第188話 『大きな人と賢い小人』
side テーレ
『ライエル・フォン・クロヌス』。
クロヌス地方領の大領主にして、中央貴族コミュニティの内通が疑われる『研究施設』への対策権限を与えられた作戦指揮官。
転生者二人の勧誘の旅の途中で商会や冒険者ギルド、情報屋から仕入れた情報から総合した客観的なプロフィールを端的に表現すると、その人格や行動は『実力があり積極的な、改革派の統治者』という世襲での腐敗が目立ちやすい貴族社会では珍しい(あるいは変わり者とされるべき)評判を得ている。
その性格の由来と思われるのは、先代大領主の行った大胆な『後継者戦争』だろう。先代のクロヌス大領主は相手の身分に関わりなく見初めた女性を城に集めて多くの側室を抱え、多くの子供を作った。これに関しては財力と権力のある貴族には珍しい話じゃない。
問題はその後、一通りの側室にそれぞれ子供を作らせた先代大領主が『生まれた順や親の血統に関係なく、最も優れた才覚を見せた子供を後継者とする』と言い放ったことだ。
普通は、長男や最も由緒正しい家系の血を継ぐ子供を後継ぎにするのが一般的な後継者選びだ。実際の才能よりもそういった要素が優先される、それが貴族界の常識だった。
けれど、先代大領主は臣下の反対に対してこう答えた。
『これで生き残れない者では、クロヌスを治めることはできない』
唐突な奴隷解放や、異世界の知識に基づいた技術開発といった激動の時代だった。それが英断だったのか、それとも狂気を含んだ賭けだったのか、今ではわからない。
ただ、事実として巻き起こったのは、その実力主義的選出法に従い手柄を上げ、術を磨き、果ては暗殺まで当たり前になる兄弟間での大乱闘。数十人の後継者候補たちが肉親とは思えないような骨肉の争いを繰り広げた。
そうしてその過酷なサバイバルを生き抜いて王座に着いたのが、お世辞にも優位だったとは言えない十六番目の後継者候補ライエル。
先代が死去した後、大領主に就任した彼は保守的な姿勢を廃して改革を続け、不正の発覚した家臣を容赦なく追放。一方で平民に対して横暴な態度を取ることなく、頻繁に視察に出て能力のある者を見出せば迷わず登用。
先代の目論見通り、常に領地の発展と民の生活向上を目指す、理想的な君主が誕生した……
「……っていうのが、公的記録の大筋。正直言って、文句の付け所のない『王道』ね。多くの競合相手から実力で手に入れた王座に堂々と腰を下ろし、それから先も腐ることなく向上心を保ち続けて、領民からの信頼は厚くバイタリティに溢れた理想的な大領主様……しかも、護衛なしで城下を見回ったり影武者と入れ替わって客を試すみたいな茶目っ気を見せて周りから親しまれている……」
マスターにまとめた情報の説明を終え、資料を渡す。
情報の確実さを確かめるために複数の情報源に依頼してみたけど、内容はほとんど同じようなものだった。つまり、この情報は少なくとも表面的には事実だと言える。
だけど、実のところ私にはそれが信じられない。
「はっきり言って、話ができすぎてて現実味がないわ。あの二人が疑うのもわかる。実際に恩恵を受けてるクロヌス領の人間はともかく、客観的に見て『リアルにこんな人間いない』ってプロフィールよ。勘繰るなって方が厳しいわ」
「何故ですか?」
マスターには、私の感じた『気持ち悪さ』がわからないらしい。いつも変なところで鋭いマスターにしては珍しい……いや、真っ向から同じことをやりかねないこいつの場合はこれはそこまで『おかしいこと』ではないのか。
資料に透かし彫りでもあるのかとページを通して明かり取りからの日光を見るマスターに手でやめるように促しつつ、言葉をまとめて答える。
「まず、先代の実子二十五人中の十六番目のライエルがどうやって生き残ったのかって話よ。後継者争いが始まった段階で七歳よ? 長男との年齢差は十三、加えて母親は名のある貴族なんかじゃなくて手付けを受けて側室になったほぼ平民出の人間だから強い後ろ盾もない、生まれつき特別な称号を持っていたわけでもない、他より財力があったわけでもない。それでどうやって勝ったってのよ」
「そうですね……すごく頑張った、とかですかね?」
なにその根性論。
いやまあ、実際それを否定できる材料はないし、現実として大領主に上り詰めているんだから奇跡的な何かがあったとしか思えないけど、だとしても偶然とかで済ませられる話じゃない。
「一番考えられるのは、本来は大領主になるべくもない位置にいたライエルを利用して傀儡政権か何かをやろうとした後見人がいたってパターンだけど。ライエルは大領主になった直後にそういうことをやりそうな連中を全部切ってるわ。これから体よく利用するはずだった後見人がそこで切られたとしたら、それまで利用されているふりをしていたことになる。少なくとも今のライエルは明らかに傀儡じゃないし。誰かの傀儡ならあんなリスキーな振る舞いや一対一の対面なんてあり得ないから」
「その次に考えられるのは、ライエルさんが他の有力な後継者の方々を上手く誘導して潰し合わせ、自分が勝てるように盤面を操作した、という辺りですか?」
「まあ、そういう手もあるかもね……可能性としては。けど、口で言うほど簡単なことじゃない。どちらにしろ、確実なことはライエルがあり得ない状況から勝ちをもぎ取った、とんでもない怪物だってこと。少なくとも、運だけでどうにかなる話じゃない。騙し合い潰し合いの世界に生まれた政治の怪物。そして、一番の問題は……そんな人間は、『領民から親しまれる理想的な君主』になんてならないってこと」
毒虫を壺に詰めて殺し合わせ、生き残った毒虫の中にできる毒は蠱毒と呼ばれる。本来それは呪術とかの話だけど、先代の大領主がやったのは実質それだ。最後に残った一人がまともなはずはない。
もっとわかりやすく言えば……幼い頃にいきなり『兄弟で殺し合え』と言われて、既に大人と呼べる兄たちも含まれるその過酷な環境で成長し生き延びた子供が、良識的で周りの人々から好かれる大人に育つかと言われれば、答えは『NO』だ。
精神的に、どこかおかしくならなければおかしい。なのに、今のライエル・フォン・クロヌスはおかしなことに、どこを見てもそれほどおかしいところがない。
とてもじゃないけど、その環境で揺らぐことのない天才性や異常なカリスマ性を持っているようにも見えない。それどころか、卑怯な手や裏切りみたいな手を禁じ手として正攻法で勝てる規格外の王者の資質なんてものがあるようにも感じられない。
だとすれば……
「私には『理想的な君主』は演技としか思えない。ああやって敵にも上手く取り入って油断させて自滅を誘うようなやり方以外で勝てる構図がイメージできない。あの気安さも、蓬たちの態度に困ったような仕草も、警戒を解くための演技だとしたら……完璧ね。お手上げだわ」
「ふむ……要するに、『知人の過去が気になってみて調べてみたら殺人の前科が出てきた。しかも、それは身内殺しの疑いがある。けれど、目の前にいる知人は虫も殺せないような人間に見える……過去から考えると、彼は今も悪巧みのために無害な人間を装っているように感じてしまう』。というような話ですか」
「ずいぶんと一般的な話にしたわね……けど、その通りかもしれないわ。うん、そう言われてみれば結構偏見入ってるかも。けど、これからのことを考えれば内心の読めない同盟相手っていうのは私も安心できない。少なくとも、どういう行動原理で動いているのか……どういうふうに向上心を保ってるのかわからないと、どこまで協力できるかわからない。他の二人も、そこら辺は何かしら感じてるんだと思う。『一番奥の本心を見せてない』ってことくらいは」
「ふむ……彼の行動原理。テーレさんの説を正しいとするのなら、彼が苛烈な後継者争いをどのようなスタンスで生き残り、そしてこの先をどのように生きようとしているか。それがわからないから……というよりも、その『素の顔』を見せてくれない隙のない人物だから疑念が湧いてしまう、そういうことですね」
隙がない……というのは、少し違うかもしれない。
隙そのものはある。私たちに対する口調の気安さや、想定外の事態に対する驚き顔、そして現状として曲者転生者二人を上手く『担ぐ』こともできず手を焼いている姿。
言ってしまえば、才人だったとしてもあくまで『普通の人間』の延長にしか見えないのに、あり得ないような経歴を持っている。精神破綻者や怪物、本物の天才と呼ばれるような人間でなければ生き残れないような世界を事実として生き残っているのに、そうは見えない。
もしも、ただ本当に君主として理想的な才能があっただけの人間が運良く生き延びて大領主になれたというだけなら、今頃保守的な姿勢を取っているだろう。けれど、実際の彼は積極的に改革を行うタイプの君主……野心を持っている人間の生き方だ。
「野心を持っている人間の目をしているのに、それを表に出して来ない。となると、別の疑念が湧いてくる」
「……野心を明かすつもりがないのは、最後まで付き合うつもりがないから。どこかで切り捨てるつもりだからではないかと?」
「そう……徹底的に他人を利用して生き残ったタイプの人間、そういう可能性もある。それなら後継者争いを生き残れた理由も一応は説明できる。だとしたら……いつでも逃げられるようにしておくべきかもしれない」
私の優先はリスクの高い大勝利よりこいつの安全だ。
この件に関わったことで荒野耕次と蓬という強力な転生者と繋がりができた。既にある程度の利益は出ている……たとえ損だとしても、どこかで切り捨てられるよりいい。
『転生者』は強大だけど、その分いいように使われやすい存在だ。それを忘れるべきじゃない。
けど、マスターは私の言葉を聞いて……少し考えてから、独り言のように言った。
「『大きな人と賢い小人』、みたいな話ですね」
「……なにそれ?」
「昔、本で読んだ話にそういうものがあったんですよ。小人だったか妖精だったかは忘れましたが、『大きくて力の強い人間さん』と『小さくて頭のいい小人さん』のお話です」
「……小人が設計図を書いて、人間が建物を組み立てるみたいな?」
唐突な話だけど、この状況に当てはまる比喩なのだろうと思った。
立場や特技が違っても協力するべきみたいな話をするのかとそれらしい質問をしてみたけど、マスターは苦笑しながら首を横に振る。
「そうできたらよかったのですが……『大きな人』は『小人さん』が自分より賢いことを知っている、『小人さん』は『大きな人』が優しいけれど自分たちを簡単に潰せることを知っている。そして、両者は一緒に仕事をしようとするのですが、『大きな人』はいつからか自分たちが『小人さん』に騙されて違う仕事をさせられているのではないかと疑い始めます。『小人さん』の設計図の通りにものを作ることはできますが、その理屈はわかりませんから。そして、『小人さん』がそんなことはないと言っても『大きな人』は『小人さん』が噓をついていても頭がいいのでわからないと言うのです」
……それは、まあ、実際にそういう状況だったら、確かにそういうこともあるだろう。
それこそ、政治家と市民の関係もそうだ。
政治家は市民を支配しているように見えるけど、もしも平民が一気に決起して反乱を起こしたら政治家はたまらず潰される。
だから、政治家は市民に『近いうちに税収を軽くする』とか『生活は改善される』とか呼びかけるけど、法律や税の使われ方に詳しくない市民には本当にその改革が進んでいるのか、本当の所はわからない。
本当に政治家が市民の生活をよくしようとしていても、不満が溜まれば『本当は政治家は市民から搾取しているだけだ』と誰かが言っただけでその疑いが一気に広がってしまう。
この場合で言えば『大きな人』は市民で、『小人さん』は政治家だ。
「……その話、最後はどうなるの?」
「『小人さん』は繰り返し『大きな人』に騙してなんかいないと説きましたが、その話が説得力を持った理性的なものであるほど、知恵の差を感じ取った『大きな人』は騙されているような気がしてしまいます。そして、最後には……『小人さん』は、『大きな人』が自分たちを殺そうとしていると思い、故郷に逃げ出して永遠に会えなくなってしまいます。そして最後に見つかった置き手紙により、『小人さん』はもっと一緒に仕事ができなくて残念だという旨の後悔を告げ、『大きな人』のそんなつもりはなかったという悔恨で物語は終わりを告げますね」
「……『小人』は賢いのに、『大きな人』が殺そうとまで思ってないのはわからなかったの?」
「さあ、わかったかもしれませんねえ。しかし、怖いものは怖いでしょう。だからこそ、騙していないという弁明にも余計な力が入り不自然になる。それが相手の疑念をさらに呼び、悪循環に陥ってしまう。事実として、もしも『大きな人』が理性を失って襲ってきたら『小人さん』は一巻の終わりなのですから。最悪の事態になる前に撤退したというのはありでしょう……この話の教訓は、『己に恐怖を与える幻影を生み出しているのは己自身である』ということです。それと『「できること」と「すること」は違う』ということですか」
マスターはこの話を通して私に何を言いたいのか。
もちろん、私たちの今の状況……『転生者』と『ライエル』の比喩だろう。
「……あっちが心を許してないのは、私たちが怖いから? そういうことを言いたいの?」
「同時に、『私たちが疑っているのは、私たちの心の中にある虚像のライエルさんである』ということですよ。テーレさんは彼の来歴から連想される『悪』を心に秘めた彼の幻影を、日暮さんは前世のゲーム知識による『手前勝手な王様』を元にした幻影を、荒野さんは彼の嫌いな『役人』を基本形とした権力者の幻影を疑っている。違いますか?」
そう言われれば……返す言葉もない。
私には、『悪』の性質がある。それは、自分の悪意をかき立てると同時に『もし自分がその立場だったら』という思考をしたとき、その相手に悪意を見出しやすい。それは、本当に悪巧みを見破るのにも役立つけど、裏を読みすぎることもある。
確かに、ライエルが何かを隠してるのは間違いないはずだ……けれど、それが最終的に私たちを裏切る形になるかはわからない。ただの憶測だ。
「なら、マスターは……あの大領主様、ライエル・フォン・クロヌスにどんな幻影を見てるの? ありのままの姿?」
「そうですね、ありのままの姿を見るなどということは、それこそ悟りの境地でもなければできないでしょうし、これもまた虚像でしょうが……理由はわかりませんが高潔で、それなりに信頼できる方であるという幻影を見ていますかね。根拠としては、リスクを冒しても誠実に強大な転生者と直接対面してくださることや、気前よくお二人の勧誘のための経費も前払いで出してくれました」
「……雇用主としては当たり前じゃない?」
「その当たり前な誠実さが大事なのだと思いますよ? 以前の依頼の報酬でそれなりに資金があるのを知っていますし、後払いにしても問題なかったはずです。そう考えれば、私たちが失敗して資金を無駄にしてしまう可能性があったにも関わらず経費を先払いしてくださりました。大領主という立場で動かせる資金のほんの一部だとしても、それは『力を持つ者が弱い者のために働くのを当然だとは思っていない』という意思表示だと思います」
「……私、マスターみたいに人の善意をとことん信じるとかできそうにない。理屈はわかるけど、やっぱりまだ信じられない」
「それでいいと思いますよ。私の視点もあくまで虚像、ましてライエルさんは『厳しい生存競争を生き抜いた』という経歴がありますから。本気で演技をされたら私たちには見破れない可能性が高い。かといって、その可能性ばかりに固執しては本当の誠意も見逃してしまう。バランスよくいきましょう」
「でも、実際どうするつもり? 『わからない』で終わらせられる問題じゃないんだから」
現実問題として目の前にある、私たち転生者チームと大領主の間での溝をどうにかしないといけない。
仲良くできるほどの情報を得られてはいない。
このままだと、『研究施設』とぶつかる前に内部分裂することも考えられないことじゃない。
「……ならば、調べましょうか。わからないのなら調べればいいのです」
「……え?」
「ライエルさんの最終目的はなんなのか、どうやって後継者争いを生き残ったのか、彼が私たちに対してどんな対応をとっていくつもりなのか、あちらから教えてくださらないのならこちらで調べてみましょう。何もわからなかったとしても、どの程度その情報を隠したいかくらいはわかります。そうして調べた結果、お二人が大領主様に協力できないというのなら、それも仕方ありません」
『それも仕方ない』というのは、私たちも手を引くことを視野に入れるということ。
もしも調べて私たちを使い潰すような計画が出てきたらこれまでの苦労も水泡に帰す可能性はある。それは確かに怖い……けど、だからといってリスクに目を瞑ってこのままのルートで進んだところで、その不確定のリスクが知らない内に消滅しているという可能性は低い。
それどころか、それこそ疑いを持ったままの付き合いを続けてもさっきのマスターのたとえ話のように疑念が無用に膨らんで不要な軋轢を生む可能性もある。
要するに、このマスターは今の中途半端な信頼関係をぶち壊してでも白黒はっきりさせてやろうと言っているのだ。
不安から目を逸らすのではなく、思いっきり首をつっこんでその実体を確かめてみようと言っている。
都合よく利用できるところまでの信頼関係なんて屑籠に投げ込んで、全幅の信頼が置けると見るか、それともバッサリ見限るかという二者択一を……軽い思いつきで奇襲をかけるかのように、疑念に対して変な工作をされる前に白黒はっきりさせてしまおうと言っている。
「せっかくです。これからは一緒にやっていくのですから、互いの個性を知ることも大事でしょう。能力を制御したお二人にできることも把握しておきたいですしね」
それも……文字通り、手加減なしで全力で。
様子見とか牽制とかって段階をすっ飛ばして、一撃でまどろっこしい判断を終わらせてしまおうというように。
「転生者チームの能力をフル活用しての『探偵ごっこ』なんて、面白そうだとは思いませんか?」




