神は往き、神は嘆く
転移して戻って来た自らの玉座とも言うべき場所で、フェルナン――再生の魔神アガフォンは体を横たえ、荒い息を吐いていた。
正直、今回の作戦は失敗だった。最低でも一人の有力者の首を取る事を目的とした侵攻は、剣聖と呼ばれる最強の剣士と、最強の熾天使によって阻まれた。加えて今回の侵攻が敵の危機感を煽り、結束を高めてしまうという結果にもなってしまった。
今後、彼の世界へ攻め込む際には巨大な犠牲を払う必要があるだろう。過去に自らが治めていた世界よりも下位の世界ではあるが、根本より成り立ちが違うが故に彼らは精強だ。此方が持っていない手札を、彼らは持っている。
その事を痛感した。彼らを甘く見ていたのだ。自分達を容易く征服した『奴ら』が一度失敗したという事を聞いていたにも関わらず、それを信用せずに戦力の投入量を誤った。その結果、四人もの眷属を失った。
「ソゾン、エメリヤン、ネストル、クサヴェリー」
アガフォンが譫言のように呟いたのは、今回の侵攻で散った四人の名前。彼らは自らを待ち受ける運命を知りながら、笑顔で戦場へと向かい、散って行った。魔神であった頃から付き従ってくれていた彼らは、既に失われた。
「済まねぇ……俺がもっと、しっかりしてれば……」
涙と共に零れる言葉に応える者はない。かつて魔神殿として栄華を誇り、多くの眷属達が笑顔で働いていたこの場所も、今やすっかり寂れてしまった。
この世界を征服し、他の世界すらも統べようとする『奴ら』――自らをアンラ・マンユと名乗る、ふざけた神の所為で。
「アガフォン」
怒りと無力さに苛まされるアガフォンに、可憐な女性の声が掛けられた。視線を彷徨わせれば、戻って来た時には確かに居なかった存在を端に見つける。
「何の用だ、アリーナ」
アガフォンが問い掛けると、アリーナと呼ばれた女性は微かに肩を震わせて俯いた。アガフォンの下へ己の体を運ぼうとしていた足も、元の場所へと戻ってしまう。じれったい態度に、微かに脳が熱されるのをアガフォンは感じた。
「何の用だ」
「……ごめんなさい」
先よりも強い口調で問えば、俯いたアリーナが呟くようにして謝罪を口にする。かつて誰よりもアガフォンの事を憎み、対立し、滅ぼそうとしていた時とは考えられない言葉だった。しかしぽたぽたと魔神殿の床を濡らす雫が、それが本心からの言葉であると証明して憚らない。
アリーナもまた神である。『輪廻』の権能を持ち、与えられた世界の魂の循環を管理する役目を負っていたアリーナは、自らの管理する世界で生まれたにも関わらず、『再生』の権能で輪廻の輪から外れていたアガフォンを魔より生まれし神と蔑み、敵視していた。
何度も何度も勇者を送り込んでアガフォンを抹殺しようと試みるが、アガフォンは実質的な不死。全ての勇者が返り討ちにされ、アリーナは更に憤る。アガフォンも黙って滅ぼされるのを待たず、自らの権能の一部を祝福として分け与えた眷属を生み出し、アリーナに対抗した。
繰り返される全面抗争。永き間に渡って続いたそれが終結したのは、数千年前にアンラ・マンユが突然現れ、彼らの世界を瞬く間に支配した時の事だ。己の眷属――即ち勇者や魔王と呼ばれる特別な存在以外は全てアンラ・マンユの傀儡となり、アリーナとアガフォンは瞬く間に孤立した。
これに危機感を覚えた二人は矛を収めて協力体制を取るが、それでもアンラ・マンユには届かなかった。戦力である勇者や魔王は殆どが滅され、アリーナとアガフォンの権能は正面から叩き潰された。輪廻による死者からの攻撃も、再生による永遠の攻撃も、アンラ・マンユには何ひとつ傷を与える事は出来なかったのだ。
それ以降、アリーナとアガフォンはアンラ・マンユに降伏し、傀儡としての役目を全うしている。己の愛した世界をアンラ・マンユの指示のまま混沌へと突き落とし、そこから回収したモノで異世界を侵略する――鬼畜にも近い所業を彼らは強いられていた。
侵攻時に主力を務めていた死兵達は、皆この世界で生まれ育ち死に、アリーナの手によって魂を囚われた者達だ。死して尚、彼らはアンラ・マンユの意のままに弄ばれ、使い捨てられている。
しかしアリーナにとって最も許し難いのは、死を知らぬ魔神が前線に引きずり出され、使い潰されているという事。それを指を咥えて見るしか出来ない自分であった。
「……構いやしねぇよ。どうせ俺は死なねぇ。魔王共は皆死んだが……まぁ奴らは何時か死ぬ運命だったさ」
「アガフォン……」
目を閉じて深い息を吐くアガフォンを、アリーナは泣きそうな顔で見つめた。アガフォンの本当の心情を、付き合いの長いアリーナは手に取るように理解出来る。悲しみすらも封じ込め、戦闘のみを遂行する機械になろうとする心が、アリーナには理解出来てしまう。
「それよりも次だ。出来る限り力を溜めて、三度くらいはその場で再生出来るようにしなけりゃ奴らには勝てん。となると、次の侵攻は来年だ」
アリーナの顔を見なかったフリをして、アガフォンは次の計画を立て始める。不死のからくりは教えてしまったが、彼らにそれを覆すほどの力は無い。そう、あのアンラ・マンユに比べれば、彼ら程度なんて事は無い。
悲しき歯車は廻り続ける。例えその道が茨に包まれていたとしても、甦る体はビクともしない。ただただ自らの愛した世界を守る為に、他の世界を生贄にする。
本意ではない血塗られた道を往くアガフォンを見ながら、アリーナは何時までも嘆いていた。




