第36話 小綺麗な街並み
side テーレ
ラタ市に続く新しい街。
どこか寂れた木造建築中心だったラタ市とは打って変わって、馬車に乗って見えてきた新たな街は素材の統一された石造りの建物が同心円に近い形で並び、地面は白石のタイルで舗装された清潔感のある小綺麗な街並み。
ジャネット・アークという少女が商会の身分証を見せると、番兵は軽いチェックで日中は鉄格子が上がったままの門を通す。
「着きました! ここがこの周辺で一番の大都市『コインズ』です! 日が暮れる前に着けましたよ!」
さて、道中で妙な出会いはあったけど、大筋には関係ない。
これからの手順の確認だ。
まず、商会で古い紙束の換金。
この世界の一部の人間には全財産をかけてもいいような価値があるらしいけど、私にとってはただの紙束だ。
とにかく、価値を知らない馬鹿だと思われて買い叩かれることさえなければ構わない。
必要なら『万能従者』で古美術商並みの知識を披露するけど、そうなると逆に安く売れずに時間がかかるかもしれないからそこは様子を見よう。
幸運にも、交渉を任せられそうな商人が捕まえられたわけだし……マスターが勝手に空を飛ぼうとして吹っ飛んだ結果なのが妙な気分だけど。
そして、資金を得たら一部を現金、一部を装備の充実、残りを預金にして準備を整え、本格的な仕込みを始める。
まず、世情の調査。
政治や技術力、そして他の有名になった転生者、反転生者派の実力者……それから、注意が必要なあの団体の最近の動向。
そして、その調査が進む間にマスターには魔法の基礎を教え込む。
簡単な身体強化だけでも憶えさせれば、死亡率はぐっと下がる。それに、修行に夢中にさせれば勝手な動きも押さえられる。
あと、材料を買い集めれば『万能従者』で錬金術や調合の知識を引き出して治療薬の類いも作れる。非常用に持っておきたい。
冒険者ギルドには……まだ、ほとぼりが冷めない内は行かない方が良さそうだ。
収入は紙束を売って得られるし、むしろ美の女神の手先からの報復が怖い。
この大都市で冒険者ギルドを利用しなければ逆に目くらましになる。
……よし、マスターはできるかぎり軟禁しよう。いや、監禁の方がいい?
勝手にうろつかせておくと、何をするか……
「はい、テーレ様。商会に着きましたよ。さっそく値段交渉しましょう」
「そうね。じゃあマスター、離れないように……マスター!? どこ!?」
「狂信者さんはさっき、物乞いのおじさんを見つけて『ちょっと善行を積みに行ってきます』って言って降りて行っちゃいましたよ? 商会はもう見えていましたしすぐに追いつくのでって」
「ちょっとお花を摘みにみたいな感覚で!?」
あの馬鹿をすぐにでも回収に……
「ほら、テーレ様急ぎましょう! 日が完全に沈んだら受け付け閉まっちゃいますから! 盗まれたりしない内に取り引き済ませましょう!」
「あ、ちょっと、マスター! いつも勝手に動くなって言ってんでしょうが! あ、引っ張らないで、力強っ!?」
「商会へとつげきー!」
さっそく先行きが不安になった。
主にマスターのせいで。
side 狂信者
隙間が狭く陰の少ない壁のような統一的な建物の並び。
土が見えず雨が降っても靴が泥汚れでダメにならない石畳。
ふむ……一般的には『小綺麗な街並み』と表現するのでしょうね。清潔感はある、しかし完全に『綺麗』と表現するほどではないといった感じです。
敢えて例えるのなら、見えないところにゴミをため込んだ高級マンションですか? いえ、テレビで見たオリンピック前に住民を退去させた北京郊外が近いかもしれません。
馬車を離れると馬の野性的な臭いとは別に、僅かな臭気を感じます。
どうやら、排気ガスなどがない世界で前よりも鼻が良くなった気がしますが……ラタ市で走り回ったスラムと少し似たものです。
まあ、それはいいでしょう。
奴隷が解放されて、しかし生活基盤がなくそのまま困窮してしまった低層民がいるという事情はどこの街でも同じでしょう。
問題は、この都市はそういった部分を隠すのがラタ市より上手いということ。
この建物の配置のように見通しが悪く、しかもおそらく潔癖気味でそれなりに優秀な統治者……真っ当な貴族がいると思われます。
さて……
「おじいさん、そのお鉢はおそらく寄付を求むという意思表示かと思います。しかし、相場がわかりませんので、これで足りますか?」
銅貨は十円、銀貨は千円程度の価値だそうですので、銀貨三枚……三千円です。
冒険者ギルドからの報酬から取った私のお小遣いの残りですが、まあテーレさんがこれからあの歴史的遺品を売ってくるはずですし、最悪トラブルで商談が延期や中止になってもガリの実の蓄えはあるので数日はもちます。
「……酔ってんのかい?」
ふむ、この反応……相場より多めでしたか。まあ、お鉢の中には銅貨ばかりでしたし、当然と言えば当然ですか。
「私は素面ですとも。その証拠というわけではありませんが、実はこれは純粋な意味でのお布施ではないのです。実はあなたにお話を聞きたく思いまして、その料金としての相場に足りればと質問をさせていただきました」
「…………」
路上にひいた布の上で胡座をかき、俯いて黙るおじいさん。
ふむ、やはり座っていてわかりにくいですが……鍛えていますね。
「この街は見るからに清潔です。私はラタ市の方から来ましたが、あそこでもこうして大通りのそばに座り込む人はあまりいませんでした。通行人の機嫌を損ねれば危害を加えられる可能性もありますからね。この街でも、景観を損ねるとして排除される可能性が高い。それなのに、あなただけはこうして堂々と大通りの近くで座り込んでいても誰もいやな顔をしない……もしや、あなたは本当は物乞いではないのでは?」
まあ、回りくどく言いましたが。
要はこの小綺麗な街並みに溶け込む物乞いの方は異様だというのと、昔読んだマンガの言葉を借りれば『オマエのようなガタイのいい物乞いがいるか』といったところでしょうか。
ラタ市のスラム街を走ったからわかりますが、ここまで肉体を鍛え上げた浮浪者はいません。
「……だったら、何だと思うんだね?」
ふむ、渋い声です。
威厳がありますね。
「そうですね。おそらく、浮浪者を装った情報屋、探偵の類だと推測します。先程、行商人の彼女をじっと見つめていたのも気になりますし、もしや誰かに依頼されて彼女を調査しているのでは? それとも……私たちですか? ラタ市の一件から情報が伝達するには少し早いですが、早馬ならば余裕でしょうし」
何より、僅かに敵意を向けられたような気がしたのですよね。
直接手を出してくる感じではありませんが、もしも私たちがこの都市コインズに来ることを予想して入り口で見張っていたのなら報告に行かれる前に口止めしたいと思いまして。
「もしも……敵なら、どうする?」
「逃げます。衛兵さんを呼びます。テーレさんを呼びます。正当防衛に訴えます……しかし、できることなら大事にする前に交渉ができると助かります」
しばしの沈黙。
ふむ、そういえば調査人員兼殺し屋という可能性を忘れていましたね。
この間合いなら居合抜きで一撃両断……なんてこともあり得るかもしれません。
まあ、その時はディーレ様の加護を信じて回避にチャレンジしましょうか。
「ふは……ガッハッハッ! なんじゃい若造! ラタでなんかやらかしたのか? 深く考えすぎだっての!」
いきなり軽快に、そして豪快に笑うおじいさん。
ふむ、どうやら私の推理はまたも間違っていたようです。小柳さんに続き濡れ衣をかけてしまいましたか。
「では、おじいさんの正体はどういった方なのでしょうか? その鍛えられた身体、ただの浮浪者には見えませんが」
「ハッハッ! 儂は元はこの街の見回り兵士だっての。ちと、市長の機嫌を損ねてクビになったもんだから今は財産も取り上げられてただの家なしだがな。ここらは兵士時代からの知り合いが多いから残り物とかを恵んでもらいやすい、それだけじゃて」
「おっと、推理は最初からまさかの大外れ。実はこの街の裏路地の主なのではと思い、できるだけ聡い人間を装って話しかけてみたもののとんだ醜態を晒してしまうとは」
「ガハハ! 金は返さんぞ? 今夜は久しぶりに酒を飲むんじゃ!」
「返せなどとは言いませんとも。しかし、それでは何故、私たちの馬車を睨んでいたのですか?」
「いい女を二人も侍らせた男がいりゃ睨みたくもなるだろうが! こちとら、可愛い娘も家を出てそれきり、老後を見てくれるやつもおらんのだぞ?」
「二人を侍らせてなどおりません。テーレさんはパートナー、アーク嬢は奇縁の恩人ですので。アーク嬢とは商談が終わればひとまずお別れ、テーレさんは私など利用するつもり満々ですとも」
「そうか世知辛いのお若いの。じゃが……」
おじいさんは、私の耳元にずいと顔を寄せました。
先程までの軽快な声とは裏腹に、大きな声で言えないことを囁くように。
「儂が睨んだのは、この街にあの娘らを売りに来たかもしれんと思ったからじゃよ。悪いことは言わん、さっさと彼女らを連れて街から出て行け」
そう、警告しました。
やはり……そんな嫉妬や冗談で向けるような視線ではない気がしていましたが、この街には何か無視するべきではない事情があるようです。素通りせずに足を止めてよかった。
「それは……ふむ、なるほど。やはり先程のお金は情報料ということにして、詳しい話をお聞かせ願えますか? 実を言えば、あなたが誰であれ、街の実情に詳しいならここがどのような街かを聞かせていただきたいと思っていたのです」
この街は汚い部分を隠している気配がありますので。
暗部を知るならまず、ここから始めるべきでしょう。
side ジャネット・アーク
頭の固い商会の支部長を説き伏せている内に、太陽は沈みきっていたらしい。
夜は盗人からすれば闇に紛れて追っ手を撒きやすい時間帯。客に紛れた強盗を防ぐために、夜になれば受け付けは打ち止めになって厳重な警備が始まる。
それでも、なかなか商談は終わらなかった。
「ごめんなさいテーレ様。すぐに買い取らせることができませんでした……」
「いや、いいよ。私がもっと安いもの持ってくればよかっただけだし」
テーレ様の持ち込んだ品々は間違いなく本物だった。状態も良くて、もちろん歴史的価値も問題なく高かった。
だけど、価値が高すぎた。鑑定と手続きに丸一日、これでも最大限速くしてもらった結果だ。
「ほら、一応持ってきておいた宝石はすぐに売れたから宿に困ることはないし、どちらにしろ街にはしばらくいるつもりだったから大丈夫だから……それより、心配なのはマスターの方なんだけど。思ったより時間かかっちゃったし、一度出たら今日はもう入れないって言われて外で待たせちゃったし」
天使様は一財産築けるお宝がちゃんと売れるかどうかよりも、旅のパートナーだという転生者の彼の方が心配らしい。仲がいいと言うべきか、彼が頼りなく思われているのか。
「狂信者さんなら、商会に入れなくても馬車置き場で待つって言ってましたし、きっと大丈夫ですよ」
「いや、あのマスター馬鹿は一人にしておいて何事もなく待ってるとかあり得ないから。勝手に馬車を掃除して馬に蹴られて馬糞まみれになるとかそのくらいで済んでればいいんだけど……」
「ジルもライルもそこまで暴れん坊じゃありませんよ……たまに馬車を襲おうとしたコボルトやゴブリンを蹴り殺したりしますけど」
「仮定が補強された!?」
そうして話しながら、商会の裏口を出ると、そこには二人の槍を持った男の人がいた。
夜間の見回り兵士……にしては、妙にこっちをじっと見てる。
「あの……兵士さん? 私たちは商談が長引いてしまっただけで、見ての通りたった今、商会を出たところです。やましいことは何もないので、通してもらえませんか?」
直感が言っている。
私たちには本当にやましいことはない。だけど、この人たちの用件はそんなことは全く関係ない、理不尽なものだ。
「行商人のジャネット・アークだな。噂通りの容姿と若さだ……我々と一緒に来てもらいたい。市長がお呼びだ」
「へ? 市長さん? 私、面識がないはずですが……」
「ああ、そうだ。しかし、市長が君の噂を聞き、興味を示された。逆らうのなら、無理矢理にでも連れてくるようにとの命令だ」
side 狂信者
やれやれ、これならまだ犯罪組織にも秩序があったラタ市の方がマシな気がしますね。
『この街の市長は、容姿のいい若い娘を見つけるとあの手この手で自由を奪って屋敷に囲っちまうんじゃ。名目上は使用人だが、やり方は奴隷制度のあった頃からほとんど変わってない。親のやり方を受け継いだってことなんだろうが、厄介なのは汚いところを隠すのと法律の穴を探すのが上手いところだ。そして、使用人への俸給を実家に前払いで送るって名目で実質的な人身売買もやってやがる』
早めに知れたことはよかったです。
しかし、困ったものですね。権力とは。
『うちの娘も、あいつに目を付けられた。儂がこうして家なしになったのは、娘を街から逃がしたためだ。こうして生かされてるのは、目を付けられた者に手を貸すとこうなるっていう見せしめだ。ま、後悔はしてないがな。だが、あんたがあの二人を売る気がないなら、早めに隠した方がいい。目を付けられればそれまでだ』
街に入る時、街の規模の割りにはあっさりと門番に通してもらえたような気がしましたが、もしもそれが『ジャネット・アーク』が来ることが先に知れていたためだとすれば……護衛は街までと思っていましたが、まあ街の中も『街まで』に含まれますか。
お布施の情報料の値上げ分に残して置いた銀貨で、商会を出たばかりの商人さんから念のため必要になるかもしれない物品を購入しつつ、日の沈んでしまった街を行きます。
間に合ってくれるといいのですがねえ。
役人に街のことを聞いても悪いことは言わないので、とりあえず物乞いをしている人にお金を出して聞いてみるスタイル。




