第182話 自律と自立
side 日暮蓬
火焔の魔人がムキになったように腕を振るう。
魔人の姿は安定しなくて、その手や腕はまとまらない熱を爆炎のようにばらまき続ける。
けれど、宙に浮かぶピエロさんはそれを笑いながらふわりふわりと避ける。
「ヒホホ! 無駄ダヨ無駄ダヨ! ビックリするほど大っきいけど、それでもピエロさんには届かナーイ!」
魔人は手の届かない高さに逃げるピエロさんを追うようにとんでもない大きさになってるけど、その分だけ輪郭が曖昧になっている。もう、何度か人型を保てなくなって形が崩れている。
それに何だか……眠い……
「ヒホホホホ! おねむですカ、お嬢サン? そうでしょうそうでしょう、あなたの能力はそういうタイプでショウ!」
魔人が石を投げても、ピエロさんはふわりとシャボン玉のようにそれをかわす。
苛立ったように腕を振り回す魔人は、動作一つするごとに姿をさらに揺るがせる。
「朝から心が傷付いてボロボロで、維持するだけでも疲れるでショウ! 大きくすればそれだけ疲れてしまうでショウ! 眠ってしまっていいんダヨ! ヒホホホホ! 遊び疲れて眠っちゃエ! 目が覚めたら素敵な世界! キミの願いは叶ってるヨ! ヒホホ!」
私は、ピエロさんを攻撃しようとは思ってない。
魔人が勝手にやってるだけだ。
それで私が疲れ果てて炎を出せなくなるっていうんなら……それもいいかもしれない。
それも一つの治し方だっていうんなら、それでいいのかもしれない。
ああやって、安全なところから魔人を挑発して、力を浪費させる。それは確かに、安全で、確実で、リスクも低い……誰も傷付かない、何も文句のつけようのない方法だ。
それで、全部解決するなら……
「……もっと……近くに来てよ……ピエロさん」
ピエロさんの高度がガクリと下がる。
その瞬間に伸びた魔人の腕が危うくその風船みたいな身体を掴みそうになって、横移動でギリギリ回避する。
「ヒホッ!? ドラライさん! いきなり下げないで欲しいナ! 裏方は真面目に……ヒホ?」
また高度がいきなり下がって、魔人の腕がその足を掠める。
ピエロさんは急いで高度を上げるけど、それはさっきまでののらりくらりとした余裕のある動きと違って直線的だ。
「ヒホッ? 落ちかけてる? 地上から引っ張られて? なーにを言ってんですカ!? こっちにそんなこと言われても困るんですヨ! エ? ドラライさんも振り落とされソウ? ヒホホ! 笑えませんねそのジョーク!」
下がって、上がって。
けど、今度は挑発するような動きじゃなくて、本当に落ちかけてるのを必死にもがいてるみたいで……
「ねえ……もっと、近くに来てよ……やけどするくらい、もうちょっと……」
火焔の魔人が形をハッキリさせる。
落ちてくるピエロさんに食らいつこうと、真下で待ち構えるように。
「ヒホホ! そんなに怒らないでヨお嬢サン! ピエロさんは友だ……ヒホッ!?」
突然のことだった。
これまで数メートル単位での上下運動をしていたピエロさんが、操り人形の糸が突然切られたかのように……それか、糸の先にあった手がいきなり真下に振り下ろされたかのように、地面に落下する。
その身体は風船みたいなお腹の弾力で地面から跳ね返って着地するけど、その目の前に猫のように四つ脚で屈み込んで顔を寄せる魔人を認めて、笑顔を硬くする。
「ヒホッ……今日のこの遊びは、ここまでに……」
「なんで……なんでやめちゃうの?」
「……ヒホ?」
ピエロさんが落ちてきて、初めて私の顔をすぐ側から、真正面から見て……その化粧で作られた笑顔の下の表情が、困惑しているような気がした。
けど……それも、仕方ない。
だって……私は、怒ってなんかない。
きっと……どうしてもニヤけてしまっている顔を、隠すことすら忘れて彼に求めていたんだから。
「続けてよ! ようやく届くところに来てくれたんだから……ここからでしょ! なんでここで終わるの!」
ピエロさんの背中に繋がった『上』へと繋がるワイヤーみたいなものを炎の手で掴んで引っ張る。千切ろうとしたけど思ったよりも強いワイヤーだったのか、その力に引っ張られた何かが落ちてきた。翼の生えた体長十五メートルくらいのオオトカゲ……たぶん、ドラゴンだ。
さっきまでの空中浮遊みたいなのは、このドラゴンのお腹の巻き上げ機みたいなやつを使っていたらしい。
昔の飛行機乗りみたいな格好をした人が背中で何か喚いてるけど、とりあえずピエロさんの使ってた仕掛けをむしり取る。
「ねえ……もっと遊ぼうよ……もっと頑張って、もっと命をかけて、私を治してよ……私まだ……治ってないでしょ? それとも……治してくれないの?」
すぐに握り潰したいわけじゃない。
消し炭にしたいわけじゃない。
けれど……必死に逃げ回って、もっと傷付いて、頑張ってほしい。
狂信者さんと同じように、私のために死ぬような思いをして、それでも私を治そうとする姿をみせてほしい。
狂信者さんとテーレさんの前では顔を隠せたけど……今はもう、隠しきれない。
ああ、そうだ、きっと……私は、どこかおかしいのかもしれない。
「まだ、死ぬほど頑張ってもないのに……私のこと治すの、諦めるの?」
私のせいで誰かが死にそうになっていることが、私を治すために死にそうになってくれていることが、こんなにも幸せに感じるだなんて……罪悪感よりも、嬉しさの方が全然強いなんて、きっと私の他の人にはわからない感情だろうから。
side 狂信者
一度、搭乗者らしき人影をキャッチした後、凄まじい勢いで真下から引っ張られるかのように墜落したドラゴンさんを追いながら、そちらに見える赤い光を視認します。
やはり……日暮さんの居場所はあそこですか。
「マスター! あの子は今、精神的に不安定になってる可能性が高い! このままだと……」
「ええ、彼女の能力が本当の意味での『暴走』を引き起こす可能性がある。わかっています、急ぎましょう」
日暮さんの転生特典は『守護者』……その系統は『使役系』ではなく『自己強化系』の能力だと、覚醒時の日暮さんに最初に接触する前にテーレさんから説明を受けていました。
『自己強化系』とは言い換えれば『転生者自身の能力を拡張する能力』。
小柳さんも一応は『魅了』の強化版に近い能力でしたが、あれはどちらかというと相手に忠誠心などを与えるというもの。
どちらかと言えば、『破砕槍』さんの『自身に特攻対象と弱点を付与する』という能力の方が当てはまりますかね。
身体強化、技術の熟練効率上昇、才能の付与など様々な種類はあるものの、その最たる特長は『感覚的に使いこなせる』というところです。
それこそ、私のような『使役系』の転生者は能力の扱いにかなりの慣れや理解が必要です。
私がテーレさんの能力や性質を理解しなければ的確な指示ができないように、小柳さんが魅了した人々の能力を見極めて適材適所で命令を与えなければいけなかったように。
もちろん、悪いことばかりではありません。しっかりとした情報共有や報告連絡相談を心掛ければ、観測点も思考する頭も知識量も増えるのですから。どちらが優れていてどちらが劣っているというのは状況や求めるものによるのでしょう。
もちろん、私は己にとってテーレさん以上の転生特典はないと思っています。
しかし、今更のテーレさん自慢はさておいて、重要なのは『使役系』と『自己強化系』の最大の違い。それは、その転生特典に自我があり得るかどうかということ。
そう……『自己強化系』の能力には基本的には自我がないのです。『勝手に活動して言うことを聞かない』ということは、まずないのです。
ですから、最初の夜にあの姿を見たテーレさんは問題があるのは能力そのものではなく彼女自身の精神状態に原因があると断定したのです。
『あの火焔の魔人は明らかに「守護者」だったわ。異様なパワーの噂でまさかとは思ってたけど……あの転生者が強いのは小細工でもなんでもないわ。あの子は単純に、人間として「強い」のよ』
テーレさん曰く。
『守護者』とは、その身を護るエネルギーを具現化する能力。そして、その源は他ならぬ転生者自身の精神です。
『何から身を護るべきか』、『どれだけ本気で護らなければならないのか』、『自分の大事なものを傷付けようとする者にどれ程の反撃を行う必要があるか』、それらを決めるのは転生者……今回の場合は、日暮蓬さんという一人の少女の価値基準に従うしかありません。
言い換えれば、こうも表現できるでしょう……『守護者とはその能力者の精神や感情が、直接的かつ物理的な影響力を持ったものである』と。
その強さはあくまで能力者の持つ精神的な適性、あるいはある種の才能に依存し、転生特典としては『自身の精神を具現化する能力』を開花させることと、そのオマケとしての『自らの守護者により傷付くことがない』という性質を付与されているだけだとか。
たとえば、転生担当の神様からの『あなたは適性が低い』という忠告を無視して日暮さんと同じ転生特典を望んだ転生者がいるとします。
その転生者の『守護者』は、『火焔の魔人』とは限りません。というか、『守護者』の姿形は十人十色。同じような姿や性質を持つことは極めて稀なのだそうです。『毒液のコモドオオトカゲ』かもしれませんし『電流のキリン』かもしれません。あるいは、『旋風のハムスター』かもしれません。
姿形が十人十色なら、強さもまた千差万別。
傾向としては、常に外界に対して危機感や拒絶感を覚えている人間ほど防御性能が高く、外界に対して激しい感情を抱いている人間ほど攻撃力が高いそうです。つまり保守的で内向的な人間ほど守りが固く、激情家で好戦的な人間なほど攻撃的になると。
その点で言えば、免疫不全から人生のほとんどの時間を無菌室で過ごしたという日暮さんからすれば、『外の世界』の物体は全て自身を殺害し得る雑菌を持っているという認識から物体に触れることへの潜在的恐怖……何年もかけて擦り込まれた『外の汚いものに触れば死ぬ』という暗示を上回る危機感はなかなかないでしょう。
そして、あの攻撃性の由来についても想像するのは難しくありません。彼女自身が表層意識としては自覚していないことかもしれませんが。
適性によって転生特典を決定したのなら、あれ以上に彼女に合ったものは他になかったのでしょう。だからといって、『豊穣の女神』がその才能を腐らせるのは惜しいからと勝手に能力を選んだわけではないのでしょう。
日暮さんは、『人並みに健康で丈夫な身体があればいい』というようなことを転生特典に願ったそうですが……それは、無理な相談です。転生特典以前に、それは既に転生者となると決まった時点で与えられることが決まっているものですから。
しかし、おそらく目の前の神様が『それは願わずとも叶う』と言っても、日暮さんはそれを信じなかった……当然といえば当然の話です。
後天性の感染症由来だからといって、免疫不全は彼女にとって物心つく前から身の内に含まれていた個性のようなもの。それが当たり前のように、最初からなかったかのように治ってしまった後の自分というものを想像することすらできなかったのでしょう。
その結果、日暮さんはどうやっても転生特典を選ぶことがなく、真面目な女神アルファ様は『転生者が転生特典を選ばなかった場合』のマニュアルに従って適性によって『守護者』を選んだ。
そして、日暮さんはこの世界に降り立ち、与えられたそれを『自分とは違う意思を持つもの』だと認識した。
彼女が無意識レベルで求めるものを、魔人の叶えるそれを自分の願望だと受け入れられず、自身の意思との繋がりを否定した。
『守護者』の独り歩きというのは、つまるところ彼女の無意識の暴走です。
表層意識として魔人との繋がりを否定した日暮さんの無意識は、より表層意識が認められない願望を実現しやすくなった。昨夜の投石も……いえ、もしかしたらその前の巨大化実験や私たちが初めて見た時の暴れ方も、日暮さんの意識外で見つけた敵対的な存在を破壊しようとしていただけかもしれません。
特に昨夜の投石については、ドラゴンさんが町に火炎弾を放っていたとするのなら、そのドラゴンさんを察知して追い払うために石を投げていたとすれば、タイミングの一致にも説明がつきます。
日暮さんの話では魔人さんは『嗅覚が非常に高く追跡能力も高い』とのことでしたが、魔人さんは日暮さんの拡張された器官が人型をとったもので、実のところ目や鼻といった造形は飾りのようなものです。
燃やした分子を分析して匂い成分を詳細に解析する能力などもあるかもしれませんが、その情報が収束するのはあくまで日暮さんの頭脳。それを無意識に処理しているとすれば、日暮さんが表層意識で気付いていない情報に対して魔人さんが対処しているというのはあり得る話です。人間が言語化して思考できる情報など、本当に見聞きし感じ取っている情報のほんの一部でしかないのですから。
私たちが町に来る前は毎晩『炎の巨人』の姿で段々と町に近付いていたという話もありましたが、それもあるいは……日暮さんが迷惑をかけまいと燃えるもののない火山地帯の奥に引きこもっている間に無意識に押し込んだ寂しさの表出だったのでしょう。起きている間は意識して抑え込んでいる感情が睡眠時に行動として現れてしまうというのはよくある話です。
親と離れた布団で眠るようになって間もない子供が、夜な夜な自分でも知らぬ間に親の布団に潜り込んでしまうように。
日暮さんはよく『魔人が勝手に私たちを傷付けてしまうかもしれない』と不安を口にしていましたが、最初からわかっていたのです。
日暮さんが本当に心の底から傷付けたくないと思ったものを、魔人さんが勝手に傷付けてしまうなどということは、まずあり得ないのです。
ただ一つの例外を……彼女の精神が非常に不安定化している場合を除けば。
『守護者』は具現化した精神の形。
精神状態が極度に不安定になればその形状や動作も影響を受けるのは当然ですが、日暮さんの場合、特にまずいのは抑圧された無意識の逆流です。
『守護者の独り歩き』というのは、『感情の発散』という意味合いもあるそうです。守護者を持たない私にはよくわかりませんが、守護者を出現させるというのはそれだけで精神疲労を引き起こす反面、大声を出したり思いきり運動したりといった行為に似た『スッキリ感』を与えるそうですが……精神が不安定だと、思うように守護者を実体化できません。情けなくも銃弾に膝をついてしまった私の前から去っていく日暮さんには、既にその兆候がありました。
守護者を出そうとしてうまくできないというのは、そうやって発散されるはずだった感情を発散し損ねるということ。
しかも、いつもは無意識下の感情を発散するために本来は意識して操作するべき守護者を利用しているわけですから、守護者を通して発散できなかった感情は自覚することなく素通りするだけのはずだった表層意識に蓄積することになります。
たとえるなら、苛つきやすい人物が無意識に癖で行っている貧乏ゆすりや爪を噛むなどの動作を拘束具で封じてしまうようなものでしょうか。そんなことを何度となく重ねれば……無意識下にあったはずの感情が表層意識へと逆流し、本人の望まぬ形で精神に深刻な影響を与えてしまう。
普段は理性に基づいた思考によって意識的合理的倫理的に押し止めている感情や行動を抑えられなくなってしまう。
つまり、今までは日暮さんの善意というリミッターがかかっていたあの火焔の魔人が、今度こそフルパワーで暴れ始めるのです。
日暮さんがその感情を消化しきるまでに、その秘めたる激情を消火しきるまでに、どれだけの被害が出るか……そして何より、そこまで行き着いた末に今まで魔人という形で切り離していた破壊的衝動が彼女自身のものであったと自覚したとき、彼女が戻ってこられるのか……放置すれば絶対にろくなことにならないのは確かです。
正直、撃たれた脇腹がまだ結構痛いのですが……そんなことを言っている場合ではないでしょう。
あちらでは既に何やら始まってしまっているようですし、休んでいる暇はありません。
「テーレさん……これから私がする無茶を止めないでください。後でお叱りは受けますので」
「マスター!?」
ドラゴンさんとの綱引きの時から発動したままの『恩師の加護』の身体能力を発揮して、テーレさんを追い抜いて先を行きます。
『間に合ってよかった』、そう言えるかは日暮さんという火元をいかに早く食い止められるかどうかにかかっています。
火災への対処は早ければ早いほど被害が少なくて済みますからね。




