第二十局 男性恐怖症 六本場『温かい笑顔』
「どうして元門下生の人達が、北原さんにあんな事を……?」
ほぼ無意識のうちに、オレの口から漏れた疑問。
北原流の門下生があんな事をする理由が、オレにはどうしても思い付かなかった。
北原さんはオレの手を放し正面を向くと、軽く息を吸い込んだ。
「あの人達は、剣道のスポーツ推薦で体育系の大学に入った方達だったそうです――」
抑揚のない平坦な声で、淡々と話し出す北原さん。
オレは北原さんと同じように、正面を見つめながら静かに耳を傾けた。
「ただ、入学してしばらくすると少しずつ素行が悪くなり、次第に剣道部にも顔を出さなくなっていったとか……まあ、それだけなら良かったのですが、素行が悪化するにつれて、覚えた剣道を使い暴行や傷害、はては恐喝などをする様になっていったそうです――」
あのバカどもは、大学生デビューか……
どおりでヘタクソな脱色髪に、似合いもしないピアスなんかしていたわけだ。
「そして、その事がお祖父様の耳に入り、激怒したお祖父様はあの人達を破門にしました。そして大学側もその話を知ると、北原との関係悪化を恐れて、あの人達を除籍にしたそうです」
なるほど……
日本武道界の首領を激怒させるような奴らを、いつまでも通わせていては世間の覚えも悪くなる。
それが体育大学ならなおさらだ。
「北原流の破門だけたならまだしも、大学まで除籍にさせられて、あの人達はお祖父様をとても恨んでいたそうです。それで、その仕返しにあの様な事を……」
なんじゃそりゃ!? ただの逆恨みじゃねえかっ!
しかも、その恨みをぶつける相手が北原雄山本人じゃなくて孫である小学生の女の子――それも大の大人が集団でとか、いくらなんでも卑怯過ぎんだろっ!!
やり場のない怒りに、拳を握り締めるオレ。しかし、北原さんの話は更に続いて行った。
「そして、この件は北原流で内々に処理されて、情報も隠蔽されたと聞きました。だからわたしは――わたしを助けてくれた方の名前すら知らずに今まで…………本当に、先生には何とお詫びして、どのように感謝すればよいのか……」
「感謝もお詫びもいいわよ。わたしが勝手にやった事だし。それに困っている人を助けるとのは、当たり前のことでしょ?」
ドンドンと表情が翳り、徐々に語尾が小さくなって行く北原さん。オレはそんな彼女に、努めて明るく笑って見せる。
「先生……」
北原さんは、目尻に少しだけ涙を浮かべた顔を上げた。そして、オレの笑顔に釣られるよう、微かにだけど頬をほころばせる。
「先生の笑顔はとても暖かいですね」
「そう? そんな事を言われたのは初めてだ」
「はい、とても優しくて、元気をくれる笑顔です」
真顔でそんな事を言われ、オレは鼻の頭をかきながら照れるように顔を逸らす。
「フフフ……」
そんなオレの態度に、少しだけ笑顔を取り戻した北原さん。
「先生の今の仕草、わたしが兄のように慕っていた人にそっくりです」
「兄……?」
「あっ! すみません。女性の先生に、そんな事を言うのは失礼ですよね」
イヤイヤ、そんな事ないぞ! むしろ嬉しいくらいだ。
――って、え? あのときに助けたのがオレだって気付いたのに、女性のって……あれ?
「い、いや、その兄って……」
「その人は、東京にあるウチの道場で師範をしていた方で、先生みたいにとても暖かい笑顔の方でした。わたしの師匠みたいな方で、あの飛び込み片手突きを教えて下さったのも、その人なんですよ」
北原さんの師匠で、あの片手突きを教えたって人って……さぞ、お強い剣道家さんなんでしょうね――
てっ、いやいやいや! 聞きたいのはそっちじゃなくてっ!
そんなオレの思惑とは別に、静かに語る北原さん。
「ただ、わたしを襲った人達は、そこの門下生だったんです――だからその人は責任を取って、師範を自ら辞任。門下を離れたと聞きました」
「門下を離れたって……その人、事件には無関係なんでしょ?」
「はい、なのでお祖父様も引き止めた様なのですが……とても責任感の強い方でしたから……」
門下生の責任をとって自ら辞任……
何でも秘書のせいにして責任逃れをする、政治家どもに聞かせてやりたい話だな。
「でももし……もし、あの人が門下に残っていたら、わたしはどうしていたでしょう……? それを考えると、凄く怖いです」
「怖い?」
「はい……あの事件からしばらくは、お祖父様やお祖父様ですら怖くて、普通に接することが出来ませんでした。今では肉親の男性となら普通に接する事は出来ますが、親類以外の男性はまだ怖くて仕方ありません。だから、あの人の顔を見ていたら、わたしはきっと拒絶してしまいキズ付けてしまったと思います」
当初は肉親ですら恐怖の対象であった、彼女の精神疾患。兄のように慕っていた相手すら拒絶してしまったのではないかと北原さんは言う……
ならオレは……?
四年前に彼女が襲われているところを助けたのが、オレだと――そう、助けたのが男のオレだと気付いた北原さん……
そして、姉さんのフリをして学院に通っているのが、実は男だという事のも気づいたはず。
なのに何故、オレには今まで通、変わらず接することが出来るのか……?




