ユメとキョウフとムカシのキオク
あらすじ
チコとエルが倒れた。
途中までチコ目線、途中からエルネスタ目線です。
目の前に迫る魔獣を斬り伏せ、背後から切り掛かって来る人間を蹴りで粉砕する。漸く一塊の敵を粉砕した所で周りを見渡せば、目に入るのは迫り来る魔獣と人の波、波、波。地を、空を埋め尽くしてもまだ足りぬほど、その軍勢は数を増している。
最早数え切れないほどの魔獣と人を殺し、辺りには屍の山が築かれている。その光景を見れば恐怖に震えて逃げ出すのが普通なのに、軍勢は臆する事無く俺を目指して進んで来る。表情は恐怖で凝り固まっているのに、その足取りには微塵も迷いが無い。
何処か機械的に足を踏み出す軍勢は、まるで世界に操られている人形のようだ。あぁなった者は、目的を達成するまで決して引かないだろう。今回の場合は、俺という存在を完全に滅するまで。
近くまで接近した軍勢の先頭が、様々な魔法を俺に向けて放って来る。あの竜と戦った時を思わせるようなエネルギーの壁は、俺を決して逃がしはしないだろう。しかし、それは俺には通用しない。
逃げられないのなら、真っ向から打ち破れば良い。
体の中から溢れ出る魔力を前方に展開し、傾斜装甲のようにエネルギーの嵐を受け流す。受け流された嵐は四方八方に散らばって、軍勢の一部を焼き尽くし、粉砕し、抉って消滅させた。
しかし、味方を巻き込んでも軍勢は魔法を放つのを止めない。いや、止める必要が無いのだろう。個に見えるひとつの軍勢は、体の一部が滅びようが問題は無い。まだまだ代わりは大量にあるのだから。
倒しても倒しても終わらない群れ。実に面倒で不愉快な事この上ない。
握る剣に魔力を流し、魔剣を生成する。際限無く伸びて行くそれを前方へ向けて一振りすれば、視界を塞いでいたエネルギーの嵐が消滅した。代わりに映るのは、遥か彼方まで広がる体を両断された死体と血の海、海、海。濃厚な死の気配が満ちるその海を、後続の軍勢がヒタヒタと渡って来る。
嗚呼、地獄と呼べる世界があったとしたら、正にこの場所がそうに違いない。満ち溢れる死と狂気と恐怖、恨み、妬み、絶望。ありとあらゆる負の感情が大量に集まったこの世界こそが地獄に相応しい。
ならば我こそが地獄の『王』となろう。醜く不愉快な生から魂を開放し、美しく甘美な死ヘと誘おうではないか! 我にはそれが出来る! 世界を死へと導く事が出来る力がある!!
人も魔も区別する事無く、ただ平等なる救済を。苦しき永久を生きる使徒も精霊にも、安らかなる眠りを。生を生み出し、我が親たる憎き神も我は差別せぬ。皆に等しく、静かな死を与えよう。
さぁ、身を委ねるが良い。我こそは『王』、安息を齎す地獄の主であるぞ!
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「黙れェェェッ!!!」
そう叫んだ自分の声で、俺はバッと目を覚ました。最悪の目覚めだ。寝汗で体中ベタベタだし、動悸はするし、気分は悪いし、吐き気がする。視界もグルグルと回って焦点が定まらない。
原因は分かっている。さっきまで見ていた、まるで自分が自分でなくなるような感覚と、思い出すだけで精神を冒す声が響く最悪な夢だ。前世含めて三十三年生きて来たが、あそこまで胸糞悪い夢は見た事が無い。
あぁいう夢を見るのは、何か切欠があるからだと前世で彼女に振られて悪夢を見たという友人が言っていた。という事は、昨日の夜に何かあったのだろう。そうでなければ、俺がウタヒメのベッドではなく医務室らしき部屋のベッドに寝ている理由が無い。
確か昨日は、ウタヒメの海中風呂で……エルに衝撃の告白をした後に外へ飛び出し、そこで吐血をしてルフィノさんに発見され、職権乱用で神殿に連れて行かれて、そこで……ッ!
「うっ……ぇ……ッ」
思い出した。そうだ、そうだった。あの後、お偉いさん方に囲まれて第一級機密とか言う神話を聞かされたんだった。神話らしく抽象的な表現が多かったが、あの破壊の精霊の権能に心当たりがありすぎた。
苦痛は身体強化。抑圧は活性。嫉妬は魔力破戒。絶望はレグロの使った身体侵食。破壊の精霊の権能の効果は、循環系魔法に――如いては濃縮付加や超越付加に通ずる物がある。
そこで思い至ったのが、此処最近の体の異常。何度もぶり返す吐血は、体が破壊の精霊の権能、絶望によって侵食されている証拠ではないかと思うのだ。レグロが使った身体侵食ほどでは無いが、少しずつ、確実に体を蝕んでいるのではないか、と……。
そして、桟橋でエルの事を考えていた時の事だ。あの時の俺は、酷く独占欲に駆られてたいたように思える。もしも他の男がエルと懇ろになっていたら、激しい嫉妬の情が沸き上がっていただろう。
極め付けは、嫉妬の時と同じ時、場所。エルに対してやりたい事を考えていた時の事だ。その直後は吐血もあってすぐに忘れたが、神話を聞いて思い出した。その思考があまりにもおぞましかったのと最悪な推測が重なって、俺は嘔吐してしまったのだ。
その後の事は殆ど覚えていないが、現状を鑑みるにそのまま医務室に運ばれて眠らされたのだろう。そしてあの悪夢を見て、今に至るという訳だ。
昨日の事を思い出して理解した瞬間、色々な物が混ざって吐き気が更に強くなった。口に手を当てて何か吐ける物が無いか探すと、ベッドの横にある棚の上に桶が置いてあるのが見えた。御丁寧に『吐き気を感じた時にお使い下さい』なんて張り紙もある。ありがたく使わせてもらおう。
桶の中に胃液を吐き出した後、俺は持って来なかったはずの荷物や剣が置いてある事に気付いた。ウタヒメの部屋に置きっぱなしにしていた荷物が此処にあるという事は、エルが一度は此処に来たという事だ。
慌てて医務室内を見渡せば、隣のベッドの布団が膨らんでいるのが見えた。棚が邪魔で顔は確認出来ないが、傍に見覚えのある白いローブが掛けられている為、十中八九エルが眠っているのだろう。
「…………ッ!」
顔を覗き込もうとベッドから降りようとした所で、俺の体が明確な異常を訴え始めた。呼吸は運動もしていないのに荒くなり、手がカタカタと震えて言う事を聞かない。足に到っては、もはや感覚すらも無くなっている。
同時に、俺の心の中にムクムクと恐怖が湧き上がって来た。振られるのが怖い訳では無い。エルの顔を見た瞬間、また昨日のような考えを――エルを壊したいと考えてしまうのが怖い。
顔が見えない今の内はまだ良い。だが、顔が見えて、眠っているのがエルだと確信してしまった瞬間に、衝動的に襲いたくなってしまったら。また昨日のように、エルの事を壊したいと思ってしまったら……そう考えるだけで、俺の体をベッドに縛り付ける感覚は際限なく強くなって行く。
もし本当にその衝動に駆られて俺が襲い掛かったとしたら、エルは容易く壊れてしまうだろう。幾らエルが強くても、眠っていては満足に抵抗する事は出来ない。俺の化物染みた力で体を締め上げられて、そのまま――
「――~~~ッ!!」
自分の想像に声無き悲鳴を上げ、自分の体を掻き抱く。こんなに自分の力を怨めしく思った事は無い。こんな力が無ければ、俺はこんな恐怖を抱かずに済んだ。こんな力が無ければ、苦しまずに済んだ。こんな力が無ければ……ッ!
「ん……」
「ひ、ぅ、ぁ……ぁぁ……!」
微かに響いたエルの声が怖い。心臓が不規則に脈動し、体がガタガタと震えて止まらない。このままこの恐怖が続いたら頭がおかしくなってしまう。いや、もうおかしいのか? 分からない、何も分からない。
「ぅ……ん……ち、こ?」
止めろ。俺を呼ぶんじゃない。頼む――
「チコ……!? チコ! しっかりして下さい! チコ!!」
――止めてくれ
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「チコ……!? チコ! しっかりして下さい! チコ!!」
見知らぬ部屋――恐らく神殿の医務室で目を覚ますと、隣のベッドでチコが恐怖に満ちた叫び声を上げてガタガタと震えていました。明らかに尋常では無い様子に、すぐに飛び起きて肩を揺さぶりながら声を掛けます。ですが、チコはそれに何の反応も返して来ません。虚ろな目を限界まで見開いて、涙を流しながら自らの頭を抱えています。
一体どうしたと言うのでしょう。チコほどの強い精神を持った人が、錯乱するほどに恐怖するなんて予想もしていませんでした。神話を聞かされて嘔吐するほどショックを受けていたとはいえ、この怯え様は異常です。何か別の原因があると見ていいでしょう。
兎も角、落ち着かせなければ話になりません。勢いを付けて頬を挟み、痛みと衝撃で正気に戻そうと試みますが、駄目でした。それどころか、余計に怖がらせてしまったようです。痛みと衝撃には慣れ過ぎている筈ですが……錯乱するとまた違うようですね。
「ほら、チコ! お菓子ですよ、お菓子!」
痛みがあるなら興味がある物で。そう思ってポケットに入っていた飴玉を取り出しましたが、チコは見向きもしません。となると、また別の方法を取る必要がありますね。
正直あんな事があった後なので気乗りはしませんが、背に腹はかえられません。私はチコの小さな体をグッと引き寄せ、両手を背中に回して抱き締めます。
「大丈夫ですよ。私がいます。チコと正面から戦える私がいますから大丈夫ですよ」
自分で言っておいて何が大丈夫なのかは分かりませんが、とりあえずそう言い聞かせながらあやすように背中をポンポンと叩きます。酷く怯えている人間に対しては、年齢性別問わずこの手が有効だとアベルが言っていました。
その情報は正しかったのか、腕の中のチコの震えが少しずつ収まり、やがて止まると同時に気絶したように眠り始めました。覗き込んでみた寝顔は、特に強張った様子も無く安らかに見えます。精神的な不安は解消出来たようです。
「ふぅ……ん?」
何とか錯乱状態を治められた事に安堵して息を吐いてそのまま離れようとすると、チコが私の服の裾を握っている事に気付きました。丁寧に袖の上部分を捕まえられていて、腕をチコの背中から回す事が出来ません。加えて馬鹿力なので、振り解く事も出来ません。
……これは、チコが手を離すか目を覚ますまで、傍目から見たら抱き合った格好のままで居ろという事なんでしょうか?目を覚ました時の反応が怖いです。
「…………」
……まぁ仕方ないですよね。チコの安眠の為ですし、大人しく抱き合ってましょう。大丈夫、見られても問題は無い筈です。対外的には私達恋人同士ですし。
それにしても、チコは物理的にこんなにも小さな人だったのですね。普段は態度や雰囲気も相まって大きく見えていましたが、それが消え失せた今のチコはとても小さく思えます。
この小さな体に、一体どれだけの負担が掛かっていたのか。ルフィノさんによればチコは吐血していたらしいですが、桟橋に漂っていた血の臭いの濃さから見て相当な量の血を吐いていたのでしょう。
そこまでの量の血を吐いたという事は、相当体が侵食されていたという事です。チコの体の中――いえ、循環系魔法という破壊の精霊の権能が生み出した魔法の理に封じられている、破壊の精霊によって。
機密に指定されているというあの神話を聞き、主によって施されていた記憶の封印の一部が解かれました。所々抜けている部分はありますが、破壊の精霊によって世界に齎された権能や影響等は思い出せます。
その記憶によれば、主と四柱の大精霊、そして幾人かの高位天使は英雄によって動きを封じられた破壊の精霊を、それが生み出した権能に溶かしたようです。その結果、発生源を失った権能は世界に薄く拡散し、今の循環系魔法となりました。
それを濃縮するという事は、破壊の精霊を元の状態に近付けるという事です。破壊の精霊が何度も元の状態に近くなれば、絶望の権能が齎す侵食作用によって近くにある物は自然と蝕まれて行きます。チコの体のように。
チコの生み出した、循環系魔法を極限まで濃縮する超越付加。それを発動した事で、苦痛と嫉妬の権能は既に復活しました。それによって、絶望の権能も徐々に復活しつつあります。残りひとつ、活性の超越付加を使えば怨嗟の権能も復活し、同時に絶望も復活するでしょう。
全ての権能の復活。それは即ち、破壊の精霊の復活を意味します。チコの体の中で復活する事になりますから、いきなり力が撒き散らされる事は無いでしょう。しかし、チコが死ぬか――或いは破壊の精霊に精神を呑まれてしまえば、世界は再び脅威に晒されます。
権能が二つしか復活していない今は、チコの驚異的な精神力によって破壊の精霊は抑えつけられています。ですが、先ほどまでのチコのように精神が揺らいでしまうと、その隙を突いて飲み込まれてしまうかもしれません
そんな事が無いように、私がチコを支えるのです。世界が再び恐怖に晒され、滅びないように。そして、チコの精神や体が内側から壊されないように。それこそが私の役目なのです。
その為に、チコには正直に私の気持ちを伝えましょう。そして、命が尽きるその時まで共に歩みましょう。残酷ですが、チコならば内に宿る嫉妬に飲み込まれずに受け入れてくれると、私は信じています。
「だから今は……ゆっくり休んでください……」
そんな決心をしながら、何時の間にか寝入ってしまった事はまだ良いのです。チコの頭に顔を埋めていたという事実も良いのです。今の状況に比べたら、そんな事は些細な問題に過ぎません。
「えっと……どちら様ですか?」
「……え?」
そう、チコが私の事を忘れている事に比べれば、何でもない事なのです。
次回予告
「ちょ、ちょっと! 親しいのは確かですけど、そこまで行き過ぎた事はしてません! 公然といちゃついたりはしてましたけど!」




