第105話 未熟なままでも前へ進め
side リザ
ある時まで、私達の種族と人間という種族は上手くやっていたらしい。
私達は動物の血を飲むことで姿を変えたり力を取り込んだりできる。特に人間の血は手先が器用になったり魔法を使いやすくなったりするから、私達の種族の中でも特別なものだった。
平和的に血を貰うために故郷の近くの人里とは取り引きがあった。私達が野獣を退治したり狩った動物の一部を渡すことで、血を少しずつ分けてもらっていた。
けれど、ある時期から……人間の間で戦乱の時代と呼ばれる時代から、その関係がおかしくなった。もしかしたら人里を支配する人間が変わったのかもしれないけど、そんな事情は私達には関係ない。
いつものように取り引きに行けば、化け物と呼ばれて追い返された。
それから人間の血を得られなくなって、昔作った家や道具を直すのも難しくなって、私達の故郷はどんどん廃れていった。長く血を取り込めなかったせいか段々と性格も荒っぽくなって、私達を拒絶する人間から逃れて山奥へ、まるで獣みたいに。
そうして、私が小さい頃……とうとう、我慢できなくなった若者の一人が、人里に降りて人を攫って来てしまった。
もう言い伝えになっていた昔の繁栄を取り戻すため、なんの咎もないはずなのに山奥に逃げ続ける生活を終わらせるため、獣のような本能のままに人を攫い、みんなでその血を飲んでしまった。
気付いたときにはもう遅かった。
一人一人の必要とする量はそれほど多くなかったけど、村のみんなが群がった獲物は、とても人間が生きていくのに足りる量の血を残してはもらえなかった。
いや、それ以前に出ない血を絞り出そうと取り合いになっていたから、どの道命はなかったと思う。
人間から見て残った結果は、森の中に住む蜥蜴のような人間のような化け物が村人の一人を攫い、寄ってたかって残忍に引き裂いたというもの。
ようやく獣性から解放されたばかりの私達が弁解することなんて当然かなわず、私達は山狩りで故郷を追い出され、散り散りになった。
幸運にもその時に私と同じように人間の血を十分に取り込んで人間の姿になっていた仲間は逃げ延びたかもしれないけど、そうでなかった仲間は次々に殺された。
昔は私達に野獣から守ってもらう必要のあった人里の人間達は、いつしか戦争の時代を超えて私達の守りなんて必要としないだけの武器を持っていた。
『呪われた人間の末路だ』と叫ぶ人間がいた。
違う、私達は元からこういう姿の生き物だ。
『人間を騙すための悍ましい姿だ』と叫ぶ人間がいた。
違う、おまえらが勝手に私達に似た姿をしているだけだ。
『こいつらは悪だ。正義の名の下に殺し尽くせ』と叫ぶ人間がいた。
違う、悪は……おまえらだ。勝手に態度を変えて、私達を追い込んだおまえらが悪だ。
必死に逃げた。
無力だったから、人間に囲まれて棒で殴り殺される仲間を見捨てて逃げるしかなかった。
私が無力だったから。力がなかったから。強くなかったから。
山を下りて、行き倒れや死体、それから眠っている人間を狙って血を補給して、人間の中に隠れて生きた。昔交流があったおかげか、言葉はある程度通じたから何とか日々を食べていくことができた。
けれど、いつでも血が手に入るとは限らなくて……とうとう血のストックが尽きて、人里にも行けず、また獣のような生活に戻って冒険者か兵士にでも殺されるのを待つしかないと思ったとき、師匠に出会った。
私を見ても驚きもしなかった師匠は、私の来歴を聞き、私に居場所をくれた。
『この山にいればいい。この山は、ぬしの命を受け入れる』
私は彼に強い力を感じて弟子入りした。
もう、無力は嫌だと。
またいつかあの山に帰って……故郷を、取り戻したいと。
side 狂信者
「多摩の狸……とは、少し違うのでしょうね。開発によって追われたというより、戦争の二次被害。支配国が変わってしまったせいで村の住人が大きく入れ替わり、交流が絶たれてから世代が変わったことでかつてあった絆を忘れてしまった……そりゃ、『人助け』なんて死んでも御免という気分にもなりますよ」
少し寝られましたし、リザさんは今夜はこれ以上話せないということなので外に出ました。
寝床は師匠の所を貸して貰えとのことです。
まあ、こちらとしては必要であれば多少の血を出すくらい構わなかったのですが、機嫌を損ねてしまったゼットさんのこともありますし。
それに……
「お師匠、失礼ながら……わざと姉弟子様を飢えさせて、私を襲うように仕向けたのですか? いえ、単なる推測なのですが」
物申したいというか、確認しておきたいこともあります。
岩の上にでんと座り込み、離れたところから塒の様子を見ていたらしきお師匠様には。
「ふむ……やつのこと、どう感じた。どうやら、あまり恐れてはいないようだが」
「恐れるというのは、未知への恐怖としてですか? それとも、血を奪われそうになったという現実的恐怖にですか? 姉弟子様が人間でないというのは……まあ、そうかもしれないとは思っていましたし、驚きはありませんよ」
【万物鑑定】を使えば確認することもできましたが、プライベートですしね。
姉弟子様の『人間嫌い』や衣服嫌い、野草は私にしか用意せず自身は主に肉類しか口にしないという偏食具合などから推測はできていました。
私の周りには、姿形が人間に近いだけで本質的には全くの別種という存在は既に身近に複数いますしね。
「そうか……しかし、変だと思わんかったか? 何故、血のストックが切れたのなら儂が持ってくるまで身を隠さなかったのか。何故、ぬしにそれを頼まなかったのか」
「私に頼まなかったのは私がまだそれだけ信用がないか頼りなかったからかもしれませんが、確かに既に姿がほぼ戻っていたのならばもはや焦る必要はありませんし、あれが本来の姿なら血液がなければ死ぬわけでも……」
小刻みに震える手。
遠い目標を待てない衝動的行動。
それに……あの姿を見られた際の、いつもの姉弟子様とは全く違う自信のない態度。
あれはまるで……
「もしや、『血液依存症』ですか? いえ、この場合は『変身依存症』と言うべきかもしれませんが……姉弟子様は、人目がなくとも常に人間体でいられないと動揺しああなってしまうと……いえ、当然と言えば当然ですか。人生の転機で生死を分けたのが『人間に変身していたかどうか』なのですから」
「それだけではない。あいつは人間嫌いではあるが、人間に化けて人間の群れに混ざり込むのが一番安全だと理解している。だからこそ、あんな面倒な性格になっておるのだ。人間嫌いは治らんくせにな」
憮然としてそう言うお師匠様。
なるほど……私を襲わせたかったのではなく、姉弟子様が私に真の姿を告白することを期待していたわけですか。そして、それはゼットさんのおかげで思わぬ形で成功したものの……姉弟子様が自力で自身の本来の姿を受け入れて告白したわけではなかったと。
「私たちが無人の野山であろうと服を着ていないと不安になるように、姉弟子様は人間の皮を被っているわけですね。そして、好んで裸体を曝すのは『自分はどこから見ても人間だろう』という主張とも理解できる。逆に心まで人間になりたくないという意味かもしれませんが」
「……体格的にはほぼ人間だ。厚着して仮面でも付ければ街へ行っても何とかなるだろうに」
確かに、それはそうですね。
尻尾は短いのでスカートを履くか腰に巻くかすれば誤魔化せますし、顔の概形としては多少鼻が低いだけなので仮面やアーマーヘルムを装備すれば、あるいはテーレさんのような技術があれば化粧と付け鼻くらいでもどうにかなるかもしれません。鱗も肌の露出を控えれば問題ありません。
それに、話にあった過去ならいざしれず、今の姉弟子様ならたとえ正体露見して集団で襲われたとしても逃げるくらいはわけないでしょうに。
まあ、怖いものは怖いというのはよくわかりますが。
「つまりは、私の弟子入りを許したのも姉弟子様に他人を教える機会を与えるためというよりは……『人間』と触れ合わせるためでしたか。初めからそうと言われていればこちらも対応を考えましたが……どちらにしろ、意識変革するべきは姉弟子様自身ということですか」
それを自覚させただけでも、一応の意味はあったと。
姉弟子様が自身の秘密を打ち明けて血を求めても、それはそれで人間への歩み寄りができたということ。それで私が血を分け与えるのを拒否すれば最悪ですが……そうさせないために、外で待機していたのでしょう。
そして結果は、私の意図しないところで姉弟子様が妨害に遭い、私に事情を話す段で終わったと。
まあ、最悪ではありませんが、依存症には一度その欲求を絶つという行為が必要なことを考えると私が完全に拒絶せず、かといって姉弟子様の武力に屈して血を渡したわけでもない現状はあまりよくはないようですねえ。
「……はあ。あれは、力を持てば不安も消えると思っている。だが、実際は逆だ。力というのはそこまで便利なものではない。今のあれがただ力を手にすれば必ずどこかで使い方を間違うことになる」
さながら、ナイフを持った子供ですか。
まあ、私も精神的に未熟なところが多いのは自覚していますので偉いことは言えませんが、逆にわかったようなことは言えます。
姉弟子様は自分より弱いと理性ではわかっている人間への恐怖を克服できていない。
それはつまり、防衛本能がパニックを起こせば護身に必要な力を大きく超えた力を振り回し……気付いたときには周りは血の海、姉弟子様は一生軍隊や冒険者のような『人間の群れ』に追われる始末と。
そして、私の役割は姉弟子様がその場面でパニックを起こさぬように人間に慣れさせ、同時に姉弟子様が無意識に否定し続けている己の中の人間への恐怖という弱さを自覚させることであると。
「率直に言って……かなりリスキーなことをしていますね。私が姉弟子様の正体を見て恐怖に震え上がっていれば取り返しがつかなかった気がします」
「ふん、ぬしはあれの素顔を見た程度でさほど驚かんとわかっていたからこうしたまでだ。万が一の時には……」
「その先を聞くのはやめておきましょう。振った賽の裏の目が何だったかなど知ってもしょうがないことですし……ええ、そこで姉弟子様を迫害するような者は『私』ではないでしょう。鱗があろうが尻尾があろうが、姉弟子様は姉弟子様です」
「……ならば、あれのことは名前で呼んでやれ。リジェネ道において、ぬしが『姉弟子』と呼ぶべきは一人ではないしな」
「他にも女性の修得者がいらしたということですね。ちなみに、お見かけしていませんがその方はどちらに?」
「昔、冒険者になると言って出て行きおったわ。時折修道院宛に便りがあったが、今では『生還者』だか『万力』だかと呼ばれて方々で暴れておるとか。全く、危険なことをさせるためにリジェネ道を教えたわけではないんだがあの阿呆は……」
『生還者』……『万力』……女性冒険者?
それは、もしかしなくても……
「もしやお師匠様が言っているのはアーリンさんのことでは? つい数ヶ月前にラタ市でお目にかかりましたが」
「なんじゃぬし、アーリンと知り合いだったのか? そこでは何をやらかしていた?」
「やらかしていたなどということは……元気いっぱいに悪い転生者を懲らしめていたくらいです」
「あいつは何をやっとるんだか……てか、ぬしは大丈夫だったのか。あれの性格では転生者と見れば善い悪いなど関係なく突っかかるだろうに」
おっと、転生者であることを明かした憶えはありませんでしたが、普通にバレていましたね……まあ、お師匠様ほどの手練れならわかりますか。骨格なども多少は違うでしょうし。
「殺されそうになったので誠心誠意頭を下げて降伏しました。その後、能力を使ってやんちゃをしていた転生者が街に隠れているのを知り、共同戦線を張ったりと仲良くさせていただきました」
「はっはっは! 男勝りな上にケンカばかりで生き遅れを心配しとったが、やはり未だに戦闘馬鹿かあいつは! まったく、そんなことばかりしとるんなら偶には顔を出せと思っとるんだが、どうせまたフラフラしながら『運命の宿敵』とやらを探し続けとるんだろ。あいつは阿呆だからな!」
高笑いしながら懐かしそうにアーリンさんのことを語るお師匠様。
このようなお師匠様は初めて見ましたが、アーリンさんはお師匠様にとって単に懐かしい弟子というだけではなく、何か特別な関係があったのかもしれません。そう勘ぐってしまうほどに……お師匠様の表情には複雑な感情が隠されている気がしました。
「本当に……あの阿呆め、ただ健やかに生きるには十分な力をやったというのに、戦いに生きる道など選びおって。儂の真似をするなとあれほど言っておいたのに」
お師匠様の複雑な心境はまるで……いいえ、やめておきましょう。
そうであったにしろ否にしろ、私の口出しすることではなし、同じ『弟子』である私とリザさんに配慮して明言しないのなら、こちらから問いかけることでもありません。
たとえ肉親であっても異種族であっても異世界から来た転生者であっても、教えを請うのなら等しく『師弟』として接する。それもまた『師』としての在り方なのでしょう。
「馬鹿弟子二号……ぬしはおそらく、儂の最後の弟子だ。時間がない故、育てきることはできんだろうが……ぬしは、二人の姉弟子が持たなかったものを持っておる。機会があったらでいい……あれらに足りないものを補ってやってくれ。強い弟子も弱い弟子も、儂が育てきれんかった未熟者だ。ぬしも未熟に終わるだろうが……未熟者が集まってこそ変えられるものもある。過ぎた力では、壊すだけで変えられんものもあるのだ。ぬしらくらいが丁度いい……後のことを頼むぞ」
後のこと。
それがリジェネ道の伝承のことを言っているのか、それともアーリンさんやリザさんの抱える問題のことなのか、それとももっと大きな何かについてなのか、今の私にはわかりません。
しかし……答えは決まっています。
「了解しました。私にどれだけのことができるかはわかりませんが……未熟者なりに、最善を尽くしてみせましょう」
アーリンさんもリザさんも、共に私にとっては命の恩人。
ならば、機会があれば助力を惜しむことはないでしょう。
リザさんに関しては、今まさに目の前に機会があるわけですしね。
リザ・レプターは静かに修行したい。




