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Monochrome―化物剣聖と始原の熾天使―  作者: 勝成芳樹
第三章―二人の異変―
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逃げて、紅くて、神殿で

「やっちまった……」


 エルに告白してしまってから数十分後、俺は夜の桟橋を当てもなくさ迷い歩いていた。身に付けている物は何時ものハーフコートと、小銅貨が数枚と冒険者カードだけ。財産や道具の殆どが入っているバッグと剣は宿の部屋に置きっぱなしになっている。


 何でそんな大事な物を置きっぱなしにしているのか。その理由は至極簡潔で、自分が何を言ったのかに気付いて飛び出す時に忘れたからだ。取りに戻ろうかとも思ったが、今戻ってはエルと鉢合わせする可能性が高い為、止めた。


 こんな夜中に宿に戻れないとなると、行き先は大体酒場か娼館に限られるのが普通だ。だが、俺の手持ちは小銅貨数枚。日本円にして数十円しかない。これでは娼館で病気持ちの安い女性を買うのは愚か、酒を一杯頼む事すら出来やしない。いや、娼館なんざ金あっても行かないけどさ。


 そんな訳で行き場も無く項垂れながら歩いていたのだが、桟橋の行き止まりにぶち当たってしまった。来た道を戻る気にもなれなかった為、そのまま桟橋に腰を下ろして海を眺める。波が桟橋の足に当たって砕ける音が耳に心地良い。


 少し視界を上に向けてみると、雲ひとつ無い紺色の空と青白い月が見える。水中から見た時とは違って輪郭のはっきりしたそれは、妙な事を口走ってしまった俺を嘲笑う口のように思えた。被害妄想だと分かっていても、そう思わずにはいられない。


 本当に、何であんな事を口走ってしまったんだろう。エルが俺に優しくしてくれても、それは主の命を果たさなければならないという義務感から来るものでしかないというのに。先日の結婚話も、俺をエルの元に縛り付ける為の手段でしかないのに。


 ――エルの気持ちは常に創造神に向けられていると、分かりきっている事なのに。


 原因は分かっている。酒が回っていた事と、普段とは違う環境に置かれて興奮していた事、そしてエルが突然誘惑して来た事だ。特にエルがあそこまで露骨に誘惑して来る事は今まで無かった為、精神が揺らいでしまった。


 そしてそこに追い撃ちを掛けるようなエルの言葉に、俺は暴走してしまった。エルが忠誠を誓っている創造神に嫉妬して、お前の心が欲しいなどという言葉を吐いてしまった。まだ俺の事を監視対象としか見ていないと分かっていたのにも関わらずに。


 本当は、もう少し仲が進展してから告白するつもりだったのになぁ……今告白したら、前世では何人も見て来た、告白の後に気まずくなって疎遠になり、やがて話さなくなる男女みたいになってしまう。


 エルと疎遠になり、やがて話さなくなって俺の前に別の天使が現れる……そこまで想像して、俺は膝を抱えて丸くなった。考え付く限り、最も有り得る展開だ。そして同時に、最も迎えたくない結末のひとつでもある。


「……エルと別れたくなんかねぇよ……」


 波の音に紛れるようにして呟いた言葉は、自分でも微かに聞き取る事しか出来なかった。そんな小さな言葉なのに、俺の脳を駆け巡って反響し、徐々に大きな波となって襲って来る。海へ向けて吐露した気持ちが、抑えられない感情となって込み上げて来る。


 エルと一緒に戦いたい。料理をしたい。学園に通いたい。デートをしたい。いちゃこらしたい。笑いたい。悪戯したい。酒を飲みたい。風呂に入りたい。寝たい。触れたい。撫でたい。抱き締めたい。そしてそのまま――


「ッ!? ゴホッ、ゴガァ、ガフッガハ」


 突如奔った鋭い痛みと共に、腹の底から何かが込み上げて来る。慌てて口を手で押さえるが、その行動の無意味さを嗤うかのようにそれは大量に溢れ出した。


 今まで吐血して来た中でも最大量の血が溢れ、服と身体、桟橋を染めて行く。びちゃびちゃと生々しい音を聞きながら桟橋から身を乗り出し、海へ向けて嘔吐いた。


 溢れ出る紅が、暗い海を更に暗く染めて行く。まるで自分が深海の底に引き摺り込まれる錯覚をするような黒が、波に上下しながら靄のように海を浸食する。まるで、俺の体の汚染度合いのようだ。


「ゴボッ、ゴブッ……はぁ、はぁ……」


 最後の一滴まで血を吐き出し、空気を求めて喘ぐ。血を失い過ぎた所為か、感覚が酷く曖昧だ。触覚はゴム膜を通しているかのように鈍く、視界は霞がかったように白い。波の音は遠く、彼方から響いて来るように感じる。


 一先ず失った血の補給と治療を行う為に活性魔法を濃縮付加する。何時も通りの痛みが奔り、腹の中の痛みと鈍い感覚を元に戻して行く。元に戻った五感で改めて周囲を確認すると、かなり酷い事になっていた。


 まず俺自身が酷い。服の前面が広く血で汚れており、更に手と口元まで紅く染まっている。何処ぞの猟奇的な現場の帰り道と言われても信じられるくらいだ。ぬめぬめとしていて気持ちが悪い。


 次に桟橋が酷い。俺が座っていた所から端まで血で覆われており、何かを引き摺った痕のようになっている。海も未だに血が漂っており、傍から見れば死体を海に捨てたかのように見えるだろう。


 最後に臭いが酷い。慣れていない者が嗅げば、たちまち卒倒してしまうほどの臭いが辺り一面に漂っている。更に胃に入っていた物も出てしまったのか、何処か酒の臭いや酸の臭いも混じっていた。


「……どうしよう、これ」


 そう呟くだけで解決策が浮かぶ訳も無く、俺は途方に暮れた。丁度そこを巡回の兵士が通り掛かった、なんて奇跡が起これば最高なのだが……。


「そこの! 吐いていたようだが大丈夫……むっ!?」


 起きたわ。


「る、ルフィノさん……ちょっと、水出してくれませんか?」

「チコ殿!? これは一体何が……」


 道の方から走って来たルフィノさんは、困惑した表情をしながらも魔法で血やその他を洗い流してくれた。服を傷ませる事無く洗えるなんて流石は神殿騎士様、神官位を持っているだけはある。


「それで、一体全体何故こんな量の血を」

「いやぁ、流石はルフィノさんだ。じゃあ私は此処で失礼いたしますね」

「待たんか」


 追及される前に逃げようとしたのだが、経験豊富なルフィノさんを騙せる筈も無くあっさりと肩を掴まれた。かなり強い力で掴んでいる事を鑑みる限り、逃がす気は無いらしい。


「詰め所……いや、神殿で話を聞かせてもらおうか」

「横暴だ、職権乱用だ」

「何とでも言うがいい。禁忌による副作用を知るには丁度良い機会だからな」


 どうもルフィノさんは、俺の吐血の原因が禁忌、つまり循環系魔法の濃縮付加であると感付いているらしい。いや、それ以外に活性魔法の濃縮付加でどんな怪我も毒も治せる俺が吐血する原因が無い為、消去法で感付いたのだろう。


 ルフィノさんに感付かれた所で特に問題は無いのだが、エルにバレる可能性が増えるのはいただけない。その為、エルに吐血の件をバラさない事を条件に神殿まで同行する事にした。


 約束を守らなかったらミンチにしよう。うん。


「此方ルフィノ、月の光が射した……そうだ……了解した。以上」


 ルフィノさんは耳元を押さえ、何やら暗号のような物を呟いている。創神教は魔道具に関してはトップクラスの生産能力を誇っている為、魔道具を神殿騎士全体に配備しているらしい。今の通信も恐らくは魔道具を介して行っている筈だ。


 それにしても、月の光が射したというのはどんな暗号だろうか?


「よし、掴まれ。転移する」

「あい」


 神殿騎士の制服の裾をつまみ、俺とルフィノさんが一緒に転移出来るようにする。それを確認したルフィノさんは、金属で出来た腕輪に何かを呟いた。その瞬間腕輪から眩い光が放たれ、それが収まった時には見知らぬ場所に転移していた。


 美しく磨き上げられた石の床に、白く輝く大理石の柱や壁。その中に埋め込まれている精霊像と、その間を歩く神官服姿の男女。装飾の少ない質素な空間ながら、巧みな造りで遜色ない美しさを確保している。


 宗教色の強い壮大な建物、間違いない。此処はマール王城に並ぶもうひとつの中枢、創神教の神殿だ。


「どうした、行かないのか」

「いや、まさか神殿の内部にそのまま転移するとは思わなくて」


 こういう時、普通は神殿の前に転移して手続きをする物だ。間違っても部外者を直接案内したりはしない。そう思っていたのだが、次の言葉で強制的に納得させられる事になった。


「大丈夫だ。最高位の天の使途と一緒にいるチコ殿なら通しても問題無い」

「そうだった」


 普通に考えて、信仰対象の右腕ポジションの熾天使と親しく、更に禁忌を剣聖としてマークされている俺が一般人と同列扱いされる訳が無かった。それでもやり過ぎだとは思うが、既に通されてしまった以上仕方が無いか。


 先導するルフィノさんに付いて神殿の中を進む。転移して来た場所は神殿騎士の詰め所のような場所だったらしく、所々で鎧を着た騎士達が鍛錬に励んでいた。夜なのに鍛錬に励んでいるとは、感心至極。


 詰め所のような場所を過ぎると、今度は屋敷とかによくありそうな長い廊下が続いていた。此処も基本的に白で統一されており、一定感覚で小さな観葉植物が乗っている台が置かれている。時折、小間使いらしき小さな子供がぱたぱたと掃除をしていた。


「神殿騎士団第二部隊所属、ルフィノです。チコ殿を御招き致しました」


 そしてその廊下の中ほどにある一際立派な、と言っても彫刻が施されているだけの木製の扉をルフィノさんがノックする。中からガタガタという音がした後、入室を許可する声が聞こえて来た。


「失礼します」


 ルフィノさんの後に続いて開けられた扉を潜ると、中には錚々たる顔触れが揃っていた。教皇アヌンシアシオン様に巫女クルス様、現神殿騎士団長のサンスさん、その他枢機卿として名の知られている方々が、ひとつの椅子を囲むようにして座っている。


 チラッとルフィノさんを見ると、無言で目を逸らされた。どうやらさっきの暗号は、至急お偉いさん達の耳に入れたい事がある時に使われるものだったらしい。そうでなければ、すぐにこんなお偉いさん達を招集出来る筈が無い。十中八九、会議か何かの途中だったに違いない。


 貸しがあるから勘弁してやると言外に込めて睨み付けていると、柔らかい笑みを浮かべた教皇様が声を掛けて来た。


「ようこそいらっしゃいました、チコ殿。急だったでしょう、申し訳ございません」

「いえ、大丈夫です。寧ろルフィノさんには助けてもらいましたから」

「ほぉ、それは良い事をなさいましたねぇ、ルフィノ」


 教皇様がルフィノさんに向けて微笑み掛けると、ルフィノさんは敬礼をして応えた。その姿をクルス様が眉尻を下げて眺めている。コイツらまだ和解してねぇのか。


「それで、如何なる理由があってチコ殿をお連れしたのですか、ルフィノ?」

「ハッ! 夜間、大量に吐血している所に遭遇。原因は禁忌にあると考え、同行を要請した所、エルネスタ様に吐血の件を内密にするという条件で承諾していただきました。」

「なるほど。だから月の光が射したのですね。良い判断です」

「ハッ……」


 教皇様達は何やら身内だけで納得しているが、俺にはサッパリ分からない。月の光が射したって何だよ。俺の死が近いかも知れないから今すぐ聞こうとでも言っているのか?


 ……そんな気がして来た。


「それでは、ルフィノにはこの部屋内部の警備をお願いしますね」

「ハッ! 了解致しました!」


 警備とは言っているが、実際はルフィノさんにも話を聞かせる為に部屋に残る理由を作ったのだろう。教皇様方お偉いさんは、ルフィノさんを神殿騎士団長に復帰させる気満々らしい。クルス様の独断で降ろされたらしいし、当たり前か。


「チコ殿。まずはどうぞお掛け下さい」


 ルフィノさんが壁と一体化した所で、教皇様がにこやかな表情を真面目な物に変えながら俺の方に顔を向ける。俺は小さく頷き、示された椅子に腰を下ろした。周りを厳つい顔をした枢機卿の面々に囲まれている為、圧迫感が半端ない。


「さて、チコ殿。私達が濃縮付加を禁忌としている事は知っていますね?」

「えぇ、勿論。まさかそれを糾弾する為に呼んだ訳ではありませんよね?」

「まさかまさか。今更ですし、天の使途様が三人黙認している以上、創神教が口を出す事は有り得ません」


 教皇様の言葉に、枢機卿の面々が重々しく頷く。クルス様も多少不満そうな表情をしていたものの、それを表に出す事は無い。教会上層部の意思統一は出来ているらしい。始末される可能性も考えていたが、その心配は無さそうだ。


「私達があなたに聞きたいのは、禁忌を扱う上での注意点や副作用です。何せ、禁忌に指定して長いものですから、情報が殆ど失われているのですよ。先日はレグロが見習いとして加わってくれましたからね。実例も欲しいですし」


 そう語る教皇様は笑顔のままだが、さっきまでの穏やかな物とは違って何処か影が差している。禁忌の情報集めとは言っているが、実際は利用出来ないか探っているといった所か。レグロの為だと聞こえるように言っているのがいやらしい。やはり狸か。


 まぁ別に、濃縮付加の情報を教えた所で俺に害は無い。寧ろ貸しを作れる為、俺は濃縮付加のやり方以外の情報を全て話す事にした。それぞれの循環系魔法の効果や、濃縮付加を行えば精神が壊れかねないほどの痛みに毎回襲われる事などだ。


 しかし、途中までは興味深そうに聞いていた教皇様達が、副作用の痛みについて話した辺りで露骨に眉を顰め始めた。気配からは、怒りというよりも諦観の念や予想通りという想いが伝わって来る。


 やがて俺が話を終えると、苦々しい表情に無理矢理笑顔を貼り付けたような顔をした教皇様が口を開いた。


「詳しい事まで話して下さってありがとう、チコ殿。お礼のひとつとして、私達創神教からも情報を提供いたしましょう」

「何の情報ですか?」


 そう聞くと、教皇様は懐から武骨な分厚い本を取り出しながら言った。


「あなたや天の使徒様に関係がある、古い古い時代の神話ですよ」

次回予告

「私はエルネスタと言う者です。少し用があるので……そうですね、押し通らせてもらいます。怒られないよう頼んでおくので、許して下さいね」

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