番外編:不良天使と身勝手な聖人②
side テーレ
『天使』は人間を殺すということに抵抗感を持たない。
何故なら、そもそも天使が扱うのは死者の魂そのもので、人間を殺すというのも『破壊』ではなく魂の『回収』という認識が強いからだ。
悪霊悪魔と化した魂の浄化も本質的には変わりない。それが肉体を持っているかどうかの違いがあるだけだ。
だからこそ……私はその時、自分の気持ちに困惑していたことをよく憶えている。
「ホワイト……あなたは、本当によくやってるよ。本当に、あなたの行動のおかげでたくさんの人間が飢えや貧困から救われてる。だけど……焦り過ぎてる。他の女神になんて頼らなくても、地道に活動を続けるだけで人は救える。ましてや、そんな危険な術式に手を出すなんて……死の商人の真似事なんてする必要ないでしょ? あなたにはこのまま、ディーレ様を信仰する者の一人として、小さな善行を積み重ねていってほしい」
殺してしまうのが確実だ。
リスクを考えれば、術式を記憶しているこの男自身も速やかに消し去るべきだ。
なのに私は、理屈を捏ねて、説得しようとしていた。
「あなたは昔、襲われる女子供を見ているだけの私を悪魔って呼んだ。でも、それを魔法として世界に産み落とすってことは傍観どころじゃない、その手で何百何千って人を殺すのと同じだけの悪事を成すことになる。それが結果的に何万人も救うとしても、それは帳消しにはできないよ?」
そして……
「クソ天使……貴様こそ、何がわかる? 天界という平和が完成した世界に住む貴様に、この世界の苦しみの何がわかる! 亡国の恨みが、身を守る手段のない絶望が、弱者であれと強いられる苦しみが、わかるものか! そんなことだから、ディーレ教徒は馬鹿にされ、蹂躙され、虐げられるのだ! 強力な武器を手にしても怖いから捨てろという天使! 善良なだけでは国も人も信仰も文化も、何も守れないぞ!」
その説得を拒絶された時の自分自身から湧き出た怒りも、予想を遙かに超えたものだった。
ディーレ様を侮辱されたことへの怒りも確かにあった。けれど、それ以外の感情も無視できないほどに強いものだった。
「天使に向かってなんて口ぶりよ! 第一ね! 本当はこんなふうに面と向かって話なんてしなくてもこっちは一方的に矢の一本でも落せば終わりなんだからね! それを親切心で警告に来てやってんのに口答えするんじゃないわよ! 見所があるかもしれないなんて思ってたのに! バッカじゃないの!」
もしかしたら……自分ではわかっていなかっただけで、私は彼に感謝していたのかもしれない。
私の悪戯を元にして、たくさんの人間を救った男。私の小さな悪意を、大きな善行に変えてしまった男。間接的にでも、私に人間を救わせてくれた人間。
でも……
「そもそもね! あんたディーレ様の加護全然届いてないじゃない! 私にはわかるんだからね! あんたの心の奥底にはずっと復讐の炎が燃えてるって! 国を滅ぼされた恨みを晴らせないか、誰かを助けてもそれが復讐に利用できるかもしれないってずっと心の隅で思ってる! そんなやつにそんな危険なもの持たせたら酷いことになるに決まってるでしょうが!」
『幸運』とはかけ離れた、復讐心を秘めた男。
それこそが、あの時何日も断食しながらも盗賊たちを一蹴したこの男の異常なまでの生存への執念の根幹。
本質が憎悪でありながら、結果として善をなしてしまった悪運ばかり強い破戒僧。
「ああそうだ! 戦争をする奴らなどどうにでもなればいい! 誰もがかつてない痛みを味わってその愚かさを知ればいい! 長く苦しい戦が一日で終わればその分飢えも減るだろうが! 勝っても負けても壊滅なら、争うことの無意味もすぐにわかるだろうが! それでわからないやつは自分で集めた奴隷や農民にでも背中を撃たれて死ねばいい! 世界は今よりも少しは平和になるだろうよ!」
「自分が何言ってんのかわかってんの!? 私たちが人間を殺さないっていうのは、人間が自分で正しい道へ進んでほしいからであって人間同士に殺し合いをさせたいからじゃない! そんな血みどろの世界にさせるためじゃない! そんなの、ただ疲れ果てて争う力もなくなっただけの終着点じゃない! 平和どころか争いが終わるころには取り返しのつかないことになってるわ!」
「人間を導きたいって言うんならもっとマシな転生者でも送り込みやがれ! 転生者共が名誉欲しさにどれだけ簡単に終わる戦いをひっかきまわしてると思ってやがる!」
「ディーレ様から送り込まれた転生者なんて一人だっていないわ!」
「なら口出しもすんじゃねえ弱小派閥のクソ天使!」
「なんですって~~!!」
文句に悪口、罵詈雑言。
仮にも天使と貧民の救世主と呼ばれた男の交わす言葉とは思えない、聞くに堪えない怒声の応酬が続いた。そして……
「この偽善者! もう好きにすればいい! 勝手に生きて勝手に死ね! 聖人だろうが王様だろうが好きに名乗れ! あんたなんかどうせ、本当に善意で誰かを救ったこともないくせに! そのまま長生きしても虚しく死ぬだけだし! いっそ今すぐ死んじゃえこの馬鹿! バーカ! バーカ! もう知らない!」
捨て台詞を吐き捨てて逃げ出したのは私。
回収すべき術式の紙も放置して、涙をこらえるのに必死で逃げかえることしかできなかった。
しばらくしたら……しばらくして、ホワイトが考えを変えなければ、もう一度来よう。
そう考えた……そう考えたことにして、逃げ出したのだった。
side ホワイト
天使が泣いて逃げ出した後、俺は久方ぶりに椅子に体重を預けて、しばらく考えに耽っていた。
言われたことにショックを受けていた……というわけではない。わかっている。言われたことなんて、ほとんど最初からわかっていたことだった。
ただ少し……考えをまとめて、覚悟を決める時間が欲しかっただけだ。
「……弱者に新しい力は必要だ。だが、それが誰にでも便利に使えたら弱者のままではいられない」
おそらく、転生者たちは俺が術式についての資料を全て破棄しても、無理やりにでも研究を進めさせるだろう。
それこそ、やつらを殺せるほどの、簡単に何度も手を出せないほどの手段をこちらに用意しない限りは。それこそ、開発中の術式を完成させるくらいしかない。
だが、このままいけば完成した術式は一度や二度は敵を圧倒できたところで、どこかで解析されて相手も同じものを使いだす。それでは元の木阿弥だ。
ならば……
「解析できない……再現できない魔法。奪われない、奪わせない魔法。使えるが使えない魔法」
開発者にすら、その術式の全てが理解できてはいけないのだ。
ならば……世界の全てが手を結ぶまで、その全容を理解できる者が生まれないようにすればいい。
俺も、長い放浪の中で何もしなかったわけではなかった。
いつか復讐に役立つかもしれないと、各地を巡りながら知見を広め、人脈を作った。
「邪法……失われた、魔法体系……」
策は浮かんだ。決意は固めた。後はただ、歩き出すのみ。
術式の図面を握り締め、部屋を後にする。
この教団に残った研究成果は全て焼き払う。特に基本術式は全て破棄だ。開発者の記憶もどうにかする。
その上で、俺が独力で、俺も理解できていない魔法体系を持つ知り合いのドルイドや魔術師、必要なら悪魔だろうとその力を借りて、この魔法を完成させる。
貧者弱者にも使えて、だが軽々しく使えないような制限がかけられて、強力でありながら多用はされないような魔法にする。基本術式を理解させず、使用条件に制限をかけて、使用のコストやリスクを跳ね上げる。威力を上げるために制限を課すような術式があるとドルイドの友人に聞いたことがあったはずだ。
そして、魔法体系を絡み合わせて、その制限を外すことができないようにする。ただ、その魔法を本当に必要とする者だけが使える魔法とする。
誰でも人を殺せる便利な殺戮魔法を、強者にとって扱いが困難極まり、本当に追い詰められた弱者だけが有効に使うことのできる魔法に変えてやる。
「歯噛みしろ、戦争好きども」
世紀の大発明になるべき殺戮魔法を、強者が使えないゴミに変えてやる。
それが俺の『戦争』への復讐だ。
俺がなけなしの人脈をフル活用して秘密の計画を急ピッチで動かし始めて三日目。
その人脈に引っかかったのか、出資を申し出て来る貴族の二人組……いや、本来の身分を隠した王族の二人組が現れたのは、その頃だ。
最初はただの貴族を名乗り、名前も偽名だった。だが、しばらく話す内、自然とその正体を察することができた。何故なら、その教養や振る舞いからは、俺自身がかつてそうあったのと同じ、いずれ国を背負う立場の者が与えられるものを感じたからだ。
「秘密の研究というのに、何をしているのかは存じ上げません……しかし、その秘密の研究に援助をする代わりに、お願いしたいことがあるんです……我々の婚礼の儀式を、主催してくださらないでしょうか?」
完成した技術の提供でも要求してくるかと思えば見当違いな条件だった。
まあ、計画に加える仲間は厳選に厳選を重ねた、協力しても得るものがないのは承知させている。当然、投資者に払えるものがないというのもわかっていてのことだ。その上で、仲間が引き入れたというのは相当な変わり者だと思っていたが……
「婚礼だと……互いに敵国同士だろう? それも、何年も泥沼の戦争を続けている大国だ。その王家が……婚礼の儀式をあげたい……だと?」
教団が大きくなり、好む好まざるにかかわらず国々の事情はある程度把握するようになっていたが、それでも……いや、それだからこそ驚きは隠せなかった。
大国間の対立のきっかけは、国境がまたがる土地の領土問題だったはずだ。
どちらの先祖が先にその土地に住みついただとか、最初に開拓したのはどちらだとか……だが、そもそもその二大国の区分けは独立前に支配していた『王朝』の派遣した提督が勝手に線を引いたものだ。
どちらの先祖も元は同一なのだから、答えが出るはずもない。
その無意味で下らない争いがさらに大きな争いを呼び、報復が連鎖し、いつしかそんな大義名分は無意味となって国と国の間での遺恨だけが残っているという泥沼だ。
こともあろうに、その対立の中心である王家の間での恋愛など……許されるはずもない。
だからこそ、秘密で婚礼の儀式を行うために、そのための場所や人員を用意できる俺を頼ったのだ。
「その意味が……わかっているのか?」
いや、きっと世間を知らない本人たちはその本当の意味はわかっていない。
ただ、家が不仲だから結ばれようとしても反対される程度にしか思っていない。
だが……王家同士が婚礼の儀式により、神に誓って結ばれるということは、国と国が友好を約束することに等しい。つまりは、遺恨だけで続いた戦争の終わりだ。
戦争を続けたい者、戦争で得をする者、恨みを忘れられない者……邪魔をするに決まっている。
困難……どころではなく、不可能な道だ。それはつまり、二つの国を敵に回すことに等しいのだから。
だが……
「俺達は、どんなに反対されても一緒になりたいんです!」
「どうかお願いします! 祝福を!」
『あんたなんかどうせ、本当に善意で誰かを救ったこともないくせに!』
俺にはこの巡り合わせが、ただの偶然とは思えなかった。
「教主様、お考え直しを」
「貴族の婚礼のために命を懸けるなんて」
「いつも我々平民を食い物にするやつらを祝福なんて」
「結局は権威に尻尾を振るつもりですか」
教団の外にいた王宮時代の友人に頼れたことは幸いだった。
あちらは防衛に教団の戦力を使うと思っていたらしく、儂一人だと言ったらかなり反対されてしまったがな。
「無茶ですよホワイト! たった一人で外を守るなんて! 両家共に暗殺者を手配しているという話です! 儀式の間を守り切るなんて、とても……」
ふん。例えやつらが操られていまいと、無理に命を懸けろ、などとは言えまい。
貧民にとって、飢えを知らない貴族は傲慢と差別の象徴だ。その祝福のために命を投げ出せと言われて、従えるわけもない。
これは当然の帰結だ。
どうせ、簡単に教団を乗っ取られた名ばかりの教主に過ぎない俺に、やつらの心を取り戻すような力はない。
俺にあるのは、ただこの拳を振るう程度の力だけだ。
「正面以外の入り口は完全に封鎖してある。建物自体も元は城砦、頑強なものだ……この正面玄関さえ押さえきれば、儀式はできる」
「しかし、偽装工作はもうほぼ突破されました! 刺客は既にこちらへ向かって来ています! 今から式を始めても……」
「うるせえ! 俺が一秒でも長く食い止めてやるから、てめえらは一秒でも早く儀式を終わらせやがれ! 儀式を途中でやめんじゃねえぞ!」
儀式が終われば、暗殺者も国軍も、もうこの二人に手は出せない。
儀式が済んでしまえば、その時点で既に敵国なんかではなくなるのだ。戦争が終われば、人間に刃を向ける大義名分はない。
例の術式については、一番信頼できる知り合いに後処理を任てある。
俺にできるのは、この儀式の終わりまで誰も儀式場たる城砦の中に踏み込ませないこと。
刺客共を、殴り続けることだけだ。
「さあ……見てるか、クソ天使。俺は初めて、本当に他人を救うために拳を握るぞ」
side テーレ
あれから、私は現世に降りる仕事を避けていた。
万が一にもあの男と鉢合わせすれば冷静にいられる自信がなかった。もしもすぐに頭を下げてくれば、まあ許さないことはないけど、それ以外の反応だったらまた激昂するかもしれない。というかする、十中七八くらいの確率で。
だから、現世に行くような仕事はさり気なく他の天使に押し付けて、私自身は天界の事務仕事に徹していた。
その中の一つ。
冠婚葬祭の儀式に応じて加護を分配するだけの簡単な仕事。
簡単な仕事……そのはずだった。
「あれ? この儀式……可能な限り簡略化されて、儀式場もこんな場所で……」
違和感のある婚礼儀式の手続き。
本来は家としての見栄や披露も兼ねて行われるはずの貴族や王族用の儀式でありながら、全てが最小単位で収められて、できるだけ目立たない形で進めることを目的としているような儀式が申請されていた。
儀式としての最低限度の行程と条件を満たさなければ不成立になりかねないリスクを冒しながらの婚礼は、さすがにそのまま右から左へと流すわけにはいかない。
現世を見るための『窓』を開いてその儀式の成り行きを観察し始めた私が見たものは……とんでもない光景だった。
「ホワイト!? あいつ、一体何をやってるの!?」
儀式場となっている城砦聖堂の正面入り口の前に仁王立ちする大男がいた。
その身には何本もの矢が突き刺さり、魔法を受けた痕もいくつも見受けられる。
なのに、その男は倒れようとはしない。その周りには既に動かない敵の身体がいくつも転がっている。
それでも尽きない刺客が火矢を射かける。ホワイトが避ければその奥の扉に突き刺さる一矢を、ホワイトは足下に転がる刺客を持ち上げて武器のようにぶんぶんと振り回すことで弾き飛ばす。
そして、そのまま人一人を投擲武器のように軽々と投げつけ、怯んだ敵に殴り掛かる。
『ぐぅぉぉおおおお!』
それはまるで、雪崩や竜巻のような自然の猛威がそのまま人間の身体に宿ったかのような暴力の化身。神々の末裔が先祖返りを起こしたに相応しい、人としての命を削りながら振りまく神威の力。
それでも勝利の目はない、神性持ちであるからといって覆しがたい戦力を目にしながら、男は当然の結果に抗うのを諦めはしない。
その神性に恵まれた肉体を凶器のように振り回し、ただひたすらに背後の扉、背後の城砦を守り続ける最強の門番。
たとえ神性があろうともまともに立っていられないはずの、既にその『全力』に耐えられず人間体が崩壊を始めているはずの手傷を一顧だにせず、決して後ずさることなく、決して俯くこともない。
あるいはそれは、英雄譚の一幕に描かれる怪物退治のような有様。
軍隊が群がる蟻のように見えて来る理不尽な強靭さと威圧感。たった一人の人間が引き起こしているとは思えない大災害。
その身体からは、確かに返り血に混じって己の血が流れ続けていた。
「やめて……やめなさい! 何をやってるの! そこまでして、何を守っているっていうのよ!」
儀式は、背後の城砦の中で行われている。
儀式と関係のない人間はそこにいない。
儀式に必要な最小限の人員。
彼が守っているものは、それ以外にない。
それは、城砦に這入ろうとしている人間たちが何を置いてでも止めようとしている儀式、重要な意味を持つものだっていうのはすぐにわかる。
だけど、それは彼がたった一人で血みどろになりながらあそこまでの剣幕で守らなければいけないものなの?
「あの馬鹿、なんですぐに逃げないの……いえ、もう逃げるどころか降伏しないと、これ以上傷を負ったら本当に……」
すぐにでも現世に行こうとして、それができないことに気付いた。
天使が現世へ行くための装備がない。現世へ行く仕事は全部他の天使に押し付けた……人員不足を補うために、まだ経験が浅くて自分の分を持っていない天使もいたために、予備まで出払っていて全部使用中だ。
適切な装備もなしに天使が無理矢理に現世に降臨すれば、空間そのものに影響が出るために、装備なしに現世へ行くことは禁止されている。
そして私には……他の女神ディーレの眷族のように、彼に幸運を与えることすらできない。
「……っ、天啓なら! 『逃げなさい!』『聞こえないの!?』」
どれだけ心に語りかけても……天啓は適性がなければ受信できない。
神性を持ったホワイトなら受信できるかもしれないと思ったけど、戦いをやめる様子はない。
「『やめて!』『このままじゃ死ぬわよ!』『どうしてそんな……』」
儀式場の真上に、暗雲が集まっている。
暴風が、豪雨が、雷鳴が城砦の前の小さな戦場を襲う。
けれど、それは戦いを終わらせられない。その程度の不幸で戦いをやめられる人間ではない。
「『あんたは……なんでそんな……今になって、本当の善人みたいに……ばっかじゃないの……』」
いつかの復讐のため、憎悪のための善行。
それなら、命を使い果たすような、燃やし尽くすような戦いなんてしてはいけない。
それは馬鹿のすることだ。本物の、聖人君子がするべきことだ。
あんたみたいな……偽善者がすることじゃないはずなのに。
「ほんと……人間って、ほんとに、何考えてるかわかんない……こたえなさいよ……」
『窓』の向こうで、矢の一本が怪物の喉に突き刺さった。
私にはわかる……その一矢が、最後の取り返しの付くラインを越えさせた。もう……戦いに勝とうが負けようが、生き残ることはあり得ない。
でも怪物は……自らの死が決定したその次の瞬間には矢を引き抜き、何事もなかったかのように声なき咆哮を上げた。
矢の穴から噴き出る空気の音を補うように雷鳴が轟き、その流血を彩るように赤い雷光が空を照らした。
きっと、その恐ろし気な姿は後世に語り継がれることはない。
そう確信できるほどの、筆舌に屈するほどの壮絶な光景だった。
他人が理解することなんて叶わない、神でも怪物でも悪魔でも天使でもなく、もちろん聖人でもなく……たった一人の、自分勝手に命を燃やし尽くした男の生き様だった。
side ???
この城砦の聖堂は、一昨日は婚礼の儀式に使われた場所だった。
そして今は、ある一人の男の最期を惜しむためにそのまま使われている。
たった一人で、儀式の完遂まで式場の扉を守り続けた男は、儀式が終わって姿を現した司祭にその場で治療を受け、寝台へと運び込まれた。
しかし、もはや生きていることが不思議な肉体は終わりを免れず、それは数日の延命が限界だった。
彼自身が望まなかったとはいえ、教団の教主であった彼の最期には、知らせを受けた多くの部下たちが集まってきた。
しかし、彼らはどこか虚ろな目で、どこか責めるかのように、ひそひそと言葉を交わしていた。
「組織を導くべき立場がありながら勝手に……」
「貧しい者への救済を掲げておきながら、結局最後は貴族なんかのために……」
「どうせ報酬に目が眩んだんだ……」
聖人……救われた者たちからそう呼ばれていたとしても、利害のために集まってきた者たちからすれば、勝手にいきなり死んだ迷惑な男でしかない。
その目が、外からの力によって魅了されているかのように濁っていたとしても……
「……どいて。馬鹿な男の死に目に会いに来たのに、あんたらの無駄話聞いてて間に合わなかったじゃ笑い話にもならない」
花束を抱えた、まだ年端も行かぬ少女。
入ってきた時には幹部の誰かの子供かと思われたようだが、誰もその強い口調を諫めることなく、鋭い目線の圧力で人を押しのけて、寝台へと歩いて行く。
そして、喉を貫かれて声も出せない男を見下ろすと、その目つきは一層鋭く輝く。
「『逃げなさいって言ったのに』」
すると、男は声も出ないのに口を動かした。
それだけで、少女はその意を得たように眼を見開き、押し黙る。
そして、数十秒の後。
「……ま、それでいいんじゃない? あんたみたいな粗野な人間なら、一回ちゃんとできただけでも上等でしょ」
誰にも、途中の会話は聞こえなかった。
もしかしたら、音すらなかったのかもしれない。誰も知らないこの少女が、この死にかけた男と目だけで、あるいは心だけで会話できるような親しいものだったということも、あり得ないことではないのかもしれない。
どちらにしろ、その真実はもはや誰にもわからない。
少女の返事を聞いた男は、薄く口元に笑みを浮かべると、そのまま眠るようにその生命を手放したのだから。
「……死んだよ。ほら、葬儀の準備はできてるんでしょ。仮にも教主様なら、手厚く葬るもんでしょ?」
少女は、目元を袖で拭った。そして、自分が順番を抜かして最後の瞬間を独占してしまったのを僅かに気に咎めたように、振り返り、去ろうとした。
しかし、立ち去る前に、男の死を告げられた者達の顔を見て、不満を露わにする。
「……何よその顔。もっと泣いたり悲しんだりしないの? そのために集まったんでしょ?」
少女以外の者は、むしろ少女の反応に疑問を感じたようにざわめき、代表らしき者が口にする。
「悲しめって言われても、なあ……正直、こんな自殺みたいな死に方を勝手にされて、自業自得というか……一応、世間体としては悼むけど、同情はできないというか……」
口々に、言葉が漏れる。
「弱者の味方だと思ってたのに、結局貴族に媚びて死ぬなんてがっかりというか……」
「晩年を穢すなよって感じっていうか……」
「教団の理念を否定するような死に方をされて困ってるしな……」
「仮にも師みたいに謳ってたし、師の不名誉は弟子の不名誉になるし……」
否定、無理解、拒絶。
少女は口々に囁かれるそれらの言葉を理解し、肩を震わせた。
「あっそ……なるほどね……そりゃ、誰かに頼ろうなんて思わないよね……ホワイト、あんたはよく我慢したわよ……私なら、こいつら殺してた」
少女の背を突き破って、白い翼が飛び出した。
少女の頭上に出現した光輪が、聖堂の中を眩く照らし出した。
それは、目が焼けるような聖なる輝き。その場にいたものの目を覆っていた濁りを問答無用で吹き飛ばすような極光。
そこには、紛れもない『天使』がいた。
『あんたら、よく聞きなさい! 弱者の味方なのに貴族を助けたから恥? 勝手に死んで迷惑? ふざけんじゃないわよ! それなら相手が貴族だからって何もしなかったあんたらは恥知らずよ! こいつが死にに行くのを止めなかったあんたらは迷惑にすらなれない無意味よ!』
その言葉は、きっと例え耳を塞ごうとも心に直接入り込んでくるものだろう。
その言葉は、理解を拒絶しようとしても心に響くものだろう。
『こいつが言えなかったなら私が言ってやる! あんたら全員破門! あんたらはこいつの弟子を名乗る資格なんてない! 愚直に目の前の人間を救い続けたこいつを何も理解せず、何も学ばなかったあんたらにこいつの仲間なんて名乗る権利はない! むしろあんたらの活動にこいつの名前を一言たりとも出すな! こいつはたった一人で、たった一組の男と女を救った! それだけであんたの今までの功績よりもずっと偉大だ! 葬儀なんていらない! こいつの魂は私が直接天に還す……だからもう、この馬鹿の関係者みたいな顔をしないで……』
『天使』は男の亡骸を抱えると、翼を広げて飛翔し、そのまま天井を突き破って空へ消えた。
夢のような光景だった。奇跡のような出来事だった。
しかし、聖堂の中へと天からの光を落とす大きな穴が、それは確かに現実に会ったことであると告げていた。
その光景に硬直していた者の内ただ一人、最初から最後まで何一つ言葉を発することなく、死に行く男の傍らで手を握り、苦痛を和らげる魔法をかけ続けていた司祭は天井の穴のその先に向けて語りかけるように頭を垂れた。
「天使様が見届けに来てくださった……皆、証人として心に刻め。ホワイトは……我が友は、正真正銘の、聖人だったのだ」
教会暦1361年。
加筆者。亡国出身の聖職者。元王宮専属の癒し手見習い。
『白の癒し手』司教ヴァレンティーナ・ショコラティエ。
天使降臨の奇跡の記録者、及び代行執筆者として……ランヘル家とヨグ家を結び、陽光と陰月の紋章を繋げチューダ地方の平定に貢献せし我が生涯の親友『聖ホワイト』の偉業を『聖典』に記す。
第一章より。
「私はそもそも人間が嫌い。弱くてすぐ死ぬ人間が嫌い」
あの台詞はこの事件あってのことだったりします。
実はずっと前に書いて温存していた過去話なので、振り返ってみると関係した発言がちらほらあったりします。
この作品とはほぼほぼ無関係ですが、本日は短編でもう一本『AD2309』という作品を投稿しています。
一風変わった『転生』を描いたものなので、もしよければそちらもお楽しみください。




