第135話 大天使アジム
side テーレ
マスターを一人で出歩かせたのは、私が作ったカード型の通信アイテム……マスターが『テレパスカード』と命名したものがあるためだ。
この町の周りはこれから冬で背の高い麦穂はほとんど刈り取られた後の広い耕地、侵入者がいればすぐに察知できる。相手が団体なら尚のこと。この町の中なら通信圏外にでることはそうそうない。そう考えてのことだった。
本当なら、通信なんて入らずにあいつ自身が普通に宿に帰って来て『ただいま帰りました』と声をかけてきた方がいいに決まってる。
けれど……
『あー、もしもし。テーレさん、申し訳ありません、緊急事態です』
通信が入ってしまったなら、緊急事態になってしまったのなら仕方ない。
逆に考えれば、通信のための手段を持たせていたことが正解だった。どんな種類の緊急事態かはわからないけど、連絡が取れて話せる状況ならば、私が行けば何とかなる。
そう思っていたんだけど……
『現在の状況を簡潔端的具体的に表現しますと、現在私は謎の女性と共に、位相がずれていると思わしき空間に隔離されながら、天使らしき存在にかなりの本気度で攻撃を仕掛けられているのですが……』
理解が追い付かずに絶句した。
というか……情報をまとめさせてほしい。
「『いつ、どこで、だれと、なにしてるって?』」
『たった今、隔離空間で、謎の女性と、天使に襲われています』
……いや、何それ。
想定していた最悪を簡単に飛び越えてむしろ笑い話にしか聞こえないんだけど……むしろ、その状況でなんで通信できるわけ?
このアイテムが特別回線だから空間隔離系の魔法を受けても通じるっていうのはいいんだけど、通信できる余裕あるの?
「……『今から外出る、そっちの空間のどこら辺か教えて』」
『町の北側の神殿近くです……あ、たった今、神殿の建物が完全に崩壊しました。そちらの方で被害が出てないといいのですが……』
「『了解、とりあえず死なないように頑張って』」
『了解です』
最悪オブ最悪な状況のはずなのに私の言葉に応える余裕があるのなら、逆に結構大丈夫なのではないかと思えてしまうのが不思議だけど、噓をつかないあいつのことだから明言するからにはガチな事態なのだろう。
とりあえず私は、できるだけ急いで戦闘用装備を装着して北の豊穣の女神の神殿を目指した。
side 狂信者
はてさて、どうしたものか。
戦場に入るのは都市クロヌスまで行ってからの予定だったのですがねえ。
珍しく未来のことで断言できることなのですが、クロヌスでの盗賊団と軍の衝突というのは、これよりもはるかに生易しいものでしょう。
「そーれ! 【許す 増え 栄え 地を満たせ】……【鋼の森】!」
「【許さぬ 燃え落ちよ あり得ざる者よ】」
コムギさんが大地に手を当てると一瞬で成熟する鋼色の樹木の森。
本当に一瞬にして、地中から槍を突き出すような勢いで少なくとも成長に千年はかかりそうな鈍色の大樹が壁となります。
それに対して、耐熱性の高そうな鈍色の壁を舐めるように焼き融かしていく謎の天使様の放つ業火。
まるで鋼の森が薄紙に描かれた絵だったかのように一瞬で燃え尽きていきます。
その規模は互いに私が認識していた『魔法』の範囲を遥かに超える天変地異の領域です。もはや西遊記で摸写されるような『山を投げて攻撃』レベルの戦闘が目の前で起こっています。
目の前と言いますか、厳密にはその真っ只中、私はコムギさんに強引に腕組みさせられて振り回されているわけですが。
「あの、コムギさん? これ、私、必要ですか? 全く戦力になっていないというか文字通りの足手まといでは?」
「そんなことないよ! あなたがいないと一発で燃やされちゃうから!」
「……もしや私は人質なのですか?」
周囲の空間の色合いが少々モノクロ気味になるという、あからさまな空間異常。
周囲の人々に迷惑が掛からないように配慮されているらしいということはわかりますが、むしろ相対的に見て私が避難し損ねたというか、あの天使様の権能によって空間的に隔離されたコムギさんに無理やり引っ張り込まれた感が否めない状態です。
このような大破壊が行われていてもどこからも悲鳴や文句が聞こえて来ないことは非常にありがたいことですがね。
唯一の被害者が私一人だというのはとてもいいことです、ええ、私も被害者でなくなれればなおのこといいのですが。
「もしや私、何かコムギさんを怒らせるようなことをしてしまいましたか? それなら謝るのですが」
「え? 別に怒ってなんかないけど?」
いやホント、何か悪いことしましたかね。
まあ、最近のことで心当たりがないわけではありませんが。私のせいで転生者同士の対立に巻き込まれて人質にされたアーク嬢の立場を考えれば今の私の立ち位置も似たようなものですし。
しかし、万が一にも掠っただけで血煙か灰燼に変えられてしまいそうな攻撃の応酬が行われる中で振り回されるというのはさすがに因果応報が等価を越えそうです。
というか……
「コムギさん、もはや人間かどうかという些細な事を問うつもりはありませんが、何をやらかしたら天使様をここまで本気で怒らせられるんですか?」
「えっと、うおっと危ない、プチ家出?」
「今、軽く流しましたけど私を盾にしましたよね!? 一瞬炙られただけですごく熱かったのですが!」
あちらの両肩から蛇の生えた天使様は翼はないものの普通に空中浮遊して上空に位置しながら、主に火炎系の魔法を雨や空爆のようにこちらに降り注いでいます。対するコムギさんの攻撃は地面から植物の類を発生させての質量攻撃。
一応は天使様のいる高さまで届くようですが、触れる前に全て焼き尽くされてしまっています。
能力相性も位置関係も明らかにコムギさんの不利。しかし、何故だかあちらはコムギさん……というよりも一緒にいる私を直接攻撃することがなく、炎で包囲したり発生した植物を焼いたりという範囲に留まっています。
「家出が原因だったならコムギさんが帰れば丸く収まるのでは? お子さんたちも待っているのでしょう?」
「でもあいつ嫌い。せっかくだからやっつけてやる」
「極めて個人的な事情ですね! というか勝てる相手なのですか?」
「うーん……無理っぽい!」
「そんな気はしていましたよ!」
とにかく、おそらくは私が直接的に関係のない争いごとに巻き込まれているというのは理解できました。
しかし、そこから先を考える暇がありません。天使様の方は私を巻き込まないように炎の鞭のようなものを飛ばしてくるのですが、コムギさんは私を振り回して攻撃させないようにしているので私は空中大回転の連続です。修行で三半規管も強くなっていなければきっと嘔吐してましたねこれは。
「うおっと! コムギさん、あの天使様の正体については聞いてもよろしいのですか?」
「ああ、あれはね、一番うるさいやつ!」
「……もう一度テーレさんに連絡しても? テレフォンオーケー?」
「オッケー!」
懐に隠し持った『テレパスカード』に触れて念話を起動します。
数秒の待機時間の後、二回ほど大回転したところでテーレさんに繋がったのを感じました。
「『もしもし、テーレさん? そちらはどんな感じですか?』」
『神殿着いた! それに空間異常も感知したから魔法でそっち側に行こうとしてるけど……何この術式!? 明らかに人間にできる範囲を超えてるっていうか天使でもこんなのそう簡単に組めるとは思えないんだけど!』
「『こちらの戦闘は続行中です。周辺はすごいことになっているので、こちらに入り口を作るなら離れたところの方がいいかもしれません。それか地下にでも』」
『結構余裕ありそうねそっちは! ていうか、疑ってたわけじゃないけどガチで天使に襲われてるの!?』
「『はい、ガチです。しかし、あの天使の外見が私の見間違いでなければ……おおっと!』」
一旦通信を中断。
上空から遠距離攻撃を繰り返していた天使様が急降下し、コムギさんに接近戦攻撃を仕掛けてきたためです。攻撃手段は四肢を使った格闘攻撃ですが、その威力も規格外で踏み込みで地割れが発生しました。
掠っただけでも肉体が砕けそうです。『恩師の加護』を使うと動きに抵抗できてしまって危ないのでされるがままにしておくべきですね。そもそも動きが激しすぎて何もできませんが、何もしないのが一番安全です。
しかし、激しい動きの中でも距離が近くなったことではっきりと天使様の姿が視認できます。
その容姿は中性的ですが、人間体の部分は肩に生えた蛇と同等かそれ以上に鋭い瞳を持ち、攻撃されているにも関わらずどこか蠱惑的な魅力すら感じさせる『天使』に相応しき完璧な美貌であることを疑わせないもの。いえ、人間体の頭部だけでなく肩の蛇の顔貌にすら同種の美を感じます。
身には光そのものを織り上げて作り上げられたかのような、余計な装飾を必要としない神秘的な一枚布の衣を纏い、おそらく肉体は黄金比を体現したもの。
武具の類は頭上の光輪以外に見て取れませんが、おそらくそれが『必要のないもの』であることは明らかです。
天界では十歳前後の外見であったテーレさんとは違う、『完全に成熟した天使』。
それも、空間隔離によって周辺被害を気にせず戦える場を作る程の技巧も持つ絶対強者。
いえ、それ以前にこの姿はまるで……
「ザッ……」
私の眼前を蛇頭の薙ぎ払いが掠めて行きました。
美しく滑らかに見える鱗ですが、触れればたとえ私が石化していても鑢のように削り取られていたかもしれません。少なくとも薙ぎ払いの余波を受けた岩は綺麗に断面をさらしています。滑らか過ぎです、ウォーターカッターか何かですか。
ていうか今の、明らかに私狙いでしたよね? 『不用意なことを口にするなら殺す』みたいな意味合いでしたよね?
一瞬殺気を当てられただけで冷や汗がぶあっと出ました。
これはマジなやつです。絶対に口にしてはならない言葉の類です。お口チャック案件です。
コムギさんが足下に生やした大樹に乗って高速移動に入り距離が離れたので、テーレさんとの通信を再開します。
「……『テーレさん、その天使様の外見なのですが……両肩から蛇の頭が生えた天使様って、心当たりありますか?』」
念のための確認のつもりでの問いかけでした。
しかし、しばらく返事がなく、通信に失敗したのかと思いったのですが……
『………………は? いや、え、最悪にたちの悪い冗談やめてくんない?』
どうやら、絶句していて反応が返せなかっただけなようですね。
それにしても、テーレさんの方は冗談などではなく完全に素の反応での否定でしたね。どこか願望的な響きもありましたが。
「『テーレさん、心当たりがあるのなら教えてほしいのですが。いつまでも通信していられる余裕があるわけでもないので』」
『いやでも、私の知ってる天使様なはずがないから! 普通に考えてありえないから! その天使が現世に降臨するなんて!』
「『間違いでもいいから教えてください。こちらは冗談抜きでピンチなのです。命乞いのための話題の一つでもあったら儲けものなのです』」
僅かな煩悶の気配。
テーレさんは少なくとも自身が自覚するような嘘は私に対して言えませんから、テーレさんが言うのなら本当に『ありえないような事態』なのでしょうが、目の前で起きていることを否定してもしょうがないでしょう。
コムギさんが新たな大樹を生やし高速移動の方向転換を行ったあたりで、テーレさんからの返答が帰ってきます。
『本当にありえない、それこそ天地がひっくり返りかねないようなことでもないとありえないはずだけど……一応、知ってる。両肩から蛇の生えた天使様……たくさんある姿の一つだけど、ある天使……いや、大天使様がよく使う姿の一つだよ』
『大天使』……宗教などによって厳密な意味合いは違いますが、総じて言えることとは『ただの天使よりもさらに偉い天使様』であるということです。
つまりは、テーレさんにとっての上司とも言えるのかもしれませんが……
『その大天使様は……主神様の直属で、太陽や月を含む多くの星を管理してて、この世界の天界と現世を繋ぐ門の支配者、「誕生と死」の概念まで司っていて、さらに「千の魔術」って呼ばれる権能……あらゆる技術を人間の一生で到達不可能なレベルまで修めているっていう、私の「万能従者」の超上位互換の能力まで持ってて……私の、医術の先生でもある』
続くテーレさんの言葉は、確かに『ここにいるのがあり得ない』という意見に納得しないわけにはいかないような、ひどく端的でわかりやすい説明でした。
『大天使アジム様。三大女神をまとめて相手にしても勝てる、天界最強の大天使様だよ』
ちなみに、西遊記で銀角さんが使った有名な山落としの仙術には(作者の読んだ本では)『移山倒海』という術名があります。
現代語の四文字熟語としては『人間が自然を征服する行為(気迫)』や、そこから転じて『大規模な工事』という意味合いになります(銀角さんは山の土地神を手下にして移動を強要させていたそうです)。
『発展しすぎた科学』なんてなくとも、石を穿ちひたすら運び続けられる程度の根性と諦めない精神さえあれば『神話』の世界はそんなに遠いものではないのかもしれませんね。




