第50話 より善き一手
side テーレ
鎧の警備ゴーレム暴走事件から一週間。
商会と市議会という二つの公的機関から発表された情報はあまりに突飛なもので、多くの市民が困惑を余儀なくされた。
まず第一に、市長グラード・ローリーの急病による昏睡および退任。そして、同時にその娘カーリー・ローリーの当主就任……並びに、彼女自身による父親と兄を対象にした告発と処罰。
同時に商会が発表した偽造金貨。その故意での所有、使用、並びに入手に携わったローリー家元当主のグラード・ローリーと長男のクロード・ローリーは貴族としての立場を悪用して私腹を肥やしたとして、当主の不在時の臨時権限の元、カーリー・ローリーの当主権限により貴族としての権威を剥奪された。
さらに偽金による金銭的被害を埋め合わせるためのペナルティとして個人資産、個人名義の財産と利権を没収。
そして、その一連の処理による繰り上がりで正式にカーリーが当主に収まったという流れらしい、公的には。
ことの後先がほぼ逆転しているようなおかしな話だけど、貴族社会ではそれほど珍しい話ではない。
同じ家の中で自身より立場の高い者を失脚させるため、相手の発言する手段を封じて一方的に弱みを白日の下にさらし、身内の罪は身内で裁くと権限を奪う。
そして、自身より継承権の高い者を全て排除し、現当主を陥れて自分が当主だと宣言する。
今回の場合、カーリーの上の継承権持ちは中央の学院に留学している兄一人。そして、彼は偽金の入手に協力していたために、父親の罪が明らかにされると同時に罪人となり発言権と継承権を失った。本人がこの街にいれば話は別だっただろうけど、中央にいる彼は反論をするには余りに遠すぎた。
彼に情報が届く前に全ての手続きが済んでしまえば彼にはどうにもできない。
何せ、この当主継承は偽金という大きな罪の告発とセットになっている。その罪を検挙する商会はその保証人に近い立場になる。
商会は一貴族の権限で決定をねじ曲げるにはあまりに大きい。
カーリーはまだ年齢的に幼いけれど、後見人に商会の支部長が収まれば、誰も文句は言えない。
何より、カーリーは市民を味方に付けた。
父の罪状に市民への職権乱用を加え、それを悪事と認めることで改革を実質的な公約としたことで強い支持を得た。
たとえ、グラードの急病が不自然だったとしても、あまりあるくらいに。
この世界の市長は領主制度の一部で統治を担う貴族の地位、つまり世襲制。
性別にも年齢にも制限はないけど、先代の急死で幼い子息が便宜上の地位を継ぐだけならまだしも、告発により自らの手で地位を手にするというのはなかなかに異例のことだった。
僅か十一歳で実の父親と兄を失脚させ、市民の支持を得た市長となった彼女は、口々にこう噂されるようになった……
『身内の悪事を許せずそれを正し、街の歴史上最年少で市長の座を己の力で手中に収めた、正義の貴族』と。
事件から七日目にして、マスターは正式に無実が確定して釈放された。
被告人のグラードが昏睡して言葉も話せなくなり、被害者のカーリーが市長としての発言力で改めて無実を証言したのだから当然の流れだった。
だから私は……留置場を出たマスターを路地裏に連れ込んで、問い詰めた。
「マスターこれはどういうこと! あの薬は、マスターが自分で使うんじゃなかったの! 最初からこのために……」
「ええまあ、毒の対策にという意味はもちろんありましたが、このような場合に確実性の高い手段を与えておくべきだと思いまして……テーレさん?」
「どうして私に言わなかったの!」
マスターの胸ぐらを掴んで壁に押しつける。
拘束攻撃限定でマスターへの攻撃を解禁されてる私にできる、最大限の攻撃。
こうでもしないと、気が収まらない。
「毒を盛るのも! 不正の証拠を集めるのも! 私に命令すればそれでよかった! それなのに、よりにもよって……わざわざ子供に、実の親を手にかけさせるなんて……何を考えてんのあんたは!」
あの手の込んだ『社会見学』も、それまでの家庭教師としての潜入も、全部がこの結果に収束している。
直接触れ合って、一緒に街を見て回った私にはわかる。
カーリーは世間知らずの箱入り娘で突飛なこともしたけど、異常者ではなかった。こんな風に、使用人を掌握して父親に毒になる薬を盛るなんてことを自分で思いついてやる少女ではなかった。
計画して誘導したのはマスターだ。
マスターは……あの市長グラードが一番無警戒な人間を、最愛の娘を操ることで隙を突いた。
そんな必要ないのに。
私なら、屋敷に忍び込んで毒を盛るくらい造作もない。素人の箱入り娘にやらせるよりずっと確実に。
それをわざわざ……あの子に、手を汚させた。
「……落ち着いてください、テーレさん。私は何も、意味もなく彼女に負担を強いたわけではありません。それに……確かに、彼女がその決断をしたときし損じることがないように準備は整えていましたが、最終的に選んだのは彼女自身です。彼女が動かなければ、予定通り商会がローリー家を告発し、彼女は単なる『犯罪者の娘』になっていました。それでは、あまりに無益です」
もしも商会が単純に市長を告発していたら……当主の金は家の金、家の人間は自動的に同罪になる可能性は高い。
そうしたら、この街には混乱の後にローリー家とは無関係な新しい市長が生まれて、私たちとは関係のない人間が権力を握る。
だけど、あの子が父親と兄を告発したことで、あの子だけは『無罪』になった。何しろ、今まで何も知らず、偽金取り引きどころか買い物すらしたことがなかったんだから。
そして、それによってローリー家は貴族として存続する。
あの子が小さい内は実質的な執務は別の誰かがやるだろうけど、私たちは強いコネクションを持った貴族の家と、その貴族が治める街といういざという時の拠点を手に入れることができる。
確かに合理的だ。
『偉業』の達成のために受けられるバックアップは多い方がいいっていうのは、商会を味方に付ける意味を説明するときに私自身がマスターに念を押したことだった。
それでこいつは、一石二鳥を狙った。
私は商会に恩を売ることだけを考えていたけど、こいつは自分の息のかかった娘を当主にすることでローリー家の後援まで手に入れた。
本来なら敵対した立場として完全に潰すか禍根を残すしかないのに、ゼロかマイナスにしかならないものをプラスに変えた。
負けようのない勝負だから好き勝手させた。
精々、勝率をさらに補強するための情報を集めてくるくらいだと思ってた。
だけど、マスターは勝つことは当然として、その決定打になる情報をさらに担保にして、勝って得られるチップを最大化した。
その過程で、一つの父娘の関係を決定的に破壊して。
「……マスター。あの子に、カーリーに市長をやらせたのは、市長への罰のつもり? 悪徳貴族だから、考え方が間違ってるから、罰を……絶望を与えようとしたの?」
もしそうなら、間違っている。
それは傲慢だ。
この世界の住人を見下す他の転生者と同じになってしまう。そうなればいつか……。
「……? いえ、彼の考え方については一概に間違いだとは思いません。むしろ、彼は彼の生まれ育った世界と時代に即した合理的思想と価値観を貫いていました。まあ、一世代ほど順応が遅れていたかもしれませんが。この時代にその思想を維持するためには非合法な財源に頼る必要があったというのが残念です。しかし、それでも自身の価値観を貫こうとする彼の姿勢には敬意を示すべきだと考えました」
「敬意を示す……?」
「はい。だからこそ、私はその裁定を彼の遺産を継ぐべきカーリーさんに委ねました。彼は彼の価値観で、より多くの価値あるものを残そうとしていましたが、カーリーさんがその価値を理解共感共有しなければ意味はありません。価値観はあらゆるものに価値を与えられるものですが、価値観が価値観そのものの絶対性を保証することはできません。宝石が宝石の価値を決められないように。その価値観が正しいかどうかを評価するのは後の世代の人間です」
「そのために……『外』を見せたってこと?」
「はい、屋敷の中しか知らなければその中での価値観しか理解できませんから。テーレさんも何度か忍び込んで気付いたとは思いますが、あの屋敷の壁は異様に高く、古すぎます。きっと、グラード氏もそうやって育てられたのでしょう。邪推推測憶測の類いですがね」
それは……気付いてた。
あの屋敷が子供に徹底的に外を見せないような構造になってることも、それがここ十年そこらで造られたものじゃないことも。
だけど、私はそれを関係ないと気にしなかった。
これから倒す敵、落とす城、奪う首、その背景にある事情なんて考えなかった。
そんなものを一々考えていては何もできないから。
でもマスターは……この男は、そうじゃなかった。
『敵』を同じ『人間』として認識して、その思想を理解して……その上で、最悪の形で破滅させた。
そして、その最悪の中でも最もおかしな部分は……
「カーリーさん、いえ、今度の『御当主様』は本当に聡明で、自ら必要な決断を下せる立派な貴族です。偽金などについて一時的に不名誉を受け、低層民に対する無理のある権限などは失われても、ローリー家はきっと立ち直るでしょう。少なくとも、私はそう願いますし、最終的にはお家取り潰しになるよりはグラード氏の望みとも合致するでしょう」
これが悪意ではなく『善意』だということ。
憎悪も憤怒もなく、相手にとっても最善の方法として選んだ手段だということ。目的のために多少の背徳を許容したわけじゃなくて、信仰や道徳と目的を一致させた上でやったということ。
こいつは、商会で偽金を見つけてから始まったここまでの流れで、一切の妥協をしなかった。
これは、『コボルトを絶滅させる』という行為ですら決して『不可能』だとは考えなかった男に手段を任せてしまった結果。
間接的であっても、私の選択の結果だ。
「とは言っても、今はまだ私に怒りを感じているかもしれませんね……王命のための紹介状を頂けたらありがたいのですが……社会見学では怖い目に合わせてしまいましたし、嫌われてしまったかもしれません。お怒りの言葉だけで済めばいいのですが……」
彼らが得るものと失うものを計算して、この手を選んだ。
そして……
「……それは、私が行く。マスターは宿で休んでて。まだ屋敷に行くのは危ないかもしれないから」
「そうですか。確かにグラード氏に心酔していた方や甘い蜜を吸っていた方が残っている可能性もありますね。では、申し訳ありませんが謝罪もお願いします。グラード氏の刺客の暴走までは計算外でしたので。それに、彼女にはお兄様を出し抜いて当主の座を奪うようなことをさせてしまいましたので、そのことについても」
「謝るのは……そのことだけ? 前の市長はカーリーを屋敷に閉じ込めて、それが一種の虐待だったのは確かだけど、だからって私たちのために実の父親を手にかけさせておいて……」
「……? そうですね、確かにカーリーさんの決断には賞賛が必要でしょうし、これからの苦労を思えばそれについての謝罪もお願いしなければなりませんが……」
マスターはいつもと変わらぬ笑顔で、私とは違う世界を見ているかのように、『当たり前のこと』を語るような軽い口調で言葉を発した。
「子を虐待する『親』などいるわけないじゃないですか。残念ながらカーリーさんの親御さんは何年も前に彼女と一緒に暮らせなくなってしまったそうですが、彼女にちゃんとした『親』がいたのならきっと、彼女のためにできることをしていましたよ」
子を虐待していたのなら、それは肉親であったとしても『親』ではない。
もしもグラード・ローリーが心の底から娘の未来を考えていたのなら、親としてすべきことを考えていたのなら、彼の考えるべきことはカーリーを強行に踏み切らせたマスターへの復讐なんかじゃなくて、商会との交渉だった。
偽金の作り手に関する情報を差し出して、貴族としてのプライドを投げだして赦しを請う道しかなかった。
だから、こいつにとってあの貴族は『カーリーの親』じゃなかった。
ただ、『血の繋がった幼い子供を屋敷に監禁して愛でていた大人』でしかなかった。こうなる前に『善』を選べなかった時点で、そうなってしまった。
結果が間違っていたから、過程にあったはずのものを……半端だろうが、歪んでいようが、確かにあったものを『錯覚だった』と切り捨ててしまった。
それが『当たり前』の世界観で世界を見ているとしたら、こいつの目に映る人間の世界はあまりにも……
「……テーレさん、何か気分を害するようなことをしてしまったでしょうか。申し訳ありません」
「……え?」
「いえ、一瞬ですが、何かとても悲しそうな顔をしたような気がしたもので」
「……何でもない、早く帰って寝てろ。バカマスター」
あんたなんて、大っ嫌い。




