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転生したので狂信します  作者: 枝無つづく
五章:『穢れ』多き英雄譚

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第145話 約束した以上は

side テーレ


 野宿というのは、どれだけ入念に準備できるかというのが生死を分ける。戦場でならなおのことだ。


 まず場所を決める。

 雨が降っているのなら屋根になるものか、屋根にできるものを探して体力の消耗を防ぐ。それに加えて、何より戦場では敵に見つからない場所を選んで、交代で見張りを立てる。どんなに強い戦士でも、睡眠中を襲われたらたまったものじゃない。


 加えて、今回は結界を張って悪魔の影響を防ぐ。

 多少の魔力は消費することになるけど、悪魔が集まっているのならば精神影響も馬鹿にできない。夢魔やなんかが精神を攻撃してくることもあり得る。


「なるほど、この結界は『外』と『内』の境界を定義し、その両側に別の属性付与ルーンを刻んで内外の環境差を広げるわけですね。特にこの結界は陰気と陽気の属性付与、ネガティブな雰囲気とポジティブな雰囲気で環境を分けることで精神体から見た距離感を現実より大きくとるわけですね」


「そう。思念波の遮断までやると露骨すぎて術者からすぐばれるから、遮断能力が多少低下しても自然な形にしておかないと。完全じゃないから油断しないでよ? あんたの精神抵抗力なら問題ないと思うけど」


 場所は砦からそれなりに離れた林の中。

 馬で走る内、鎧悪魔や人間の戦闘の気配からはかなり遠ざかったはずだけど、油断はできない。人間は夜になれば視界が悪くなるし活動も低下するけど、悪魔はそうじゃない。むしろ、やつらにとってはこれからが本番だ。

 特に今日は、まだシトシトという程度だけど未だに雨降り空。星は隠れて真っ暗。こういう時こそ悪魔は活発化する。


 砦に入れなかった人間には、辛い夜になるだろう。私みたいに多少なりとも結界が張れる知識があればいいけど、それができなければずっと起きて警戒を続けるか自分の精神力で干渉を防ぐしかない。

 こういう時、睡眠の不要だった天使の状態と違って眠らなきゃ性能が落ちてしまう人間体はかなり不便だと思う。代わりに疲れ切っている時に柔らかいベッドで眠りに落ちる心地よさとかも体験できるようにはなったけど、こうして快適とは言えない環境で睡眠を取らざるを得ない時にはやっぱり厳しい。


「この雨じゃ、すぐには晴れないわね。この暗さで悪魔との戦闘なんて避けたいし、動き出すのは夜明けからね。見張りは……悪いけど、一時間くらいは任せていい? 後は私だけでもなんとかなるから」


 それでも私は『万能従者』があるから、最低限の睡眠時間でも数日ならコンディションを落とさずに活動できる。多少の無理をすることにはなるけど、後でゆっくり休めるのなら何とかなる範囲だ。

 キャシーは一応捕虜だし、見張りは二人でやらなきゃいけない。マスターも乗馬ができるといっても慣れているわけじゃないし、疲れているだろう。人間なら休みは必要だ。


「私はアンナさんからいただいた『妖精界の鍵』で睡眠時間を圧縮できるのでそれほど長時間の休息はいりません。まあ、あまり『深く』へ一人で潜るのは危険なので倍率を抑えて二倍から三倍にしておきますが、それでも三時間あれば十分です。テーレさんも十分に眠って下さって結構です」


「……三時間、私もそれだけあれば十分だから。あんたが先に見張り、真夜中になったら私が替わる。それでいい?」


「では、そのように。日が出てきたら出発ですね」


「そうよ……はいこれ、『発熱』の術式が仕込んである水筒。スープ入れてあるから、少しずつ飲みなさい。そのスータンに防水性があるって言っても多少は濡れてるんだから、風邪なんて引かれたらたまったもんじゃないわ」


「では、ありがたくいただきます」


 見張りを任せて、結界の奥に作った簡易ベッドに横になる。

 元々瀕死で体力の残っていなかったキャシーは既に眠っているらしい。規則的な寝息が聞こえてくる。

 一応、あいつが居眠りしたとしても警報結界は仕掛けてあるから眠っている内に襲撃されることはないだろう。対応までに確保できる時間が少し変わるくらいだ。

 いや……あと、見張りがいるかどうかで、いないよりは安心感があって深く眠れるかなってくらいだ。


「じゃ、おやすみ。何かあったら遠慮なく起こしなさいよ」


 横たわってみてからふと、意識が深い眠りに落ちる直前に浮かぶ思いがあった。


 いつから私、あいつに見張りを任せてぐっすり寝られるようになったんだろう。

 ……ま、どうでもいっか。また、起きてから考えれば。







side ???


 夢を見た……昔の夢だ。

 私はスラムで生ゴミを食べて生きていた。


 何故スラムにいたのか、詳しいことは知らない。私はただ、動物のように生きていた。きっと、私に人間的なことを教えてくれた人はいなかったのだろう。言葉ですら、『教わる』ということがなくて、生きるために他のスラムの人々の声を真似していただけだった。道端で『おめぐみを』という言葉を手当たり次第にかけ続ける人を見かけて、偶然のその人が食べ物をもらえた瞬間を見て『おめぐみを』という言葉を真似して声をかけ始めた……私の憶えている限り、最初の言葉はそれだ。

 少なくとも、世間一般に言われているように最初の言葉として親を呼ぶということはなかった。そもそも、人間が男と女の情事から生まれることを知ったのも大分後だ。昔の私は、本気で自分が無から湧いて出たように思っていた。


 私には親なんていなかった。

 そして、私には信じられる者だっていなかった。


 周りは全て(ゴミ)を取り合う『敵』か、見下した目に必死に媚びへつらいながら(ゴミ)をねだる『人間様』でしかなかった。

 今だって、私には……


『味方なんていない』


 他人なんて、いつ裏切るかわからない。

 私の素性も何も知らず信じてくるやつなんて、なんで信じてくるかわからないやつなんて……


「おや、キャシーさん。馬具の確認ですか? こんな夜更けに」


 ……見つかった。

 馬を盗もうとしている所を、馬鹿みたいに私を信じようとしていたこいつに見つかった。

 ああ……これはもう、ダメだな。背後だから顔は見えないが、きっと信じていたのに裏切られて酷く失望しているだろう。だが……構わない。私だって、信じられていないのだから。


「……物音なんて、立ててなかったはずだけがな。ちゃんと外見張ってたら私の動きなんてわからないだろう?」


「そうでもありませんよ。勝手ながら、あなたの治療をした後、私の血液を微量ながら摂取していただきました。失血の解消と……私の体内の小さな隣人による回復の補助と確認を行うためです。護送が終われば隣人には活動を停止してもらうつもりでしたが、それまでははぐれてしまった時のために発信器としての役割をお願いしていました」


 『小さな隣人』というのは何かわからないが、体内にある種の呪いを仕込まれていたというのはわかった。自身の血液を塗布した物体の位置を察知する魔法というのは諜報などでは一般的な部類だが……身体の表面は確認したが、まさか体内とは。普通は相手の体内に取り込まれてしまえば自分自身の気配など上書きされてわからないはずだが、こうして見つかったということはこの狂信者にはそれができるのだろう。

 無根拠に、不用心に私を信じ切っていただけかと思っていたが、最低限の備えはした上でのことだったわけか。これは私の見込み違い——いや、侮りだった。


「……私のことは、最初から信用していなかったということか」


「いいえ、そんなことはありませんよ。しかし、それはそれ、これはこれです。私が信じていてもテーレさんは万一に備えるべきだと判断していた。ならば、保険はかけておくべきでしょう……現に、あなたはこの危険な森に、真夜中であるのに飛び出そうとしている」


「ああ、そうだな。助けられておきながら裏切っておいて、信用されていなかったと責められる立場ではない。だが……どうしても止めるというのなら」


「争えばテーレさんが起きてしまいます。もう失敗したものは諦めてさっさと二度寝でもしてください。そう焦らなくても朝になればすぐに出発ですよ」


 予想外の言葉。

 怒りも失望もない、ただ少々呆れただけというような軽い言葉。

 私の予想していたものとは大きく違う反応だった。


「……まだ、私を護送対象として見ているのか。こんな場面を見咎めておきながら」


「ここは戦場、緊張に耐えられずパニックのまま逃げ出したくなることもあるでしょう……以前、種類は違いますがパニックの中で逃避行動に走った知人がいます。私はそれが悪意ではなく不安を誰にも相談できなかっただけだと気付くのに時間がかかり、必要以上に彼を傷付けてしまいました。緊張状態に強い人と弱い人がいますから、善悪はともかく強い弱いで人を咎めるつもりはありませんよ」


 戦場でのパニックで、危険だとわかっていながら馬を盗んでひたすら逃げようとしている——この男から見た私は、そう見えているのか。脳天気にも程がある。私はただ……


「……私は、お前らが信じられない。この状況で飽きもせず他人を救おうと考える精神性が理解できない。だから、裏があるとしか思えなくなった……パニックになったわけではない」


「『周りの全てが敵に見える』『危険性や確実性の計算を度外視して眼前の状況から逃避してしまう』。それも、パニック症状の一種ですよ。深呼吸してください。月明かりも見えない雨雲の下、夜中の森で馬を走らせるというのは危険な行為です。ましてや、敵は悪魔。視覚よりも気配に重きを置いた探知能力を持つ彼らに有利な場所でおっかなびっくり走るより、明るくなってからの方が安全で早く目的地に着くでしょう。それに、戦力が多い方が襲われた場合のリスクも減ります」


「なるほど……合理的な説得だ。で、だから信じろというのか? 今日会ったばかりの相手を、このいざとなれば重荷だと判断されて、囮として捨てられるかもしれない戦場で?」


「……ああ、なるほど。そういう考え方もありましたか。あなたは、私たちが心のどこかで『もしも悪魔に追われてどうしようもなくなったら、キャシーさんを殺させている間に逃げればいい』と思っていると。なるほど、確かにそう考えれば一人の方がマシという計算もあるかもしれませんね」


 この反応を見るに、本当にそういったことを考えたことがなかったらしい。

 だが、それは目の前の男に関してだけの話。冒険者として、戦士として、戦場に立つものとして常識的な考え方ではない。


「……少なくとも、あのテーレという少女はそう考えている。私にはわかる。あれは、いざとなれば狂信者、お前だけを守る。下手をすれば自分自身すらも投げ打ってな……私は、そういう人間を知っている」


 自分よりも大切な誰かがいる。

 その誰かがいない世界で生きていくことなんて考えられない。

 そういうとき、人間は自分の命なんて惜しくはないと意外なほど呆気なく納得できる。当然、手を汚すことも厭わない。


「縛られたまま馬から放り出されれば、私は確実に死ぬ。丁度よく、必死にある程度の距離を逃げて、時間を稼いで……だが、最終的には逃げられずに死ぬ。テーレが私を自分の馬に乗せているのもそのためだろう」


「そうかもしれませんねえ。ええ、テーレさんが乗馬の経験があるかどうかを聞いたのは、『馬を盗んで逃げる可能性』を考えていたのかもしれませんねえ」


「……すまなかった、見ての通り、本当は乗れる。お前よりも上手くな……この付け焼き刃の素人め。見ていて危なっかしかったぞ」


「これは手厳しい。ちなみに、私は噓は嫌いですが、こうやってちゃんと自己申告して情報を修正してくださったのでノーカンとしましょう……では、明日はあなたに馬を走らせてもらいましょうか。私はテーレさんと同じ馬に乗ります」


「……なんだと?」


「それが一番速いのでしょう? どちらにしろ、あなたはクロヌスへ向かうのです。ならば、あなたが先導して私たちが付いていけば速い」


「……私が勝手に逃げるかもしれないのにか?」


「あなたは既に考えついているでしょう? 『私の体内に何かを仕込んだのなら、逃げきることはできない』と」


 それは……確かに、言われるまでもなく考えたことだ。

 私の中に位置特定の呪いを仕込めるだけの時間と、無理に魔法を使おうとすると爆発する拘束具なんてものを作れる技術があるのなら……私の知らない内に、遠隔操作で私を殺せる何かを仕込まれていてもおかしくはない。

 そうでなくとも、位置が筒抜けでは撒くこともできない。


「少なくとも、私は物騒な仕掛けはしていないつもりですが……信じられないというのなら、それで構いません。あなたは万一の時のためにとりあえず私たちと共に行動する。私たちはあなたが私たちを信じていようがいまいが、あなたに道案内してもらいつつ中央都市まで行く。合理的でしょう?」


「……私を捕虜として扱うのなら、私が街などへ行かず逃げ出そうとするのはマズいのではないか?」


「どうせ、わかっていて聞いているのでしょう? この辺の地理に疎いと言っても、明らかに別方向へ向かっていればテーレさんが気付きますよ。その時は残念ですが、テーレさんがあなたを信じられないと言えばまた縛らせていただくだけです」


 『信じるのは自分の仕事、疑うのは相方の仕事』……そう割りきっているようにも聞こえるが、話はそこまで簡単ではない。

 こいつは、私の本心がどちらでも構わないと言っているのだ。結果としてお互いを利用してでも街まで無事に辿り着ける確率が上がるのならそれでいいと。例え、内心でどれだけ自分たちのことを不信に思われていても構わないと。


「嫌な割り切り方だな。あんな話をしてきたから、そこそこ信頼関係はできたかと思っていたが、まさか本質的には全く信じてもらえていないとは」


「それはお互い様なのでは……まあ、言わんとするところはわかりますよ。私とテーレさんは、あなたを信じたいとは思っていても無条件では信じられない。なので、小細工を弄して『裏切られても大丈夫』という確信を得た上で信じると言っている。純粋な信頼などではないというのはこの上なく正論です。しかし……それでもいいと思いませんか?」


「……なんだと?」


「本来は『心から信頼できる関係』など、昨日今日会ったばかりの相手に求めるべきではないという話ですよ。それができたら理想的ですが、そんな奇跡のようなものはそう簡単に巡り会えるものではないでしょう……私がテーレさんにこれを言ったら、きっと笑われますがね。クックッ」


 狂信者は、『狂気的なまでに信じる者』とは思えないほどにあっさりと『無条件の信頼』を否定して、調子を変えずに軽く笑う。


「あなたが私たちを信じられないのも、テーレさんが私のためにあなたを利用しようと考えてしまうのも、私の信頼が不純なことも、ごく自然なことです。私は女神ディーレを信仰していても、全ての人間が善意に溢れているとは信じていない。『純粋な善意』という概念を信じていても、目の前の人間の善意が必ずしも純粋なものだとは信じていない。それだけのことです。『信じ合えていると思っていたのに裏切ったな』などと相手を責めるのは、信頼の押し付けというやつですよ」


 『世界が間違っている』と臆面もなく口にするこの男がそれを私に打ち明けたのは、こいつが私をあまりにも簡単に信じたから……あるいは、簡単に信じたように思わせようとしてきたからだと思っていた。だからこそ、私は逆に不信を募らせていた。

 だが、それは違ったらしい。

 こいつはただ……それを恥ずかしげもなく、赤の他人にだろうと口にするだけなのだ。そして、『世界はもっとこうあるべきだ』と言えるということは、『今の世界はそうではない』ということを否定せず見つめているということだ。


 こいつは、世間知らずで無条件で他人を信じてしまう馬鹿ではない。

 人間が互いを騙し合うことも、人の心が汚いことも知っていて、その上でやはり信じてみたい。そう思って、自らの意思で裏切られることまで覚悟の上で実践し続ける……底抜けの大馬鹿だ。


「損をするぞ、その生き方は。お前がどんなに善良だろうが、それを騙すのに罪を感じない人間はいる。自分を犠牲にしてもいいというのは、もっと無価値な人間がするべき生き方だ。立派な人間になりたければこそ、もっと慎重に生きろ」


「優しい言葉をありがとうございます。しかし、『無価値な人間がするべき生き方』というのは聞き捨てなりません。石が石の価値を決めるべきではなく、人間の価値は人間が決めるべきではない。このような非常事態では優先度を決める必要があるとしても、それは価値とは別物です。『利用価値』ならまた話は別ですが、それはあくまで状況に合わせたもの。生き方単位では適用できないでしょう」


「ふん……どんな悪党も聖人も、人間そのものの価値は等価だとでも? はは、ご立派な思想だ。人に受け入れられるとは思えんがな」


「『利用価値』は人間の都合の話ですからね。そもそも価値というもの自体が人間の作ったもの……『私が死んだら多くの人が困る』というのは事実かもしれませんが、それを立場を問わぬ普遍的真理のように『自分には価値がある』と言い換えて、自分が死んで喜ぶ側の人間に言っても仕方がありません。逆もまた然り……自身が死んでも構わないという人間だろうと、それは本人の都合です。『自分は無価値な人間だから』などと言って命を粗末にされてはかないません。私も、闇雲に命を懸けるつもりはありませんよ」


「私にはそれだけの価値が……いや、利用価値があるとでも?」


「それが私にとっての利益になるかはともかく、あなたが生き残ることで喜ぶ人間はいるはずです。であれば、少なくとも無意味ではないでしょう」


「ふん……お前が、私の何を知っているというんだ。何をもってそんな判断をした。お前は、この地獄のような戦場を生きる上で手頃な庇護対象を見つけることで戦うことや他の戦死者を差し置いて生き残ることを正当化しようとしているだけではないか?」


「痛いところを突きますねえ……まあ、私としてはそれも一種の『利用価値』だとは思いますが、私があなたを何も知らない、命を救うに足る根拠を持たないというのは間違いです」


 狂信者は、私を静かに見据えて微笑む。

 決して侮蔑や軽蔑の混じらない、ある種の敬意すら感じさせるような目に、私を映す。


「『助けて』と、求めてくれましたから。致命的な傷を受け、誰にも救助されないまま長い時間を耐え、奇跡のように私たちと出会うまで必死に呼吸を続け、心臓を動かし続けた。きっと誰よりも、あなた自身があなたの生存を願っていた。であれば、少なくともあなた自身にとって、あなたの生存はそれに見合う価値を持つということでしょう」


 その言葉を聞き、私はドキリとした。

 感動した、というわけではない……むしろ、恥ずかしく思った。

 そうだ……私はあの時、他の何よりも自分自身の生存を願った。願ってしまった……それよりも優先すべきことを考えるより先に、普通はもう手遅れの傷であるのはわかっていたはずなのに、私は……


「そうか……私は、生き汚いな。いつ死んでも構わないなどと嘯いて危険に身をさらしてきて、いざ本当に死が迫ると自分が生き残りたいという思いで頭がいっぱいか……所詮、冷静さを失わないための自己暗示でしかなかったということか……情けない」


「何を言いますか。『生きたい』という願いは決して非難されるべきものではない。その生命自身からであってもです。死に瀕して未練が浮かぶ、『知りたかった景色』『したかった行動』『伝えたかった想い』、世界に遺したかったもの、観測したかった世界、それらが永遠に世界から消え去ってしまうという恐怖はあなたが世界に対して持っている影響力の裏返しです。人は本当に死にそうなとき、どうやってもできないことより『自分なら頑張ればできそうだったこと』しか思い出さないのです。最後に見るのは過去ではなく未来なのです。結実しなかったかもとしても、もしチャンスがもう一度あったら少しでもそうしたいという決意なのです。だからこそ尊いのです、その強い『生きたい』という願いは世界を大きく変える起点になるのですから」


 まるで、本当に死んだことのある人間のような、確信の感じられる言葉だった。

 けれど……確かに、あの時は命を繋ぐので必死で、そんなことを考えている余裕はなかったはずなのに……思い出せないのに、確かに何かを見た気がする。想ってはいけないはずの、願わないと決めたはずの未来を。


「だから私はあなたを護送します。何か大きな意志力(エネルギー)を感じたあなたを、全力で街へ送り届けます。確かに、私は損をするかもしれませんが、あなたの『したいこと』はきっと『世界を悪くすること』ではないと感じますから……たとえば、『美味しいものをお腹いっぱい食べてみたかった』とかでもいいんですよ。それが私や大衆の利益になることでなくとも、あなたが幸福になりたいというだけでも……まあ、周りをそれ以上に不幸にしない限りは助力しましょう。他人のための滅私奉公も、自身の満足のための努力も、つまるところ求めるものは『幸福』です。他人にとっての都合の良し悪しはあれ、幸福を求めること自体は知性持つ者に与えられた義務であり摂理です。であればこそ……」


 狂信者は、軽く頭を下げ、胸に右手を当てる。

 それは、まるで召し使いが主に用件を伺う時のような、従順さの表現。そして同時に、私が自身を否定するのを許さない、押しつけがましいと言われても敬意を払うという意思表示。

 彼は、口許に柔らかい笑みを浮かべる。


「神の視座において人々に価値の差などないというのなら、私はその幸福を求める意志に価値を置きましょう。『幸福を求めよ』という知性に刻まれし摂理に、それを肯定する神々の意向により善く殉ずる方にこそ敬意を払いましょう。どんなに情けなくとも、行動の価値を余人に認められずとも……あなたが求めた助けに応じましょう。それによって石を投げられたとしても、善意の呵責(信仰に背く痛み)に苛まれるよりは治りも早いでしょう」


「……前代未聞だ。仮にも捕虜に、そこまで己の願望を肯定しろと語りかけるなど。普通は執拗なまでに虐げ、反抗の気力を奪うものだというのに」


「それでは、私は捕虜の確保に向いていないのでしょうね。ですのでキャシーさんは大人しく『護送対象』のままでいてください。テーレさんに捕虜扱いをしなければならないと言われるととても困ります」


「ああ、努力するよ。お前を裏切ればあちらは普通に怖そうだしな」


 こいつ一人なら単なる馬鹿で、こんな戦場で生きてはいけないだろう。

 それを考えれば、対称的だが納得のいくコンビだ。

 逆らえば恐ろしく、従っていればこんなにも甘いとなれば逃げ出すのも馬鹿馬鹿しくなる。


「さあ、明日を考えるのなら、今は休みましょう。このまま夜更かししてあなたと親交を深め素性をハッキリさせるという手もありますが、やはりそれよりも万全で戦いに臨みたい。あなたが何者であれ、クロヌスまで送り届ける約束は継続中です。約束した以上は、あなたが嫌がったとしても連れていきますよ」


 ……なら、仕方ないか。

 嫌がっても連れて行かれる、逆らってもいいことはない、それならば仕方ない。私情などあってもなくても変わらないのなら、甘い言葉に従うのもしょうがない。


「ああ、改めて頼む……だがもしも、私が死んでいても、たとえ首だけになっていても連れていってくれ。それが叶うなら、勝手にどこかへ行ったりはしない、約束する」


「……なら、まずは死に物狂いで生きることを約束して下さい。即死だけでも避けてくだされば、また治しますから。どんなに苦痛でも、死んだ方が楽だと思っても、諦めずに戦うと、それだけは誓ってください」


「それは……何とも、厳しいな」


「申し訳ありません……しかし、どうしてもそれだけは信じたいのですよ。その意志が消えていないと確信している方が、こちらもモチベーションが上がりますから」


 瀕死だった私を治した男は、先程まで『信じられないこと』を肯定していた口で、それを理解した上で『信じたい』と言って見せた。


「わかった……それで死んだら、目一杯お前に怨み言を言ってやる」


「おお、それは怖い。心して護送しなければ」


 では、おやすみなさい、どうかよい夢を。

 そして、あなたの日頃の善行に、女神ディーレの加護があらんことを。


 狂信者はそう言って、拳を握ることも、眠る少女を起こすこともなく、私に湧いて出た悪意だけを()いで見張りに戻っていった。








「石が石の価値を決めては、路傍の石も宝石も自分が一番高価になるように値札を付けるでしょう。それとおなじですよ。え? では人類(ヒト)人類(ヒト)の価値を決めるのはどうかって? それは一番やってはいけないことでしょう? そんなことをしては、人類が一日を生きていくために他の動植物を一種類絶滅させるのも構わないことになってしまいますよ。人間や人類に値札を付けようとするのなら、人間的な主観など捨ててもっとマクロに物事を観測する立場を想定しなくてはなりません。さて、それとは関係のない話かもしれませんが……あなたは、『神様』が今の世界を見下ろしたときにどんな感想を抱くと思いますか?」


 ……という感じで、狂信者の持論の話が出てくるとやたら文字数がかさんでしまいますね。

 まあ、そういうキャラだという個性かもしれませんが。



 ちなみに、ずっと入力法のわからなかった長い伸ばし棒『——』の入力法を最近知ったので、試しに使ってみました。

 まだ使い慣れていないので、『長すぎる』『短すぎる』『読む方だと繋がっていない』などがあったらご指摘お願いします。

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