魔物
「そこを何とか、お願いしますよディオニシオさん」
「あぅ……そんな……でも、ボクは……」
「駄目なんですか?」
「はぅ……ち、ちこさぁん……」
翡翠色の目が切なげに揺れ、艶やかな赤い髪がバサリと枕の上に広がる。悩ましく可愛らしい声が鼓膜を打ち、己が内に眠る獣欲を掻き立てない。胸に押し当てられる手の抵抗にならない抵抗を抑えながら、俺はディオニシオさんの耳元に口を寄せた。
「何も面倒な事はありませんよ。その辺りは俺が黙らせますから、ディオニシオさんは付いて来るだけで良いんです」
「でもボクは……ボクじゃチコさんには釣り合わない……ひぃ、ぁ」
「そんな事を言うのは誰ですか?」
刺激すると激痛が奔る部位を圧すと、ディオニシオさんは目に涙を浮かべながら悶える。その姿は、まるで年若き姫が今までに無かった感覚を与えられて恐怖しているよう。
「俺はディオニシオさんだから大丈夫だと思ったんです。これは、ディオニシオさんにしか頼めない事なんですよ」
「はぅぅ……で、でもぉ」
「お願い――いえ……」
ディオニシオさんの背中に手を回し、一気に引っ繰り返す。そのまま腕を背中の方へ固定し、首根っこを掴んで筋をグリグリと圧迫した。
「もう面倒臭いので来てもらいますね」
「横暴! チコさんが横暴ァ―――ッ!!」
ディオニシオさん、そしてアメリアさん、同行確定。ちょろいぜ。
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俺が目を覚ましてから一ヶ月が経った頃、学園長とイラーナさんに呼び出された。何でも、最近になって今までに発見された事の無い魔獣が大量に現れたらしい。
「その強さが中々で、冒険者達の被害が増えてるのよね。特に下級の子」
学園長室のソファに我が物顔で寝転がるイラーナさんが、懐から紙を取り出して机の上にペイっと放った。拾い上げてみると、ギルド職員が纏めたと思しき被害状況が書き連ねられている。
基本的に被害に遭っているのはFランクやEランクと言った魔獣討伐の初心者ばかりで、D以上の冒険者の被害は殆ど無い。しかし所々にそれなりに名の知れた中堅冒険者の名前が入っているのを見るに、新しい魔獣の強さはかなりの物らしい。
「被害の偏り具合からして、戦力を見誤った奴が餌食になっているようじゃのう」
「そうね。でも熟練の冒険者も引っ掛かっているし、一概には言えないわ」
先に報告書を見ていたらしい学園長とイラーナさんの会話を聞きながら、被害に遭った冒険者の名前と顔を一致させて行く。大半は知らない奴ばかりだったが、何人か知っている冒険者がいた。
このEFランクの冒険者二人は、ブラスの元腰巾着。DDランクのこの冒険者は、何時も四人くらいで固まって馬鹿騒ぎをしている奴。CDランクのこの人は、王都に来たばかりの時に何かと世話を焼いてくれたツンデレのおっさん。
元腰巾着は兎も角として、馬鹿騒ぎとおっさんは俺に来る依頼の補佐をこなせる程度には実力があるし、冒険者生活が長い分警戒心が強い為、見覚えのない魔獣に手を出したりしない筈だ。その二人が、新しい魔獣の被害に遭っている。
「イラーナさん、絵姿とか無いんですか?」
「んー?」
飴を咥えて至福の表情をしているイラーナさんが、手元にあるバッグに手を突っ込んで中身を引っ張り出し始める。決済書類に王家の印が入った封筒、ブラウリオさんからの手紙にイラーナさんの旦那さんのハンカチに横領書類……。
俺は目を逸らした。そして記憶を封印した。もう二度と開かなくて良いように重石も乗せた。
「あ、あった。これこれ」
差し出された絵姿を学園長と一緒に覗き込む。鉛筆だけで描かれたそれを見て、顔を引き攣らせてしまったのは仕方が無いと思う。
一応、この世界の魔獣はちゃんと生物に見える。基本的に巨大化させたり体の一部が特殊な外見に変化した動物といった造形をしているのだ。竜などの例外はいるが、巨獣になってもその基本は覆されない。だからこそ、魔『獣』巨『獣』と呼ばれているのだ。
だが、この紙に描かれているモノは『獣』では無かった。いや、生物に分類するのも躊躇われるほど、その魔『物』は異質な外見をしていた。俺は顔を顰める程度だったが、学園長が顔を真っ青にして口元を押さえる程度には気味の悪い外見だった。
「目玉に翼が生えてる……?」
目の端に涙を浮かべながらゴクリと何かを飲み込んだ学園長の言葉通り、その魔物には巨大な目玉に翼や触手のような何かが生えていた。分かりやすく説明するのなら、ファンタジーRPGでよく出る悪魔の僕系の敵だろうか。
「返り討ちにされて這う這うの体で逃げ帰って来た冒険者によると、普段はふよふよと辺りを漂っていて、人間や魔獣、巨獣を見つけると目から光線を放って攻撃するらしいわ」
「巨獣にも襲い掛かるのか……」
普通の魔獣は、巨獣を打ち倒せる一部の猛者や群れを除き、巨獣には決して近寄らない。理由は単純で、下手に近寄れば踏み潰されたり、怒りを買ってペラペラになってしまうからだ。動物がピリピリしている捕食者から逃げるのと同じだ。
しかし、この魔物は自分より遥かに巨大な巨獣にも果敢に襲い掛かって行く。大抵は瞬殺されるらしいが、魔物の数が多いとディラを筆頭としたCランク巨獣は殺される事もあるそうだ。
となると、危険度は大体Dランク辺りが最適だろうか。いや、光線を発射するという事は遠距離攻撃をして来るという事だから、Cランク程度はあるかもしれない。どの道、一度調べる必要がある。
「あ、危険度はもうCに決まったから調べる必要は無いわよ」
「俺は何の為に呼び出されたんですか」
「愚痴?」
こくんと首を傾げるイラーナさん。仕方が無いとでも言うように苦笑する学園長。目の前の机に突っ伏して真面目でいる事を止めた俺。
「これ、しっかりせんか、生徒」
「良いじゃないですか。どうせ殆ど出席出来てないんだし」
「それでも今はこの学園の生徒じゃろうが。シャキッとせい」
見た目幼女で婆臭い事を言う学園長から目を背け、もう一度紙に描かれた気味の悪い魔物の絵を見る。見れば見るほどSAN値が下がる魔物だ。本物の目玉みたいにぬちょぬちょしてたり、中身が飛び出したりしたらディオニシオさんが吐くかもしれない。
「他にも種類がいるらしいのよ、そういう奴。空飛ぶ目玉以外にも、ぐちゃぐちゃのアメーバとかイソギンチャクみたいな木とか百本の腕を持つ巨大な人型の化物とか」
「そういう大事な事は先に言いません?」
「てへ」
イラーナさんを睨み付けると、可愛らしい仕草で誤魔化された。長命なエルフだからか、年齢に見合わぬ行動も似合っているように見えるから困る。
「何か言ったかしら?」
「いいえ何も」
しかしイラーナさんの言う魔物達は、一体どうやって発生したのか。エルの話ではこの世界の生物の発生は神が簡単に管理しているらしいが、こんな悪趣味な奴を追加したという話は聞いていない。話していないという可能性もあるが、それは大穴だ。
自然発生したという線も有り得ない。この世界の野生動物や魔獣から、いきなりこんなぐろっちい化物共が生まれる訳ないでしょう。常識的に考えて。そんなの何処かから輸入しなければ現れません。
……輸入……ふむ、輸入か。
「イラーナさん、この魔物、どの辺りで確認されてるんです?」
「魔物? あぁ、コイツの事ね。魔獣との区別も付きやすいし、採用しようかしら……確認された場所だったわね。クリス」
「ほれ。落書きするでないぞ」
イラーナさんの一言で何を欲しているかを察した学園長が魔力を操り、風を起こして棚から一枚の紙を運ぶ。無駄に繊細な技術で広げられたそれは、グランテーサ王国とその周辺国までを描いた地図だった。
チェスの駒のような物を取り出したイラーナさんは、地図の各所にそれを置いて行く。王都周辺の平原や森、遠く離れた街のすぐ近く、辺境の村、誰も近寄らないような山の中、絶対不可侵とされている森の周囲――
そしてイラーナさんが手を止める頃には、地図上の至る所に駒が乱立している状態になった。法則性もクソもあった物じゃない。本当にランダムに出現しているらしく、人が立ち入れない場所を除けばほぼ全ての場所に駒が立っている。一瞬針山かと思った。
「報告にあった場所はこれくらいだけど……本当に見境なく現れているわね」
「同時多発的にこんな生物が現れるなど有り得んのじゃ。何者かが裏で糸を引いておるのじゃろ」
言いながらチラリと俺を見た学園長に首を振る。天使や神の仕業ではないという意味を込めたそれを正しく受け取ったらしい学園長はふむと顎に手を当てると、徐に立ち上がってイラーナさんが着て来たマントを羽織った。学園長の身長が低過ぎて、裾が床に広がってしまっている。
「クッ……チコよ、後で覚えておれ」
あ、心読まれた。
「クリス、何かやるの?」
「あぁ、ちょっと呼び寄せるだけじゃよ」
エルフであり、魔力操作に関してはイラーナさんと比べても頭一つ以上抜けている学園長が、マントの力を借りてやらなければならない魔法か魔術。呼び寄せると言ったが、一体どんな魔法なのか……。
マントに加えて懐から魔力操作補助用の杖を取り出した学園長が、体中から深緑の魔力を放出し、操る。まるでオーラのようにも見える深緑の霧は、美しい軌跡を描きながら魔法陣を形作って行く。
普段からエルの隔絶した魔力操作に慣れている俺でさえ、その魔法陣から目が離せなかった。リディアさんが魔闘祭で使った立体魔法陣ほどではないが、人の使うどんな魔法陣よりも繊細に細かく描かれているそれは、正しく大魔法師が使う物に相応しい魔術の下準備。
「くぅ……あと、すこしぃぃ……!」
幼女らしからぬ声を絞り出し、額に汗を浮かべながら、魔法陣を徐々に完成に近づけて行く。あれほどの魔力の維持に一体どれだけ精神を使うのかは分からないが、決して楽では無いそれを学園長は見事にやり遂げた。
完成した魔法陣を前にして、学園長はガクリと崩れ落ちる。荒く息を吐く様は、あの行動が放出系魔法を扱う者にとってどれほど過酷なのかを如実に表している。俺には理解出来ない苦労ではあるが、ちょっとだけ労いの思いを心に浮かべた。
しかしその頃、苦労を分かち合える人である筈のイラーナさんは、呆れたように目を細めながら魔法陣の解読に勤しんでいた。内心を読み取る事は出来ないが、結構薄情だ。何時もの事だけど。
「へぇ、見た所召喚系の魔法陣かしら。此処まで精巧な物は初めて見るけど」
「と、当然じゃ……ワシが六十年の時を掛けて研究した物じゃぞ……」
なるほど。人の一生分を掛けた研究の成果なら、此処まで難しくても納得納得。そして、一体何を召喚しようとしているのかも大体分かった。
「何を呼ぶ気なのぉ? 魔獣? 巨獣? それともあの魔物ぉ??」
「えぇい、離すのじゃ!」
イラーナさんはその召喚しようとしている者の正体を知らないのか、何時ものおばちゃんスマイルを浮かべて学園長に絡んでいる。言い方がすっげぇ鬱陶しくて、学園長だけでなく聞いているだけの俺もちょっとイラついた。
「ぐぬぬ……チコ、仕置きは勘弁してやるのじゃ」
ちょろい。
「ハァ……それじゃ、今から呼ぶぞ。下がっておるのじゃ」
「はーい」
イラーナさんを下がらせた学園長は、再び深緑の魔力を滾らせて魔法陣を起動しながら深く息を吐く。そして目を閉じて杖を真正面に翳すと、鈴の音のような声で鍵詞を紡いだ。
「『Please come here, my lovely darling.――invoke』」
何かドロ甘な鍵詞だな、おい。
しかしその鍵詞によって魔法陣は輝きを増し、猛烈に回転を始めた。眩い緑色の閃光が奔り、俺は思わず目を細める。
そして数瞬後、視界を完全に塞ぐほどの強烈な閃光が奔ったと思ったら、今まで魔法陣があった筈の場所に一人の男性が現れていた。綺麗な蒼い髪を丁寧に切り揃えた、まるで王子様のようなエルフの男性は、ニッコリと笑いながら学園長を抱きしめる。
「クリス! 我が愛する夫よ、なんて言ってくれるなんて。もう来るしかないじゃないか!」
「えぇい離せ! 離すのじゃ! 人前じゃろう!」
SSランク冒険者であり、グランテーサ魔法学園の長である大魔法師が、六十年を掛けて研究した超難度の魔方陣で召喚した者。それは彼女の夫であり、主天使であるSSランク冒険者、崩山のアベルさんだった。




