できていますが?」
「もうやだこの人」
ふむ、どうやら彼女は単純に私を否定するだけの存在ではないようですね。ひどく唸りながら頭を抱えています。
そして、体感で数分ほど立つと、悩み疲れたかのように私に目を向けます。
「……もう、深層心理でもなんでもいいから。もう誘惑するのもやめた。力尽くで血と精力奪い取ってやる!」
おや、彼女の黒い髪の毛が蛇のようにこちらの身体へ巻き付いて来ましたね。
しかも皮膚に先端がチクチクと刺さっています。
ふむふむしかし……
「アッハッハッ! 夢の中で夢魔のわたしに抵抗できるものならやってみなさいっての!」
「了解しました。お望みとあらば、私はそれに全力で応えましょう」
「えっ?」
「では、まずは第一試行として霊能系魔法を試してみましょうか。【瞬間点火】」
魔法の基礎の基礎『指先に小さな火を灯す魔法』を全身で発動しました。
魔法名は私自身が火傷しないために瞬間的に最大火力を出すように少々改変しました。
発火点を広げることができるかという点については、事故ではありましたが最初に魔法を使おうとしたときに全身発火したイメージは残っていますし。
触れた相手を怯ませる程度の効果はあるので、いつでも身体のどこからでも使えるようにイメージトレーニングはしていました。
留置所は魔法禁止でしたが暇でしたし。
そして、予想通りではありましたが、現実世界では物理的破壊力に乏しい霊能系の魔法による火炎も、精神世界では本物の火になるようです。
自滅する前に一瞬で消しましたが、髪の毛は瞬く間に燃え上がり……
「ぎゃぁぁああ!」
転げ回っていますね。
寝台が出せるなら水なり消火剤なり出せばいいと思うのですが……『私』にしてはちょっと弱すぎませんか?
私の対極として顕現したのならもっとこう、敵意や悪意を持つのに不得手な私の予想もしないような悪辣で外道でなりふり構わないような手で迎撃し返してきそうなものですが……
「ふむ……どうやら、私の深層意識の具現様ではなかったようですね。これは失礼を」
というか、身体が透けてきてますね。
燃え尽きて末端から崩れていくのではなく、全身が存在感を失くすように薄くなっていっているようです。私の夢から外へ帰っていくという感じでもないですし、存在そのものが消滅しかかっているかのような苦しみ方に見えます。
「あのもしや……あなた、瀕死なのですか?」
窮する者を追い込むなかれ。
怒った獣よりも恐ろしいのは飢えた獣。
彼女が私の一部であるにしろそうでないにしろ、それを見過ごすのはよくはありませんね。
「とりあえず、消火しましょうか」
はてさて、夢の中なので水を召喚して火を消し、ついでに救急箱を召喚して手当てしながら事情を聞いてみたわけですが……
「なるほど、テーレさんに浄化された鎧の中にいた悪魔さんがあなただと。そして、消えかけたままどうにか聖水に混ざっていた血の気配から私を見つけ出し、テーレさんが離れた隙を狙って夢に侵入したと……一番の目的は私の血、ということで理解は正しいですか?」
異様に弱いと思ったのも当然のこと。
既にテーレさんから致命傷を受けて死に体、夢の中では私の精神が弱まれば優位を保てるからと虚勢を張っていただけと。
今の状態を簡単に表現すれば『消滅していないのが不思議』、と言ったところですかね。
「まだ、あの聖水の浄化力が……痛っ、それを、消すために……」
「なるほど、聖水とはあなたのような悪魔にとっての猛毒のようなもの。毒の抗体を作るためには毒そのもののサンプルが必要だということですね?」
おそらく、夢の中で採取できるのなら必要としているのは物質的な血液ではなく、血液の魂のようなものでしょう。
だとすれば……
「私が承認すれば、スムーズにあなたに血を与えることもできるのでしょうね。それと、落ちた力を取り戻すための栄養のようなものも」
「そうよ……でも、もう誘惑する余力もないわ」
確かに、息も絶え絶えですし、先程のように身体を起こす力もありません。先程の私の反撃が止めになってしまったのか、このまま放置していれば消えてしまうでしょう。
では、急がなくてはなりませんかね。
「そうですね。では、誘惑は結構です。その手順を省略して質問に入りましょう……あなたは、そのように消滅の危機に瀕して、苦痛を感じるほどに気を張ってここにしがみついて、『生きよう』としているように見えます。しかし、その必要はないのでは?」
まあ、頑張っている方の努力を否定しかねないような質問なのはわかっていますが、遠回りに尋ねるような時間の余裕はないので。
「拘留中にテーレさんに聞いた話では、悪魔という存在にとって浄化という行為は苦痛を伴うものの、消滅……天に還る昇天の段階に至っては苦痛はなく、むしろ染み付いた憎悪や呪いから解放された安らかなものだとか。あなたは既に、そのしがみつく手を緩めればそのまま天に還る段階と見えます。ならいっそ、我慢をやめて次の生へ向かう方が楽なのでは?」
やはり、質問で張り詰めた集中が揺さぶられたのか、存在が揺らいだようなノイズが走りました。
しかし、依然として彼女はここにいます。その意志力で、私の精神にしがみついています。
「では……あなたは浄化され、悪魔となるほど深く背負った憎悪や呪いを失いながら……それでもなお、この世界に残りやり遂げたいことがあるのですか? 死後の世界が怖いから、というふうには見えません。この世界にこそ生きようとしているように、私には見えるのです」
もはや、意識も朦朧としてきたようです。
私を見ますが、瞳の焦点が合っていません。夢の中なので、意識の集中ができないということの表れなのかも知れませんが。
「私は……あいつらを……わたしたちを、鎧に押し込んだやつを……わたしたちを、ゴミみたいに扱った……あいつを……!」
しかし、その言葉は絶え絶えながらもハッキリと聞こえました。
奥歯を噛み締め、眉間にしわを寄せ、声を震わせ……怒りを、示していました。
「なるほど、浄化されても残る憤怒……それが理由ですか。了解しました」
それがただの復讐心なら、それは他人に自分と同じ不幸を負わせようとする『悪』でしょう。
しかし、浄化されない感情であるならば、それはきっと……やれやれ、この世界はやはり、素晴らしいですね。
悪魔までもが、狂おしいほどに、好ましい。
「悪魔は人間の魂を取り込み力を付けると聞きました。そして、その他にも心の闇や呪い、強い負の感情と繋がった記憶や他者への悪性の感情をエネルギーとすると……世界への害意という『負の信仰』を取り込んで、世界の歪みとして自己を確立し、より強い存在力を得るとも……まあ、この世界には魔力があり精神が現実を歪める以上、悪魔という概念がなくともどこかに負の感情の顕在が発生しそうな気もしますから、存在悪とは思いませんが。要するに、あなたが持ち直すには私の血と、私の心の闇が必要なわけですね」
ならば、用意しましょう。
ここは夢の中。彼女の胃袋の中。うまく消化できないというのなら、私が飲みやすくして自ら差し出せば、咀嚼する必要すらありません。
椅子が出せるのなら、魔法が使えるのなら、私から必要なものを差し出すのは簡単です。
テーレさんも口にしていました。魔法はそれを制御する人間に限界があるだけで、魔法そのものは何でもできるのだと。
ならば、自身の精神の中でその現象を望むのであれば、それが『できない』と自ら可能性を狭めない限り、あらゆることが可能なはずです。
「選んでください。私の左手には、先程の炎と同様に魔法で作り出した『浄化の光』があります。効果範囲が外に漏れないように圧縮してはありますが、直接触れれば十分に効果を発揮するでしょう。苦しみから逃れることを望むのなら、これを呑んでください。一瞬で楽にしましょう。そして、右手には私の血の魂と、私のいらない記憶が溶けた杯があります。これを飲めば、存在を維持することは可能でしょう……ただし、これを飲むのならば、条件があります。あなたの魂、あなたの存在全てをいただきましょう。私がこの世界でテーレさんと共に戦っていくための武器の一つとしましょう。私の魂を切り売りして、それを血肉として生き延びてもらうのです。それが等価でしょう」
魔法を使うためにイメージ力は鍛えていましたから、望んだものはすぐに出現しました。
これらはただの舞台の小道具ではなく、特殊な意味を込めた比喩的表現術式。左手を選べば、宣言の通り浄化の光の魔法が起動し彼女を一瞬で天に還します。右手を選べば、自動的に私が切り離した魂の一部の譲渡が開始されます。
「まさか……悪魔に魂を、売る、どころか……悪魔の魂を、買おうと、するなんて……」
「より確実な善行を重ねるには、手札は多い方がいいでしょう。幸い、あなたは既に浄化された身。存在的に悪魔であるというだけ、属性はほぼ中立。問答無用で討伐するべき存在ではありません。ならば……手元に置き、心残りを清算し、立派に改心して笑顔で天に還っていただくというのが最善でしょう。私の闇を取り込んで力をある程度取り戻したところで、あなたが『ただの悪魔』に戻ろうとしたのなら私は必ずあなたを浄化します。私の全身全霊を賭けて。そういった契約です」
「ふ、ふふ……裏切りは、赦さないってことね」
「そもそも許可しませんよ。私も、好き好んで信じた相手を消滅させたくはありません」
「……約束、して。『研究施設』に……あいつらに、復讐することだけは、止めないで」
「了解です。それが正当な報復の範囲であるならば」
右手から杯がひったくられ、その中のどす黒い血のような液体が彼女の口へ流れ込みます。
予想以上の栄養価があったのか、その肌色はみるみる回復していき、目にも強い意志が宿ります。
「……ぷはっ、なにこれ!? すごい濃い上に飲んでも飲んでもなくならない! これ、なんの記憶!?」
「口に合ったようで何よりです。なに、特に使い道もなく、開くこともできなかったので構いませんよ。前世で死んだ瞬間の記憶など、今は関係ない話ですし」
「……え?」
「記憶を辿ってみたのですが、どうにもそこだけ想起できないようになっているらしく。おそらく、転生の処理として封印されたのでしょう。地下鉄に轢殺されるという大往生とは程遠い死に様でしたし、その手の記憶はそのままだと転生者が廃人になりかねませんから、神々の慈悲というものでしょう。バラバラになって首だけ転がっても数十秒なら意識がありますしね。思い出せませんし、思い返す必要性も感じないので差し上げます。しまい込んで腐らせておくよりはちゃんと食べられるあなたの栄養になってくれた方が前世の私も報われるでしょう」
私の話を聞き、飲むのを止める悪魔の少女でしたが、その様子は杯を忌避するものではなく、むしろ本当に自分が飲み干して良いのかと問いかけるようなものでした。
何故でしょうねえ。いらないものの廃棄を押しつけて怒られてもおかしくないと思うのですが。
「……きっと、これからどれだけ悪魔を続けていても、こんな濃厚な闇は二度と口にできない。あなたがこれをいらないものと思って差し出したのだとしても……これは、それだけ重要な記憶。だから、ここに誓います。わたしはあなたの使い魔として、約束が果たされるまで仕え続ける。この杯に誓って、わたしはあなたを……主様を裏切らない」
「ふむ、いいでしょう。飲み干してください」
夢魔の少女は最後の一滴まで、絶対に零さないようにと丁寧に杯を飲み干しました。
そして、先程までとはまるで別人のように、一回りも二回りも強力な気配を放ちながら、私に微笑みます。
「まだ名乗ってなかったね。わたしはライリー。特技は精神への侵入、それと気配を消すこと、気配を探ること」
「それは助かります。取れる手段の幅が広がります」
一週間も私がテーレさんに護られていないタイミングを探して張り付いていたということは、消えかけていたとはいえテーレさんにも見つからずに隠れ続けることができるほどの力があるのでしょう。
それに、夜番を任せられるなら深く眠れていないテーレさんにしっかり休んでもらえるので大いに助かります。
「こそこそ隠れて夢に忍び込むくらいしかできない低級の夢魔だけど、精一杯頑張るので、よろしくお願いします」
精一杯頭を深く下げてそう言われると、少しこそばゆいというか逆に申し訳ない気がしますねえ。
私はただ、もう使うことなく埋もれていくだけだった物置の中の記憶を譲り渡しただけなのですが。いらないものを処分ついでに高価格で売りつけただけでここまで感謝されると軽く罪悪感すら感じてしまいそうです。
自身で低級と言うくらいですし、些細な心の闇でも十分にエネルギーになるのかもしれませんが……低級の、低級の『インキュバス』?
「……すいません、今、何と言いましたか? 聞き間違いかもしれませんが……『夢魔』ではなく?」
「うん、夢魔だけど?」
……いやはや、天使や悪魔は性別が曖昧だとはよく聞きますが、ここまでとは。
テーレさんにも今度、ちゃんと性別について確認しておくべきですかねえ?
※テーレさんの性別はちゃんと女性です。




