第180話 迫害と凶弾
side 日暮蓬
「日暮さん! 起きてください! 緊急事態です、今すぐに起きてください!」
聞き覚えのある声が強い語気を込めて私に浴びせられる。
薄目を開けて周りを見ると、まだ全然暗い。夜明け前かそこらだ。
「まだもうちょっと……」
「ダメです。緊急事態なので寝かせません」
狂信者さん……そんなに急いでるなら揺り起こせばいいのに……あっ、そっか、狂信者さんから触るのは危ないんだった。
まだ重い瞼を擦りながら、身体を起こす。
「ふぁ………………おはよ……」
「寝ぼけながらでもいいので、とにかくこちらへ。今は一秒も惜しいのです」
「へ……? どうしたの……」
そこで気付いた。
周りの空気が焦げ臭い……これは、また、私が寝てる間に……
「とにかく急ぎます。今、テーレさんがあちらの小さな洞窟に偽装を施している所です。中に入ったら、しばらく静かに隠れていてください。説明の時間もあまりありませんが、とにかく身を隠すのです。なるべく興奮せず、音も立てないように」
何が起きているかわからないけど、私の歩幅に合わせず進む足取りから尋常じゃない事態だとわかる。
狂信者さんは私をテーレさんが何か細工をしてる洞窟まで連れて行くと、入るように促す。
「待ってたわ。一応、空気穴として少しだけ隙間は空けておくけど、まだ暗いから火を出したら外から見えるかもしれないから気を付けて。さ、早く中へ」
「テーレさんもどうしたの……」
「いいから!」
あまりの剣幕に、慌てて中に入る。入り口が狭くて、中が見た目より広い洞窟だ。
そして、狂信者さんとテーレさんは蓋みたいになった岩を入り口に立てかける。
「いい、物音立てないでね。話が面倒になるから」
「すぐに済みますから、少し待っていてください」
私には何もわからないまま、蓋が閉じられる。
残ったのは、テーレさんの言っていた空気穴らしき隙間だけ。外から見れば材質の同じ岩と洞窟の壁が繋がったゴツゴツの岩にしか見えない。
私は何が起きているか気になって、その隙間から外を覗いた。
何もわからないまま、何もしないで黙って待ってるなんてできなかった。
そうして、見えてきたのは……
「おい! あの化け物をどこに隠した!」
「化け物の仲間め!」
狂信者さんとテーレさんの前に集まってくる、松明と棒を持った人たち。間違いない……あの町の人たちだ。
「落ち着いてください! 昨夜の件についてこちらからまず説明したいことがあるのです! あなたたちがしようとしていることは危険です! まずは私の話を聞いてください!」
「うるさい! 畑や家を焼かれて黙っていられるか!」
「俺はハッキリと見たぞ! あの炎の化け物が町の方向に石を投げてくるのを!」
…………え?
まって、起きたときのあの焦げ臭さは……
「待ってください! 確かに、被害が出ているのは認めます。ですが、それが彼女の悪意によるものかはまだ未確定です。ですから、まずは落ち着くことが先決です! ここで間違えば、本当に取り返しの付かないことになります!」
「黙れ! じゃねえなら昨日のことはどう説明するんだ! 燃えた畑や家は? まさか、ドラゴンが飛んできて火でも吐いていったとでも言うつもりか!」
「ええ、その可能性もあるでしょう。もちろん、実際に被害が出ている以上、黙っていられないのもわかります。しかし、その損害賠償は然るべき神殿や政府から支払われるはずです。少なくとも、あなたたちのその行動はなんの利益も生みません! 危険なだけです!」
「うるさい化け物め! こっちはもう限界なんだ! 生まれ育った町を壊されて! 日常を壊されたやつの気持ちが化け物にわかるか!」
「彼女は私たちが別の場所へ連れて行きます。ですから、そうやって追い詰める必要なんてありません。それがただ危険な行為だと何故わからないのですか」
「もし町から出て行ってもいつか戻ってくるかもしれないだろうが! こっちもやられっぱなしで気が済まねえ! それに、前はいきなり火を噴いて逃げやがったが、それからは山奥に隠れて石を投げてくるだけの臆病者じゃねえか! みんなで囲んじまえば怖くねえ!」
「冷静になってください! あなた方のやろうとしていることは完全な自殺行為ですよ!」
「うるせえ!」
狂信者さんの後ろ姿が揺らぐ。
何が起きたか、こっちからは見えなかったけど……狂信者さんの足下に転がった何かを……ゴツゴツとした石を見て、理解する。
あの人たちの誰かが……やつらが……何もしていないあの人に、狂信者さんに、石を投げた。
テーレさんが狂信者さんの顔を見て、町の人たちに一歩踏み出そうとするけど、狂信者さんがそれを手で制止する。絶対に、痛くないはずはないくらいの大きな石なのに……
「とにかく、帰ってください。これはお願いではありません……警告です。あなたたちが被害者なのはわかっています……ですが、今やろうとしていることは、あなた方の言う『化け物』を怒らせるだけです。私には……あなたたちが、死に急いでいるようにしか思えない。言い方が悪いかもしれませんが、それで死んだら馬鹿みたいだと思いませんか?」
そう言って、狂信者さんは石を拾い上げて握り締め……自分にそれを投げた誰かの向こう側に全力で振りかぶって投げた。それは、人間に当たることはなかったけど、視界の外でもわかるくらいに派手な音を立ててどこかの岩に当たって砕け散った。
群れて調子付いていた集団の顔が一斉に青ざめる。
「話を聞いてもらうためとはいえ失礼。しかし、『怒る』とか、そんな疲れることは『化け物』だってしたくないんですよ。あなたたちも、本当はそうでしょう?」
さっきまでの剣幕が嘘のように消え去って、場を支配する沈黙。
まるで、一歩でも動き出せばその瞬間に殺されるんじゃないかというような緊張。
こっちからは見えない狂信者さんは、どんな顔をしているのだろうか。私にはわからない……いつも笑顔で私に優しく語りかけてくれた彼からは、想像できない。
けど……
「本当に失礼を、怖がらせたいわけではなかったのです。ただ少し……あなたたちが『化け物』と呼ぶ私たちも、何も感じないわけではないというのはわかってほしかっただけなのです。事実だとしても、事実無根だとしても、うるさい雑音はうるさいですし、無視をするのも応えるのも面倒くさいのです。デリカシーのないことを言われれば不快ですし、イライラすればやつあたりもしたくなるのです。それでも……また、石を投げるつもりですか? 前は『たった一人の少女』に、今度は私たち『三人』に」
たじろぐように一歩下がる群衆。
狂信者さんはそれを追い立てようとはせず、肩をすくめて軽く笑う。
「ははは、冗談ですよ冗談。これくらい、ちょっと鍛えた冒険者なら難しくありません。確かに少しだけ血は出ていますが、まあ一発だけなら誤射とも言いますし、私たちも冒険者ですし……旅人を袋叩きにして金品や命を奪う『盗賊』が相手ならまだしも、一般人さん相手に喧嘩を買うほど狭量ではないつもりです。そこら辺の判別は少し難しいのですがねえ……以前聞いた話では、『実はその街の住人がそっくりそのまま盗賊団で旅人を誘い込んで襲っていた』なんてこともあるようなので、怖い話ですがね」
もう、群衆の中に武器を振り上げようとする人はいなかった。
後は、やんわりと町に追い返すだけで……
「先程も言ったように、賠償の申請はこちらでしておきましょうか。ですから、とりあえずは私たちが町を去るのを邪魔しないでくだされば……」
パァーン……と、場違いな、いや、世界すら間違っているような、乾いた音がした。
何が起こったか、わからない。想像もできない……したくない。
ただ、狂信者さんの足下に、傷口から垂れたなんて表現では明らかに足りない、まるで樽に錐で穴でもあけたみたいな血が、線となって流れ出る。
それに驚いたように、狂信者さんが俯いて自分の身体を見て……崩れるように、膝を、ついた。
誰かが……狂信者さんを、撃った……
side テーレ
銃声が響いた。
マスターの腹部に空いた穴から、血が噴き出て、膝をついた。
とっさに銃声の源を見つけ出し、斥力弾でその凶器を吹っ飛ばし、マスターの前に斥力障壁を張ってそいつを取り押さえる。
そして……
背後で、火焔の魔人が洞窟の屋根を吹き飛ばして立ち上がった。
その身長はこれまでで最大の四十メートル超。
その巨躯と熱に怯え慄き、見下ろされた群衆が半狂乱で互いを押し倒しながら逃げていく。
けれど、その歩みはどんなに急ごうとも魔人の一歩に及ばない。彼らを踏み潰さんとするその一歩は、誰にも止められない。
ただ一人……
「だ……っ……」
マスターは、喋ろうとして口から溢れようとした血の味に驚くように口を押え、その血を飲みこむ。
そして、怪我人とは思えないような声で叫ぶ。
「だ……大丈夫です! このくらい……かすり傷、のようなものです。だから……ゆっくりと、魔人を解いてください……お願いします」
足が止まる。
いや、完全には止まっていない。足を落とそうとする力と、足を上げようとする力が葛藤するように揺らいでいる。
そして……魔人の姿は数秒か、あるいは数分かとも思える葛藤の末、溶け崩れるように消えていく。
後に残されたのは、口許を押えて後ずさる日暮蓬という少女の姿だけ。
「わ、私のせいで……こんな……こんな……っ!」
「だ、だい……ぶっ……」
マスターの口から、我慢していたのか大量の血が流出する。
それを見て、少女は何を思ったのか……自分のせいでマスターが傷ついたという罪悪感か、あるいはまた傷つけてしまうことへの恐怖か。
私からわかるのは結果だけ……顔を真っ青にして、人型に成形することもままならない炎を纏いながら走り去るその姿だけ。
「ぐっ……テーレさん、彼女を……」
「馬鹿っ! その先は絶対に言わせない! 何も言うな! あんたの傷の処置が先!」
私は銃撃者に一撃入れて昏倒させ、馬鹿な命令を封じるためにマスターの口を押えて銃創の処置にかかった。
マスターが撃たれてから三十分後。
魔法での検査やなんかを含めて、ようやく一通りの処置が終わった。
結果から言えば、銃弾は腎臓を撃ち抜き、背中を突き抜けて貫通して背中側の裏地に刺さっていた。
金属鎧ほどではないとはいえ、かなりの素材を使って強度を出した装備だ。普通の鉛玉程度なら衝撃はあっても肉体には達しない。弾丸が、鉛玉程度なら……だ。
けれど……弾丸は、鋼鉄よりも重くて固いもので造られた特別なもの……魔力で強靭化したこの世界の生物を殺すために作られたようなものだった。
装備は貫通され、内臓に命中。
普通なら致命傷だ……このマスターで、なければ。
「ゼットさんが……とっさに、衝撃の伝導を止めて貫通させる方向へと誘導してくださった、ようです……それに、今もなんとか腎機能の補助と破損した血管の保護をしてくれています……状態維持が限度で治癒とまでは行きませんが、助かりましたね。幸運でした」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! 普通なら内臓粉々になってぶちまけてるところよ!」
普通なら、こんな質量の弾丸を撃ち込まれたらその衝撃は拡散して内臓とか肉を貫くどころか、粉々に砕いている。マスターがそうならなかったのは、体内の『ゼット・ネイバー』が宿主へのダメージ(主に出血)を防ぐために衝撃の拡散を防いで傷が最小限になるように弾丸を直進させる方向へとエネルギーを集中させたからだ。
もしそうじゃなかったら今頃……
「痛っ……傷周りを石化させて感覚を鈍化させていますが、さすがに貫通まで行くと痛いですね……ところで、下手人は?」
「……捕まえたけど、なんか意識がはっきりとしてなかったわ。拳銃も、この世界の技術で作れるやつじゃないし……本人は、『町のみんなが静かになったら怖い相手に向けて引き金を弾くように』って、誰かに言われてたそうよ。『引き金を弾いたら何が起きるか』も『これが武器であること』も知らずにね」
「なるほど、そのような具体的で明確な殺意は感じていませんでしたし、本当にただ『意味も知らずにその動作をした』というだけなのですね。意識がはっきりしないというのは、幻覚剤や催眠術の類ですか?」
「……たぶんね、そういう能力や魔法かもしれないけど、一般にはそれで人を殺させるのは難しいわ」
「しかし、その行為が『殺人行為』に繋がると知らなければ、ギミックを理解せず、銃という器具の知識もない人にただ『引き金を弾く』という動作を命じるだけなら難しくないと。これからは、殺意を持つ複雑なギミックにも気を付けるべきですかね。悪意探知の穴ですね」
私も……油断していた。
相手が殺意や悪意を込めて引き金を弾こうとしたなら、私も感知して対応できたはずだ。
けれど……今回の相手は、ただ曖昧な目的意識で『引き金を弾いた』だけだった。だからもっと確実な致命傷になる頭や心臓に狙いを付けることもなく、構えもよくなかった。いわばまぐれ当たりだ。
けれど……まぐれでも、死ぬ可能性はあった。
「……もしも、私たちがいなかったらどうなっていたんでしょうか」
「どうって……」
「おそらくですが、日暮さんならあの弾丸も完璧に防いだでしょう。誰がそのような催眠なりなんなりを行ったかはわかりませんが……それが本来、日暮さんを狙ったものだった、いえ、まぐれ当たりしようがしまいが関係なく、日暮さんを撃たせればいいというものだったとしたら?」
「それって……」
その場合を想定してみる。
もしも私たちがいなければ、昨日の町の被害で黙っていられなくなった住人たちは、棒や松明を持ってこの山へ登ってきて、あの子を囲んだだろう。そして、石を一個でも投げれば炎の魔人が出て来て、やっぱり竦み上がるはずだ。
そして……『静かに』なって……『怖いもの』に向けて、引き金が弾かれる。
その下手人は何をしているかわからないとしても、日暮蓬はその音から、それが何かを察する。標準的な日本人なら、その行為が一線を越えるものだとその瞬間に察する。
そうなれば……
「……テーレさん、昨日の火事の現場を、少し調査する必要がありそうです。手伝ってください」




