第28話 悪路の祝福
side 小柳宗太
ふらつきながら壁に寄りかかって、遠くに見えてきた外の月明かりを目指して歩く。
「くそっ、何が『幸運』だ……ふざけんな……」
今日は最悪の日だ。
コートの障壁でなんとか死ぬことはなかったが、全身炙られて動く度に火傷が痛む。
死んでたまるか……
「もっと人を集めてやる。操れない奴は殺させて、あの従者を奪って、この世界で最強になってやる……誰よりも自由に生きてやるんだ」
そもそも、何だよ『幸運』って。
見当はずれの推理をしてるのに、偶然答えだけ当たってて対策が役に立つとか、理不尽にもほどがある。
だが、所詮そんなものは今回限りだ。
認める。今回、俺は性急すぎた。
この能力はもっと入念に準備して、圧倒的な人海戦術で相手を押し潰すのに使うべきだ。
あいつ本人が操れないやつだろうが、触った相手の洗脳を解くことができようが、どうせ敵が一人一人増えていくだけだ。こっちが十分に人数さえ揃えれば、対処なんてできない。
次こそは……次こそは必ず……
「他の出口からじゃ街の連中に見つかる。だから、ここから来るのはわかってたぞ……転生者」
外の明かりを遮る男の影。
チッ、こんな時に……
「ちっ、違う! 俺はこ、コータ・タンガース! 炎から逃げ遅れた冒険者だ! た、助かった! あんた、名前は?」
さあ名乗れ!
こっちはもう名乗ったんだぞ!
自然な会話の流れならそっちが名乗る番だろ!
「俺は……ドレイク。私掠怪盗ドレイク」
ちっ、フルネームは答えないか。
名前の一部だけじゃかかりが弱くなるが、構わない。
「ドレ」
「『発動系』の転生者は、能力を使う直前が一番無防備になる。そうだろ?」
急に喉に熱が走った。
何が起きた? 声が出ない……いや、空気を吐き出して震わせる声帯が、喉がない?
ポトリという小さな音。見下ろすと、そこには三角に抉られた生肉があった。
「ひゅ……ぁ……」
「悪いが、問答してやる義理はない。俺は転生者を殺す、命乞いは無駄だ」
血が吹き出す。
遅れてやってきた痛みは、致命的な欠損を訴える。
熱い、熱い熱いあついあついアツイアツイ!
「何で殺されるかだけは教えてやる。俺の育ての親は善人そのものだったんだ。それなのに、転生者に殺された。本物の悪人だった俺の実の父親と勘違いされて、人違いで殺された。お前らの偽善で、ヒーローごっこで殺された。それだけだ」
『ド……ドレイク……俺を、たす』
「嫌だね」
俺が魔法で捻り出した声はナイフの一振りで魔力が霧散して消え失せる。
「『話せばわかる』『聞いてほしい』『誤解を解きたい』。そう言ったあの人を殺した転生者はなんて言ってたと思う? 『テンプレ乙』『イヌカイツヨシかよ』だとさ。だから、俺もこう言わせてもらう……『聞き飽きた、黙れ』」
ナイフが胸に突き立てられる。
骨が断たれて内臓が破れる。
魔力がかき乱される。僅かな魔法すら使えない。
「いいか転生者。ここは貴様らの遊び場じゃない。俺達の世界だ。土足で踏みにじるやつは許さねえ。神の御使いだろうが何だろうが知ったことか、何度でも来てみやがれ。何度でもこの世界から追い出してやる」
首から血が零れていく。
身体から命が零れていく。
ちくしょう、何度も何度も……『転生者』なんて呼ぶな……
「ぁ……こひゅぁ……ぁ……」
「『誰か』か。死に際まで他力本願なやつだ」
誰か……いないのか……
「天に還れ、転生者」
俺を……『小柳宗太』を認めて……くれ……る……人間は……
side バリアン・クレバール
「信じられねえ……みんな、いるか?」
「ああ、生きてる……何度か危なかったが、全員生きてるぞ」
満身創痍で火に追われながら崩落しつつある坑道を駆け抜けながらの脱出。普通に考えれば生き埋めになった上で蒸し焼きか炙り焼きになってる。
それをまさか、怪我人を見捨てることもなく外まで逃げきれるとは……しかも、大雨が降ってて外へ漏れた火がほぼ消し止められているとは、まるで奇跡だな。
いや、『奇跡』じゃなくてあの狂信者の言うところの『幸運』なのか?
「いや、不幸中の幸いか……この街の産業の要だった鉄鉱山がこんなになっちまったら、この街はもう終わりだ……」
「とうちゃん……しょげんなよ! オレはスラムでも何とか生きていけたんだぞ! こんなに男手がいて簡単に諦めんじゃねえ!」
「ああ……そうだな、我が娘よ。おまえには苦労をかけた。それなのに俺が簡単にへばっていては親としての顔が立たん」
盗賊団の頭として、そしてアリスの父として。
俺は膝を突くわけにはいかない。
「幸い、雨のおかげで坑道の中の火も弱まりつつある! 無傷のやつは使えそうなもん持ってこい! 桶だろうが農具だろうがなんだっていい! とにかく、水だろうと土だろうとなんでもいいからぶっかけて火を消すんだ! ただし煙と酸欠には十分に気をつけろ、わかったな! 怪我人はさっさと安全な場所へ避難して消毒だ!」
声を張ると、部下たちがはっとして動き出す。
地下奥深くの火は酸素が尽きればいずれ消える。
あちこち崩落していたし、温度が下がるまでは焦って掘り返さなければ大丈夫だ。
だが、やはり坑道を復活させるのは絶望的だろう。
「よっしゃ、俺も行ってくる! だけどとうちゃんはけが人だから休めよ!」
「あ、ああ。気をつけろよ。しかし……どうしてここまで火が燃え広がったんだ?」
単なる不幸や幸運では説明が付かない。
柱や廃材くらいはあるにしても、基本は土や岩でできた坑道がどうしてあそこまで燃えたのか……
「お頭! 山の南側で山崩れがあったんだが……変なもんが出てきたんだ。見てくれ」
「地下があちこち崩れりゃ山崩れくらいあらぁな。で、何があった?」
「泉の上にこれが浮いてたんだ、しかも火がついて燃えてた」
渡された桶の中に入ってたのは、黒い水……いや、手触りはぬるついていて油に近いものだ。
泥にも似ているが……それよりもずっとサラサラで、真っ黒だ。
「こりゃ……なんだ? 油か?」
「調べたら地面から染み出してた。火事の原因はこれだ!」
動物からとれるものとも植物からとれものとも違う、地面から染み出して激しく燃える黒い油。
これが地下の壁や床に染み込んでたって言うんなら、確かにこの大火事も不思議じゃねえが……
「なんだこりゃ……誰かわかるやついるか!」
声を張り上げてみるが、やはり田舎の無学な盗賊団の限界か、知っているという者はいない。
だが、そこに盗賊団の仲間ではない声が入った。
「ヒッヒッヒッ、知らないのかい。なら儂が答えてやるよ」
「おう!?……って、誰だ婆さん」
気付くと、見知らぬ老婆が杖をついて立っていた。あんまりの火事の激しさにこんな婆さんまで雨の中、駆り出されてんのか?
しっかし、今まで近付いてくるのにも気付かなかったぞ……
「ヒッヒッ、通りすがりの物知り婆さんじゃよ。それより、その油は『石油』と言うんじゃ。多くは地下深くにしかないからここみたいな辺境では知られとらんが、中央では最近いろんな使い道が見つかっとっての。高く売れるんじゃよ……まあ、加工法を知っとるのはごくわずかじゃし、まとまった量もいる。深く穴を掘る方法と売る伝手がないとただの油じゃな」
石油……この山の地下にそんなものが眠っていたなんて。偶然それが染み出してるところに火がついたのかもしれないが、今回のことがなければ気付かなかったかもしれない。
それに、その話が本当だとしたらこの街の産業にも復興の目途が立つかもしれない。
「ヒッヒッ、この婆にはその手の知り合いがおりますじゃ。少しばかりお礼をいただけるなら、口利きしてさしあげましょうかの。なに、お礼は中央からの調査が済んでからで構いませんで」
「なんだと! それは本当か! これはどれくらいある!」
「わからねえ! 崩れたところからどんどん染み出してるんだ! 多分掘ればもっと出てくるぜ」
「よし、何人かにそこを見張らせろ! これ以上火がついたらことだ! うまく使えば鉄に代わるこの街の新しい産業になるかもしれん! 手荒く扱うなよ!」
「お、おう!」
走り去っていく部下。
そして、婆さんと俺が残された。
「婆さん、ところであんた……」
「バリアン、交渉のやり直しだ。前は転生者が裏にいたからってことで、交渉決裂なんてなかったことにしてやる」
婆さんの声色が急に変わった。
それは若い男の声、聞いたことのある声だ。
「あんた……ドレイクか?」
私掠怪盗。
『私掠盗賊免状』を持つ武装工作員。
元は犯罪者でありながら、いや、今でも盗賊団の首領でありながら、政府から公式に活動を許可されている特例の合法盗賊団の一員。ガロムの王家直轄の、汚れ仕事を黙認された精鋭部隊。
そして、融通の利かない貴族に代わり、俺達のような無法者との交渉役を担ってこのラタ市に訪れた中央政府の使者。
「ああ、転生者狩りのついでに残っててよかったぜ。丁度いい交渉材料が生まれたことだしな」
「いや、しかし……」
「あの少年、いや、娘か。大事なんだよな?」
「っ!? こいつ!」
「俺の変装スキルは見ての通りだ。やろうと思えば、いつだってどこだって殺れる」
ドレイクの声色は本気だ。必要とあらば、本気でアリスを殺す気でいる。
そして、こいつにはそれが許される。私掠怪盗が野良の盗賊を殺そうが、罪のない低層民を殺そうが問題にはならない。そういう汚れ仕事、汚い手を使った交渉もわざわざ政府が犯罪者に特権を与えてまで雇い入れている理由の一つだ。
そして、もしもアリスが殺されて俺が復讐を思い立っても、政府と繋がっているこいつにとっては敵にすらならない。ドレイクがやろうと思えば、政府からの交渉に応じないこんな辺境の盗賊団なんて軍に討伐されて終わりだ。
つまり、こいつには『見せしめ』としてアリスを殺す選択肢がある。
「……わかった、元々、意見は割れてたんだ。この街の存続と娘の命に比べれば、意地を張って得られるものなんてほとんどねえ……『盗賊連合』への加盟に同意する。次の戦争じゃ、指定されたとおりの位置で動いてやるよ」
「そりゃ結構。じゃあ、人質としてあの子は石油の調査の時に一緒に連れて行ってやるよ。ヒッヒッヒッ」
「は、話が違う! アリスをどうする気だ貴様!」
「ヒッヒッ、もっとでかい街なら、ちゃんとした学校に行けるだろう?」
一瞬、婆さんの姿をしたドレイクの言葉の意味がわからなかった。
「これから金持ちになるかもしれないやつらが、いつまでも腕っ節だけが自慢の馬鹿の集まりじゃ困るんだよ。父娘の仲は調査隊が来るまでにどうにかしておいて欲しいけど、なんなら中央の方へ移った後でも顔見せにおいでよ。ただし、田舎じゃないんだからもっと小綺麗な服装で来な、それであの子がいじめられたら可哀想だからね」
「な、なんでそこまで……」
「ヒッヒッ、知らないのかい? ドレイクは私掠怪盗である以前に怪盗、そして義賊なんだよ。それにね……間接的だろうが『転生者』の被害者なら、放っておけないからねえ」
本気の親しみが感じられる老婆としての声に、ドレイクについての噂を思い出した。
信憑性の低い噂だと思っていたが……曰わく、『私掠怪盗ドレイクは、宗教派閥の問題で政府が公的に手を出せない転生者の処分、つまり暗殺を請け負っている』そして『それこそが、ドレイクが貴族と同等の権限を持つ理由であり、彼自身が中央政府との契約で出した条件である』。
神の御使いとも言われ、それに相応しい能力を持つ転生者を殺せる男。
神罰すら恐れないほどの憎悪を転生者へ向ける男。
「さて、所で件の転生者を追い込んだって勇士はどこかねえ。ヒッヒッ、本人にその気があれば、仲間として迎えてやりたいところだねえ」
side アーリン
『外に出たら私とテーレさんはすぐに街から出立するつもりなので、後始末をお願いしたいのです』
あわよくば付いていってなし崩しにパーティーメンバーになろうとしてたのに、見事に先手を打たれてしまった。
オマケに、『転生者と戦う』って夢を叶えたことと引き替えに面倒ごとまで押しつけられたし。確かにこちらから巻き込むようにお願いはしてたけど、普通は恩を売ったのはこっちだと思う。
けれど、火事場のどさくさでいつの間にかそういう話になってた。
『今回のことで外部の方に質問を受けた場合、私とテーレさんのことは転生者ではなく、旅のディーレ教徒として伝えて欲しいのです。そして、できれば他のあの場にいた方々にも坑道を脱出したらなるべくすぐにそれを約束していただきたい。嘘をつくわけではありません、事実の一側面を強調するだけです』
転生者を名乗れば、神々の威光を使って資金繰りやパーティーメンバー集めに苦労しない生活が簡単に実現できる。
信仰する神の覚えを良くしたい神殿の関係者はパトロンになりたがるし、転生者の仲間だったことがあると言うだけで箔がつくから名を上げたい冒険者もパーティーに加わりたがる。そんな便利な権利を使わないのは損としか言いようがない。
でも、『転生者が敵対した転生者を倒した』より『ディーレ教徒が横暴な転生者を倒した』と伝わった方が、話題性が高くて女神ディーレへの信仰が集まる。
それに、実際のところ、聞いていた話では狂信者くんの転生者としての能力はあのテーレって女の子の使役らしいけれど、今回の戦闘でその能力はほとんど活かされてない。
彼が使ったのは私の教えた魔法だけ。そして、その強さの根本は彼の神官としての適性、信仰のスキルレベルだ。つまり『ディーレ教徒』として転生者の能力を使わずに転生者を倒したのは間違いがない。
誰にでもできるわけではないけど、他のディーレ教徒にできないわけでもない。もしも彼の噂に憧れてディーレ教徒になった人がいても騙したことにはならない。
『それに、アーリンさんのご先祖様のように何らかの因縁があれば転生者と聞いてよくない印象を持つ方もいるでしょう。そういったとき、他の転生者と敵対していたとしても転生者と共闘した者へ敵意を持つ方もいるかもしれません。結局のところ、私は転生者らしい能力など見せていませんし、小柳さんを刺激しないように話を合わせていたと言えば証拠は彼の発言にしかありません。つまり、「本物の転生者だとは思っていなかった」という言い訳もできます。苦しくはなりますがね。後で実は転生者だったと告白するのは容易ですが、先に確定事項とした情報を後で取り消すのは難しいので』
転生者であるという情報を開示する必要が出たときには、むしろ過去に転生者を倒していたという事実がその事実を補強して強調する。
つまり、名声の即時性より未来の選択性を優先したわけだ。
彼は炎と通路の崩落に追われながら、先の先まで考えていた。
死なない確信があったのか……いや、女神ディーレの加護を信じて、自分の信仰への恩恵を信じて、生き残ることを前提に未来を考えていたのだろう。
『あるいは、アーリンさんが悪い転生者を誅殺したという話でもぜんぜん構いませんがね。アーリンさんに魔法を教えていただかなければ勝ち目はなかったわけですし、実質アーリンさんが倒したようなものでしょう。というか、その方がディーレ教徒が転生者に勝利したというよりも信憑性が高いかもしれませんね。善意による行動に重きを置くディーレ教徒には戦えるイメージはないでしょうし……』
『ああ、そのことについては多分大丈夫だよ。ディーレ教徒なら転生者を倒してもそれほど不思議じゃないから』
『そうですか……え、そうなのですか? ディーレ教徒は主に慈善団体の関係者で極めて温厚な方が多いと聞きましたが……』
『まあ、なんていうか……温厚な人の方が、キレさせたらヤバいって言うじゃん?』
戦乱の時代、転生者の参戦が当たり前に黙認された群雄割拠の中で、唯一武力介入を禁止された旗印。
彼にその理由を明かすのは、なんだかとてもまずい気がした。
「そうですか……ディーレ教徒の方が、人々を操る転生者を倒し、今はここにいない。そして、地下での爆発……わかりましたじゃ。不躾な質問をしてすみませんでしたなあ、勇敢な英霊に敬礼ですじゃ」
「ああ、うん。この事件の犠牲者全員に私もお花を供えるとするわ。ありがとうね、お婆ちゃん」
まあこうなる。
ディーレ教徒が戦乱の時代に戦場から追い出された原因となった大事件。信仰する女神の逸話から『自己犠牲』を尊ぶ彼らだけの奥の手。
今も密かに伝承されていると言われているそれを使ったなら、転生者の一人や二人を倒しても不思議じゃないと思われても不思議はない。
魔法というものが人間の強い願いを根本とするが故に、本来は生存本能によって必ず失敗するはずの術式を、信仰によって本能を抑え込んで発動できるというある種の反則技。
【自爆術式・兎爆弾】。
温厚で、戦乱の時代にあらゆる横暴を受け、戦争のための資金繰りに都合のいい搾取対象となり、戦争で壊れた村や傷付いた人々を復興するたびに壊された慈善団体のディーレ教徒がぶち切れた末に発明したという最終手段。
儀式として武装を完全に放棄し、自ら先んじて攻撃することを禁じることで可能になる、文字通りの自爆技。
強力な能力で戦場を我が物顔で蹂躙したはずの転生者が辛酸を舐めさせられた……どころではなく、幾人もの転生者が突如として非戦闘員だったはずの弱者によって文字通りに『蒸発』したおかげで、国々の勢力図すら大きく変わってしまった、転生者曰わく『戦術核自爆テロ』と呼ばれた、ディーレ教徒の最強最後の攻撃手段。
最近の若い世代には知らない人も多いけど、武力を持たない慈善団体が女神ディーレの旗印を掲げるのも戦乱時代の難民や怪我人の治療所が『自分たちに手を出したらただじゃすまないぞ』という警告でディーレ教徒を名乗ることが多かったからだ。毒を持つ動物の派手な警戒色の如く。
実際に自爆したディーレ教徒は百人に満たないらしいけど、その傷痕が多くの弱者を戦乱の火から護った。
故郷を焼け出された私達、森の民も彼らに匿われて生き延びた。
それが転生者であることを棚上げしてまで私が彼を赦した理由だ。もちろん、彼自身の人柄もあってのことだけど。
「何の見返りも求めず、文句も受け付けず、勝手に善行をやって、巻き込んだ人たちに幸運だけ残して蒸発する。既に立派なディーレ教徒の心構えだよ、全く」
どこかが大きくずれた『狂人』でありながら、善意の女神の敬虔な『信者』である『狂信者』の身勝手な善行の旅に、幸運のあらんことを。
side テーレ
雨の中、背に揺られてラタ市の門を出る。
結局、坑道から脱出してもこの態勢のまま、こいつは荷物も身体の前にぶら下げて歩いている。この世界に来て多少肉体が丈夫になったといったって、さすがに辛くないはずはないのに、私を下ろそうとはしない。
「テーレさん、すみませんね。こんな慌ただしい出立になってしまって」
この夜逃げのような出発の理屈はわかる。
あのまま街にいれば面倒なことになるのは確実だし、遠因だろうとあの火事の原因だし。
ていうか、転生者のせいで有耶無耶になってるけど、私が私自身の意志と判断で盗賊を殺したことには変わりないし。
あのアーリンというドルイドに後処理を押し付けるにはうってつけのタイミングだった。
だけどそれは、見返りや名声を度外視した場合の話だ。
やろうと思えばラタ市を転生者の支配から救った英雄にもなれた。それなのに……
「あんたは……これでよかったの?」
私の計画では、ある程度の実力が付くまであの街に留まるつもりだった。
確かに地方も地方だしそれほど快適な環境とは言えないけど、ある程度資金を貯めて家でも買えば、私のスキルでいくらでも快適な生活はできた。
だけど、今回のことで……他の転生者に目を付けられて、転生者だと暴露されてしまったせいでそれもご破算だ。
これから先は、安全な拠点を楽に作るなんてことはできない。スローライフなんて夢のまた夢、下手をすれば逃亡犯のような生活以外の選択肢がない。
簡単に手出しされないような地位や後ろ盾を用意できれば話は別だろうけど、それはできたとしてもかなり先の話だ。
もしも、あの時あの転生者の言葉に従っていたら……ディーレ様を裏切って、美の女神の計略に乗っていればこうはなっていなかったのに。
「何も悪いことなどありませんよ。テーレさんを無事奪還できました」
「でも、これからいろいろ面倒なことになるよ……この世界の人間のために転生者と戦った、なんて噂になれば他の転生者に睨まれるかもしれない」
同族意識というやつだ。
同じ世界の出身者、同じ転生者同士というだけで仲間意識を持っている転生者は少なくない。
そして、そういう転生者の多くはこの世界の人間の命と転生者の命なら転生者を優先する。それなのに、この世界の盗賊団と結託して転生者を袋叩きにしたなんて知れたら悪人扱いされかねない。
「それに、美の女神の恨みを買ったかもしれない。転生者だけじゃなくて、神殿関係者とか冒険者からも狙われるかもしれない」
美の女神は三大女神の一角。主神様を信仰する中央教会は最大勢力だけど中立だから他の神々の勢力争いには参加しないとして、その他の信仰の大部分を三分する巨大勢力の一つ。その神殿は政治力も財力も個人では到底かなわない規模だ。そのトップのさらに上の存在である美の女神に目を付けられたということは、これから先とても生きにくくなるということでもある。
「あと……私、弱いよ。そこらの人間には勝てても、転生特典の中ではすごく弱い。呪いも持ってるし、きっとこれからも勝手に不幸が集まってくると思う。それに……生意気だし、かわいくないし、あんたに無条件の好意なんて持てない。私はディーレ様のためにだったら、いつでもあんたを裏切れる。それでも……」
「その時はその時ですよ。それはつまり、私がテーレさんに裏切られることが女神ディーレの利益になるということです。以前も言いましたが、私は必要とあらばいつでもこの命を返上する覚悟ですよ」
『自分が裏切られることがディーレ様の利益になる』。
私が裏切らないと信じているわけでもなくて、私にだったら裏切られても無条件に許すってわけでもなくて、『自分を捧げものにする』という考え方ができなければ出て来ない言葉だ。
そうだ。そうだった……こいつは、『狂信者』だった。
他人の選ばないような選択をして当然だ。
考えていることがわからなくて当然だ。
だって、こいつは……
「それに、どんなに窮地に陥っても……まあ、テーレさんと一緒ならどうにでもなるでしょう。テーレさんが他の転生者の能力より弱いとしても、いくら敵が増えたとしても、不幸が集まってきたとしても。私一人では何もできないかもしれませんが、テーレさんとなら何でもできる気がしますから」
こいつは……案外、狂う狂わない以前にただの馬鹿なのかもしれない。
だって、背中側から顔なんて見えないけど、こいつの声はなんだか……弾んでいるように聞こえたのだから。
ほとんど出たことのなかったラタ市の外の、右も左もわからないはずの異世界への一歩を、まだ見ぬ苦難の道を、まるで新天地を目指して真偽もわからない宝の地図を片手に大海に舟を漕ぎ出す冒険家か……あるいは、偶然に見つけた廃墟を探検しようとする子供か。
レールの敷かれた道なんてつまらないというように、安全な旅なんて楽しくないというかのように。
きっと、その表情は……いつも通りに、笑顔なのだろう。
はあ……やれやれ。
「下ろして……自分で歩くから」
「まだ、疲れているのでは?」
「いいから。私が自分で歩きたいのよ。そういう気分なの。ただまあ、確かに疲れてるから……」
背中から降りて、自分の荷物を持つ。
まだ、回復しきってはいない……けど、気分は悪くない。
「一緒にゆっくり歩いてよね。まだ道は長いんだから」
二人並んで歩き旅。雨は土砂降り泥まみれ、加えて世界は敵だらけ。進む先は何が起こるかもわからない、お先真っ暗受難の道。旅立ち日和とは程遠い、災難苦難の第一歩。
とても幸先がいいとは言えないけど、なんでだか、こんな旅路も悪くないように思えた。
まだお互いを理解できたわけではないけれど、お荷物ではなく、隣を歩く者として。
楽ではない道のりを、泥だらけになりながらしっかりと踏みしめて、二人で歩いて行こう。
ということで。
第一章、ラタ編"招かれざる『転生者』"はこれにてほぼ完結。
不良天使と暴走上等転生者の珍道中はまだまだ続くので、どうかお楽しみに。




